その玖―雪男騒動―
美しい娘の口から語られたそれは、漬物石のように重く、六人の心にのしかかった。
皆、それぞれの顔を見つめあっては、次に発すべき言葉が見つからずに黙り込んでしまう。
そうしてからもう長い間沈黙が続いており、外の吹雪の音が潮騒のように聞こえるのみだった。
「ありがとうな。話してくれて」
その沈黙を破ったのは臣だ。
「いえいえ、そんな、私が知っているのはここまでですし――」
「それでもいい。俺の知らない龍二を知れた」
龍二と家族の間にある闇は、想像以上に深いようだ。
もしも自分が龍二と同じ立場にあったとしたら、それでも家族を愛せただろうか?
答えの出ない問いに、再び言葉を失ってしまうのだった。
「そういえば、おりょうちゃんはどうして此処にいるんだ?」
その場の空気を変える為か、何気ない感じで綾人が尋ねる。
しかし、おりょうは一度困惑した顔を浮かべた後、意を決したように答えた。
「二年程前になりますが……実は私も家を出てきてしまいまして……正確には、"勘当"されたと言った方が正しいですけど……」
(なにっ!?)
再び語られた衝撃の事実に、六人は驚きの表情を浮かべた。
「実は私、"ある方"との縁談を、破談にしてしまいまして……それは一族にとっては大切なものだったのです。それが元で、父が大層お怒りになられて……」
そこで一度言葉を切ると、おりょうは着物の袖をそっとめくって見せる。露わになったそれに六人は思わず息を飲んだ。
肌の白さにではなく、その腕に薄黒く刻まれた複数の痣にだ。
(女に手をあげるとは……許せねぇ……)
臣は膝の上に置いている拳が震えるのを感じた。
先程から話を聞いていると、子供を道具として扱うなど非情にも程がある。
龍二のみならず、この娘にも傷を負わせたのだ。
恐らく一生消えることのない傷を――
自分が怒った所で意味の無いことは分かっている。それでも怒りが湧き上がるのを抑えられなかった。
何故これ程までに腹が立つのか。自分でも分からなかった。
「私が悪いのです……親の言う通りに生きるのは当然の摂理。それなのに……私が逆らったりしたから――」
「――そんなことねぇ!! いくら親だろうが、子供を道具のように扱っていい理由なんかねぇよ!!」
――バンッ!!
突然、声を荒らげて卓袱台に拳を叩きつける臣。その様子に、皆一斉に驚きの眼差しを向けた。
感情をあまり表に出さない臣が、ここまで怒りをあらわにするのは珍しいことだった。
「ど、どうしたんだよ? 急に……」
「いや、悪い。なんでもねぇ……」
訝しげに問いかける綾人に、臣は決まりが悪そうに俯いた。
「ま、まあ、なんというか……おりょうちゃんも色々と大変だったんだな……」
なんとかその場を丸く収めようと、綾人は言葉を選んでいるようだった。
「……確かに、女が一人で生きていくのには甘くない世の中です。ある意味、父の言う通りに生きていた方が楽だったのかも知れません」
そこで不意におりょうは、垂れていた横髪を耳にかける。その仕草一つ一つが色っぽく、思わず見とれてしまう男共。
だが、おりょうはそんな皆の視線に気にすることなく話を続けた。
「……それでも、自分の人生はこのままでよいのか。ずっと悩んでいました。そんな時です、縁談のお話が来たのは……このまま顔も知らない誰かの元に嫁ぐ。それでいいのか、父の道具として一生を終える。本当にそれでいいのかと……そう迷っていた私の背中を押したのは、あの時の兄の言葉だったのです」
『お前の人生だろ。どう生きるかはお前が決めろ』
一見、突き放したかのように思えるこの言葉は、おりょうにとって闇の中に差し込む一筋の光のような道標となっていたのだ。
「……そして私は縁談の日、隙を見て逃げ出しました。父に逆らったのは、それが初めてでした。逆らえばどんな目に合うか分かっていましたが、それは覚悟の上でした。結局連れ戻されて、父からは酷い暴力を振るわれたのですが……それでも私は自分のしたことに悔いはありませんでした」
絶対的な存在である父親に逆らう。それはどんなに勇気のいったことか。
目の前にいる美しい娘からは想像もつかない程の壮絶な話を、今では六人も真剣な眼差しで耳を傾けていた。
