召喚禁止!
「ぱぱはっ」
泣いて泣いて、泣きはらした翌日。
ファウリーはぼぅっとかすむ頭で台所におりて、暖かいミルクとベーコンに目玉焼き、昨夜の残りのとろとろのコーンスープにおじいちゃんの焼いてくれるおいしいパンという朝食を平らげた。
その後食器の片付けもそこそこに、おじいちゃんに昨夜訪れていたぱぱ――召喚魔導師のパードルフはどうしたのかと尋ねた。
本来であれば朝一番に叫ぶべきだったが、毎日の習慣で思いっきり朝食を食べてしまったオコサマファウリーだった。
「ファウリーが寝た後に帰ったよ。ミルクのおかわりはいるかい?」
帰った、というのはおかしな表現だ。
ここはパードルフの家なのだから。
だが、仕事が忙しいパードルフは実際に自宅にいることは滅多に無い。
昨日だって突然訪れ、そして――ファウリーをさんざ叱り付けて、うなだれているファウリーを宥めながら寝かしつけるまでの数時間しか在宅しなかった。
ファウリーはパードルフが居ないという言葉に、おじいちゃんの言葉を無視し、慌てて階段を駆け上がった。
二段飛ばしで足音も荒く駆け上がり、思い切りパードルフの書斎のドアノブを引っつかみ――キィーンという硬質な音と共にその扉からバチンっと静電気の攻撃に短い悲鳴をあげた。
『あけちゃいやーん。えっちぃー』
耳に痛みをもたらす音と、パードルフの声と同時にドアノブの上にぐりゅんっと出現したのは、黒い奇妙なぶよんぶよんとした雫のようなモノだった。
「くぅっ」
ファウリーはその気持ち悪さに咄嗟にドアノブから手を離したが、未練からもう一度勇気を振り絞って手を伸ばした。
『いやぁぁぁ、やめてぇ。痴漢よぉぉぉ』
まるで襲われる乙女のようにパードルフの声音でソレが悲鳴をあげながら微弱の電流を流しまくる。
そう、不愉快な声をあげているのはその黒いぶにょぶにょだ。
召喚魔導師パードルフの「封印」の為の召喚獣。
ファウリーはわなわなと身を震わせ、半泣きで叫んだ。
「ぱぱの馬鹿ぁぁぁ」
***
「おはよう、ファウリー」
医療魔法士の資格をとったばかりのレイシェンは、研修士の白衣姿で嫌味ったらしく笑みを浮かべていた。
レイシェンはファウリーの髪を毎日結い上げるという日課を持っている為、今もその手にはブラシを持っていたが、ファウリーは今日は絶対に髪を結わせてやるつもりなんて無かった。
それどころか、もう絶対にレイシェンとなんか口を利かない。
「昨日、パードルフ先生が来てたんだって? 言ってくれればいいのに」
レイシェンの言葉に、ファウリーは泣きはらした目で相手を睨みつけた。
「レイシェンでしょう!」
「何が?」
「ぱぱにあたしが召喚したってチクったの」
口なんか利かないと誓ったが、もうすでにその誓いは破られた。
三歩歩くまでもなく忘れる鶏頭なファウリー、十一歳。
悔しくて悔しくて仕方が無かった。
パードルフは召喚術を禁じた挙句、ファウリーにとっても大事な魔導書の宝庫である書斎を出入りできないように封印してしまったのだ。
「チクったなんて人聞きの悪い。さすが尊敬するパードルフ先生の娘だって褒めただけだよ」
しれっとレイシェンは言うが、パードルフに告げたという事実は言い逃れる気は無いらしい。
ファウリーは小刻みに身を震わせ、ぎゅっと拳を握り込んだ。
レイシェンの告げ口のおかげで昨夜こってりと絞られたのだ。
「召喚術を行使するには資格が必要で、その資格をもたないものは犯罪者として投獄されてもおかしくない。それがたとえ子供であっても!」
召喚魔導師としてのパードルフはそれを許すことはしなかった。
召喚術の初歩を学園で学ぶことができるのは、中学部に入ってから。それも基礎と召喚術に対する倫理、法律を学ぶだけで実際に召喚をするのは二年目に入ってから。
それも教師が居る場と決められている。
