18.青柳と緑川
青柳が懇意にしている群衆が運び込まれたという連絡を受けた緑川が茜医院に駆けつけた時、そこにあったのは肩を落としてうなだれる背中だった。
簡易なパイプベッドに横たわる彼女を一心に見つめて、その手をすがるようににぎりしめている、青柳。声をかけることもはばかられて、入口のドアを少しだけ開けたまま緑川は思わず立ちすくんだ。
「……ざまあみろって言わないの?」
不意に声をかけられて、一瞬何を言われているのか理解できなかった。
「なにがだい?」
聞き返せば、青柳はちらりと緑川に視線を投げて口を開く。
「緑川は俺のこと嫌いなんでしょ。何か言うなら今がチャンスだよ」
あいかわらずの物言いにため息をついて緑川は病室の中に一歩、足を踏み入れた。
「……確かに僕は、僕が切望しているものをどうでもいいような顔で持っているきみのことを妬んではいるけれどね。弱っている人間を嘲笑うような精神性は持ち合わせていないつもりだよ」
「そうなの?」
「そうだよ。……魔力の過剰摂取だって聞いたけど、どうしてきみがいてそんなことになっているんだい?見ているこっちが腹が立つくらい、うまくやっていたじゃないか」
緑川が何年もかけて実験と検証を繰り返しても糸口も見つけられなかった群衆の強化を、青柳は数か月であっさりと成し遂げてしまった。
試行錯誤も必要とせず、いつだってまっすぐに正解をつかむ青柳。彼を妬ましく思うのは緑川にとって、もはやいつものことになり果てている。
「そうだよ。だから俺が悪いんだ」
彼女にキスを求められたあの時。
本当は断らなければならなかった。
けれど彼女のぬくもりを感じ、誘うように開かれた唇にふれて。そして何より危険だと分かっていても彼女が自分を望んでくれた喜びに、我を忘れた。
気が付けば口の中に血の味が広がり、彼女は意識を失って倒れたのだ。
「気持ちは分からなくもないけれどね……」
緑川は頭痛をこらえるように頭に手を当てたままつぶやく。
「なるほどね。まさか彼女の方からとはね。まったく、豪胆というか……。でもそれにしたって、きみはもっと慎重になるべきだよ。群衆は本当に儚い生き物なんだからね」
「わかってる。彼女が何をしたって俺が止めれば何も起こらないんだ。それだけの力が俺にはある。それなのに」
言葉を途切らせて青柳は、くしゃりと表情を崩した。
「いつだって彼女の一番の敵は、俺なんだよ」
返す言葉が見つけられずに、緑川はしばらく黙ったあとでため息をついた。
「とにかく今は、起こったことの対処をしよう。
魔力が過剰に投与されたために彼女の身体が炎症を起こしているという報告は受けているよ。今は使役獣がきみの魔力を中和している状態、ということでいいのかな」
「うん、そう。でも、全部中和して不活性化しちゃうと修復もできなくなるから破壊と修復のバランスを取りながらやってる。その分、時間はかかるけどね」
「……どういうことだい?」
通常、群衆に魔力を投与するときには投与する側の魔力を不活性化する処理を行う。そうしなければ、身体のしびれや視力の低下などの身体症状を引き起こし、症状がひどくなると出血や壊死で死に至ることもあるのだ。
……だが、今の青柳の言い方からすると、魔力による不具合をあえて放置しているように聞こえる。
「今回は突発的な事態だったから、という話かい?まさか普段から魔力を中和せずに投与しているわけじゃないでしょう?」
「そうだよ?完全に中和しちゃったら身体能力の強化もできなくなっちゃうじゃない」
「ちょ……っと待ってくれないかい。きみの魔力は中和された状態でも身体能力強化の効力を持つんじゃなかったのかい?」
「そんなわけないじゃない。中和したら俺の魔力じゃなくなるんだから」
青柳の言葉に緑川は顔を引きつらせる。
「不活性化した魔力を投与しただけでも体調を崩す群衆もいるんだよ?それなのにきみは何の予備実験もなしに特殊で強力な魔力をそのまま投与したっていうのかい」
「そうだよ?俺の魔力で壊れた身体を俺の魔力に適応した形で修復していけば、最終的には俺と同じものになるでしょ」
「それが……ほんの少し間違えれば彼女を殺すことになる危険極まりない方法だっていうのは、わかっているのかい?」
「不具合が起こる危険性はあったけど、これが一番いい方法だったんだから何か問題ある?」
どうしてこんな当たり前のことを聞くのだろう?という表情で首をかしげる青柳に、緑川は今度こそ絶句した。
――そうだ。青柳はこういう人間だった。
生徒会で仕事をしていた頃から、青柳の出してくる案は効率は恐ろしくいいがそのままでは使えないものが多かった。……主に人道的、倫理的な問題で。
大切な相手ができて変わったのかと思っていたが、青柳の本質は変わっていないらしい。