「丁度その頃でした。長年鎖国状態にあった、故郷である龍雲院が遂に、開国を成し遂げたのです。それにより国境の関所は取り払われ、どの国へも出入りが許されるようになりました。あの日依頼、父から”お前はもう要らない存在”だと言われていましたので、これを機に私は故郷を出ました」
父親のあまりに冷酷な言動に、またも怒りが湧き上がる臣だったが、今度は何とか堪える。
「故郷を出たのは、あの家から、父の支配下から逃げる為でもあります。しかし、それよりも一番は兄に、先に家を出ていかれた兄に会いたかったのです。兄の噂は度々聞いていましたので、いずれこの世界のどこかで巡り会えるのではないかと。そう信じて、やってきたのです」
そして、おりょうは背筋を伸ばすと真っ直ぐな瞳を向けて言った。
「確かに知らない街での暮らしは大変でした。けれども私はようやく、自分の人生を生きている。そう実感出来たのです。それに……向こうは望んでいなくても、私は兄に出会うことが叶って嬉しかった……ですから私は今、自分の選択に後悔はありません」
凛とした強さで言い切った彼女は、とても美しかった。それは彼女が美人である事とは、別の意味のように思えた。
これまで女一人で生きていくのに、想像以上の苦労があったに違いない。大変だった。そんな一言では表せない程に。
それでも彼女は泣き言一つ零さず、更には兄に会えて嬉しかったとまで言ったのだ。あんなに冷たくあしらわれたのにも関わらず。
「強いな……おりょうちゃんは」
「流石、龍二の妹やな……」
そう、この凛とした強さ。どこか懐かしさを覚えるこの雰囲気は、あいつそっくりだ。
やはり兄妹。流れている血は同じなのだろう。
そう感じ取る臣だった。
***
「それにしても……龍二は何処に行ったんだよ。全く」
綾人が困った様子で頭をぼりぼりと掻いた。
「この吹雪の中だ。そう遠くへは行ってないだろうし、この街にはいると思うが……」
直樹が腕を袖の中に通したまま答える。先程から直樹の表情はずっと硬いままだ。
「何れにせよこの吹雪じゃ、市原虎の尾には帰れないしな~ぁ」
英莉衣は大きな欠伸をすると、両手を上げて畳へと倒れ込んだ。
「あ〜あ、この分じゃ、今夜は泊まりかな……また宿泊費が馬鹿にならないぜ全く……」
綾人は懐から使い古された財布を取り出し、中身を確認すると溜息をついた。
今回の任務の為に渡された経費分はとっくに使っており、予期せぬ宿泊費は実費となるのだ。
そんな皆の様子を見るに見兼ねて、突然おりょうが手を挙げた。
「お困りのようでしたら、ここに泊まって行って下さってもいいですよ!」
(な、何を言い出すんだこの娘は)
親切心なのは分かるが、仮にも野獣六匹と美女一人だぞ?
少しは危機感を持った方が良いと思うが。
いやきっと、社交辞令だ。そうに違いない。
ここは親切心を傷付けずに、大人の対応でやんわりお断りしよう。
「い、いや、こんな大所帯だし……おりょうちゃんにも迷惑かけちゃうから……」
代表して綾人が大人の対応をする。
流石の彼女も天然じゃあるま――
「――少し狭いですけど……足を曲げれば、皆さんで寝れますっ!」
(天然だった――!!)
しかも目が本気である。
「いやいやいや……」
その様子にたじたじになる綾人。
きっと彼女なりに精一杯の気遣いをしているつもりなのだろうが、それが逆に気を使う。
「お、おう……ありがとうな……でも、気持ちだけ受け取っておくよ」
「本当によろしいのですか?」
首を傾げるおりょうに、今度は健二郎が歩み寄った。
「まあ、人がええのは分かるけどな。少しは用心せなあかんで?」
健二郎は苦笑しながら、おりょうの頭にぽんと手を置く。
その瞬間、臣は心がざわつくのを感じた。
自分でも何か分からない、不快なものを感じたのだった。
何かを察知した恭徳は慌てて健二郎の元へ行くと、そっと声をひそめて話した。
「ちょ、ちょっと……健二郎さん……」
「なんや?」
「なんか、臣さんの顔が明らかに不機嫌なんですけど……」
「えっ、なんでや?」
「さあ……」
理由は分からず、首を傾げる二人だった。
「さてと……ひとまず、宿と龍二を捜しに行くか〜」
「そうだな。もうすぐ日も暮れる。夜になれば、捜しにくくなるからな」
