第17話『無口な少年のポケットから』
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「……ぅ…う……」
声を漏らしてから、自分が倒れていることと、それから部屋が崩れかかっていることに、アイーシャは気が付いた。
油断をすれば呑み込まれそうなまどろみから首を振って抜け出す。
「ミカさんっ!!」
思ったより消耗した魔力に、少女は足どりを乱しながらも駆け寄った。土埃に汚れた長い髪は、天井からの光の筋が翳すたびに金色と亜麻色を繰り返す。空間の奥で、魔獣の身体が地面に沈んでいた。
「……」
近づくと、ミカはいつも以上に表情をなくして、呆然と倒れ込んでいた。それこそ死んだようにも見えて、アイーシャは一瞬肩を揺らしてしまう。
「や……火傷してるじゃないですかっ。もう、せっかく治したのに無茶しないでくださいよ…」
この場に彼女の師匠が居れば、半目で弟子を睨んだだろう。無茶の好きな少女は白い指で少年に触れる。それはまるで命を灯したように、少年の黒い瞳に光を与えた。
「びっくりした」
ぽつりと零れた呟きに少女の時が止まる。
大気の塵が光の筋に反射して、ちらちらと白くなって影まで通り過ぎていった。
「び、びっくりって……」
大きな瞳を瞬かせて、それからアイーシャはぷっと吹き出した。
少女らしく抑えようとして唇の隙間から漏らしていた声は、どんどん抑えきれなくなって、やがてコロコロと弾け出す。
両腕を痛そうに抱きながら、眉を顰めながらも楽しそうに──心底楽しそうに笑う彼女に、ミカも吊られて笑いだした。笑うとやっぱり身体が痛くて、肺も筋肉もズキズキしながら、呼吸が変になって咳込むまで笑った。
こんなに笑ったのは生まれて初めてかもしれないと、少年は思った。
*
ガコンッ、とひと際に大きな音が二人を覚ます。見ると剥がれ落ちた天井が、次々と瓦礫の山を作っていく最中だ。
「ぁ……えっと、早くここを出ましょうっ!」
「『花喰い』が」ミカは倒れたまま、顔だけを魔獣の亡骸の方に向けた。名残惜しむような表情に、アイーシャは一瞬してから息を吐く。
「もう…ダメですよ、あんな大きな身体じゃ、持ち出してる間に一緒に埋もれちゃいます」
「せっかく倒したのに」
「ほら、帰ったらアレクさんがまた美味しいお料理作ってくれますから!」
なおも不満げに口を尖らす少年に、子供みたいだと当たり前のことを少女は思う。年相応の仕草は無口な少年のポケットから、思い出したように零れ落ちることがあって、アイーシャは、それを残さず拾い上げていたかった。
「歩けますか?」手を差し伸べて微笑む。「治したいんですけど、間に合わなさそうで」
「……治さないでいい」
「えっ?」
彼女の白い指先に手を伸ばして、ミカはもう一度呟いた。「治さないでいい」
その黒い瞳が、確信めいてアイーシャの肩を見る。視線に導かれて少女自身もそれを見つめると、師匠の手がけた包帯が白くへたれていた。
「……そうですか」
寸でのところで迷ってしまう少年の手を、パッと掴んで引き上げる。崩れていく部屋をまるで内側から照らすように、アイーシャは笑った。
「わかりましたっ。では、一緒に帰りましょう!」
***
「あれ?今日はあの子いないんすね、アレクさん」
この世の全てを皮肉ったような男の声に、アレクの銀髪がぞわと唸った。
「……お前は」
神々の振り返る先に、一人の人間が立っていた。全身から程よく力を抜きつつも、魔法の短刀が手元でくるくると踊っている。
「ん?名乗ってなかったっけ?んじゃ改めて」
仰々しくお辞儀をしながら、彼の目線はしかしマーガレットに向いていた。「ココ・ラナンフィっす。アレクさん、勧誘のお話は考えてくれました?」
「な、なんなんですかこの人〜っ」
ニコニコと笑みを浮かべるココ・ラナンフィを指差して、マーガレットは怯える。
「へー、アレク知り合いなんだ」
「知り合いじゃねえよ」
旧友の言葉を去なしてアレクは銃を具現化した。躊躇と容赦を無くした神様に、おっと、とココは両手を上げる。──その手にナイフを握ったまま。
「んー、どうしよっかな、アンタのことはもういいってあの人言ってたんすよねえ」
茶髪の彼は視線を虚空に彷徨わせて呟く。
「んでも、あれ絶対諦めきれてねーからなあ……その人の本音と違う命令を受けたとき、部下はどうしてやるのが正解なんっすかね」
神々の耳にようやく届くくらい、小さく声を落とすと一つ息を吐く。呑み込むように閉じた瞳を開き直して、一転、声を明るくした。
「ま、いいや。あの子もいないみたいだし……」じろりと動いた、彼の目の黒はミカとは違う。静謐の中に熱情を抱く少年とは違って、それはドス黒い執着のような、半ば愛情のような大きな感情だと、ラヴィは直感する。
「代わりにそこのちょっと面白そうな女神サマにでも、お相手してもらいましょうかね」
「……へっ?」
マーガレットの帽子と前髪がぴょこんと跳ねたと同時、唇を三日月に歪ませてココは叫んだ。
「"カルヴィノーツ"!」
目標を怯ます巨大な毒の岩壁が、女神と神とを分離した。




