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最終話 それぞれの夏

 八月になった。

 夏本番を迎え、汗ばむ陽気が一日中続く。

 公園ではセミの音が鳴りやまず、アスファルトの街路からは陽炎がたちのぼる。

 肌を焼くような強い日差しに、日傘を差す主婦や、ハンカチで額の汗をぬぐうサラリーマンの姿がそこかしこで見られる。

 今年の夏も暑くなる。そう予感させるだけの高い気温が、快晴の町を包んでいた。


 雄斗ら高校生にとって、夏は特別な季節だ。

 夏休みという長期の休暇が、それを最も象徴している。

 雄斗の通う椥辻学園はすでに一ヶ月間の休みに入っており、友人と遊びに行く計画を立てる者もあれば、夏の大会に汗を流す者も、受験勉強に精を出す者も、一日中家の中でだらだらと過ごす者もいた。

 生徒が通学から解放され、思い思いの生活を送ることができる季節。それが夏。


 懸念されていたいくつかの事柄を乗り越え、イオネラは元の体に戻ることができていた。

 ミヤワキ教授の記者会見の二日後、月森先生は約束通り亜斗蘭逓州大学からバイオロイドを取り戻してくれていた。

 以前、雄斗とイオネラの検診を行った椥辻学園の研究棟で、雄斗の体を借りたイオネラは、ツグミとともにバイオロイドと再会した。

 その部屋には月森先生のほかに一人、バイオロイドの開発を彼女と一緒に手掛けたという研究者がいた。

 上條エレナと名乗るその女性は、イオネラに会うとすぐ、ミヤワキ教授のいる亜斗蘭逓州大学はもう二度とイオネラを追跡することはないと伝えた。

 そしてその代わり、バイオロイドの体を研究のため定期的に検診したい旨をイオネラに打診してきた。

 初対面ではあったが、エレナは月森先生の元同僚であり、少なくとも研究者としては信頼できそうな人間に見えたことから、イオネラは彼女の提案を受け入れることにした。

 それはイオネラ自身、自分の体がどうなっているのか知りたいという考え、そしてこれ以上自分の体のことで雄斗に迷惑をかけたくないという思いからでもあった。


 約束を交わしたイオネラは、用意されたバイオロイドの体に自分の魂を移した。

 体の乗り換えはあっさり成功し、イオネラは再びバイオロイドを自分の体として動かすことができるようになった。

 月森先生の保存していた血液がすでにバイオロイドの体に巡っていたおかげか、魂を移した瞬間からイオネラの魔力は回復した。

 体もイオネラ本来の姿を幻影魔法なしに取り戻すことができ、彼女は胸をなでおろしたのだった。

 そして雄斗は――

 イオネラが魂をバイオロイドに移してから数分後、白いベッドの上でゆっくりと目を覚ました。

 イオネラに残り少ない血を吸われたことで瀕死に陥っていた雄斗の魂は、イオネラが窮地をつないでくれたおかげで、消え去る寸前でとどまっていた。

 その後、イオネラが雄斗として生活する中で、弱っていた魂は徐々に治癒し、もうイオネラの魂の居場所がなくなるくらいの大きさにまでなっていた。

 それでもイオネラがそう感じていたというだけで、周りの人間からは雄斗の魂がどうなっているのか、イオネラがバイオロイドの体に戻れば本当に息を吹き返すのか、見当がつかなかった。

 だが雄斗が雄斗として目を覚ましたことで、はじめて彼が帰ってきた実感を得ることができたのだった。


 ベッドの上で目を開け、そっと上体を起こした雄斗は、周りにいた月森先生、エレナ、ツグミを順番に見回した。

 そして最後に、左の脇にいたイオネラと目が合うと、小さく笑みをこぼして言った。


「――俺、助かったんだな」


 気が付くと、イオネラはうるんだ瞳のまま、雄斗に思い切り抱き付いていた。


「ユウト!!」


 いきなりとびかかられた雄斗は、そのまま後ろにあった壁に「ゴン」と頭をぶつけた。


「ユウト、よかった……。全く、心配させよって! もし魂の回復が足りず、おぬしの意識が戻らなかったらどうしようかと思っておったのじゃ。どうやら取り越し苦労のようじゃったな。本当によかった――ユウト? どうしたのじゃ、返事をせい。ユウト……ま、まさかユウト!? いま目を覚ましておったではないか! どうしてまた意識を失っておるのじゃ! ユウト! ユウトー!!」


 自分が失神させたことに全く気付かず、雄斗の肩を激しく揺さぶるイオネラ。

 苦笑しながらツグミが止めるまで、目をくるくるさせた雄斗の顔をイオネラは必死になってひっぱたいていた。

 そんなこともあったが、雄斗は無事、生還することができたのだった。


 次の日から、雄斗らは以前の通り、普段の生活を始めることができた。

 もう吸血と貧血に悩まされることはない。大学から追われる心配もない。

 三人が望んでいた理想の暮らし。

 雄斗が食事をつくり、ツグミが食器を片付け、イオネラはそれを「主として」当然のように享受する生活。

 尊大な態度のイオネラに、雄斗が口を挟み、また二人で言い合いが始まる。それをツグミは楽しそうに眺める。

 いままで通りの光景が、そこにはあった。

 ただひとつ違うのは、雄斗がイオネラの下僕ではなくなったことだった。






「ミナミナの昼なま、ブルースカイ・クロニクル! 吸血貴族がまるっと解決! 五十字限定お悩み相談~♪ パチパチパチパチ!」


 日曜日。快晴の空が広がる昼下がり。

 ミナミナは毎週続けているワイワイ生放送の番組「ミナミナの昼なま、ブルースカイ・クロニクル!」に、今日も最高のテンションで出演していた。

 いつもと同じ十畳一間のマンションの一室で、高めのイスに座り、パソコンに取り付けられたカメラの前で楽しそうにひとり拍手するミナミナ。

 そして彼女の向かいには、もうひとりの出演者――イオネラの姿があった。

 カメラのレンズを通しても姿の変わらない、幻影魔法で装ったのではない、完全なイオネラが。


「今日も『ついったあず』で寄せられた五十字以内のお悩みを、みんなの主・イオネラ=シェーンベルク様が一分間で答えられるだけお答えするよ。それじゃあさっそくいくよ~? あーゆーれでぃ? ごー!

