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S.A.K.U.R.A.~蒼の魂~  作者: 猫人間
【第参章】結
PR
60/70

その捌―決別―

最近、何かと忙しく(色んな意味で)

大変長らくお待たせして

申し訳ございませんでしたm(_ _)m

「さくらだ、さくら」


 突如現れた分家の餓鬼。俺の焦りなど無用で、短い腕を精一杯伸ばしている。落ちてくる花びらを掴もうとしているのだ。


 もしもこんな所を父に見つかれば、ただでは済まない。

 分家嫌いの父のことだ。例えその場で斬り捨てられたとしても文句は言えないだろう。

 餓鬼を助ける義理はないが、この場所が血で汚されるのだけは何としてでも避けたかった。


(一刻も早く追い出さなければ)


 高鳴る心臓の響きに追われるように足早に、餓鬼の元へ歩み寄る。


「おい、お前。何処から来たかは知らねぇが、早く帰れよ」

「やだー」


 は? ――つい先程まで大人ぶっていた癖に、急に駄々を捏ねるとは。やはり餓鬼だな。

 しかしそう思うが否や、餓鬼は門と正反対の方向へ走り出したのである。


(あっ! この糞餓鬼……!!)


 ふざけんじゃねぇ。餓鬼を捕まえようと、俺も綱を引きちぎった雄犬のように走り出す。


 この餓鬼遊んでいるつもりなのか、きゃっきゃとはしゃぎ回りながら俺の腕をすり抜けていく。

 一昔前の妹がそうだったように、少しもじっとしている様子がない。これだから餓鬼は嫌いなんだ。

 更には男児とあって、妹の比じゃない程機敏な動きだ。久々に味わう疲労感に懐かしさすら覚えた。

 弟というものは、きっとこういう感じなのだろうな。

 それにしても三つにしてこの機敏な動きとは。将来は中々の曲者になりそうだ。

 ――って、今はそんなことを考えている場合ではない! 馬鹿か俺は!


