二人の頑固者
<風の大精霊>の半身であるフルル様は、『ルフは小心者で臆病で引っ込み思案なか弱い子かもしれないが、とても努力家で誰よりも頑張り屋の、あーしにとって最高の妹さ』と事前に前置きをしつつ、込み入った事情を説明し始めます。
「――子猫ちゃんも知っての通り、ルフの歌唱は多くの人の心を惹き付ける。でもそこに至るまでルフは幾多の挫折を味わった。そりゃどうだろうぜ。肝心の歌声……正確には他人を魅了させる歌声の性能の大半はあーしが授かっちまったからな」
「? それはおかしいですね。ルフの声はとても素晴らしく、この私めも胸を打たれました。もしそれが<風の大精霊>元来の力でないとするならば……」
「そう。そりゃルフが血も滲むような特訓に励んだからに他ならないぜ。だからこそルフが魅力的なのは<風の大精霊>云々ではなく、正真正銘彼女自身が輝いているからに他ならんのさ」
ルフの栄光の陰にそんなことがあったなんて。
そこまで聞けばただの<歌姫>ルフの武勇伝で済むでしょうが、話の本題はここからだと言わんばかりに、フルル様の口調がさらに重くなります。
「あーしはそんなルフのことが妹として、そして一人の<歌姫>の親衛隊として大好きなんだ。でもあーしはそんな大切な存在を護り切れなかった。それだけでなく、逆にあーしはそんなルフの大きな足枷になっちまったとも言える。シャチョーさん……<風神>ゼピュローヌとあんな契約をしたばっかりにな」
「契約?」
「あぁ。そりゃ歌手にとって最も業深き禁忌さ。結論から言えばあーしはあーしの替え玉を買って出ちまったんだ。とどのつまり、ルフの歌声はあーしの声を差し替えたモノだったのさ」
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『ルフは喉をヤッテしまったのです。その結果、聞くに堪えないくらい音痴になってしまいました』
ヴァルキィー様から教えられた内容と、実際のルフから受けた印象の間に生じていた齟齬。その違和感の正体がようやく判明しました。
「では今日のルフの声に何の違和感もなかったのは……」
「そりゃルフの声自体に問題はないからな。それでも姉妹とはいえ多少声質に違いは生じるが、生憎喉を傷めてるって状況が知れ渡っていた手前、歌唱力が異なっていたとしても変に思われるのは稀だろうよ」
「ということは、歌についてはフルル様が肩代わりしたと? だからフルル様の声はしゃがれていたのですか?」
「それに加えてルフの公演中に愛好家として声を張り上げていたのも関係してるが、それは置いといてだ。ともかくそのことがルフにとって重荷になっちまったんだな」
確かに愛好家達がルフではなくフルルの声が好きとあらば、気に病むのも無理はないでしょう。
ですが、ルフにとって最も許し難かったのは他でもなく、
「ルフはホントにイイ子過ぎるというか優し過ぎる。あろうことか妹は『本来ならあーしの功績が認められるべきなんだ』とか『自分のせいであーしが辛い思いをするのが嫌だ』なんてほざくんだぜ? 信じられねぇだろ?」
なんて言いつつもどこか嬉しそうなフルル様。
その表情が私めに勘付かれているのも知らずにフルル様は話を続けます。
「別に皆がルフのことを好きなのは単に歌声が素敵だからってことじゃなく、ルフが放つ唯一無二の輝きが認められたからだ。そう何度も教えてやってるのにルフは納得しようとしねぇ。そればかりか、自分は他人の威を借りる能無しだなんて卑下する始末だ。はぁ……聞き分けの悪い妹で困っちまうぜ」
ほとほと呆れる素振りを見せるフルル様ですが、未だ醸し出されている緊張感は解かれていませんでした。