「問題というのなら、倫理的な問題が山ほどね」
……頭が痛い。どう言えば伝わるか悩みながら、緑川は言葉を探す。
「きみのしたことは結果だけを見れば間違っていないかもしれないけれどね。大切な相手と信頼関係を築きたいなら悪手だよ。きみは彼女との関係を続けていきたいんでしょう?」
「そうだよ」
「なら、危険のあることを相手に何も知らせずにするべきじゃない。せめて相手に説明して了承は得るべきだよ。きみにとっては意味のないことに思えるかもしれないけれどね」
似たようなことは今まで何度も青柳に言ってきた。多分、今回も青柳は理解しないだろう。だが、それでも言うべきだと緑川は言葉を続ける。
「言って彼女が怖がったり嫌がったらどうするの」
「話し合いっていう言葉を知ってるかい?自分の意見を伝えて相手の意見を聞いて、二人で決めるんだよ。大切なことを相手に伏せたままの一方的な関係からは信頼は生まれないよ」
「……その信頼っていうのは必要なものなの?」
不思議そうに首をかしげる青柳。
「必要だと僕は思うよ。長く付き合っていきたいと思う相手に対しては特にね」
「ふうん。そうなんだ」
今までならこのあたりで青柳の興味が尽きて会話が終わるところだ。だが、今回は珍しく青柳は何かを考えるように黙り込んだ。握ったままの彼女の手を、高熱らしく赤いのに白っぽい奇妙な色をした彼女の顔を、青柳は何を考えているのか読み取れない深淵のような瞳で見つめる。
「……緑川は、このことを彼女に伝えるつもり?」
ぽつりと問われた言葉に、緑川は考える。
彼女はもう、青柳の存在なしには生存することすら難しい状態になっている。ここで本当のことを言って二人の関係を崩したところでいい効果が生まれるとも思えない。
「言わないよ。言わないけれど、きみがしたことはどれほど効果的だろうと、許されないことだ」
きっぱりと青柳の目を見て言い切ると、青柳は緑川を見返してこくりとうなずいた。
「わかった。それでどうするの?」
「きみが今までやってきたやり方は危険が大きすぎる。それに、今回みたいな不測の事態が起こることも考えれば早急に彼女の身体をきみの魔力と同化させる必要があるね」
「でも、急激に進めると彼女に負担がかかるよ」
「きみのやり方ならね」
――魔力は、目に見えないほど小さな物質だ。
他人の魔力であってもその組成の99パーセントまでは同じだということは研究でわかっている。残り1パーセントが個人を分けるのだ。
色付きも群衆も、多い少ないの差はあれ魔力を持っている。
自分と違う魔力を取り込んだ場合、自分の魔力よりも入ってきた魔力が強ければ異物に対抗できずに身体が壊れてしまう。
入ってきた魔力に身体を壊されないようにするには、個人ごとに違う1パーセントの部分を不活性化させて個人の認識をなくしてしまえばいいのだ。
「魔力を不活性化させておいて投与すれば、身体へのダメージは格段に減らせるはずだよ」
「だから、俺の魔力を不活性化させたら修復ができなくなるんだって言ってるじゃない」
苛立ったように言う青柳に緑川は微笑む。
「逆だよ。彼女の本来の魔力を不活性化させるんだ。その状態できみの魔力を投与すれば、理論上は異物とは判断されない。普通なら自分の魔力が使い物にならなくなれば不具合が起きるけれど、きみの魔力をすでに受け入れている彼女なら身体を維持することくらいはできるはずだよ」
「それなら……邪魔のない状態で彼女の魔力を染め変えられる」
「理論上はね。ともかく、僕は彼女のデータをもとに最適な魔力濃度を算出するから、きみはできるだけ早く彼女の中の余剰な魔力を中和させて彼女の状態を安定させること。いいね?」
「わかった」
「それから、きみもちゃんと食べて眠ること。きみまで倒れたらどうしようもないからね」
彼女が目覚めるまで一切動きそうにない青柳に小言を言えば、なぜか青柳はきょとんとした顔で緑川を見てきた。
「不思議なんだけど。なんで嫌ってるのに俺の体調まで心配するの?」
「……それが性分だからね」
緑川は口をへの字に曲げて青柳から目をそらした。
自分だって、できれば青柳には関わりたくなんかない。けれど、この状況で放っておく方が精神的に負担になるのだから仕方がない。
「とにかく!きみは自分のことも大事にすること。きみに何かがあれば彼女も危うくなるんだっていうのを忘れないようにね」
緑川は一息で言い放ってそのまま病室を出た。病室から充分に離れたところで、大きくため息をつく。
「なんで、なんて僕の方が聞きたいくらいだよ。
ああ……青柳の魔力のデータも取っておかないといけないな」
とにかく今は自分の感情よりも彼女の状態を安定させる方が先だ。
これから行うべき手順を頭の中でリストにしながら、緑川は詳しいデータを確認するために医師のもとへと急いだのだった。