卒業までの間に試験をパスすることができれば、やっと高等部で召喚士としての専門課程を受けることができるのだ。
現在ファウリーは十一 ――さすがに色々とまずいと思い、パードルフには秘密でこっそりと召喚の術を高めようとしていたのだが、いくらやってもファウリーは魚介類しか召喚できなかった。
それで先日思いあまり、十歳のときにレイシェンに禁じられた自らの血を使っての召喚を試みたのだが運悪くレイシェンにばれたのだ。
「レイシェンの馬鹿っ」
「なんとでも。約束を破ったのはファウリーだろう。ぼくは血を使うのは禁止だと言っておいたのに。それを無視して阿呆な真似をするから悪い」
「っっっ。あんたなんて大っ嫌い」
「もうその台詞飽きた」
ふんっと鼻で笑われ、ファウリーは地団駄をふんでくるりと身を翻した。
「ファウリー? 髪は?」
ふりふりとブラシを振ってみせるレイシェンに背を向けたまま、ファウリーは背負った鞄のベルトを少しばかりずらしながら「知らないっ」と言葉を吐き捨ててそのまま石畳の坂道を駆け上がって行った。
腰までの髪が鞄の左右でざんばらで揺れている。
普段であればきっちりと左右の三つ編みに結い上げ、頭をくるりとめぐらせるようにして止めている黒髪。今日はぞんざいに櫛は通した様子だが、好き放題に伸びて鞄の上も跳ねている。
それを瞳を細めて見送り、レイシェンは吐息を落とした。
「また朝から喧嘩?」
窓から顔を出した母親に、自宅の階段に座り込んでいた白衣の息子はブラシを振った。
「喧嘩するほど仲がいいってね?」
「……嫌われてるようにしか見えないけどね」
呆れるように眉を潜められても、レイシェンは肩をすくめた。
「仲良しだよ」
***
真っ赤な目のファウリーが背負った鞄の皮ベルトを掴むようにして足音も高く歩いていると、突然「きったなーい!」と嘲る声が響いた。
いつもと同じように今日は蝶の擬態でひらひらとファウリーの頭に張り付いていた悪魔は、その声にすぅっとファウリーの頭を離れて近くの家の屋根で座り、ニヤニヤと人型に変化した。
最近のファウリーの天敵、ニナ・ローダというクラスメイトの少女は、それは見事な金髪をぱさりと片手でわざとらしく払って見せた。
途端にファウリーの眉が一層潜まる。
ファウリーが通っている小学部へと続く坂道の先、同じ鞄を背負った金髪の少女は意地悪く唇を尖らせていた。
「あんた本当に女の子? 汚らしい真っ黒い髪。せめて結い上げておかないと見苦しいったらありゃしないわね」
結い上げていれば結い上げていたで「黒が際立って汚い」と言う癖に。
ファウリーは涙をぴたりと止めて、ふんっと鼻を鳴らした。
「今日もわざわざご苦労さま」
ニナは最近こうやって道の真ん中でファウリーを待ち伏せしているのだ。決まってこの場所で。
嫌味を幾つか口にする習慣をつけたようで、ファウリーはうんざりとしていた。
――ニナは、ほら、レイシェン先生が好きだから。
と、気の毒そうに友人のチェルシーが教えてくれた。
ファウリーからしてみれば「目が悪いの? それとも趣味が悪いの?」と本気で心配になる事柄だが、さすがに今までそのことを指摘したことはない。
だが、今日のファウリーは違った。
たった今、レイシェンと喧嘩してきたばかりだ。
こうやって訳のわからない嫌がらせを受けることもまたレイシェンのせいだと思うとむかむかむとしてくる。
「どうせ寝坊でもしたんでしょうけど、女捨ててるのってどうなのかしら」
ニナが冷たく言う言葉に、ファウリーは覚めた眼差しで口を開いた。
女捨てているも何も、十一で女を前面にだしてくるほうがファウリーには判らない。男だの女だの面倒くさい。ファウリーに大事なのは、召喚魔術だ。
「女捨てているだのどうでもいいわよ。どいてくんない?」
「あんたって本当に生意気!」
意味が判らない。