『友だちの彼氏を好きになってしまいました。だれにもいえません。どうしたらいいでしょう』」


「二人の仲を見守り次の恋を探すのが吉」


「『勉強が嫌いです。でも成績が悪いと親にしかられます。どうすればいいでしょうか』」


「嫌いなら嫌いなりの付き合い方がある。それを会得するよい機会と思え」


「『彼女と仲直りしたいのですが連絡をとってくれません。何かプレゼントとかした方がいいでしょうか』」


「奇をてらわず連絡を取り続けよ。その情熱自体が相手への贈り物じゃ」


「『今度演劇の発表会があります。優勝したいです。イオネラ様の助言をぜひ!』」


「自分以上のものを見せる必要はない。いつも通りの演技をすることだけ考えよ」


「『ミナミナのことが好きすぎて他のことに手が付きません』」


「ミナミナのために、他のことに手を付けるのだと考えよ」


「『なにもやる気が出ません』」


「生きていることと死んでいないことは違う。生きよ」


「はい、ここまでー! イオちゃんの答えはみんなのハートの処方箋になったかな? ねえイオちゃん、ところで最後のコメントはどういう意味?」


「生きているということは、何かにときめきを感じているということじゃ。それがなくただやる気がでないというのは、死んでいないだけで生きているとはいえぬ。死人と同然じゃ。じゃが人間とは不思議なもので、命があれば何かに興味がわくようにできておる。自分の心の声に耳を傾け、何に自分の胸がときめくのか必死に探すことが肝要じゃ」


「なるほど~。ときめきが見つかればおのずとやる気がわいてくるわけだね。さすがイオちゃん! それじゃあ次回もお楽しみに~! っていうかイオちゃん、毎週レギュラー出演してよ~」


 19Kへの加入を蹴ったことを城山公園の生中継で発表してから、ミナミナに対する世間の注目度はが然上昇していた。

 マスコミはミナミナの意外な決断に特集を組み、ファンはそんなミナミナを以前にもまして熱狂的に応援した。

 その後出演したテレビ番組で、ミナミナは堂々と宣言していた。


「私、ミナミナは、たくさんの人たちに夢を与えられるような、日本一のアイドルを目指します!」


 19Kのメンバーに入ることがアイドルとしての最高の理想だという世間のイメージに正面から対抗する形となった彼女には、懐疑的な意見や批判めいた声も多く集まった。

 事実、19Kに入らずしてどうやって日本一のアイドルであることを証明するのか、という問題もあった。

 だがそれらも全て含めた意味で、彼女の注目度は上がり続け、いまやテレビに雑誌にネットにラジオと、さまざまなメディアに引っぱりだこになっていたのだった。


 そこへもってきて、イオネラの出演である。

 以前ワイワイ生放送に登場した際は、脱走したバイオロイドに似せた変装をしている外国の貴族、と説明されたものの、さすがに疑惑の目があった。

 だが現在は「本国からの許しが出て顔出しOKになりました~♪」とのミナミナの紹介により、正真正銘、本来の彼女の姿がネット回線を通じて視聴者に伝えられていた。

 イオネラは以前と同様、設定とは思えないほど完璧な高貴キャラを演じ(本人には演じている意識は皆無だったが)、コメントを寄せる入場者らを徐々にひざまづかせることに成功していた。

 そんな彼女の話題性も手伝い、結果的にミナミナの番組の入場者数は以前の三倍強に膨れ上がっていたのだった。


 放送を終え、ミナミナはパソコンの画面に映し出された今日の入場者数とアクセス数を眺め、さきほどまでの放送の内容をふり返った。

 先週と比べても大幅に増加している入場者。だがミナミナは心の中で首を振った。

 まだだ。

 まだこんなところで満足しちゃいけない。

 たくさんの人に夢を与えられるアイドルに――19Kに入らなくても、ミナミナが一番だってみんなに言ってもらえるようなアイドルになるまで、走り続けるって決めたから。

 改めて決意を固めたミナミナは、近づいてきたイオネラに気づくと、一転して明るい笑顔になった。


「イオちゃん、今日もありがと~♪ ねね、このあと時間ある? じゃあ久しぶりに『ホワイトテイル』にいこうよ。今日はユラもエリちゃんもいるはずだから」






 生放送を事務所のパソコンで視聴していたミナミナのプロデューサーは、興奮した様子で力いっぱい拳をにぎりしめていた。

 その視線の先にはミナミナ、ではなく、イオネラの顔があった。


「やっぱりイオちゃんのキャラはアイドル向きや。わいの目に狂いはない! わいはあきらめへんで……絶対にイオちゃんを、アイドルに仕立て上げたるからな!」


「アイドルに興味のない子を無理やり引っぱりこむ癖、そろそろやめた方がいいと思うんだけど」


 あきれたように苦笑していたのは、彼の後ろにいた愛奈。

 彼女の薬指には、少し前までは見られなかった光り輝く銀色のリングがはめられていた。






「おかえりなさいませ、イオネラさま、ミナミナさん。どうぞこちらへ」


 メイド長・ユラの出迎えにより、二人は「ホワイトテイル」の店内に入った。

 学生が夏休みを過ごしている期間、店内はほぼ毎日、若い客でごった返していた。

 ミナミナの人気とともにこの店の存在も認知されるようになり、夏休みを迎えてからは一見の客も多く訪れるようになっていた。

 メイドたちが忙しく立ち回る中、メイド長であるユラだけはいつも通り落ち着き払った様子で、全ての客から注目の視線を浴びるミナミナとイオネラを奥の席に案内する。

 それはさながら、中世貴族の屋敷を歩く主とその友人、そして従者の光景だった。


 ユラとともにミヤワキ教授らと壮絶なバトル(という名の一方的な攻め)を繰り広げたスタッフらは、何事もなかったかのように「ホワイトテイル」のメイドとして、毎日つつがなく働いている。

