<大魔女>、大海原の気泡に帰す
ディーネとの話途中で発生した真っ黒な積乱雲に思わずドキッとしたのも束の間、目の前の波も不気味なまでに立ち昇り、ポツポツと雨も降り出した
最初は小雨であったが、次第に勢いが増していき、終いには豪雨の土砂降りに見舞われる。
まるで槍のように降り注ぐ雨と、髪を完全に真横にたなびかせる強風に煽られ、この妾ですら立っているのがやっとじゃった。
「うおぉ!? 何じゃこの大雨は!?」
この妾にからしてみても今まで体験したことの無いような悪天候に驚きを隠せんかった。それと同時に妾はある確信を得る。
(ここら一帯の”マナ”の流動は明らかに歪みに歪み切っておる。こんな”マナ”の流れ、自然現象では絶対に起こり得ぬ。まるで人成らざる大きな存在――例えば神のような人智を外れた者が世界をかき回さんばかりの勢いがあったからの)
「…………」
(しかし、どうにも不可解じゃ。この感覚には覚えがある。……そう。これはまるでアレ――二年前、流星の街【コミティア】に降り注いだ隕石の大群と雰囲気が良く似ておる)
「…………」
(下手すればあの時に匹敵する天災が起ころうというのかえ? ……ったく、<四大精霊>の調査もまだままならんというのに、次から次へとトラブルを巻き起こさんで欲しいわい)
徐々に高まる胸のざわめきに呆然と立ち尽くしておると、いつの間にか起きていたエメルダが声を掛けてきた。
「大丈夫ですか、先生? 早くこの場から退散をしましょう」
エメルダのその提案にディーネも乗っかる。
「そうだし! ガイドのウチもそれには賛成だし!」
どうやらこの悪天候は現地民であるディーネすらも震撼させるモノらしい。
そんな二人の不安は十分に汲み取れるが、そういう訳にもいかぬ。妾にはやるべきことがあるのじゃ。
「スマヌ。少しこの異常気象を調べさせてはくれぬか? 何とも嫌な予感がするでの」
「嫌な予感だなんてそんな……。もしかしてまた私めの――世界に不幸と厄災をもたらす<悪魔の子>のせいで御座いますか?」
またもやあらぬことを自分のせいにするエメルダの頭を、妾はぐしゃっと撫でてやる。
「んな訳無かろうに? ただの天候不全すらお主のせいにしてたら堪ったもんじゃないわい」
そう豪快に笑い飛ばしてやると、ふと誰もいない筈の海から下品な女の声が飛んできた。
『シャシャシャ! 強ちそれは間違いじゃねぇぜ? 今や世界に混沌をもたらして原因はそのお嬢ちゃんにあるって言っても過言じゃねぇんだかんな?』
「「「ッ!?」」」
そんな謎の声がした刹那、海の方から水状の巨拳がせり上がり、妾達を押し潰しにかかるじゃった。
●
全く予想外の襲撃。妾はエメルダの手を引き、それを間一髪で回避する。
「平気か、ディーネ!」
「問題ナッシングだし!」
「おい、【シールス】の海はまさか喋ると言うのかえ?」
「そんな筈ないし! こんなことウチからしてみても初めてのことだし!」
「では不測の事態ということじゃな!」
そう状況を捉えたが、だからといって敵の猛攻が休むことは無かった。
一度は振り下ろされた海の掌が再度こちらを薙ぎ払ってきた。
『オラオラオラァ! そんなもんじゃねぇだろ、お二人さん! そんなちゃちな防戦一方じゃ、大切なモン、護り抜けねぇぜ~?』
この妾からしてみても未知である”魔術”に悪戦苦闘を強いられる。そのせいですぐさま打開策を練れんかったのが仇となった。
「「ッ!」」
丁度妾もディーネも目の前の掌を避けることだけに気を取られ、肝心の少女から気を逸らしてしまったタイミングじゃった。
謎の襲撃者の次の一手に気付いた時にはもう手遅れじゃった。
「きゃあぁーーーーー!?」
どうやら奴の目的はエメルダにあったらしい。
例の水の掌がエメルダの身体をガッシリと包み込み、そのまま海中へと沈んでいった。
「エメっちーッ!」
ディーネは我を忘れそれを追いかけようとするが、海からの攻撃のせいで足止めを食らってしまう。
それと同時に謎の声がまたしおった。
『おいおい、慌てなさんなって? このお嬢ちゃんの抹殺は【シールス】……いいや、世界そのものの救済に繋がるんだかんよ?』
その言葉に妾は声圧を込めた返答をする。
「……おい、どこぞの誰だかは知らぬが、それは本気で言っているのかえ?」
『アタイはずっとマジだぜ?』
「……貴様にそんな権利があるとでも?」
『あぁ、あるさ。何せアタイは――』
相手が何かを言い掛けたが、それは一発の銃声によってかき消された。
その音の方を向くとそこには、
「ごちゃごちゃうるさいし! エメっちを早く返せだし!」
蒼くて長い一丁の銃を構えていたディーネの姿があった。
「其方が持つその銃……何じゃそれは……?」
醸し出している気配が普通のとは明らかに異なっておるディーネの銃に注目が集まる。
(何とも不気味な雰囲気じゃ。まるで妾が持っていた<黒樺の杖>に通ずるところがあるでの)
では何故そんな銃をディーネが?
