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S.A.K.U.R.A.~蒼の魂~  作者: 猫人間
【第参章】結
62/70

その拾―拳―

「全身に軽い凍傷を負っていますがね。命に別状はないですよ。まあ一晩休めば問題ないでしょう」


診療所に駆け付けた直樹と英莉衣に、物腰の柔らかそうな白髪頭のお爺ちゃん医者はそう告げたのだった。


「何卒、うちの奴がご迷惑をお掛けしまして、申し訳ないです」


ひとまず安心すると、二人揃って頭を下げた。

そして様子を見に病室へ入ると、一番奥の寝床に寝かされている龍二の姿を見つけたのだった。

身に着けていた衣類は丁寧に畳まれ枕元に置かれている。代わりに診療所の白い寝間着を身に纏っていた。

顔は少し赤みがかかっているが、呼吸は安定しており、胸が規則正しく上下に動いていた。


「良かった……」

「全く、こいつは……」


龍二のあどけない寝顔に、再び胸を撫で下ろす二人であった。

暫く傍に付いていると、龍二の眼がぴくぴくと微かに動いた。


「ん! 龍二? おーい、分かるか?」


龍二に話しかける英莉衣。そしてその眼がゆっくりと開かれ二人を捉えた。


「な……おき、さん……え、りー……」


龍二が唇を震わせ微かな声を零す。

どうやら目が覚めたようだ。ほっとした英莉衣は、再び龍二に声を掛ける。


「り――」


その時、英莉衣が話すよりも先に直樹が動いた。


「――馬鹿野郎ッ!! 何やってんだお前はッ!!」


龍二の脳天に、直樹の鉄拳が落とされた。


(――えーっ!? そんないきなり!?)