 アン、チェリー、レイカのバトルメイド三人組も、おのおの得意の武器をふり回し大の男をバタバタと倒していたことなど、いまとなっては想像もできない。

 だがメイド長のユラは「もしイオネラ様やミナミナさんがまた乱暴な男どもに追われるようなことがあれば、私の岡本一条流杖術でたたき伏せますから、いつでもお申し付けくださいね」と、かなりアグレッシブな内容の言葉とは裏腹なやわらかい笑顔で申告してくれたのだった。

 席についた二人と少しのあいだ雑談を交わすユラ。その背後から、一人のメイドが顔をのぞかせた。


「あー、イオネラさま、何で今日は雄斗君同伴じゃないんですかぁ」


 いたずらっ気に満ちた目でやってきたのは、小柄で勝気な丸顔のメイド、エリだった。


「前みたいに二人で来てくださいよぉ。エリがLOVELOVEデザインカプチーノの腕をふるうチャンスがないじゃないですかぁ。……えっ、これから雄斗君と? 城山公園に? えっ、えっ、それってデートじゃないですか!? ならなおさらうちに来てくださいよぉ。なんでホワイトテイルでデートしてくれないんですかぁ。超ショックなんですけど」


 子どものようにほおを膨らませて抗議の意を示すエリだったが、それからすぐにイオネラは時間が来たと言って席を立った。


「イオちゃん、もう時間? え~、なんだぁ……でもデートならしかたないか。うん。また今度ゆっくりね。あ、来週もミナミナの青クロ出てね! イオちゃんあてのお悩み相談ついーと、たまりにたまって大変なんだよ~」


 そう言うミナミナの言葉を背に、やや慌ただしく出ていくイオネラ。

 その後姿をながめながら、エリはため息をついた。


「はぁ……雄斗君、イオネラさんとデートかぁ。仲いいんだろうなぁ……」


 どこか愁いのこもったエリの視線を見つけ、ミナミナが口を開く。


「あれ、もしかしてエリちゃん、雄斗君のこと気になってる?」


「えっ……? ま、まさかそんなはず、あるはずがないわけじゃないこともないじゃないですかぁ~。なに言ってるんですかミナミナさん」


「なに言ってるのエリちゃんこそ。あ、さては動揺してる?」


「動揺なんてしてないですよぉ。ミナミナさん考えすぎですってーハハハ」


 営業スマイルは得意なのにウソをつくのは下手なんだなとミナミナは可笑しくなった。

 エリはひととおり笑ってから、ぼそっとつぶやいた。


「――でも、雄斗君があの日、イオネラさんを助けようと必死になってスーツ男たちに抵抗していた姿は、ちょっとだけカッコよかったと思いますけど、ね」


 エリの言葉に、ミナミナも納得したようにうなずいた。

 雄斗君はたぶん、大切なもののためなら、後先考えずに突っ走る人なんだよね。

 そう思いながら。






〈今日もたっぷり濃い放送でワロスw〉


 ミナミナの「青クロ」を視聴し終え、自室にいたツグミは慣れた手つきでゲーム用の大きなマウスを操作する。

 パソコンの画面には「ついったあず」の表示。

 ツグミはすばやくキーを打ち、番組の感想を書きつづっていた。


 CSOクライシスソード・オンライン第三部の最高位魔術師、かつ一番乗りでエンディングを迎えたパーティを率いていた「クローディア」ことツグミ。

 CSOで妖精の声優を務めているミナミナは、何度となく彼女に「青クロ」への出演を依頼していた。

 だがツグミは頑なに出演を拒んだ。「ネット上に顔出しして目立つといろいろ面倒だから」というのがその理由だった。

 とはいえ、いまだ桃色の髪に赤と青のオッドアイの瞳は続けていたから、特に学園での注目度は日増しに上がっていた。

 ツグミはそんな好奇に満ちた周囲の視線を気にせず、友人らとマイペースな学校生活を送っている。

 それは、自己を確立し、多少のことではぶれなくなった彼女の心の強さの表れだった。


 CSOの元パーティメンバーとも、いまだにつながっていた。

 先日も、イオネラの捜索で活躍したノボル、シルフィ、ふつつかの三人とのあいだで、またオンラインゲームのパーティを組もうかという話が持ち上がった。


〈今度はほのぼの系がいいな。なんかこう、ギスギスしてないやつ〉とノボル。


〈いやいや! ぜったいCSO第四部! またみんなでトップパーティ目指そ!〉とふつつか。


〈シルフィはクロたんとプレイできればなんでもいいよ。もちろんゲームじゃないプレイでも!〉とシルフィ。


〈どういう意味だこのド変態!〉とクローディア。


 シルフィはミナミナとクローディアとのワイ生での共演を心の底から望んでいたが、それをかなえるのがしゃくにさわることもミナミナの生放送に出るのを断っていた理由の一つに、一応なっていた。

 だが――

 この会話自体が、ネットという言語世界でかわす会話が、ツグミにとっては毎日の刺激になっている。

 それは高校で過ごす親しい友人との開いた会話とは異なる、彼女の閉じた意識に響く刺激。

 ツグミは最近、考えていた。

 あのとき――自分の過去を打ち明けたとき、イオネラに言われたことをふり返りながら。




「仮想空間での活動を止めろとは言わぬ。目に見えぬはるか遠くの者とできる絆もあるじゃろう。じゃが、そなたのために毎日働いている者の気持ちも少しは理解してはどうか? 毎日料理をつくるということは、並大抵のことではないのじゃぞ? もちろん、そなたの体を気づかってのことじゃ」