「おい! いい加減にしろ! この糞餓鬼!」


 俺は火のような息づかいをしながら怒鳴った。

 屋敷の周りを三周はしただろうか。

 流石に息が切れて立ち止まり、必死に酸素を求め肩で息をした。


「まったく、なさけないな」


 気が付けば隣で、餓鬼が勝ち誇ったような顔を向けていた。

 腹が立つ。だが、もはや反論する気すら失せた。息が弾んで、まともに口が利けない俺は餓鬼を睨み付ける。


 そんな二人の頭上を桜の花びらが、ひらひらと通り過ぎていく。


「あっ、さくらだ」


 餓鬼が再び、ばたばたと走るような足取りで桜樹の前に駆け出していった。

 ようやく呼吸が落ち着いた所で、俺もゆっくりと餓鬼の隣に立った。


「そんなに珍しいか? 桜なんて何処でも見れるだろ」


 一瞬警戒の眼差しを向けるが、もはや捕まえる気が失せたと察したのだろう。再び桜樹に視線を戻して餓鬼が言った。


「むろん、そのとおりだ。しかし、このさくらは、とくにきれいだ」

「そうか……」


 俺も此処、特にこの桜樹は好いている。

 それを褒められて悪い気はしなかった。


「桜、好きなのか?」

「そうだ! せっしゃは、さくらがいちばん、すきなのだ! なぜなら、さくらは、やまとだましいの、しょうちょうだからだ!」

「お、おう……」


 興奮した様子で、またしても難解な言葉を並べる餓鬼に多少圧倒された。そもそも元服前の餓鬼が”拙者”などと言っている時点で変だと思うが。


「大和魂……それは武士櫻のことか?」

「ぶしざくら?」


 流石にそこまでは知らないか。

 斯く言う俺も、そこまで詳しい訳では無い。誰もが一度は耳にしたことのある、噂程度のものだ。


 世界に五本点在する伝説の樹。その一つが武士櫻。この餓鬼の言う通りそれは大和魂の象徴で、その姿は他の桜と比べて圧倒的な美しさを誇るという。

 この伝説の五つの樹には不思議な力が宿っており、そのどれか一つでも失えば世界は滅びるのだとか。故にその樹々は強靱な侍達によって守られているようだ。


「すごいな、せっしゃも、めにしたいものだ! それはどこにあるのだ?」


 俺の説明を聞いて興奮したように目を輝かせる餓鬼。


「さあな……」


 俺の素っ気ない答えに、(たちま)ち目の輝きを失い不機嫌な表情を浮かべる餓鬼。そんな顔をされても、知らないものは知らないのだ。

 そもそも何処にあるのか分かった所で、何の意味も無い。現在、鎖国状態にある龍雲院から国外へ出ることは許されないのだから。


「それでもせっしゃは、しょうらい、ぶしざくらをまもる。そんなさむらいになるのだ!」


 はっ、簡単に言いやがる。

 向きになりながら俺を睨んでいる餓鬼だったが、たかが三つくらいの餓鬼がそんな顔をした所で怖くも何ともない。


 それでも、この餓鬼の目には真剣さが見て取れた。こいつはいけ好かない餓鬼だが、夢を語るその姿は何故か輝いて見えたのだ。

 俺は夢など持っていないが、この目の前にいる餓鬼の夢まで潰してはならないだろう。そのくらいは俺にだって理解出来る。


「ま、未来のことなど誰にも予測不可能だからな。その侍達になれるかはともかく、もしかすると武士櫻は目にすることが出来るかも知れないな……お前なら」

「ほんと?」

「ま、断定は出来ないが」


 すると餓鬼は再び目に輝きを取り戻した。

 やはり餓鬼は餓鬼だな。そう思いながらも、ふっと笑みが零れる。

 このおかしな餓鬼と僅かに距離が縮まったような気がした。


 ひらひらと舞い散る桜。まるでこの空間だけ時間がゆっくりと進んでいるような感覚に陥った。

 一時の沈黙が続いた後、俺は再び問いかけてみた。


「そういえば、お前何処から来たんだよ?」

「わからない……」


 餓鬼はそう言って少し俯き加減に首を横に振る。


「かあさまと、さんぽしてたら、さくらのはなびらがただよってきたのだ」


 その小さな人差し指を桜樹に向ける。


「とっさにかあさまのてをほどいて、はなびらをたどってきたら、ここにいきついたというわけだ……おかげで、かあさまとは、はぐれてしまったのだが」


 最後は腕を組み、うんうんと頷いた。何やら偉そうに語っているが、要するに迷子のようだ。


(ったく、仕方ねぇな……)


「とりあえず、母親を探しに行くぞ」

「うん」


 今度は素直に頷いたのを見て、俺は左手を差し出した。絶対来ないだろうと思っていたのだが。意外にもすんなりと手を繋いできたのだった。

 その手は小さかった。小さくて温かい。久しぶりに味わった感覚だった。

 その小さな掌を包み込むように握り、門へと向かった。


(面倒だが、無事に母親の元へ送り届けてやろう)


 そう、無事に――


(――ッ!!)


 ――その瞬間、それを見た俺は頭の先から足の先まで凍りついた。まるで極寒の中で冷水を浴びたかの如く。


 突然、立ち止まった俺を訝しげに見上げる餓鬼。

 背中から冷や汗がじわじわと浮かび流れ落ちた。


(何故ッ――!?)