疑問ばかりが思い浮かぶが、今はそれどころじゃないわい。
ディーネの発砲によって打ち抜かれ、形を崩された掌は一瞬で原形を取り戻した。
『ったく、ヒデェことをしやがる。まさかアタイがその銃に撃たれる日が来るとはね~。だが、これでわかったろ? お前さんら二人じゃ、このアタイを退ける所か、あの嬢ちゃんを助けに行くことも出来んぜ?』
「「いいや、出来るわい!」」
謎の存在の挑発を妾とディーネは同じ反論で突っぱねる。
すると、謎の存在はそんな妾達を嘲笑うかのように高笑いを上げた。
『シャシャシャ! 言ってくれんじゃねぇの。なら精々抗いな。アタイはその無駄な足掻きを特等席から観戦しとくとすっかね! そんじゃな!』
謎の存在がそう言い残すと、奴の気配も同時にスッと消え、その場に残ったのは大雨と大波だけとなったのじゃ。
●
そんなこんなで謎の存在が消えたとは言え、まだ問題は何一つとして解決しておらんかった。
まずやるべきことは……
「ディーネ、あの娘の救出のために手を貸してくれ!」
「勿論だし! まずどうするし?」
「エメラルダの位置を正確に知りたい。生憎周囲の”マナ”の流れがグチャグチャで、妾の感知能力はどうにも機能せぬ。じゃが、”マナ”を直接視覚出来る鋭い感知能力を持つ其方なら、あの娘を掴んだ掌の気配を追えるのではないか?」
「アマっちの推測通り可能だし!」
「そうであるか! して、距離はどれくらいじゃ?」
「うーん、こうしてる間も移動し続けてるみたいだから、正確な位置までは……」
「なら其方が泳いで追従することはどうじゃ? これについては相当無理なことを言っているのは承知じゃがの」
その問いを受けたディーネは数秒考え込む仕草を見せた後、はっきりと首を縦に振った。
「今までこの荒波の中を泳いだことはないけど、それしか方法が無いのならやるしかないし。でも、例えエメっちの元に辿り着けても問題が一つあるし」
「遠慮せず言ってみい?」
「ウチ一人ならまだしも、多分エメっちを抱えながらじゃここまでは絶対に戻れないし。それじゃあ追い付ける意味無いし」
「いや、それで十分じゃ」
「え?」
妾の言葉にディーネは素っ頓狂な返答をしおった。
妾はディーネの不安を掻き消すようにはっきりと言葉を紡いだ。
「そこまでやってくれれば後は妾の出番じゃ。妾には遠くにいるエメラルダをここに呼び寄せる”魔術”を持ち合わせておる」
「それは本当だし?」
「妾を信じろ。其方はただ彼女の場所を伝えてくれるだけで良い」
「伝えるっていったってどうやって?」
「そこまで行けたのなら、其方がさっき用いた銃を空に向けて発砲しろ。どんなに離れていようとその狼煙を捕捉するでの」
「その後はどうするし?」
「ディーネ! 黙って妾の言う通りにしてくれ! 彼女を助けたい気持ちは其方も同じであろう?」
妾の気迫迫った言葉にディーネは息を呑む。
「了解だし。じゃあ超特急で向かうから待ってるし!」
そう言ってディーネは一気呵成に海へと飛び込んでいった。
「――さてと、その間に妾は魔力を最大限に練り込むとするかの」
妾は目を閉じ身体中に巡る”マナ”を左目に集中させる。
今妾がしようとしているのは諸刃の剣。<黒樺の杖>とはまた違った意味の代償を払わなければならん禁術である。妾の想定では、その”魔術”を使用した後の安全は百%確保出来ん。
(だからといってここで躊躇する意味がどこにある? 妾の命とエメルダの命、どっちを優先するか等聞くまでも無いわい)
なら、すべきことは一つ。ここいらで覚悟を決めるとするかの。
「…………」
そうして待つこと数分、遥か遠く――距離にして数km先じゃろうな――で一筋の細い光が放たれた。
(でかした、ディーネ! 距離と方角さえわかれば……ッ!)
即座に妾は魔力を溜め込んだ左目をカッと見開き、現在海中に沈んでいるエメルダの姿をしっかりと捉え、
「――”次元転移”」
と、短く”禁術”の名を呟いた。
……その刹那じゃった。妾の身体がいつの間にか海の上に移動していた。
「は!? アマっち!?」
いきなり妾が姿を現したものじゃから、すぐ側でディーネが変な声を上げる。
「おい、ディーネ。一つ頼まれ事を聞いてはくれぬか?」
「そ、それはいいけど、左目からすっごい血が流れてるし……」
「構うな。それより妾の話を聞け」
妾がそう言葉を絞り出すと、例の掌が手持ち無沙汰だと言わんばかりに目の前に現れる。
「見ての通り、脅威は全く消えてはおらん。じゃからまた狙われるかもしれぬエメルダのことを護ってやってはくれぬか?」
「エメルダ? エメラルダじゃなくて?」
「今更そんな小っちゃいこと気にするな。其方は彼女のマブダチであろう? なら彼女の全てを受け止めてやるのが筋ではないのか?」
「全てってどういう……?」
「頼んだぞ、ディーネ……」
なんとか土壇場で全てをディーネに託した瞬間、水の掌が妾目掛けて振り下ろされた。
「――――」
妾はディーネを庇う形でそれに押し潰され、そのまま海中に沈んだのじゃった。




