その拾弍―赦し―
突然の臣の叫びに、周りの者達は皆、動きを止め静まり返った。
「はあっ……はあっ……はあっ……」
叫び声が止み息を荒らげながら、臣は抱え込んでいた両手を離し、顔を上げた。
その瞬間、その場に居る誰もが凍りついた――
龍二ですら、傷付けられた顔面を押さえながらも、指の隙間から垣間見たそれに一瞬たじろいだほどである。
臣のその目はこの世の者とは思えぬほどの、殺気に満ちたおぞましいものだったのだ。
――俺の大切なものを傷つける奴は許さねぇ!!
臣は獣のような瞳をまっすぐに見据えると、龍二を斬ったその男に向かって、獲物を狙う狼の如く、一直線に突進していった――
「なっ、何をしてる! 早くあいつを止めろ!!」
迫り来る臣に恐怖を感じ、焦った男が唾を飛ばしながら周りの者達に命令する。
男に言われ、周りの猛者が一斉に臣に斬りかかってきた――
しかし、臣はその猛者共の刀を受けることもしない。
何本もの刀が臣の身体を斬り裂く。
顔、手足からは血が溢れた。
それでも、いくら身を斬られようが一瞬も足を止めなかった。
もはや痛みなど感じない――
臣は周りの者達を一瞥した。
――ぞくり
その迫力に、蛇に睨まれた蛙のように皆、手が止まった。
「うわっ!! 来るな!! 来るなぁ!!」
男は恐怖で尻餅をつき、ずりずりと後ずさる。
臣は男に迫る――
眼光に映るのは、相棒を傷つけた憎き敵の姿――ではない。
俺自身だ。
大切な人を守れなかった、弱かった昔の自分だ。
「たっ、頼む!! 助けてくれ!! 命だけは助けてくれ!!」
男が片手を上げ必死に懇願する。
その顔は恐怖で歪んでいた。
――もう、誰も奪わせない!! 奪われるくらいなら奪ってやる!! 俺の生命と引き換えにしても!
「ひぃぃっ…………!!」
臣は猛刀を振りあげた――
***
「止めろ!!」
振り下ろされる直前、鋭い声と共に臣の刀が止まった――
臣が振り向くと後ろから臣の刀の柄を掴む――龍二の姿。
「何をする!」
臣はその手を振り払い、龍二と向き合うと怒鳴った。
「そいつにはもう戦意がない。ただの人斬りにはなるな」
「こいつはお前を傷付けたんだぞ!」
「俺なら大丈夫だ。このくらいの傷、痛くもなんともない。それに、これは俺の不注意だ」
そう言って自分の袖で血を拭う龍二。
そして次の瞬間、右手をサッと伸ばし臣の胸ぐらを勢いよく掴んだ。
龍二は臣を自分に引きつけ、その顔を真正面に見据えると、叫んだ。
「自分を罰するために、死ぬようなまねはするな!!」
「な……何を言って……」
「お前は今まで故郷を守る為に戦ってきたんだろう。だが、それは本当に故郷の為か? 違う! お前は自分を罰するために刀を奮ってきた。誰も救えなかった弱い自分を罰するために。違うか!」
「違……ち……が…………」
違う。と言いたかったが、言葉が出てこなかった。
――龍二の言う通り、俺が今まで斬ってきたのは敵ではなく自分自身だった。
俺が本当に倒したかった相手は過去の自分だったのかも知れない。
故郷を守る為だと思っていたが、それは自分を罰する為だったのか――。
言葉を返せずにいる臣に、龍二はそっと掴んでいた手を離すと、今度は静かに言った。
「俺もお前と同じ闇の中にいた。お前は俺なんだ」
俺の魂は闇の中を走り続けていた。ずっと。
あの日から今まで闇の中を。闇を――
だがそれは俺だけじゃなく、眼の前の相棒も同じだと言う。
「だから俺の前で、お前を死なせるようなまねはさせない」
龍二の言葉が一筋の光となり、闇に差し込んできた。
「もういい加減、自分を赦してやれ……」
その言葉は、どんな言葉よりも深く俺の心の中に突き刺さった。
――赦す? 赦す? 赦す。赦す……
誰も救えなかった自分を、弱かった自分を……ずっと赦せずにいた。
だけど、そんな自分を赦してもいいと言うのか?
闇に差し込んできた一筋の光は、やがて大きな白い光となり、全てを覆い尽くしていく。
深い闇が晴れていく――
そして真っ白になった。
真っ白になった心の中に居たのはたった一人。
屈託のない目を細くして、満足そうに得意そうに、無邪気な笑みを浮かべた少年――昔の俺だった。
幼子の俺の純白な瞳に映っているものは、家族、友達、村の皆の"笑顔"だ――
笑っている。笑っている。
皆も、そして俺自身も、幸せそうに笑っていた。
そうだ。俺が守りたかったものは桜丘じゃなく、笑顔。
この笑顔をずっと守りたいと思ったんだ。
それなのに今の俺は根本的なことを見失い、故郷を守る為だと、力と恐怖で押さえつけて、ただ人を傷付けてきただけだった。
そして、俺はまた間違いを犯そうとしていた……
――龍二が止めてくれなければ、俺はまた"魔物"に戻ってしまうところだった。
(俺は一度だけでなく、二度も龍二に助けられたんだな)
「……龍二…………ありがとう……」
そんな言葉が自然と零れていた。
気がつけば、臣の目から一筋の雫が頬を伝っていった。
――やっと気づいた大切なこと。
ずっと長い間、闇に埋れていたもの。
龍二、お前が思い出させてくれた。
(俺はようやく救われた……)
臣の手から刀が離れ、音を立てて落ちた――
「舐めやがって……!!」
その時、臣の動きが止まったのを見て、再び勢いを取り戻した男が、臣と龍二共々斬り捨てようと、刀を振るった――
「――うぐっ…………!!」