 そこに居たのは金棒を手にした鬼だった――


 ***


 指の先は蝋で固められたように。足の裏は地面に縫い付けられたように、微塵も動かない。そして脳内では先程から自問自答を繰り返している。


 何故だ。今日は戻らない筈じゃ――

 いや。それも確定している訳ではなかった。

 だが、こんなにも早く戻るとは全く予想もしていなかった。

 ただ、確かなことは一つ。

 これから起こるであろう惨劇だ――


「貴様ら!! ここで何をしている!!」


 吠え猛る獣にも似た、腹の底から響く怒涛。

 直後、雷に撃たれたかの如く、頭の先から足の先まで衝撃が駆け巡った。


 ――そこから先は一瞬の出来事だった。


 恐怖からか。もしくは身の危険を察してか。

 俺の手を掴んでいた餓鬼が瞬時にその手を離すと、反対方向に走り出したのだ。


 しかしそれよりも早かったのは、鬼曰く――父だった。


 素早く餓鬼の襟首に手を掛けると、猫の首を持つように掴み上げた。そして自分の足元へ転がしたのだった。


「――卑しい分家の犬が!!」


 悲鳴に近い叫び声。同時に赤いものが飛び散った――

 父が手にしている竹刀で、その矮躯な身体を殴り付けたのだ。


「止めて下さい! 父上!!」


 咄嗟に、その丸太の如く太い腕にしがみついた。


「――黙れッ!!」


 しかし、荒れ狂う猛獣にその程度では通用しない。

 その手は赤子の手をひねるように簡単に振りほどかれる。そして、思い切り父の鉄拳が腹にめり込んだ。


「うぐっ……!!」


 まるで金棒だ。

 衝撃に腹を押さえ地面へと転がった。口からは血と混じり胃の中のものが飛び散り、あまりの激痛に意識が朦朧とした。

 そんな俺には目もくれずに、再び餓鬼を殴り続ける父は、もはや正気の沙汰じゃない。


 餓鬼の泣き叫ぶ声が段々弱々しくなっていく。

 猛刀から身を守ろうと、その小さな身体を必死に屈み込んでいる。その無防備な身体に何度も何度も打ち据えられ、着物は赤い血の色に染まっていた。


「や、やめ……やめろ……」


 痛みで声にもならない。辛うじて手を伸ばしてみるも、当然、父の視界には入る筈もない。


「――お待ちくださいませ!」


 その時、何処からともなく、女が駆け込んできた。


「――申し訳ありません!! どうかお許しくださいませ!!」


 女は父と餓鬼の間に割って入ると、餓鬼を庇うように抱いた。餓鬼の母親だろうか。


「今度は分家の雌犬かッ!! 卑しい分家の分際で、宗家の屋敷に押し入るとは何事かッ!!」


 父は再び竹刀を振り上げた。瞬間、女が餓鬼の上に覆い被さる。振り下ろした竹刀がまともに女の額に当たり、その額から赤い血が流れた。


「か……さま……!」


 女の下から餓鬼のくぐもった声がした。


「雌犬!! そこを退け!! その餓鬼には教育が必要なのだ!!」


 父は女の髪を掴みあげる。


「それでは私を! 私を罰して下さいませ! 子の不始末の責めは親が負うもの。どうか私を――」

「それほどまでに言うならお前も!!」


 父は構わず、女諸共殴りつけた。女の着物が瞬く間に赤く染まる。それでも女はその場を動こうとしなかった。


「やめろ……やめろ……やめろ……」


 殴られ続ける母子を横目に、俺は地に這いつくばっているだけだ。


 俺は、俺は、餓鬼も女も、何一つ守れないのかっ!!

 畜生!! 畜生!! 畜生!!

 悔しい。悔しい。悔しい。

 何も出来ない自分が。憎い。憎い。


 猛刀に耐えながらも必死に子を守る女。


「申し訳ございません! お許し下さい! どうか、この子だけは――」

『申し訳ございません! どうか、龍二をお許し下さい!』


 その姿が、横顔が――母と重なった。

 幼き頃、父に責め立てられていた俺を庇ってくれた。母上に。


『お前が甘いから、こいつが腑抜けになるのだ!!』

『それは私が後で言っておきますから……お願いですから、龍二を殴らないでやって下さい!』

『うるさい!! 退け!!』

『お願いします! どうかおやめ下さい! おやめ下さい――』


「――やめろッ!!」


 その声は一瞬、その場の空気を震わせたようにみえた。

 地面に両手をつき、生まれたばかりの小鹿のような、震える足で立ち上がる。そして、その足を一歩一歩踏み出して行った。

 眼光は父を捉えたまま。いつの間にか、腰から御室有明を引き抜いていた。

 ようやく俺の方に目を向けた父が、その手を止めた。


「俺を斬ろうというのか? お前。親に刀を向けるとは、それ相応の覚悟を持ってのことだろうな?」


 それは恐ろしく冷静な声だった。


 覚悟。そんなものは知らない。

 ただ必死だった。ただやめて欲しかった。この場所を汚すことだけはやめて欲しかったのだ。


 何故なら、此処は母との思い出の場所だから。

 父に叱られた後は、決まって母と二人で此処に来た。そして母は父に隠れて俺を慰めてくれた。思う存分、腕の中で泣かせてくれた。その濡れた瞳で見た庭の桜。母と二人で見た桜の樹。