 あのときの自分は、兄のことをおざなりにしていた。

 一緒に暮らす者の想いよりも、ネット上の見えない人達との絆を大切にしていた。

 ただ、それが間違っていたとは思っていない。

 正確には、半分だけ――ネットで知り合った人との付き合いを重視する、という部分は。

 もちろん、ともに住む兄や学校の親友と向き合うことは大事だ。

 でも彼らと、ノボル、ふつつか、シルフィを比べることはできない。

 それぞれは同じ人間であるけれども、付き合い方は全く別のものだから。

 自分がいっしょにいて感じる「楽しい」の種類が、全く別のものだから。

 そしてできるなら――

 できるなら、これからも両方を大切にしていきたい。

 どちらを失っても、いまのツグミという人間は存在し得なかっただろうから。


〈そういえば、あの怖い怖い吸血鬼のお姉さまはいま何してるの? 今日も青クロで大活躍だったけど〉


 ふつつかからついーとが送られてきた。

 彼女は城山駅前で吸血衝動真っただ中のイオネラに会って腰を抜かしてから、イオネラのことを「怖い怖い吸血鬼のお姉さま」と呼んでいた。

 ツグミはそのつぶやきに、半分にやつきながら返信ボタンを押して、メッセージを打ち込んだ。


〈いまお兄ちゃんとおでかけ中。いわゆるデートってやつかな〉






「よし、十分間休憩!」


 椥辻学園第二高等学校。

 夏休み中の校内は、部活動にいそしむ生徒ばかりが目立つ。

 そのやや奥まったところにある弓道場の外で、道着袴姿の大翔は汗だくの部員に大きな声で指示した。

 弓を引く前の筋力トレーニングから始まった今日の弓道部は、いつもにもまして気合の入った大翔により部員全員がへばっていた。


「もうむり……もう腕上がんない……腕立て伏せやりすぎだよ大翔……」


 泣きそうな顔で抗議する小詩に、自分も汗だくの大翔は平然さを装って答える。


「何言ってんだ。夏の大会で優勝するには、まだまだこんなもんじゃ足りないって」


「そう思ってるの大翔だけだよ……。雄斗がいれば『疲労がたまるだけのトレーニングなんて全く無意味だ』って進言してくれるのにな~」


「いちいち雄斗を引き合いに出すんじゃねえっての。ほら、休憩あけたらもう一セットやるからな」


「えー、本気? 大翔、ガンバリズムが過ぎるよ……」


 そんな彼らのもとに、マネージャーの鞠が水の入った紙コップをたずさえてトコトコとやってきた。

「どうぞ……」と、聞こえるか聞こえないかという小声でつぶやきながら二人にコップを渡す。

 その後、忙しそうに立ち回りながら部員にコップを手渡していく彼女の姿をながめ、小詩は大翔に訊いた。


「……ところでさ、鞠ちゃんと最近、どうなの?」


「どうって?」


「仲は進んでるのってこと。最近、二人で帰ることもあるんでしょ」


「まあそうだけど、それ以外は別に。変化なし」


「えー。好きなんでしょ? じゃあとりあえず告白してみたら」


「ああ。だから今度の大会で優勝したら、告るって決めた」


「なんだ、そういうこと。だからこんなに練習が厳しいんだね。納得したよ」


「いや、納得すんなよ……。俺個人の事情で部員まで鍛え上げるつもりはねえっての」


「でも実際、大翔のやる練習をみんなもやるわけだからね。はぁ。雄斗がいれば『お前の色恋ざたに俺たちを巻き込むな』って進言してくれるのにな」


「だからいちいち雄斗のことを出してくんなって。小詩もいい加減、あいつの記憶から離れろよな……」


 うんざりしたように話す大翔。

 その言葉に、小詩は少しだけ真面目な顔つきになった。


「うん。そうだね。僕、もっとしっかりしなくちゃいけないんだよね。雄斗を見習わないと」


 小詩は言いながら、イオネラを捜すために貧血状態のまま必死に町をかけまわっていた雄斗のことを想った。

 雄斗を弓道部へ連れ戻そうと、そればかり考えていた小詩。

 でも本当は、弓道部にいたころの雄斗の記憶にすがろうとしていただけなのかもしれないと、彼は最近気づき始めていた。

 いつまでも、雄斗に頼ろうとしちゃだめだ。

 自分が雄斗の代わりに――大翔とともに、この弓道部を引っ張っていかないと。

 雄斗が暗い過去と向き合い、大翔と仲直りしたように、自分も自分の殻を一歩、破らないといけない。

 そう考え、小詩は小詩なりに、この夏の部活動に決意を固めていたのだった。


 しばらく無言が続いた後、思い出したように、大翔が口を開いた。


「そういや、雄斗はいまどうしてるんだ。入院したってのは聞いてたけど」


「あれ、気になるの? やっぱり心配してるんだね」


「ち、ちげーよ。心配なんてしてねえし。ただちょっと気になったっつーか……それだけだし」


「いいツンデレ具合だね! 大翔のそういうところ、かわいいよ」


「だれがツンデレだ! ったく……で、どうなんだよ」


「うん。もうとっくの昔に退院して元気だよ。いまごろデート中じゃないかな」


「そうか。デート中か。なら安心した――で、デート!?」


「大翔、期待した通りのリアクションだね。僕も話しがいがあるよ」


「んなことどうでもいい。だれと? どこで?」


 なぜか食いついてくる大翔に、小詩は少しだけ可笑しい気持ちになっていた。

 鞠ちゃんのことを意識しているのかな。そんなことを想像しながら。






 緑の草と老齢の木に覆われた丘の上。

 裏にある林にはかつて神社があり、その周辺の木はご神木として伐採されずに古くから守られていた。

 現在は社が廃れてしまったものの、山裾のあたりはその直後に公園化され、丘の上の木は伐採されずにいまもなお生き続けている。


 城山公園は夏休みを迎え、休日ともなると多くの人が芝生広場や周辺の施設を訪れていた。

 そんな喧騒から離れ、公園のはずれにある坂をのぼり、道の途切れたその先に進むとある、街を一望できる場所。

 ここで、雄斗とイオネラは隣り合って腰を下ろし、遠くの景色を気持ちよさそうにながめていた。


「やはりここが一番じゃのう。心が落ち着く」


 大きく息をついてから、イオネラは後ろ手に上体を起こし、足を思い切り伸ばす。

 イオネラはいつもの赤いジャケット姿ではなく、白のフリルつきシャツに桃色のカーディガン、下は先日購入したばかりの赤黒チェックのプリーツスカートを身に着けている。

 そんな彼女を見て、ホワイトシャツにチノパン姿の雄斗は声をかけた。


「土の上にじかに座ったら、服汚れねえか」


「そんなことを気にしていては、森では暮らしていけぬ。おぬしはアスファルトジャングルに慣れきっておるから、そのような軟弱な心になってしまっておるのじゃ」


「いや、別に俺はいいんだけど……ってか森で暮らす気はねえし」


 雄斗もイオネラの方を一瞥してから、すぐに視線を広い街と青い空の方へ移した。

 天候は、ところどころ薄い雲が見えるくらいの晴れ。

 イオネラを捜しにここへ来た時は一日中雨だったなと、雄斗はいまだ鮮明に残る記憶を掘り起こした。


 雄斗が退院し、イオネラの体についても月森先生らと話がつき、すべての物事が一段落したとき、雄斗はイオネラに提案した。


「気晴らしに、どこか二人で出かけるか」


 それを聞いたイオネラは、一も二もなく「城山公園」と答えたのだった。

 ミナミナの生番組への出演が終わり、少しだけホワイトテイルにいた後、イオネラは雄斗と駅で落ち合った。

 そこから電車に乗って城山公園へ。

 ここひと月でもう三度目になる。イオネラはよほどこの場所が気に入っているんだなと、雄斗には思えた。


 公園に着くと、雄斗は家からもってきたフリスビーを取り出した。

 以前マジックテープラケットでキャッチボールをしようとしてイオネラが木を一本倒してしまった反省をふまえ、芝生広場で遊ぶのにイオネラにもできる安全なものをと、雄斗が前もって用意したのだった。

