その肆―龍の兄妹―
店に戻った臣は、先程の席に目をやったが、そこにはもう別の客が座っていた。
(もう、出ていった後か……)
そう思った時、店に佇む臣に気付いた女将さんが、その巨体を揺らしながら駆け寄ってきた。
「ああ! お客さん! あのままじゃ人目に付くもんでね。お連れ様方と一緒に、今奥に入ってて貰ってるんだよ」
そうだったのか。納得した様に頷く臣。
「それにしても、度々こんなことがあるんじゃ困るんよね〜」
ふと女将さんが溜息をつきながら零した。
「そりゃあの娘は気も利くし、何より美人だからね。あの娘目当てのお客様も多いんよ。お陰で客足は増えて繁盛しちゃいるけど、あの娘がうちに来てからというもの、お客さん絡みの騒ぎも多くてね……」
確かに龍二の妹というだけあって、彼女の美貌は人目につく。
言い寄られることも少なくはないのだろう。
「看板娘って言われてちやほやされて……全く、あの娘は疫病神だよ……」
女将さんのその口調からして、あまり快くは思っていないようである。日頃から溜まっていたのか、機関銃の如く言葉を並べる女将さん。
全くおばさんという奴はよく喋る。
「いえ、こちらこそ、ご迷惑をおかけしました」
これ以上女将さんの愚痴が拡がらないうちに頭を下げる臣。
その声と態度は自分でも驚く程、冷静なものだった。
流石に喋り過ぎた。と決まり悪そうに女将さんは、店の奥へと案内した。
暖簾をくぐり抜け奥へ入ると、所狭しと物やら衣類が無造作に置かれている。休憩室みたいなものだろうと臣は判断した。
その物々に混じって、奥に座っている仲間達の姿が見えた。
気配を察知したのか、綾人が振り返った。控えめに片手を上げると神妙な面持ちで問いかける。
「臣……龍二は?」
臣は目を伏せると静かに首を振った。
「そうか……」
綾人は表情を曇らせ溜息をつく。
辺りが一段と重苦しくなった気がした。
「――あんたは、もういいから。今日は上がんな」
その空気を破るように、傍に居た女将さんが声を上げる。臣は思わず仰け反りそうになるのを何とか堪えた。
影になって気が付かなかったが、仲間達の間からひょっこりと顔を上げる女子――龍二の妹だ。
まだ若干顔色に青白さは残っているものの、大分回復した様子だった。
その姿を捉えた臣は、先程のようにまでとはいかずとも、やはり心の奥が騒めくのを感じた。
臣は不意に目を逸らすと首の後ろを掻く。
「ですが……」
「そんなんじゃ接客出来ないだろ。全く、良いご身分だこと……」
最後に皮肉を残して、ふんと鼻息を吐くと女将さんは部屋を出て行った。
「気の強いおばはんやな……」
健二郎がそっと零す。
「……すいません……私のせいで……」
疲労しきった口調で呟きながら、彼女は立ち上がると深々と頭を下げた。
「いやいや、君のせいじゃないよ」
綾人が慌てて両手を左右に振った。
「せやけど、龍二のあの目……なんや昔の頃のあいつに戻ったみたいやったな……」
健二郎は腕を組んで溜息をつく。
(…………)
一番後に仲間となった臣には、その言葉を理解することが難しかった。
『――お前が、俺の何を知ってると言うんだ?』
先程の龍二の言葉が再び頭の中で響き、臣は唇を噛んだ。
「あの……ここではゆっくりお話出来ませんので……もしも宜しければ場所を変えても?」
その時、躊躇いがちに彼女が言葉を発した。
「おう、せやな。ええぞ」
健二郎が代表して答える。
「ありがとうございます。それと……申し訳ないのですが……」
「ん? どないした?」
「その……着替えたいのですが……」
「おう、そうか。ええぞ」
「あの……」
「ん?」
「…………」
ほんのりと頬を赤らめて俯く彼女に対し、きょとんとした顔で首を傾げる健二郎。
その健二郎の脇腹を恭徳が人差し指で、つんつんと突き刺した。
「痛っ! 痛っ! なんや!」
「ちょっと、健二郎さん。少しは察して下さい……」
彼女と恭徳との間で視線を往復させる健二郎。
そして、その顔がみるみる内に赤くなった。