 だから、だから――


 手にしていた御室有明をゆっくり地に置くと、体力のつきた馬のように、両足を折って膝をつく。そして擦り付けるように両手と頭を地についた。


「父上! どうか止めて下さい!! 申し訳ありません! 申し訳ありません!」


 張り裂けんばかりに声を張り上げた。意地も自尊心もかなぐり捨て、必死に懇願した。


「申し訳ありません! 申し訳ありませんッ!!」


 その視界は徐々にぼやけて見えなくなった。


 何故だ。何故だ。何故だ。

 父の前では絶対に泣かない。そう決め込んでいたのにも関わらず、涙が溢れて止まらなかった。


 これは父に向けたものではない。

 母子を救えない。何も出来ない自分への罰なのだ。

 俺は誰も救えない。誰も救えない。救えない。

 昔も現在(いま)も――


 昔と同じ濡れた瞳で見た桜。美しく舞い落ちる花びら。

 それは心做しか泣いている――母が泣いているように見えた。


 お願いだからやめて。

 もう母上を悲しませないで――


 耳の奥には、女が繰り返し繰り返し叫んでいた言葉が焼き付いて離れなかった――


「どうかお許し下さいませ! この子だけは! どうか龍之介だけはッ――」


 ***


「――全く貴様はッ!! この大事な時ッ!!」


 耳を掴まれ引き摺られるようにして、庭にある穴蔵まで連れてこられると、その場で蹴り倒される。冷たい床に転がる俺の身体に、重い蹴りが何度も何度も入れられた。


「お前への処罰は後日考える。一先ず、今日は此処から出るな!」


 父は乱暴に吐き捨てると、床に転がる俺をそのままにして出ていった。

 ガチャ。外から錠をする音が聞こえた。


 この穴蔵は本来、食料庫として使われているが、昔はよくお仕置きで此処に閉じ込められたものだ。

 地下で日が入らない為、此処は昼間でも暗い。

 幼き頃はこの暗闇の中、出して貰えるまで泣き喚いていた。

 流石に今となっては泣き喚くことはないが、足元から底冷えする寒さには耐えるしかなかった。


 今になり殴られた腹の痛みが再び蘇ってきた。俺は冷たい床の上で、痛む腹を下にして這いつくばる。

 寒さと痛みに耐えながらも、頭の中では、あの親子のことを思い浮かべていた。


 あの後、騒ぎを聞きつけた野次馬共が、門の前に群がっているのを見て。父はようやく母子を解放したのだった。

 解放された時、女はその胸に餓鬼をしっかりと抱いてすぐさま門から出ていった。


 あの餓鬼ともう一度、話をする間などなかった。

 一言。守ってやれなくてすまなかった。

 そう伝えることは、叶わなかった。

 だが、母子共に酷い傷を負っていたものの、命があっただけでも良かった思う。


 穴蔵から出されたのは、日もすっかり落ちて夜になってからだった。


 自分の部屋に戻るよう言われた俺は、大人しくそれに従った。

 屋敷の廊下を歩いていると、向かいから兄が歩いて来るのが見えた。明日の式典の為に新調したのだろう。一目見ただけでも高級だと分かる着物に身を包んでいる。

 俺は目を合わさず、兄の横を通り過ぎようとした。だが、すれ違いざまに兄の声がした。


「ふっ……まるで芸を覚えない馬鹿犬だな……」


 いつもの嫌味だ。俺はその言葉を無視して、そのまま立ち去ろうとした。

 しかし、兄の言葉は続く。


「まあ、出来損ないは、生まれつきか……"母殺し"が……」


 ぴたり。その言葉を聞いた瞬間、俺の足が止まった。


「どういうことだ?」


 俺は振り返ると兄の顔を睨んだ。思えば最近は兄とまともに口を聞いていなかった為に、真正面から対峙するのは久々だった。


「気付いていなかったのか? 全く呆れた奴だな……お前のせいで母上は死んだというのに」


 蔑んだ目。見下したような顔を浮かべながら、兄が歩み寄ってきた。


「母上が病弱なのは知っていただろう……それなのに何故、三人目を身篭ったと思う? 何故、命と引き換えにしてまでも出産をしたと思う?」

「…………」


 何も答えられずにいる俺に、兄はすかさず言葉を放った。


「"娘"だよ。父上は将来、一族にとって有望な男の元へ嫁がせる、娘が欲しかったのだ……」


 その瞬間、心臓を握り潰されるような痛みが走った。


「二人目を身篭った時、次に生まれてくる子供が女であったら……母上の負担も終わる筈だったのだ……」


 兄が言葉を放つ度に、心臓が抉られる思いがした。何度も何度も心臓を突き刺されるような感覚に、思わず胸を押さえた。