 フリスビーはやわらかい素材でできており、イオネラがマイトの魔力を使ったところで木を破壊することはないだろう。雄斗はそう考えていた。


「なんじゃこの円盤状のものは。こんなものでどうやって遊ぶというのじゃ」


「まあ、みりゃわかるって。いくぞ」


 そう言って雄斗が投げると、フリスビーは空中を滑るようにイオネラの方へ向かって飛んでいく。

 フリスビーというものを生まれて初めてみたイオネラは、その奇妙な飛び方で接近してくる円盤状のものを思わずエアカッターの魔法でたたき落としていた。


「あっ」


 芝生に落ちたやわらかいフリスビーは無残にも真っ二つに切り裂かれていた。


「イオネラ……お前、どういうつもりだよ……!」


「おぬしこそどういうつもりじゃ! 吸血貴族であるわらわに向かっていきなり不可解な物体を投げつけてくるとは……。これのどこが遊びなのじゃ! 危ないではないか!」


「それを受け取って投げ合う遊びなんだよ! いきなり魔法で切り付けるとかやりすぎだろ!」


「それならそうと最初から言ってくれればよいものを! 万一刃でもついておったらと思い反射的に攻撃してしまったではないか!」


「刃のついたものを投げるわけねえだろ! ってか反射的に切るとか、お前の方がよっぽど危険じゃねえか!」


「なっ! わらわに向かってそのような無礼なことを……! もはや許せぬ! おぬしは再び下僕に格下げじゃ!」


「ああ上等だよ! もうイオネラをこの公園になんか連れてこねえからな! ってかお前とはもうどこにも出かけねえよ!」


「下僕のくせに生意気な! わらわこそおぬしなんかと外出するのは金輪際ごめんじゃ!」


「それはこっちのセリフだっつーの!」


「なにを!!」


「なんだよ!!」


 そこまで言い合って、二人は芝生広場にいた大勢の人たちから注目の視線を浴びていることに、ようやく気が付いた。


「……ユウトよ、ここは一時休戦したほうがよさそうじゃ」


「あ、ああ。とりあえず丘の上にでもいくか」


 こうして二人は破れたフリスビーを拾うと、そそくさとその場を抜け出したのだった。


 いまの場所にくる途中、イオネラがあの日、身を潜めていた木の洞のそばを通った。

 そのまま通り過ぎるのも何となく気がひけたので、二人は近づいて中を確かめてみた。改めてみると、やはり狭い。

「この中に入ってたんだよな……」と雄斗がつぶやくと、イオネラもうなずく。

 ふり続ける雨の中、この中で足をからませながら抱き合っていたことを思い出して、二人はやや気まずそうに顔を赤くする。

 そして何も言わず木を離れると、その奥にある、街を一望できる場所までやってきた。


「またここに戻ってこられて、本当によかったよ」


 感慨を込めて、雄斗はそうつぶやいた。

 ミヤワキ教授に追われながら、イオネラの姿を捜したあの日。

 ひどい貧血状態からくる鳴りやまない頭痛の中、雄斗は周囲の人達の協力により、奇跡的にイオネラの居場所までたどり着くことができた。

 そしてイオネラに最後の血を提供し、そのまま彼は意識を失った。


「全く……『絶対に耐えてみせる』と言うておったのに、おぬしがあまりにあっさりと気を失ったものじゃから、わらわはがっかりだったぞ」


「またその話かよ……。でも魂は残ってたんだろ。いつもの俺だったらすぐに死んでいたかもしれないし、そう考えればよく耐えたほうだと思うけどな」


「他人事のように言うでない。パートナーが心配しているというのに、おぬしは本当に冷たいやつじゃ」


「仕方ねえだろ、意識が無かったんだから。結果的に生き残ったんだからいいじゃねえか」


「よくない。わらわがあのとき、どれだけおぬしのことを心配したと思っておるのじゃ。わらわはユウトが自分のせいで死んでしまったのかと思ったのじゃぞ」


 イオネラは声をふるわせながら、雄斗へ紅く輝いた瞳を向ける。

 感情を高ぶらせている彼女の様子に気づき、雄斗は態度を改めた。


「……ごめん、イオネラ。そうだな。言い訳なんてできねえな。イオネラをそれだけ心配させておいて」


「全くじゃ。おぬしはパートナーとしての配慮が足りぬ」


 むすっとした顔で不満そうに話すイオネラに、雄斗はそっと言った。


「……格上げしてくれたんだな、イオネラ」


「格上げ?」


「俺のこと。下僕じゃなく、パートナーって呼んでくれてる」


「……おぬしなど、すぐに下僕へ格下げじゃ」


「……もしかして、まだ怒ってる?」


「別に。怒ってはおらぬ」


「怒ってるだろ」


「怒っておらぬ」


「謝るから」


「怒ってないと言っておるじゃろう」


「ごめん、イオネラ。この通り」


 頭を下げる雄斗に、イオネラは大きくため息をついた。


「……やはりおぬしは、パートナー失格じゃ」


 完全にへそを曲げた様子のイオネラ。

 三角座りのままひざを抱き、視線を遠くへ投げ始める。

 雄斗は困った表情のまま、謝るのをあきらめざるを得なかった。

 考え直した雄斗は、しばらくしてから、静かに口を開く。


「――でも、イオネラには感謝してる」


 雄斗の言葉にも、イオネラはじっと正面を見つめたまま。

 かまわず、雄斗はしみじみと語った。


「あのときも言ったけど――イオネラがいなかったら、俺はいまも無気力なままだろうし、ツグミも部屋に閉じこもったままだったと思う。ミナミナやユラさんらと知り合うこともなかったし、弓道にも背を向けたままだった。イオネラが俺の前に現れてくれたのは、いま考えても奇跡だったと思ってる」


 まあ、現代に吸血鬼がよみがえること自体が奇跡的なんだけど、と雄斗はつけ足して自嘲ぎみに笑った。


「イオネラに感謝してるのは、俺だけじゃない。ツグミだってミナミナだって、みんなイオネラのことが好きで、イオネラのおかげで変わることができたって、感じていると思う。だからあの日、俺はいなくなったイオネラを見つけ出すことができたんだ。小詩だって、月森先生だって――だれか一人が欠けても、俺はイオネラのいる木の洞にたどり着くことはできなかった。みんな、イオネラにこれからもずっといてほしいと願っていた。だから――」


 雄斗はイオネラへ向かって、はっきりと口にした。


「自分がいないほうがいいとか、いるべきではないなんて、思わないでほしいんだ。吸血鬼だからとか、そんなこと関係ない。イオネラはもう、俺たちの中でかけがえのない存在になっているから」


 雄斗は心の底に横たわっていた素直な気持ちを、ありのままイオネラに伝えた。

 イオネラが現代によみがえってから、まだ三ヶ月と少し。

 その短い期間に、イオネラは周囲の人の記憶に深く残る大切な存在となっていた。

 それはイオネラが狙ってやったことではない。彼女はただ自分らしく振る舞い、自分の考えに従い行動していただけ。

 ただ、イオネラ=シェーンベルクというひとりの人間性に強く惹かれるものがあったからこそ、周りの人間は彼女のことを好きになり、応援したいと思うようになっていったのだった。


 そんな考えを表した雄斗の言葉に、だがイオネラは、首を小さく横に振った。


「……ユウトは勘違いをしておる」


「勘違い?」


 するとイオネラは、独りつぶやくように話した。


「感謝しているのは、むしろわらわの方じゃ。右も左も分からぬこの現代のニホンという国で、本当なら復活してすぐ血が欠乏して倒れていたかもしれないところを、おぬしという人間に出逢えたことが、わらわにとって一番の奇跡なのじゃ。他の者は、わらわが仲良くしたいと思い、自ら人脈づくりに励んだ結果のこと。じゃがおぬしだけは――おぬしだけは、ただただ出逢うことができた自らの運命さだめに感謝するしかない」


「イオネラ……」


 そのときようやく、イオネラは雄斗を横目で見やった。


「ユウトに出逢えてよかった。わらわは神を信じてはおらぬが、もしこの世にそういう存在があるのだとしたら、その何かに感謝せずにはいられぬ。そしてわらわの方こそ、これからもずっと、おぬしらと一緒にいられればと思っておる」


