その漆―宗家と分家―
「この度は誠におめでとうございます」
「ご立派になられまして、おめでたい限りです」
祝言を述べながら、どいつもこいつも皆、気持ちの悪い作り笑いを浮かべている。
本心では思っていない癖に、この建前上の笑顔に反吐が出そうだ。
今すぐにでもこの場から立ち去りたいが、それは出来ない。何故ならばこのくだらない茶番劇の主役は、俺だからだ。
十三になった俺は、習わしとして先祖の名刀を譲り受ける。
今日はその儀式の為に、大勢の連中が集まっていた。更には両脇を父と兄に挟まれ、窮屈極まりないのである。
同じ動作の繰り返しで、いい加減飽き飽きしてきた所に、今度は中年の小太り男が近付いてきた。
今までの連中の中でも、一番気持ちの悪い作り笑いを浮かべた男だ。
父と年齢がそう変わらないように見えるこの男の着物には、天を翔ける龍の紋章が刻まれている。
この龍の二本足には水晶玉が握られているが、これは龍雲院での地位を示すものだ。
五本足の龍が握る水晶玉の数によって、その一族の地位が決まるのである。
五本全ての足に水晶玉が握られている紋章をもつ一族は龍雲院の中で最も高い地位を持つ者で、現在の衣笠家は二つの水晶玉だった。
つまり同じ紋章を持つこの男は、衣笠家の分家である。他の宗家と比べて少ないが、衣笠家にも幾つか分家というものは存在する。
「これはこれは龍二様!! ご立派になられましたな〜! 一昔前まではあんなに小さかったのに〜」
蝿のように両手を擦り合わせながら話す分家の男。顔脂によって気持ち悪い顔が更に浮かび上がっている。
「ふん……」
その忌々しい面を見せるな。
気分を更に害した俺は、そっぽを向いた。
「おやおや、どうやらあまりご機嫌がよろしくないようですな〜」
分家の男が苦笑いを浮かべた。
その時、隣に居た兄が淡々とした口調で言った。
「すいませんね……"愚かな"弟で」
相変わらず、俺を見下した物言いだ。
「いえいえ! では、私は席に戻りますので失礼致します」
そう言って一礼すると、分家の男はそそくさと戻っていった。
その間、隣の父は一言も発さなかった。
それもその筈、父は分家の人間を「分家の犬」と呼び、嫌っていたからだ。
『いいか。元々人間は二種類しか存在しない。上に立ち続ける者と、一生使われ続ける者だ』
それは幼い頃より、父から聞かされてきた言葉だ。
『この世の正義など力を持つ者が自分の為に作った建前。誰も他人の事など考えていないのだ。ぼやぼやしていると、あっという間に奪われるぞ。"他人の言葉は信じるな"。所詮、"この世は嘘と裏切りで作られた世界"なのだからな』
そして父は、兄と俺の顔を交互に見て言ったのだった。
『上に立つか、それとも下で燻り続けるか。お前達はどちらの人間になるべきか。言わなくても分かっておるな?』
そして兄はまんまと父に洗脳された。
地位を築き上げることにしか興味の無い、他人を蹴落とし見下す人間になったのだ。父と兄の異常な出世欲には殆呆れ返る。
しかし、"他人は信じるな"。というこの言葉だけは俺も賛同していた。普段は父の言葉など聞く耳を持たないのに、ある意味俺も父に洗脳されているのだろうか。
そんなことを思い出しながらも、儀式は滞りなく進んでいった。
そして遂に、名刀授与の儀が執り行われる。
神棚の下には、立派な刀掛け台が設置されている。
連中に好奇の目で見られながら俺はその前に正座した。全く良い見世物だ。
その後、耳を刺激する笛の音と共に、神主が一本の刀を持って現れた。
この刀が、俺の刀となるのか――
神主は丁寧に刀を刀掛け台に置くと、懐から書状を取り出し読み上げ始めた。
「衣笠龍零様の次男であらせられます、衣笠龍二様。此度、十七代目龍星様の愛刀でありました、大技物"御室有明"を授け――」
「――ぎゃああああー!!」
突然、神主の話を遮って赤子の泣き声が響き渡った。皆、一斉に声のする方を振り返る。
どうやら一番奥に居た女が抱いていた赤子が泣き出したようだ。
女が慌てたように赤子を必死にあやすも泣き止まず、場の空気は益々険悪になる。
女は申し訳なさそうな表情を浮かべると赤子を抱いて外へ出て行った。
女が出て行ったのを見て、連中がこそこそと話し始める。
「全く、こんな場に赤子を連れて来るとは。なんて非常識な女だ」