 それでも兄は構わず、話を続ける。


「だが次に生まれたのは、またしても男だった。だから父上は迫ったのだ。何としてでも女を生むようにと。病弱な母上にな……」


 まるで獲物をいたぶる猫の如く、言葉という名の刃で心臓を突き刺してくる兄。

 痛くて、痛くて、堪らなかった。


「つまりお前は、"生まれた瞬間から"出来損ないだったのだよ」


 痛い。痛い。痛い。痛い。

 呼吸は次第に荒くなり、兄の顔をまともに見ることすらも出来なくなった。

 そして兄は、遂にとどめを刺した。


「お前さえ生まれてこなければ、母上はもう少し長生き出来たかもな――」


 ――その瞬間、俺の意識は無くなった。

 気付いた時には、目の前に血を吹いて転がる兄の姿があった。右拳に残る鈍い痛み。

 初めて兄を殴ったのだと気付いた――


 その直後、騒ぎを聞きつけ小走りで駆け込んできた使用人の女が、金切り声を上げ両手で口を覆った。


 頭に靄がかかったように放心していた俺は、その声で現実に引き戻された。途端、弾かれたようにすぐさまその場を立ち去った。

 背中越しに引き止める女の声など、俺の耳には届いてなかった。


 部屋に戻っても動悸は治まらず、目は見開かれたまま荒い息を吐き続けた。

 もはや冷静な判断力など失われ、兄から聞かされた事実だけが頭の中を埋め尽くしていた。


 幼き頃より母上が病弱なことは知っていた。

 だから、父に手を上げられているのを見る度に、命の灯火が弱くなっていくのを感じていた。そして妹を産んだ後、その灯火は消えたのだ。


 母は父に暴力を振るわれたせいで死んだ。妹を産んだせいで死んだ。

 父と出会わなければ。妹さえ生まれて来なければ。

 母はもっと長生き出来たかも知れないのに。

 母を殺したのは、父と妹だ。


 だから、父には真正面から反抗した。

 だが、妹に罪はない。そう頭では分かっていても、どこかで嫌っている自分がいた。懐かれるのが怖くて避けている自分がいた。


『この子を守ってあげてね……』


 あの日、母と誓った約束を破り、いつしかそれすらも忘れ去った。

 父を憎み、妹を憎んだ。

 他人を憎むことで、母の居ない現実から目を逸らした。


 だが、違った。

 父でも妹でもない。俺だったんだ。

 母を殺したのは――俺だ。俺だったのか。


 俺は力なくその場に崩れ落ちた。


「ふふふ……ははははっ!!」


 何故だろう。笑える。もはや笑えてくる。堪らなく笑いが込み上げてきた。


「あはははははははっ!!」


 倒れたまま一人部屋の中で笑った。我を忘れたように笑った。狂ったように、いつまでも笑い声は止まらなかった。

 右拳の兄を殴った感触は生々しく残っていた。


 ***


 煌びやかに光る金色の着物に身を包み、堂々たる姿で足を進める兄。

 その様子に周りは、わざとらしく息を飲んだり、称賛の声を上げていた。


 その兄は、父と同じ目をしていた。

 自分達よりも地位の低い者を見下したような。冷たい目だ。


 愚かだ。実に愚かだ。

 この隔離された世界で、自分達は上級階級の人間だと思い込んでいる。

 この愚かな一族にとことん嫌気が差した――


 式典が終わり、一人一人参列者が祝言を延べにやって来た。

 その中の一人、眼鏡をかけ額に脂汗を浮かべた小太りな男が、兄の顔を覗き込んできた。


「あんた折角の晴れ舞台やのに、えらい顔してはりまんなあ。その痣どないしゃはったん?」


 小太り男は手にしていた扇子を、兄の左頬に向ける。昨夜、俺が付けた痣。それはしっかりと兄の左頬に残っていた。


「これは”転んだ”のです……」


 大したことでは無い。そんな様子で、すました表情を浮かべ答える兄。


「せやったんか。お気をつけなはれや〜」


 小太り男はそう言って高らかに笑いながら、その場を後にした。

 やけに無礼な男だったが。それを咎めないのは、紋章の龍に四つの水晶玉が握られている為である。


 兄は昨日のことなど無かったかの如く、何も言ってこなかったし、その事は父にも話していないようだった。

 それでも父は気付いていただろうが、あえて何も言わなかった。いや、その価値もないと踏んだのだろう。


 この式典に俺も参列させたのは、建前上だろうが、まるで存在などしていないかの如く扱われた。俺が父にとって地雷源であることを(わきま)えているようだ。その方がかえって俺も楽だったのだが。