 イオネラの視線が、雄斗のそれと絡み合う。

 彼女の心の中にあった不安の原点。

 知らない世界に足を踏み入れた恐怖。

 だれも知る者のいない時代と国で、自分の存在価値を失った恐怖。

 そんな彼女の揺れる気持ちが、雄斗には理解できた。


 貴族らしく、高いプライドを振りかざして気丈にふるまっていたイオネラ。

 だがその一枚下には、常に言い知れない不安が付きまとっていたのだろう。

 イオネラはなお、不安そうな表情で口にした。


「……明日は、大丈夫じゃろうか」


 明日。

 雄斗の両親が、海外から帰国する。

 彼の嫌っていた父親が、家に帰ってくる。

 もし帰ってきて、イオネラの姿を見たら、父は何というだろうか。

 彼女の魂は吸血鬼、体はバイオロイドですと言って、父はどう反応するだろうか。

 これからも一緒に住みたいと言って、父は許してくれるだろうか。

 だが雄斗には、不思議と確信があった。


 理屈っぽく、合理性の塊みたいな父が、魔法だの魂だのといったことを信じてくれるはずがない。

 父親のことを話した際、イオネラが心配したのはその点だったし、雄斗もそれについて説得することは端からあきらめていた。

 それでも雄斗は、父がイオネラのことをたぶん認めてくれるだろうと思っていた。

 なぜなら、彼女のことを証言してくれるのは、雄斗だけではないからだった。

 ツグミも、ミナミナも、小詩も、月森先生ですら、話を求められれば、イオネラのことについて真摯に答えてくれるだろう。

 科学的な理屈よりなにより、周りの人間がイオネラのことを認めている、その事実が最も説得力をもつと雄斗は思っていたし、おそらく父もそう考えると雄斗は信じていた。

 大事なのは、イオネラが何者かではなく、イオネラがすでに周囲の人間に愛されているという事実。

 父は推測や理論、想像よりも、事実を重んじる。

 だから雄斗は、イオネラに向かって自信をもってうなずいてみせた。


「大丈夫。俺が絶対説得してみせるから」


「おぬしの『絶対』は説得力に欠けるからのう……。もし認めてくれなかったらどうするつもりじゃ」


「万一、親父が認めてくれなかったら、そのときは――」


 雄斗は平然と、言ってのけた。


「――俺と一緒に、いまの家を出ていこう」


「まさか。冗談じゃろ」


「いや、本気だけど」


「……わらわと、一緒にいてくれるのか」


「ああ。イオネラとなら、どこへでもいくよ」


「ユウト……」


 真剣な彼の言葉に感じ入ったのか、イオネラは顔を上げると、唇をふるわせた。


「……ユウト。わらわが洞の中で最後に血を吸う前、おぬしが言っておったことを覚えておるか」


 彼からの言葉を期待してか、おそるおそる上目づかいに見上げるイオネラ。

 雄斗はしばらく考えてから、そっと答えた。


「…………なんだっけ?」


 ガクッとずり落ちそうになるイオネラ。


「わ、忘れたとは言わさぬぞ! わらわの耳元で、はっきり告げてくれたではないか! わらわに言わせるつもりか!」


「ごめんごめん、ちゃんと覚えてるって。一世一代の告白だったから。――俺、イオネラのことが好きだ。イオネラと暮らしていて楽しいし、これからも一緒に暮らしたいと思ってる。俺、イオネラのこと、ずっと大切にするから。これでいいか」


「……バカ者。その言葉がどれだけうれしかったと思っているのじゃ」


「えっ、いまなんて?」


「なんでもない。もうよい」


 そう言ってなぜかうつむいてしまうイオネラ。

 ヒザを抱いた両腕の間に顔を隠し、黙り込んでしまう。

 雄斗は怪訝けげんに思いながらも、気を取り直して再び正面の景色をながめた。


「でも、とりあえず明日さえ乗り切れば、イオネラと安心して暮らせるようになるよな。もう大学に追われてこそこそ隠れるようなこともなくなったし。あ、そうだ。イオネラ、前から日本語を勉強したいって言ってたよな。俺も夏休みだし、せっかくだから教えようか。字を覚えれば、何かと便利だろうし――」


 そこまで言ったところで――

 雄斗はイオネラの異変に気づいた。

 ひとことも発しないまま、ずっと肩をふるわせている。


「――イオネラ、どうかしたか。大丈夫か?」


「…………すまぬ」


 なぜか謝るイオネラ。

 顔をうずめたままの彼女。