「OK」
綾人の言葉に、直樹と英莉衣が重い腰を上げた。
「じゃあ、おりょうちゃん。俺らはそろそろ、おいとまするよ」
「美味しいお茶、有難うございました。おりょう殿」
「もう行ってしまわれるのですね……」
リーダー二人が頭を下げるのに対して、おりょうが少し寂しそうに微笑みを浮かべた。
「まあ僕は足曲げて寝ても良いですけどッ――って、痛いッ!!」
「ええから、もう行くで!!」
まだ居座ろうとする恭徳の耳を引っ張る健二郎。そんな皆に続き、臣も立ち上がるのだった。
「ううっ……寒いな〜」
戸を開けた瞬間、雪混じりの凍てついた風が容赦なく身体に打ち付けられ思わず身震いする。
「これは捜すのに一苦労するぞ……」
「けど流石に、この吹雪じゃどこかの宿か店に入っているんじゃないですかね?」
「それもそうだな……」
とは言っても此処は商人の街。宿や店などいくらでもある為、捜すのは容易ではない。
「とりあえず、手分けして捜すか……」
綾人がそう言った時、遠くの方で二人組の人影が歩いているのが見えた。
この吹雪の中を大変だな。などと思っていると、何かに気付いた様子のおりょうが二人組に向かって大声で呼びかけた。
「瀬後さーん! 首領さーん!」
「お! あれはおりょうちゃんじゃねぇだべか!」
「おりょうさあ! そんな大勢でどげんした?」
どうやら知り合いらしき二人組が、雪を踏みしめながらこちらへ歩いてきた。
一人は白髪混じりの短髪で、頬のこけた細身の男。もう一人は黒髪の短髪で、屈強な体付きの男だった。
「少し色々ありまして……あ、こちらの方々は三代目侍の皆さんです」
「そいはほんのこてか〜! お噂はかねがね聞いておりもす!」
そう言って屈強な男は、綾人の手を取り握手した。綾人の手が勢いよくぶんぶん振られる。
「おいは勝道凌平と申しもす! 皆からは首領と呼ばれておりもす!」
白い歯を見せて豪快に笑う勝道という男からは人当たりのよさが伝わってくるのだった。
「じゃねど、おいは人の上に立つような男じゃありもはん。どうか勝道っち呼んでたもんせ」
「またご謙遜を。首領さんは南の故郷で、沢山の若い侍達を率いた陸軍大将だったと、お聞きしておりますよ」
「じゃっど、そいは昔のことじゃっど。今は侍あがりの、しがない百姓でごわんど」
勝道が困ったようにはにかみながら頭を掻いた。
「陸軍大将ですか! それは凄いですね!」
陸軍大将といえば、拠点としている市原虎の尾の総長である、鴛鴦丈芳と同じくらいの地位に値するのだ。
そんな勝道に恭徳は好奇心でいっぱいのような視線を向けるのだった。
「じゃっどに、おいはそげん立派な人間では――」
「――ちょいちょい! おらを差し置いて、何皆で話進めとるだべか!」
ずっと蚊帳の外だった細身の男がこけた頬を膨らませ抗議する。
「おお、こいはすまんかった! こちらは瀬後さあじゃ! この街に来たばかりのおいに、色々と親切にしてくださっとじゃ」
「そうですか」
「って、おい! おらには興味なしだべか!」
そんな瀬後の言葉を軽く流した後、おりょうが尋ねる。
「それにしても、この雪の中をどうなさったのですか? 本来でしたら、もうお帰りになられている時間なのに……」
「そいがな――」
答えようとする勝道の言葉を遮り、瀬後が身を乗り出してきた。
「実はな、雪男が出たんだべ……」
『――雪男!?』
***
「だから瀬後さあ、そいはちごっど!」
「ぜってぇ、そうだ!」
「ちごっ!」
何やら言い合いを始める二人。
「間違いねぇ、きっとあれは雪男だべ!」
「馬鹿言うな! あんなよかにせな雪男はおらんど!」
「けんど、口髭生やしとったで! それにあの銀髪! ありゃぜってぇ雪男に違いねぇべ!」
「そいなら、口髭生やしとる奴なら全員雪男か? 銀髪なら全員雪男か?」
「この辺に銀髪の奴なんておらんべ! ぜってぇ雪男だべ!」
(おいおい、まさか……)
その話の流れから何かを察した六人。確認の為、言い合いをする二人の間に綾人が割って入った。
「あの……その雪男って?」
「ああ、さっき畑の様子を見に行った帰りに、河川敷んとこで雪の上に倒れてるのを見つけたんだべ」