突然の出来事に為す術もなく、ただただ目を丸くする英莉衣。


「俺達にはいい。だが他人様(ひとさま)に迷惑をかけるんじゃねぇ!!」


更には龍二の胸ぐらに掴みかかる直樹。


「ちょっと直樹さんッ! これ以上は不味いですって……!!」


今度は脳震盪で倒れてしまう。

流石に不味いと、直樹を後ろから羽交い締めにする英莉衣。


「……すいません、でした……」


その時、俯きながら今にも消え入りそうな声で龍二が言った。

そんな龍二の様子に、ようやく落ち着きを取り戻す直樹。直樹は右腕で左の脇腹を抱えると、龍二に向かって言った。


「全く……心配したんだぞ」

「……心配?」

「そうだ。俺や英莉衣だけじゃない。お前の妹さんも、あいつらも皆だ」

「…………あいつも……?」

「臣か? 決まってるだろうが。お前達の間で何があったのかは知らないがな。仲間の心配をしない奴がどこにいるんだ」


表情は相変わらず硬いままだったが、その口調は少し柔らかくなっていた。


「……まあ、もう十分冷えたと思うがな。一晩此処で頭冷やせ。また明日迎えに来るからよ」


そして直樹は立ち上がると、足取り荒く大股で病室を出ていく。

直樹に殆ど言いたいことを言われ、話すことがなくなった英莉衣は、龍二の肩に優しく手を置いた。


「ま、そういうことだ。ゆっくり休めよ」


それだけ言うと、英莉衣も直樹の後を追って急いで病室を後にした。

外では先に出て行ったはずの直樹が、まだ左の脇腹を抱えたまま俯きながら待っていた。


「俺……厳しく言いすぎたかな……」


そう言う直樹の表情は少し悲しげであった。先程のあれは、わざと厳しくしていたのかも知れない。


「大丈夫っすよ。あいつも分かってますって」


直樹の背を擦りながら、英莉衣は何故自分が連れてこられたのかを察したのだった。

恐らく直樹さんは自分を止めてくれる人が必要だったのかも知れない。


ふと視線を上げると、いつの間にか息が詰まる程の激しい雪と風はおさまり、代わりに粉のような雪が緩やかに、絶え間なく空から降りてくる。

そして英莉衣は思った。この雪も直に止むだろうと。


一方、病室に残された龍二はずっと握り締めている自分の両拳を見つめていた。


頭の先が未だにずきんずきんと痛む。それは幾度となく殴られてきた父の拳よりもずっと痛いものだった。


何故だろう。それはきっと込められた思いの違いだ。

父はただ自分の感情任せに怒鳴ったり、殴ったりしていただけだった。

だけど直樹さんは違う。俺のことを心配し、俺の為に叱ってくれたのだ。

今まで自分の為に叱ってくれた人など居ただろうか。

それは厳しくも直樹さんの愛なのだ。初めて受けた愛の拳だった。


それに気付いた時、握り締めていた右手の甲にぽとりと一滴の雫が落ちたのだった。


***


「お茶、お注ぎしましょうか?」

「ああ」

「後、お茶っ葉も変えましょうか?」

「いいよ。そのままで」


俺の湯呑に、すっかり色素の薄くなったお茶が注がれる。


「ありがと」


短くお礼を述べると、本日十杯目のお茶を口に含んだ。程よい温度のお湯が喉を伝っていき、胃袋がじんわりと暖かくなる。


「本当にお茶がお好きなんですね」

「ああ、まあな」


とは言ってみるものの、俺はそこまでお茶が好きなわけではなかった。

ただ何かしていないと落ち着かないというのが本音である。


「それにしても、凄まじい戦いだったのですね……」


彼女が自分の湯呑にもお茶を注ぎながら、しみじみと呟いた。

先程まで「武士櫻の闘い」について話をしていた所だ。話と言っても、彼女の質問に俺が淡々と答えていくだけの、質疑応答状態になのだが。しかもその会話すらも全て俺で止めてしまうのだ。

ここまで会話が下手だったとは。もはや悲しくなってくるが、それでも彼女はそんな俺の話を興味津々で聞いてくれるのだった。

おかげでお茶のお替わりと合わせて、何とかここまでの時間を保っていられた。


「まあな。けれど仲間が居たから、どんな窮地でも乗り切れたんだよ」


話しながら俺は、あの時の情景を思い出していた。


「それに俺達は、脱ぐと気合が入るんだ」

「え?」

「あ、いや! これは決して卑猥な意味じゃなくて!」


何を言い出すんだ俺は。つい言わなくていいことまで言ってしまった。

恥ずかしさに赤くなった顔を見られないように俺は俯いた。


「ふふふっ」


すると彼女は両手で口を押さえると、吹き出したように笑いだした。目を細ませ目尻は下がり僅かに真っ白な歯を覗かせる。少女のようなあどけなさが残る笑みに、俺はまた惹き込まれそうになるのだった。

思えばこういうちゃんとした彼女の笑顔を見たのは、これが初めてかも知れない。


「あっ、ごめんなさい。本当に信頼されているのですね。お仲間のこと。それに皆さん個性的で、何だか楽しそうです」

「まあ確かに二年間一緒に居るが、飽きることのない連中だな」

「素敵ですね。羨ましいです」

「そうか?」

「はい。それに、知らなかったです。兄にそんな一面があったなんて……」


これも先程話したことなのだが。龍二は時折(俺に対しては)人が変わったように、発情期の猫の如く絡んでくるのだ。それもつい数時間前までのことだったのだが、既に遥か昔のことのように思えた。