 そういえば昨日、父が顔だけは殴らなかったのはこの為だったのか。怒り狂っていたようにみえて、一部冷静さは欠けていなかったことを知り、ぞっとした。

 その中に分家の姿がなかったのは、急遽父が分家の出席を取り止めたからである。昨日の一件が関係していない筈がなかった。


 ようやく、くだらない式典も終わった。

 父と兄はそのまま酒の席へと足を運ぶようだが、そんなものに微塵も興味はない。これ以上無駄な時間を過ごさない為に、俺はさっさと自分の部屋へ戻ることにした。

 しかしその途中、廊下の端で妹が顔を覆ってしゃがみ込んでいるのが見えた。


(めんどくさいな)


 無視しようか。そう思った矢先、ふと顔を上げた妹と目が合った。


「ちっ……」


 思わず舌打ちが零れるが、無視する訳にもいかなくなり、仕方なく妹の元へ歩み寄った。


「どうした泣き虫」


 妹が泣き腫らした目を向けて言った。


「兄上……何故、何故、女は刀を持ってはいけないのですか?」


(また、それか)

 

 妹は昔から剣術を学びたいと言っている。

 しかし父は、女が刀を持つことを頑なに反対していた。それが元で何度か父とやり合っているのを見掛けたこともあった。


 妹は立ち上がると俺の袖を掴んだ。そして今にも消え入りそうな、震える声で問いかけた。


「何故、兄上と同じではいけないのですか? 私は馬鹿なので分かりません……兄上……兄上……教えて下さい……」


 この国では女は何かと不利な立場にある。

 今回の式典にしても、女の参加は許されていなかった。昔ながらの風習らしいが、何の根拠も無い実にくだらない風習だと思う。

 だが何故、男女平等ではいけないのかも、どうすればいいのかも、俺には分からない。


「そんなこと俺に聞くな」


 (すが)る妹を冷たく突き放した。

 俯く妹を他所に、その場を立ち去る。が、数歩進んだ所で足を止めた。


「お前の人生だろ。どう生きるかはお前が決めろ」


 後ろは振り返らず、それだけ伝える。妹がその時どんな表情をしていたのかは分からないが、俺はそのまま立ち去った。


 そうだ。自分の人生は他の誰のものでもない。自分自身のものなのだ。

 誰かに決められた道の上をただ歩くだけの人生など退屈だ。俺はそんな生き方など真っ平御免だ。

 だから俺も。覚悟を決める――


 歩きながらも、いつの間にか右拳に力が入っているのに気付いた。


 もしかすると今の言葉は、自分自身に向けたものだったのかも知れない。


 ***


 兄が帰ってきたのは、丑三つ刻(※午前二時)を回った頃だった。

 深夜にも関わらず、少しも眠気を感じない。それもずっと、この時を待っていたからだ。


 緊張した足取りで兄の部屋の前に立つ。どくどくと波打つ心臓を鎮めるように一呼吸ついた。


 もう後戻りは出来ない。そう覚悟を決めて戸を引いた。

 兄は既に白い寝巻きに身を包み、布団に入り書物を開いていた。


「なんだ、お前か……」


 兄は一度顔を上げると、すぐにまた興味を無くしたように書物に目を戻した。


「酒の飲み過ぎで疲れているのだ。話なら明日にしてくれないか……」


 この国では成人の儀を終えたその日から酒が許される。だが兄は微塵も酔っている様子はなかった。

 まあ、その方がこちらとしても都合が良い。


「おい。"龍一"」


 勿論、兄の名を呼び捨てにした事など初めてだ。

 文字を読む兄の目の動きが、一瞬止まった。


「遂に頭まで"うつけ"になったか……」


 書物に目を落としたまま、兄はそう言った。一時の沈黙が続いた後、再び兄が口を開く。


「だが、一応聞いておく。兄の名を呼び捨てにするとは、それ相応の覚悟は出来ているのだろうな?」


 緊張した空気が張り詰める。俺はじっと兄の顔を見据えて言った。


「俺は明日、此処を出ていく」


 一時の間が空いたが、兄の顔に驚きの色はない。


「そうか……」


 兄は淡々とした口調で答えた。


「もう二度と戻るつもりはない。だから、お前とも兄弟の縁を切る」

「そうか……」


 再び二人の間で沈黙が流れた。


「話はそれだけか?」


 それだけ。か、

 今更、何を期待していたんだ俺は。

 兄が泣いて引き止めるとでも思っていたのか? 何か優しい言葉をかけてくれるとでも?