「そいでおいも呼ばれて駆け付けたんじゃ。瀬後さあは雪男って言い張るけんど、おいは行き倒れの旅の人じゃと思うど。そいか何処かの国の王子じゃっど!」
「あほこくでねぇ! 王子がこげん雪の中にぶっ倒れとるわけねぇべ!」
「あ、あの……もう一度確認ですが……銀髪に口髭生やして、顔は……」
『――美形!!』
(やっぱりか……)
疑惑が確信に変わった瞬間だった。
「何やってんだ……あの馬鹿は……」
そう零す直樹。その僅かに震えの篭った低音から、珍しく怒っているのが分かった。
「なんだ? なんだ? ひょっとして、ありゃ兄ちゃん達の連れか?」
「大変お恥ずかしながら、そんなところです……」
「ほら! やっぱおいが言った通り、旅の人じゃったど!」
「けんど……雪男がおらんと決まった訳じゃねぇべ! おらはいるっち信じとるべ!」
またも討論を繰り広げようとする二人を再び綾人が遮った。
「あの……話しているところを申し訳ないんですが……」
「ああ、こいは失敬! そん人なら街の診療所に連れて行ったど。安心せい」
「おうよ! 二人でえっさほい運んだんだべよ! あの兄ちゃん、見かけは細い癖に筋肉質で重かったべ〜」
「なんを言いよりもすか。ほとんどおいが抱えて行きもしたど!」
「あ? そうだったべか」
そして豪快に笑う二人。だが一方では、話を聞く度に申し訳ない気持ちでいっぱいになる六人なのだった。
「本当にご迷惑をお掛けして申し訳ございません。これ……少ないですが……」
直樹が腰の巾着から硬貨を何枚か取り出して二人の掌に乗せる。
「おおっ!? いいんだべか!?」
「こいは、いかん! こげん受け取れんど!」
「いえ、どうか受け取って下さい。身内の不始末は我々の責任です。本当はこんなものでは足りないくらいなのですが」
そう言って頭を下げる直樹に、顔を見合わせる二人。
「そげん言うなら、こいは有難く頂きもす」
「いやぁ〜やっぱり良いことはするもんだべ!」
「おっと、こげん長居して申し訳なか。そいじゃ、おい達はここいらで失礼致しもす」
「じゃあな〜! おりょうちゃん! また茶屋に飲みに行くでよ〜!」
そう言って二人は大きく手を振りながら、再び雪の中へと消えていった。そんな二人を、おりょうも含めた一同は頭を下げて見送った。
「はぁ……」
自然と溜息が出てしまう。捜す手間は省けたものの、三代目侍としての面子は丸潰れだった。
「すまないが英莉衣。一緒に来てもらえるか?」
「あ、はい。わかりました」
いつになく厳しい表情を浮かべている直樹に、英莉衣も同行せざる得なかった。
「おりょう殿。慌ただしくて申し訳ないが、一度あいつの様子を見に行ってきます」
そう言って直樹は長身を折り曲げるようにお辞儀をすると、両足は地面を蹴って肩をいからせて大股で歩いていく。
英莉衣も慌ただしく一礼すると、その後を追った。
「直樹さん俺も――」
相棒の責任は自分にもある。そう思い、臣も直樹の背中を追った。
「大丈夫だ。ここは俺と英莉衣で行く」
「でも――」
「臣。お前は暫く、おりょう殿の傍についててやってくれないか。彼女もきっと不安な筈だ。状況が分かったら、また来るからよ」
今度は少し柔らかい口調で臣の肩に右手を乗せる直樹。その時、不意に左袖が目に入った。それは風に煽られ激しくたなびいている。それを目にした臣は心の奥が鈍く痛むのを感じた。
直樹のそれは二年前の「武士櫻の闘い」より失われたのである。
仲間を守る為、身を呈した結果。不幸な事故だった。そんな一言では表せない程、代償は大きなものだった。
「じゃあ頼むぞ」
「はい」
視線を交わして直己と英莉衣は吹き荒れる雪の中を進んでいき、やがて姿が見えなくなった。
二人の背中を見送った後、今度は自然と綾人に視線が動いた。
「ん? どうした?」
「いや、別に……」
突然見つめられて怪訝な顔をする綾人に、臣は慌てて視線を逸らした。
「そうか。じゃあ俺らは宿を探しに行ってくるからよ。お前はおりょうちゃんのこと頼んだぞ」
「あ、は、はい。てか、どうして俺――」
「じゃ、頼んだからな!」
臣の背中を代わる代わるにぽんと叩いて、綾人、健二郎、恭徳の三人も、雪の中へ駆け出して行った。
(一体、何なんだ……?)