「あれはどこの一族だ?」
「……確か"花笠"だった筈だ」
「花笠といえば、最近なにかと問題視されている一族だろ……?」
「分家の恥さらし……」
あの女も衣笠家の分家なのか。
詳しくは知らないが、他の分家連中からも良くは思われていないようである。
「――ごほん!」
その時、父の咳払いによって、辺りは静まり返った。明らかに父の機嫌が良くない。
その様子に、再び儀式が続けられた。
こうして俺の元に、名刀「御室有明」が授けられたのである。
左腰に伝わるずっしりとした重み。名刀を手にしたことは素直に嬉しいし、誇りでもある。
だが同時に、愚かな一族の刀であるということに、複雑な心境を抱えていたのだった。
***
その晩のことである。
長い一日が終わり、くたびれた俺は自分の部屋に戻る。その途中で、父の部屋から声が聞こえ俺は足を止めた。
「……この度は、大変お疲れ様でございました。さぁどうぞどうぞ」
聞き覚えのある声だ。
記憶を探ると、あの忌々しい小太りの男の顔が浮かび上がり、俺は吐き気を覚えた。
間違いない。父の部屋にいるのは、あの分家の男だろう。
しかし、分家嫌いの父があろう事か自分の部屋に招き入れるとは。
立ち聞きは禁じられているが、気になった俺はその場に立ち尽くしたまま聞き耳を立てた。
「このままでは衣笠家の地位は下がるばかりだ……」
酒に酔っているのか、父の口数がいつもより多くなっているように感じた。
「それに近頃では、鷲ノ尾様に見向きもされないのだ!」
「鷲ノ尾様は誰に対しても、そのような態度だと思いますが……」
「それでは駄目なのだ! 今、この国で一番の地位を持つ鷲ノ尾様に認められてこそ、衣笠家は再び地位を取り戻すのだ!」
「しかし、どのように……?」
一時の間が空いて、器の置く音がした。
「やはり娘を作っておいて良かったな」
その意味はよく分からなかったが、なにかおぞましいものを感じた。
「お言葉ですが、少々行き過ぎなような気がしてなりません……龍一様もご立派ですし、正直そこまでなさらなくても……」
「ふん。それではまだ足りんのだ……」
「ですが、龍二様も……」
その途端、器の割れる音がした。分家の男がひっ。と小さく叫ぶ。
「その名を出すな! 酒が不味くなる!!」
「申し訳ございません!」
恐らく父が器を投げ付けたのだと思う。
「何よりあの目だ。私に対して根っからの反抗心を剥き出しにしている。あの目が気に食わん!!」
父からどう思われているかなど、分かってはいたことだ。それでも胃をぐっと掴まれるような痛みが体を走った。
「子が親の言う通りに生きるのは当然のことだろう! それをあいつは……今まで育ててやった恩を何だと思っているのだ」
「全くもってその通りでございますよ。ご苦労が耐えませんな……」
再び器に酒が注がれる音がした。
「ところで、あの花笠の件は、どうなっているんだ?」
「それが奴ら、未だに考えを改めないようでして……」
「分家の分際で、宗家に楯突くとはな……」
「全くでございますよ。同じ分家の者として、お恥ずかしい限りでございます」
「ひとまず奴らにはよく言い聞かせておけ。考えを改めないようならば、手荒な真似もやむを得ない。とな」
「はい。そのように強く警告致します故」
「断固としてさせるものか。龍雲院の"開国"など……」
内容はさっぱり理解出来なかった。それでも聞いてはいけないものを聞いてしまったような。何か不穏なものを感じた。
「――誰かいるのか!」
気配を察したのか。父の声に俺は急いでその場を立ち去った。
鷲ノ尾様。花笠。そして龍雲院の開国――
俺の頭の中では、何れもそれぞれが一本の糸のように、交わることなく平行線を辿ったままだ。
ただ、分かったこともある。
父の異常なまでの出世欲と、その為ならば自分の子でも道具として使うということ。
そして何よりも、父にとって俺は存在自体が邪魔な存在だということだ。
「ふっ……ふふふっ……」
何故か笑いが出てきた。
ここまで嫌われているとは、もはや笑えてくる。
俺はもう一度、父の部屋を振り返ると睨みつけながら呟いた。
(だったら俺も自由にやらせてもらうわ)
***
それから三年の月日が経ち、俺は十六になった。
貧相だった身体には、若々しい筋肉が盛り上がっている。