「え? ……あっ! いやっ! こっ、これは、ちゃう! 俺はっ……決して、そんなつもりじゃ……」
ようやく事の状況を察した健二郎は、目にも止まらぬ速さで首と両手を左右に振りながら後ずさる。
そして瞬時に回れ右をすると、残りの仲間達の背中や尻を叩いて追い立てるのだった。
「おっ、お前らも、とっとと出るで! ほらっ! ほらっ!」
「わあっ! わあっ! 押すな! 押すなって!」
(阿呆かこいつら……って、ちょっと待てよ……おいおい、このままこっちに来たら――)
危険を察知したものの既に遅し。狭い通路では避ける事も叶わず、臣は迫り来る塊と正面対峙する羽目に――
「ぐえっ」
まるで闘牛と正面衝突したかのような衝撃を食らい、臣の口から蛙のような声が漏れる。
それでも勢いは止まらず、そのまま臣ごと外へ押し出されて行った。
斯くして、危うく犯罪者になるのは免れた六人であったが。店の奥から雪崩のように転がり出てきた彼らを見て、客や店の人を唖然とさせたことは言うまでもない――
***
「なぁなぁ、臣ちゃん。ええ加減、機嫌直してくれやぁ?」
「ふん……」
彼女が出てくるのを店の外で待っている間(というより、閉め出された)健二郎はずっと臣の前で両手を合わせているのだった。
「ちょっと、僕にも謝って下さいよ」
「何でや! お前、ちゃっかり一番後ろに着いとったやんけ!」
「それにしても、"おしくらまんじゅう"なんて何年ぶりだろうな……」
直樹が首を左右に傾ける。ぽきぽきと小気味良い音が鳴った。
「SO,COOL!!」
英莉衣はこの頃、異国語を混じえて話すのが癖になっていた。
「ん? 何て言ったんだ?」
「これ最高! って感じだと思いますよ」
首を傾げる綾人に、横から恭徳が翻訳する。
「おい! こらっ! 無視すな!」
そんなたわいもない会話を繰り広げている間に、店の奥から風呂敷を片手にした彼女が出てきた。
「お待たせして申し訳ありません」
「…………」
割烹着姿から上品な着物へと身を包んだ彼女は、更に美しさが際立って見えた。
「あの……?」
「あっ、いや、何でもない。気にするな」
思わず見とれかけていた綾人達は、慌てて正気に戻る。
「そうですか……?」
彼女は困ったような、だけど何処か可笑しそうに、クスッと笑みを浮かべた。
その笑顔に、またも惹き込まれそうになる一同であった。
「改めまして、私はりょうと申します。漢字は兄と同じく"龍"と書きます」
「おりょうちゃんか。よろしくな」
綾人が右手を差し伸べ、二人は握手を交わす。
「俺は綾人。そして俺達は三代目侍だ」
「存じ上げております。兄が大変お世話になっております」
おりょうは礼儀正しく、深々と頭を下げた。
「まさか龍二さんに、こんな可愛い妹が居たなんて……」
「そういえば、あいつの身の上話なんて、聞いたことがなかったもんな……」
恭徳、英莉衣が言葉を零した。
思えばそういう話題になれば、龍二は自然と避けていたような気がする。
「あの……立ち話もなんですから、此処から少し歩きますが……私の家でゆっくりされて行かれませんか?」
「なんですと!?」
「だ、駄目ですか……?」
「い、いや、駄目じゃないけどっ、寧ろこんな大所帯で迷惑じゃないかなと……」
「いえいえ、私は一人住まいですので、大丈夫です」
「なんですと!?」
いくら兄がお世話になっているからと言って、その日に会ったばかりの男共を家にあげるなど。それはあまりにも不用心ではないか。
三代目侍に絶対的な信用を置いているのか。はたまた、ただの世間知らずなのか。
何れにせよ男は皆、狼なのだ。用心に越したことはない。
しかし、こんな美人の部屋に行くことなど、この機を逃せば一生訪れることは無いかも知れない。
いや、決してそんな卑猥なことは考えていないが。断じてない。
「ま、まあ、それならお言葉に甘えて……少しだけ、お邪魔させて頂くよ」
遂に欲望に根負けした綾人は、躊躇いがちに承諾したのだった。