首を傾げながらも、その時、臣は別の情景を思い出していた。
先程、綾人のことを見たのは無意識だった。
ただ、二年経った今でも不意にあの事を思い出してしまうのだ。
それは臣と綾人の間だけに留めている、とある出来事だ――
***
あの闘いの後でも綾人は自分を責め続けていた。片腕を無くした直樹。それは自分を庇ってのことだったから。
誰も綾人を責めたりしなかった。責められる理由などないのだから当然だ。
だが、それが逆に綾人にとって苦痛だった。罰を受けた方がまだ楽になれるのに。
直樹は自分のせいで、直樹の人生を狂わせたのは自分のせいなのだ。
周りが罰を与えてくれないのなら――
何処となく様子がおかしい綾人に、臣は違和感を感じていたのだった。
そしてその日は珍しく、綾人が体調不良で修行を休んでいた。嫌な予感が脳裏を過ぎり、居ても立っても居られなくなった臣は、綾人の家を訪ねて行った。
戸を叩いても返事はない。諦めて帰ろうかと思った時――裏庭の方から物音がして、臣は急いでそっちに向かった。
その時、目撃してしまったのだ――
綾人が自分の愛刀を振り上げ、今まさにそれを"自身の左腕"に振り下ろそうとしている所を――
『――何やってんすか!!』
地を蹴って駆け出すと、すぐさま綾人の握る刀の柄を掴んだ。
『離してくれぇ!! 俺のせいだァ!! 俺が悪いんだよー!!』
『馬鹿なまねはッ――止めて下さい!!』
狂ったように叫ぶ綾人の手から刀を取り上げる。勢い余って刀が地に落ち音を立てた。
『こんなことして、直樹さんが救われると思いますか! ますます苦しめてしまうだけでしょう!』
『俺はッ……俺ッ……どうしたらいいんだよ……もう、わかんねぇんだよ……』
綾人は両手で頭を抱え込むと、そのまま泣き崩れた。それは完全に自分を見失っているようにみえた。
綾人が見せた弱さ――そんな綾人の様子を見たのは初めてだった。
綾人の気持ちは分かる。仲間を目の前で傷付けられることは、自分が斬られるよりも辛いことだろう。しかもそれが自分を守る為だったら尚更だ。
正直、龍二が目の前で傷付けられた時――臣自身も一度理性を失った。
幸い傷は浅く、今となっては龍二の美形は元通りになったが、もしも龍二の身に何かあったら、臣もどうなっていたか分からない。
だけど、これが本当に正しい選択だとは思えなかった。罰として自分を傷付けることが正しいとは思えなかったのだ。だから――
『生きて下さい』
臣の言葉に顔を上げる綾人。
『それと、今日あったことは、ここだけにして下さい。……あんたの為じゃありません。直樹さんの為です。それ以上は言わなくても分かりますよね?』
もしも自分が原因で、綾人が馬鹿な行動を起こそうとしていたと知ったら。尚更、直樹を悲しませてしまうことになるだろう。
『綾人さん。あんたは俺にとって、道標みたいな存在なんですよ。俺だけじゃなく三代目の皆、そうだと思います。だから、もうこんなことしないで下さいよ。一人で抱え込まないで下さい。もう少し俺らのこと、信用して欲しかったです』
そう言って綾人に背を向けて立ち去る臣。その背中越しに、綾人の泣き声が聞こえてきた。
立ち止まっている訳にはいかない。進み続けるしかないのだ。
その後、綾人は再び自分自身を取り戻し、以前にも増して剣の腕を上げていった。そしてそれは、他の仲間達も同じだった。
また片腕を無くしても尚、直樹の剣の腕は衰えることなく、寧ろ前以上に強くなったように思えた。
――もう二度と大切な何かを無くさない為にも。
そんな思いを秘めて、皆一段と強くなっていったのだった――
「――あ、あの……大丈夫ですか?」
鈴の音のような声に、臣は回想を止めた。その丸くて大きな瞳が臣の姿を映し出している。臣は再び心臓が高鳴るのを感じた。
「あ、ああ……」
「とりあえず、中に入りましょうか」
「ああ」
「兄上……大丈夫でしょうか……」
「ああ、あいつはこれくらいのことで、くたばったりしねぇよ。心配するな」
「そうですよね……」
「ああ」
短い返しに、再び訪れる沈黙。
どうしてこうも、ぶっきらぼうな返ししか出来ないのかと、自己嫌悪に陥るのだった。
(参ったな……)
傍についててやれと言われても、その間、一体何を話せばいいというのだろう。
いくら龍二の妹といえど、異性と二人きりで話せるほど慣れていない。
これなら俺なんかよりも、綾人さんの方が適任だったように思えるが。それにしても――
(似てるんだよな……)
不意におりょうと目が合い、またも心臓がでんぐり返りそうになる臣。
慌てて目を逸らすと、無意識に首の後ろを搔くのだった。