愛刀、御室有明も現在では自分の身体の一部の如く扱えるまでになった。
未だ兄には敵わぬものの、この国では指折りの強さだと思っている。
何故ならば、最近よく屋敷を抜け出しては、"腕試し"と称して街の侍達に喧嘩をふっかけているからだ。相手が自分よりも遥かに年上だろうが、一度も負けたことはなかった。
当然、国からは厄介者扱いされ、それが衣笠家の品質を落としていることも理解していた。
だが衣笠家の地位など、俺の知った事ではない。
俺は今よりも剣の腕を上げて、いつしか"最強の侍"と呼ばれるまでに上り詰めるのだ。そして父や兄を見返してやる。
その為ならば、悪名だろうが世界中に俺の名を轟かせる。
これが俺の生きる道だ。
「兄上! 行ってまいります!」
弾むように元気な高音の声。
その声の方を向くと、十になった妹が手を振り門から出て行く所だった。
六つになった頃から妹は、父の言いつけで、早朝から遅くまで、お稽古に通わされていたのだった。
「ああ」
妹とは対象的な低音の声。
徐々に大人の男の体へと変わっていく俺だが、一つだけ気に入らない所があった。
僅かながら髭は生えてきたものの、俺はこの童顔が嫌いだった。初めて会った連中から舐められるのも、このせいだろう。
もっと髭が伸びれば、口髭でも生やそうか。
僅かに生えた髭を引っ張りながら、俺は大きな欠伸をした。
ここ最近、父と兄は殆ど屋敷に居ない。妹も出掛けて、今この広い屋敷には俺一人だけなのだ。
何故に父と兄が居ないかと言えば、それはそれは大切な儀式が明日に迫っているからである。
その儀式とは、兄の十八の儀だ。
この国で男が十八になる。それは大人の仲間入りを果たすと共に、一人前の武士と認められることを意味するのだ。
儀式の中で最も重要とされる為、挨拶回りや衣装の新調など、何日も前から準備を進めているのだった。
全く、失笑してしまう。
まあそのおかげで、俺はこうして朝から裏庭の縁側で横になっていられるのだが。
もしもこれを父に見られたら、どやされるだけでは済まないだろう。
だが儀式が明日に迫っている中、今日中に父が帰ってくる可能性は少ないだろう。
俺は再び大きな欠伸をすると目を閉じた。
今日は特に何もする気が起きない。喧嘩をしたところで、どうせ俺が勝つのは分かっている。
それよりも眠い。ただただ眠かった。
そんな俺の頭上に、風に煽られた桜の花びらがひらひらと舞い落ちる。
春の暖かい陽射しに包まれ、俺は眠りへと落ちていった。
「ねぇー、ねてるの?」
その甲高い声を聞いた瞬間、俺は現実に引き戻された。
目を開け首を横にすると、大きな丸い瞳がこちらを見つめていたのである。
(うおっ!)
一瞬、飛び上がりそうになるのを何とか堪えた。
「まったく、さむらいたるものが、あさっぱらからこれでは、よもすえだな」
なんだこの糞餓鬼。
明らかに片言だが、得意げな顔で御託を並べる餓鬼。何処でそんな言葉を覚えたのだろうか。
縁側に小さな手をかけて、俺を見つめている餓鬼が眉を寄せた。
「おまえ、ほんとうにさむらいなの?」
しかも"お前"呼ばわりか。
この餓鬼、完全に俺を舐めていやがる。
そもそも一体、何処から入ってきやがったんだ。
「うるせぇな。あっちいけ糞餓鬼」
睡眠を邪魔されて気分を害した俺は、蝿を追い払うかの如く右手を払った。
餓鬼は河豚のように頬を膨らませると、ぷいっとそっぽを向く。
その時、餓鬼の腰にしている脇差が目に入った。
(この餓鬼も武家の者なのか……)
脇差を与えられている事と、その容姿で仮定するに、この餓鬼は凡そ三つくらいだろう。
それにしても、生意気過ぎるが。
「あっ! さくらだ! さくら!」
ふと風に煽られた桜の花びらを見るや、踵を返して桜樹の元へ駆け出して行く餓鬼。
全く餓鬼というものは、どうしてこうも大人しく出来ないのか。
やれやれと呆れながらも、餓鬼の背中を見送る。
ところがその着物の背に刻まれた紋章を見た途端、俺の体に激震が走った。
二つの水晶を握る龍の紋章――衣笠家と同じ紋章。
つまり、この餓鬼は分家の子供だ。
そんな俺の事などお構い無しに、餓鬼は無邪気な笑みを浮かべながら、桜樹を指差しはしゃいでいる。
「ねぇー! さくら! さくら!」
(――これは不味いな……)