「レイシェン先生が優しいからってつけあがってるんでしょう!」
……ファウリーはますます顔をしかめた。
レイシェンは現在学園の隣にある医療療法士の塔で研修生をしていて、小学部の定期健康検査などの手伝いをしたりもするので、生徒達の間では専ら「先生」といわれている。ファウリーは口が裂けても先生などと言ったことは無い。
そして何より、生憎とレイシェンが優しいなどという事実はまったく全然欠片も無かった。毎日のように喧嘩している訳ではないが、いったいぜんたいレイシェンのどこが優しいというのだろうか。
「……今までずっと黙ってきいてたけど」
ファウリーは淡々と言った。
「ニナ、あんたってすっごく趣味が悪いんじゃない?」
「なっ、何の話しよ?」
「レイシェンのどこがいいの?」
言った途端、ニナは真っ赤になった。
「なっ、何よあんた。何突然言ってるのよっ」
……うわ、気付いてないつもりだったのか? そんな馬鹿な。
ファウリーはあきれ返り、相手を無視してその横を通り過ぎようとした。しかし、相手は突然の指摘に逆上したのか、いきなりファウリーを突き飛ばした。
坂の上から。
自分より上にいた相手にどんっと突き飛ばされたファウリーは、そのまま真後ろにのけぞった。
慌てて左手で身を庇おうとしながら、自分を突き飛ばした相手を見返す。
それはきっとほんの数秒の出来事だったろうに、ファウリーは相手の顔が怒りから驚きに変わり、口元が歪むのを確認した。
馬鹿じゃない?
驚くならそんなことしなけりゃいいじゃないの。
石畳の上に体が投げ出され、鈍い痛みに小さな悲鳴があがる。幸い、背負っている鞄がクッションになり頭を打ち付けるようなことは無かったが、庇った手首がぐきりと痛みを伝え、ファウリーは呻くように顔をしかめた。
顔を顰めながらニナを見れば、さっきまで真っ赤だった顔が、今は青くなって――そしてぷいっと顔をそらして駆け出していってしまった。
「……ひどっ」
ファウリーは小さく呟き、投げ出されたままの格好でなんとか上半身を起こし、ひりひりと痛む尻で石畳に座ったままツキツキと痛む手を持ち上げた。
「……」
石畳の上でこすれ、白く後になったところには擦過傷。
ファウリーの顔が引きつったのは、痛みで確認ができないが手首のあたりから手がぷらーんっと力なくうなだれている。
そして、手の平には小さな石が幾つもめり込み、ついで血が滴る。
確認した途端に激しい痛みが身を襲い、ファウリーは奥歯を噛み締めた。
せめて骨折の有無は確かめようとおそるおそる手を振ろうとした途端、大きな手がぐっとファウリーの痛む手を掴み上げ、そして――
血に濡れた手のひらに生暖かな舌が触れた。
「え……?」
しゃがんだままのファウリーの後ろ、その肩を抱くようにしてファウリーの手首を掴み、手の平の汚れなどものともせずにその傷口を舐めているのは、黒髪の男だった。
***
それは抗えない甘美な誘惑だった。
ファウリーの体がどんっと無遠慮に押された時、悪魔はいつものように足を組んで屋根の上でそれを眺めていたが――普段どおり、何があろうとただ傍観しているつもりだった。
ファウリーは悪魔の召喚主だが、悪魔はそれを認めていない。
ファウリーへの復讐の為にこうしていつも近くにいるだけだ。
最近ファウリーと口げんかする人間が一人増えた。それに対しても何か思いがある訳ではない。ニヤニヤとファウリーとその子供のやりとりを眺めていたが、その小娘がファウリーを力任せに押した途端、不快な気持ちが湧き上がり、ついでファウリーが石畳に音をさせて叩き付けられた瞬間、辺りに甘い香りがほとばしった。
甘い、甘くて抗えない誘惑。
ものを考えるということをさせない強い欲求が、悪魔を愚かな行動に走らせた。
とんっと地面におりたち、その甘い魅惑の根源に舌を這わせた。