 その姿に、既視感があった。嫌な予感がした。


「ユウト……すまぬ」


「なんだよ。なんで謝んだよ」


 雄斗の胸に生じた感覚は、すぐにイオネラの言葉によって肯定された。


「――吸いたい」


「……!」


 吸血衝動。


 予感は当たった。

 吸いたい気持ちを抑えるとき、イオネラはいつも肩をふるわせる。

 その姿を、雄斗は覚えていた。


 だがイオネラの話では、血を吸うのは月に一回程度になるはずだった。

 以前の体だったころ、イオネラはそのくらいのペースで血を吸っていたと口にしていた。

 また月森先生も、血の量はすでに十分な量があるから、すぐに吸血衝動が起こることはないだろうと説明されていた。

 それを証拠に、彼女の魔力はすでに回復している。血は足りているはず。

 それが、前回血を吸ってから一週間ほどで、イオネラが再び衝動に襲われている。


「ウソだろ……。もう血は十分なはずじゃねえのか?」


 衝撃に、ぼうぜんとする雄斗。

 ゆっくりと上がった彼女の頬は、火照ったように赤く染まっている。

 吸血衝動に抵抗することからの反作用だろうか。それとも、魂や血を入れ替えたことが影響しているのだろうか。

 イオネラは大きな紅い瞳を細め、何かを求めるように雄斗を見つめる。

 雄斗に、考えているヒマはなかった。


「――分かった。とりあえず、肩をあけるから。すぐに俺の血を吸うんだ」


 雄斗はイオネラに背を向けつつ、右腕をTシャツから抜き、血を吸いやすいよう肩をあらわにした。

 イオネラの突発的な吸血衝動。

 解決したと思っていた問題が、再び浮上してきた。

 今回だけなら大丈夫。雄斗は「自分の血と似た成分をもった血の提供者」から輸血を受けていた。

 だがこのペースで今後も血を吸われ続ければ――

 いくら輸血を受けられるといっても、量は限られている。

 自分の体が血を生産する速度よりイオネラに血を吸われるペースが早ければ、いずれ血は足りなくなる。

 そうなれば、また同じことの繰り返し。

 漠然とした不安に、雄斗は襲われた。


(くそ。いったいどうなってんだよ……)

(だけどいまはとにかく、イオネラに血を吸わせるしか)


「ユウト」


(また月森先生に相談しないと……。あとどれくらい、血が残ってるんだ)

(先生の話だと、かなりの量を採血したって言ってたけど)


「ユウト」


(いや、俺が極度の貧血状態だったから、たぶん血はほとんど使ってるだろ)

(じゃあどうすれば――)


「ユウト!」


 考えにふけっていた雄斗の耳に、イオネラの声がようやく届く。


「なんだ、イオネラ。早く血を――」


 気がついて後ろをふり返る雄斗。

 その彼の口を、近づいていたイオネラの口がふさいだ。


 二人の唇が重なる。

 

 間近にあるイオネラの顔に、何が起きたのか分からず、体を硬直させる雄斗。

 その紅い瞳は、キスの感触だけを感じようとするかのように閉じられていた。

 彼女のやわらかい唇から、ほんのりとした温かみが伝わってくる。

 吸血貴族が押しつけてきた贈り物。時間にして、十秒ほど。

 だが高鳴る心臓の音に刻まれた彼の時間は、それよりもずっと長いものに感じられた。


 ゆっくりと、名残惜しそうにイオネラは唇を離す。

 瞳と同じ紅い色に頬を染めながら、彼女は少しだけ恥ずかしそうに微笑んだ。


「――ごちそうさま」


 いつも通り――

「吸い終えた」後の感謝を伝えると、イオネラは立ち上がって気持ちよさそうに伸びをした。


「さ、そろそろ日も沈みそうじゃし、屋敷に帰るかのう」


 朗々としたイオネラの声。

 雄斗はようやく自我を取り戻して声を上げた。


「ちょ、イオネラ! なんだよそれ……。俺、吸血衝動かと思って、本気で心配したんだぞ!」


 彼の抗議に、背を向けて帰途につこうとしていたイオネラがふり返る。

 そして、してやったりといった口調で、ひとことだけ告げた。


「おあいこじゃ」


 そう言ったイオネラの顔は、同世代の女の子らしいイタズラっ気に満ちていた。


「さあ、今晩はわらわが夕食をつくる約束じゃったな。腕によりをかけたわらわの『くりいむしちゅう』に、おぬしも悶絶することじゃろう。ツグミも楽しみにしておったし、さっさと帰るぞ。さあユウトよ、早く立てい」