「何はともあれ、引退という形ではあるがルフの芸能活動は有終の美を飾り、多くの人の記憶に残る素晴らしい歌手として歴史に名を刻んだ。……でもたった一人だけ、その栄光を妬んだヤツがいる。他でもない<風神>ゼピュローヌだ」
フルル様は神妙な面持ちのまま、ゼピュローヌの計画を口にします。
「丁度、地底都市【アンダグラーダ】で<地神>イアがノムゥの他人を眠らせる”魔術”を使って悪事を謀ったように、ヤツがしようとしてるのもあーしの歌声を使った洗脳行為に他ならない。平たく言えば、あーしの声でニンゲン達を無理矢理心酔させ、身も心も何も考えられないようにした後、堕落させ自滅させるのがヤツの目的なのさ」
「ですが、その肝心のフルル様の声は機能しておりませんよね? ならその思惑は失敗に終わるのでは?」
「だからこそヤツはキレ散らかしてんだ。その腹いせにルフを精神的にも身体的にも追い詰めたことは絶対に許せねぇぜ……ッ!」
怒りが限界突破しているのか、フルル様の握り締められた拳から血が垂れ落ちます。
「――でも一番許せねぇのは、ルフのことを護り切れなかったあーしの不甲斐無さだ……ッ! 姉であるあーしがしっかりしてればルフは苦しまず、今でも楽しく踊れてただろうよ。そんな彼女の幸せをあーしは壊しちまった。だからあーしは必死にルフを説得してんのさ。『あーしの人格こそ残しちゃダメだ』ってな」
「しかしルフもルフで、フルル様に負い目を感じており、自分のことを不要と言っているのでしょう? それでは……」
永遠に話は平行線ではないかと言葉を失ってしまいます。
お互い自身を必要以上に罵り、その代わりに相手を持ち上げるとあれば、どれだけ時間を要しようと問題は解決しないでしょう。
(こんな時、アメルダ先生がいらっしゃったらどのような助言を授けるでしょうか?)
これからどうすべきかわからないからこそ思わず先生の姿を思い浮かべてしまいますが、そんな幻想は即座に払い除けます。
(そもそも、そんなこと考えるまでも無いでしょう。あの方なら絶対にあぁ言って笑い飛ばすに違いありません)
例えこの場にいなくとも『お主ならやれるであろう?』と先生から背中を押された私めはフルル様にこんな提案をします。
「ならいっそのこと第三の選択肢を選べば良いではありませんか?」
「第三のって……。悪いけど、その案は最初から眼中にないぜ? あーしかあーしどちらか片方しか残らないのは決定事項だ。無謀な夢を見るのは止めときな」
「嫌です」
「は?」
フルル様からまるで愚か者を蔑むかのような目で見られますが、私めはそれに一歩も引かず堂々と言い返してやりました。
「フルル様……いや、フルルはディーネやノムゥから話を聞いているでしょ? なら私めが何をしでかしたかは知っているよね?」
「……あぁそうだった。子猫ちゃんは信じられねぇくらいの大馬鹿者に違いあるめぇ。――何だよ、また無謀な奇跡に賭けるってか?」
「当然。そうでもしなければ私めの価値は見出せない。それが未来を繋ぐ唯一の希望なのだから、フルルが何と言おうと折れる気は無いよ」
「…………」
そんな決意表明を聞いたフルルは相変わらず冷めた目をしつつ勝手にしなと悪態をつきます。
「残念ながら気持ちが変わんねぇ頑固者なのはあーしも同じだぜ。<風の大精霊>として残るべきはルフ、それ以外の結果は許さねぇ。いつまでも結論が出ねぇならいっそのこと強硬手段に打って出るか――って、そういやルフはどこにいる? いつの間にか姿がねぇが……」
「そういえば……。ん? あそこに置き手紙らしき物が?」
失踪者が遺した手紙。読む前から嫌な気配がプンプンするのですが……。
フルルは一切の躊躇いなくその内容に目を通すと案の定、
「――ざけんじゃねぇぞ……」
静かな激情を憤怒させるのでした。