 馬鹿か俺は。馬鹿だ。実に愚かだ。


「ああ……」


 もうこれ以上話す事はない。


「まあ私もお前のことは、はなから弟とは思っていなかったからな……」


 それが兄の答えだ。

 俺のことは興味が無い以前に、存在すらして居ないに等しかったのだ。

 だがそれでいい。寧ろそれで背中を押された気がした。

 俺の中で、何かが吹っ切れた。


 俺は背を向けて部屋を出て行く。兄とは一度も目を合わせなかった。

 部屋を出る俺の後ろで兄の声がした。


「やはり、お前は弱いな……」


 ***


 早朝。曇った銀のような薄白い明るみが広がる空に、まだ朝日は出ていない。


 左腰に御室有明があるのを確認し、前日から(まと)めていた僅かな荷物を携えると、足音をたてぬようにそっと裏庭へ出た。

 このまま黙って裏門から出て行く。筈だった――


 門の扉に手をかけた時、タッタッタッと小さな足音が近づいてきたと思うや否や、何かにしがみつかれる感覚がした。咄嗟に振り返ると、俺の胴に手を回した妹が後ろに立っていた。


「兄上……! 何処へ行かれるのですか?」


 そう言って妹の手が更にきつく締められる。

 内心焦った。ここで父に見つかれば面倒なことになる。


「ちょっと出掛けてくる」


 妹の方は見ずになるべく平然を装った。が、僅かに声が上ずった。


「……帰ってきますよね?」


 そう問いかける妹の声は、今にも泣きだしそうだった。


「何を言ってる。帰ってくるに決まってるだろ」


 嘘をついた。しかも焦りからか、少々乱暴な言い方になってしまった。


「……そうですよね。ごめんなさい。変なことを聞いてお引き留めしてしまって……」


 妹がそっと手を離す。胃に重いものがのしかかったような居心地の悪さを感じた。

 俺は振り返ると、妹の顔を見る。

 妹が真っ直ぐな目で俺の顔を覗き込んだ。その瞳は潤んでいる。


(置いていかないで……)


 そう訴えかけているような瞳だった。

 自分の中で罪悪感が大きくなるのを感じた俺はそっと目を逸らす。


「いってらっしゃいませ」


 そう言って妹はそっと微笑んだ。

 無理して笑っているのは分かっていた。

 もしかしたら俺が帰ってこないことを、何処かで感じ取っているのかも知れない。


「ああ、行ってくる」


 俺はそう告げると、ぽんと妹の頭に手を置いた。


(達者でな……)


 そう心の中で呟いて。そして今度こそ、門から出て行った。

 背中から妹のすすり泣く声が聞こえてきた。


 まだ幼い妹に嘘をついた。

 ――俺は最低だ。俺は最低だ。最低だ。


 その時、裏の庭から桜の花びらが吹雪いた。俺を追い立てているのか。はたまた引き止めているのか。


 その花びらの一つ一つが、光のように様々な情景を映し出した。


 幼き頃より、兄と共に修行した庭。

 やんちゃだった妹を追いかけ回し、くたくたになったり。時には動物の死骸を埋めたこともあった。

 父に何度も閉じ込められた穴蔵。

 そして母と一緒に見た裏庭の桜。

 十六年間、過ごした屋敷。

 良い思い出の方が少ないけれども、確かに思い出は存在するのだ。


 父の怒った顔。兄のすまし顔。

 妹の泣き顔。母の笑顔――


 次から次へと思い出が頭の中を()ぎり、思わず立ち止まりそうになった。


 駄目だ。駄目だ。駄目だ。

 俺は頭に浮かぶ情景を振り切って、一切振り返ることなく駆け出して行った。


 もう二度と戻らない。そう心に決めて。

今後は、月1ペースでの投稿を

目標に励みますm(_ _)m

また1話につき、5千~1万文字くらいで

投稿していきたいと思います( ΦωΦ )

※話によっては、これより少なくなる場合もございます。予めご了承ください。

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