とろりと赤い液体が舌に触れた途端に、どうしようもない程のざわめきが自分の中に広がっていく。
驚いたように小さくファウリーが声をあげ、慌てて悪魔に捕らえられた手を引き戻そうとする。それが途端に腹立たしく感じた。
強く押さえつけて、もっと――もっと欲しい。
欲望のままに求めようとした途端、突然げしりと横合いから蹴りをいれられた。
「どけ、この変質者っ」
力任せに、容赦なく悪魔に蹴りを入れたレイシェンは更にもう一撃、自らの持っていた鞄で悪魔の頭を力任せに殴りつけ、そのまま未だ石畳の上に腰を落としているファウリーの二の腕を掴んで立たせた。
それまで甘美な酔いに身を震わせていた悪魔は、突然の攻撃の意味がまったく理解できずに頭を抱えてうずくまっていたが、何かを考えるより先にもう一撃、レイシェンの蹴りを受け、その場にへたり込みそうになったが、だんだんと腹立たしさが沸き立ち、反撃してやろうと顔をあげたところで――レイシェンの後ろにばたばたとこちらに掛けてくる警備隊の姿を認め、悪魔は面倒くささに舌打ちをしてその場から逃げ出した。
レイシェンは警邏隊に変質者だと告げ、自分もその後を追いかけようとしたが、ファウリーがよろけて短い悲鳴をあげた為にその足を押しとどめた。
「ファウリー? 怪我させられたのか?」
「……いや、あの」
「何かされた?」
ファウリーは眉をぐぐっと潜め、てろーんっと力なくうなだれたままの自分の腕をみて、更に眉を潜めた、
「……もしかして、気遣われたの、かも?」
「何言ってる?」
「あの人に何かされたって訳じゃ……いや、手のひら舐められたけど」
「舐められた?」
低く唸るようなレイシェンの口調に、慌ててファウリーはぶんぶんっと首をふった。
いつもとはまったく違うぴりぴりとしたレイシェンの様子にファウリーは怖さを覚えた。まるで自分が怒られているかのようだ。
なんであたしが悪いかのように怒られてるの?
悪くないよねっ!
「さっき転んで! 咄嗟に腕をついたらこんな感じになっちゃったの! それで、あの人が……傷を気遣って? くれたのかな?」
そう口にしてはじめてファウリーは気付いた。
「どう見ても変質者だろ」
さっき、自分の手のひらを舐めていた青年が――自分と同じようにこのあたりでは見ることのない黒髪に黒い瞳であったことに。
慌てて駆け出して追いかけようとしたのを、レイシェンが手首を強く掴んで押さえ込んだ。
「怪我、見せて」
「それどころじゃっ」
「ファウリー!」
きつい眼差しで睨まれ、ファウリーは唇をぎゅっと引き結んだ。
――自分が貰われっ子だとは知っている。
パードルフは隠そうとはしないし、隠し様もない。
ファウリーの持つ色彩は今まで誰も持っていなかった。国がまず違うのだ。
「ファウリーはぼくの宝物だよ」とパードルフはさらりと流してしまう。父のことも母のことも教えてはくれない。せめて、自分と同じ色彩の人にあってみたいと今まで思っていたのに、せっかく出会えたかと思えばコレだ。
ファウリーはレイシェンの手に包まれ、治療呪文で熱をもちはじめた手を見つめた。
生暖かい舌先が汚れた傷跡を清めるように舐めていた感触がよみがえり、気恥ずかしさにぶるりと身が震えた。
「痛い? 少し時間が必要だよ。今日は学校は休んで治療に時間をとろう――大丈夫。きちんと治せるから」
レイシェンが珍しく優しい口調で労わってくるのが――気持ち悪い。
ファウリーは内心で顔をしかめながら、町の警邏隊が追いかけていった青年を思っていた。
……また、会えるだろうか?
いや、でももしかして本当にただの変質者?
舐められた手を思い、ファウリーは複雑な気持ちになった。
***
「糞レイシェンぶっつぶす!」
その時、レイシェンとファウリーに変質者認定を受けていた悪魔は、ずきずきと痛む頭を抱え、屋根の上でレイシェンへの報復を誓っていた。