彼女の話を聞く限りでは、そんな性癖は見られなかったし、やはりまだまだ俺の知らない龍二がいるのだろう。

いや、きっと全てを知ることなど不可能なのだろうが。


「兄は素晴らしいお仲間に出会えたのですね……良かったです」

「そうだと良いんだけどな……」


他の連中はともかく、俺はあいつにとって良い仲間、良い相棒で居られているんだろうか。


再び沈黙が訪れた時――戸を叩く音がして、外から直樹さんが入ってきた。


「おう、臣。おりょう殿。こっちは大丈夫だったぞ。一晩寝れば、退院出来るそうだ」

「良かった……安心しました」


彼女が胸を撫で下ろす。兄の無事に心の底からほっとした様子だった。


「だから大丈夫だって言っただろ」


そう言う俺も、全く心配していなかった訳ではなかったのだが。


「雪も止んだみたいだしな。これなら明日には市原虎の尾に帰れるだろう」

「分かりました」

「何卒、兄が色々とご迷惑をお掛けして、申し訳ありませんでした……」

「いえいえ、おりょう殿が謝ることではない。それにこちらも、何かとお世話になりました。有難う御座いました」


直樹さんは丁寧にお辞儀をすると、俺の方を見て言った。


「じゃあ、俺は先に外に出てるから。英莉衣も先に宿に向かっている」


そう言って直樹さんは戸を開けて、再び外へ出て行った。


「じゃあ、俺もそろそろ行くわ」

「行ってしまわれるのですね……」

「ああ……」


これでこの緊張感からも解き放たれる。ほっとしたような、だが少し寂しいような気がした。


「あ、お茶ありがとうな。美味かった」

「いえいえ、それにお礼を言わないといけないのは私の方です。それに……あの時のあれ、私の為に怒って下さったんですよね?」


あれ。とはつまり、父親の仕打ちに対して思わず激怒したことを言っているのだろう。


「別に。そんなんじゃねーよ」

「……それでも、私は少し嬉しかったです。あんな風に怒って下さった方なんて、今まで一人も居なかったので」

「だから、そんなんじゃねーって……馬鹿」


それ以上言葉が出なくなり、俺は目を伏せた。

あの時は、どうしようもなく怒りが抑えきれなくなったってだけだ。それが彼女を思ってのことなのかは、自分でも分からない。

顔を上げると彼女と視線がかち合った。今は自然と緊張しなかった。


「その……ひとつ聞いてもいいか? お前を置いていった兄を恨まないのか?」


一瞬、彼女は驚いた表情をした。

それもその筈だ。俺から質問したのは、これが初めてだったのだから。


けれど、どうしても聞いてみずにはいられなかった。

幼い妹に嘘をつき、更には数年ぶりの再会でも冷たくあしらったのだ。

恨みを覚えてもおかしくはない筈だ。


彼女は少し間を置いた後、口を開いた。


「私は幼き頃よりずっと、父にも龍一兄上にも一族の為の道具として扱われてきました……だけど龍二兄上だけは、私を道具としてではなく、一人の人間として接してくれたのです」


話しながら彼女は自身の胸に手のひらを当てる。


「そして龍二兄上は、あの家を出て、世界中の人々を救ったのです。私はそんな兄のことを誇りに思っています」


そして僅かに微笑みを浮かべると、真っ直ぐな瞳を向けて言ったのだった。


「たとえ兄が家族や私のことを嫌っていても、私は兄に恨みなど微塵も持ってはいません」


(なんて素直で、良い()なんだ)


例えそうだとしても、あんな扱いをされて尚、そう思い続けられるなんて。

彼女の中にあるのは”優しさ”という言葉だけじゃない、強い何かがあるのだろう。


だけど、例えこの事を龍二に伝えた所で、あいつの考えが変わることもないことは承知の上だった。素直になれず一度決めたら決して曲げない頑固な性格。あいつはそんな奴なのだ。

だからこそ、その分俺だけは、彼女の思いを受け止めてやろう。そう思った。

その瞬間、不意に目頭が熱くなるのを感じた。


(あれ。どうして俺、こんな気持ちになってるんだろう)


涙を隠すように俺は慌てて目を擦った。


「悪いが……俺はそれでも、やっぱお前にした龍二(あいつ)の行動は許せねぇんだ……」

「分かります……私も兄のことを嫌いになれたとしたら、どんなに楽だろうかと思います。けれど、出来ません。そういう性分なのです……きっと母上の血を受け継いだのだと思います。私は母上の顔も覚えていないのですけどね……」


彼女は少し寂しそうに笑うと、再び俺の目を見て言った。


「そして、きっと貴方は兄と似ているのだと思いますよ」


確かに俺も素直になれず、一度決めたら曲げない頑固な面がある。そう俺はあいつと似ている。似ているからこそ、惹かれ合い、分かり合い、ぶつかり合うんだ。

そんなことは、とっくの昔に気付いていたことだ。


「そうかもな……」


何故かふっと笑みが零れた。


「じゃ、外で直樹さん待ってっから。行くわ」


そう言って外へ出ようとした時、何かを思い出したように彼女が駆けてきた。


「あっ! そういえば、まだちゃんと貴方のお名前を伺っておりません」


確かに仲間達の話はしたものの、自分の名は告げていなかったことに今更になって気が付いた。だけど、ここで素直に答えるほど俺も優しくない。


「名乗るほどの者じゃねぇよ」


ま、実は一度、この台詞を言ってみたかった。というのもあるんだけどな。


「でも……それでは次に会う時に、なんてお呼びしたらいいか、困ります……」

「別にいいよ、そんなもん」


そもそも次なんてものが、あるのかも分からないし。


「じゃあな」


戸に手を掛け開くと、外の冷たい空気が流れ込んできた。

あれほど吹き荒れていた風も雪も、今ではぴたりとおさまっていた。日はすっかり暮れ、見上げると満月の光が白銀の世界を照らし出していた。


「おう」


壁に背をもたれていた直樹さんが右手を上げる。


「お待たせしてすいません」

「いや、大丈夫。それよりも、もういいのか?」

「はい」

「じゃあ、行くぞ」


そう言って歩き出す直樹さんの後を着いて行く。


「本当にありがとうございました」


振り返ると、彼女が頭を下げて見送ってくれていたのだ。

右手を上げて答える直樹さん。その時、俺は一度立ち止まると、彼女の元まで駆け足で戻った。

言い忘れていたことがあったのだ。


「あと、お前の兄は、お前が思っているほど、器用な奴じゃないかも知れないぞ?」


驚いたように目をしばたたかせる彼女を後に、俺は白い息を吐きながら直樹さんの背を追いかけるのだった。

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