他の皆は行く気満々だったようだが。
***
おりょうに連れられ、着いた先はどこにでもある長屋だった。
部屋は六畳間で、おりょうと六人が入ると余裕がない程だ。着ている着物とは不釣り合いな質素な暮らしぶりだった。
卓袱台を囲むように、六人が座ると、おりょうがお茶を持ってくる。
「申し訳ありません。こんな狭い所で……」
「いやいや、そんなことはないよ。こちらこそ、こんな大所帯で申し訳ない」
綾人が畏まりながら頭を掻く。
「せやけど、なんや意外やったな〜、おりょうちゃんのその着物といい、もっとええ所住んどると思ったわ」
「いえいえ、私はそんな……今務めさせて頂いているお店のお給金だけで精一杯ですから……」
「そうなんか? なんや勿体ないな〜、こんな美人やけん良い縁談話とか、ぎょうさんくるやろ?」
「それは……」
おりょうは苦笑するが、その顔には困惑の色が浮かんでいた。
「ほな、俺が貰ってや……ぐほっ!」
ずけずけと喋る健二郎の腹を、臣の正拳がめり込んだ。
「あの、ちょっといいか……」
ようやく健二郎を黙らせると、今まで沈黙を続けていた臣が、口を開いた。
「俺は二年間、龍二と共に過ごしてきた。それなのに、俺はあいつの事を何も知らない。……いや、知ろうともしなかった」
臣の言葉に、その場の空気がぴんと張り詰める。
「だから、教えて欲しい。いつか、あいつが俺を闇の中から救い出してくれたように。今度は俺があいつを救ってやりたいんだ」
拳を膝の上に置き、ぎゅっと握りしめる。自分でも気付かない程に、力が込められていた。
おりょうが臣の顔を見つめる。
心臓が跳ね上がりそうになるが、臣はぐっとおりょうの顔を見据えた。
「分かりました……私が知っている限りで、兄についてお話致します」
意を決したように、おりょうが言う。皆も表情を硬くして静かに頷いた。
おりょうは着物の裾を整え、姿勢を正す。潤いを含んだ真っ赤な唇から、それは語られた――
***
時を同じくして、雪の降り続く中の河川敷には龍二の姿があった。
龍二は流れゆく川の水を両手ですくい上げると、顔を拭った。
真冬の水の冷たさで赤黒く残った痣を刺激してズキズキと傷んだ。
いや、違う。この痛みは痣ではなく、心の痛みだ。
一瞬の感情とはいえ、言ってはいけない言葉を放ってしまったのだ。しかも大切な相棒へ向けて。
あの時見せた臣の哀しい表情が脳裏にちらつく。そしてまた、心の奥が刺されるように痛むのを感じた。
もしもこのまま臣に謝罪し、妹にも頭を下げたとしたら、もしかすれば以前のように戻れるかも知れない。
だがそれは、もはや叶わないことを龍二は知っていた。
臣に放ったあの言葉。きっとあれが自分の本心なのだということに、気付いていたから。
例え家族を失ったとしても、家族を愛し、愛されていた。
そんな臣が羨ましくもあり、嫉妬すら覚えていた。
そのとき龍二は不意にそう思ってしまった――
自分と臣の間には、どれだけ近付こうとも、ただ一つだけ交われないものがあることを。
"生まれ育った環境の違い"によってうまれたそれは一生、龍二には理解できないものだった。
ふとその時、水面に映ったのは顔面の筋肉を複雑に歪ませた、とても見るに堪えないものだった。
龍二は傍にあった石を掴むと、思い切り水面へ叩き付けた。
バシャンと水飛沫を上げて、水面に映った顔がかき消される。
『やはり、お前は弱いな……』
「うるさい!! 俺は弱くないっ!!」
真っ白な世界に龍二の声が谺響する。だが、この寒空の下、誰か居るはずもない。
すぐに心の中の声だと察した龍二は、全身の力が抜けたように、そのまま後ろへ倒れ込んだ。
雪の積もった冷たい地面が、龍二を迎え入れる。
目の前に広がるのは、変わらない真っ白な空。いつまでも降り続ける雪を浴びながら、龍二は静かに目を閉じた。
これは、とある侍の家系に生まれた、"落ちこぼれ"の話だ――
未だ謎の多い衣笠龍二――
彼に隠された哀しい過去。
次回それが遂に明らかとなる――