「おい、イオネラ! ちょっと待てよ! いまのキス――って、だから待てって!」


 不意打ちに成功し、機嫌よく坂道を駆け下りるイオネラ。それを追いかける雄斗。

 彼が吸血貴族にふり回される日々は、当分続きそうだ。




おしまい




「イオネラ=シェーンベルクの華麗なる現代生活」

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


全77話。

いままで私の書いたものの中で、抜群に長い話になりました。

文字数にして約五十万字。

ラノベの標準的な文庫本が一冊だいたい二十万字なので、

およそ二冊半。

わぁぁ、書き過ぎだ。

さすがに一年四ヶ月も毎週書き続けただけのことはある。

達成感、もありますが、それよりも

ホッとしているというのが正直なところです。


元々、この「吸血貴族イオネラ~」は、

私が以下の二つの目標をもって取り組んだ小説でした。


・長めのストーリーを扱い、完結させる

・毎週一話ずつ掲載する


このうち二つ目の「毎週」というのは、たまに休むこともありましたが、

ほぼ週に一回ペースで更新することができました。

そういう意味では、自分の中で目標は

かなりの部分、達成できたのかなと思います。


とはいえ、小説の質としては、全くもって未熟な内容です。

このあとがきを書くにあたって

いままで書いたものを一から全て読み直したのですが、

まあ用語の統一ができていないだの、

細かいところで設定に矛盾が生じてるだの、

読んでいておかしいところがたくさんありました

(実際、読み直す段階でいくつか修正をかけました)。

たぶん、ここまでお読みくださった方は、

そのうちのいくつかを認識しながら、

「全く、しかたねえやつだな七村は」とか

「ほんと、しかたない人ね圭ちゃんは」と、

寛大な心で見逃してくださった方だと思います。

いや、ほんとに。


それでも私の中で、

これだけの登場人物とそれぞれのエピソードを

ひとつひとつひもときながら、全体として話を進めるという

なかなかに複雑な作業を体験できたというのは、

これまで書いてきた小説とは違う成果だったと感じています。


私自身の話はここまでにして。

「吸血貴族イオネラ・シェーンベルクの華麗なる現代生活」

いかがでしたでしょうか。

コメディ小説をうたいながら、

特に後半はシリアスな話が中心となってしまいました。

でも、雄斗、ツグミ、ミナミナ、それからイオネラ自身。

それぞれの心の闇がひとつずつ晴れ、おのおのが成長していく。

その過程が読む人に少しでも伝わっていればと思います。


いちおうコメディなので、

「読む人が元気になれるようなものを書いていきたい」

という考えが私の気持ちの根底にあります。

私の書く文章はまだまだ粗さが目立ちますし、

プロの作品を読み慣れた方からすれば見るに堪えないものでしょうけど、

今後も自分なりに少しずつ改善しながら、

こりずにコメディ一直線で書いていきたいと思っています。


気が向きましたら、ぜひ感想などお寄せ頂けるとありがたいです。

そしてなにより、

この小説の中に、あなたの心の琴線に響くものが少しでもあったなら、

最高にうれしいです。


本作をお読み頂き、本当にありがとうございました!






<以下、創作こぼれ話>


●イオネラ=シェーンベルク

・イオネラという名前は完全に思いつき。シェーンベルクはヨーロッパの人の苗字で長めのものを、と適当に検索をかけた結果だと思うが、記憶がさだかでない。

・「イオネラ」でググると、上位にヴァンガードの「銀の茨のお手伝い イオネラ」が出てきて悔しい思いをしていたりする。

・ヒロインを「~~じゃ」という昔のお姫様口調にするのは正直やや抵抗があった。恋愛シーンで女の子らしさを出しづらいから。だからギャップで勝負しようとしたが、うまくいったかどうか。

・この小説で何度となく登場するイオネラと雄斗のケンカシーン、じつは狙ってやったものはほとんどなく、大半はその場の思い付きで書いている。二人のかけあいは非常に書きやすかったので自然とそうなった。そう言う意味ではイオネラの高貴キャラは成功かな。

・イオネラがときおり口にする「人間関係とは相手の中に芽生えた自分という存在へ水をやる行為」「他人は自分を映す鏡」「チャンスの女神に後ろ髪はない」などの言葉は、私が編み出したのではなく、私がこれまで見聞きして記憶に残っている周囲の人の言葉から場面に応じて引っぱってきた。みんな立派な人たちだと思う。ほんと。


●柊 雄斗【ひいらぎ・ゆうと】

・イオネラのツッコみ役。外見はぱっとしないけど内には強いものを秘めているという典型的なラノベ主人公的キャラ。

・書き始めたころは外見の設定が全く無かった。ぱっとしないだけに。

・あまり書いていないが、弓道で全国大会に出場しているくらいなのでそれなりに筋肉ムキムキのはず。ホソマッチョくらいかな。

・年上好き。ユラになびいた雄斗にイオネラが嫉妬して蹴りつける場面はわりと気に入っている。

・一度しか出てこない彼の父親のキャラが結構好きだったりする。


●柊 ツグミ【ひいらぎ・つぐみ】

・前半は完全に引きこもりキャラだが、後半は妹キャラになる。でも書く側としては引きこもり状態のツグミの方が書きがいがあったり。キャラが濃ゆいので。

・当初は引きこもりから抜け出したあと、ヤンデレキャラになる予定だった。「姉さまを大学のやつらに渡すくらいなら、先に殺したほうがいいよね……フフ、フフフ……!」的な場面を想像して自制してやめた。でも惜しいとも思っている。


●ミナミナ→南 菜摘【みなみ・なつみ】

・ミナミナという略称が最初で、本名は後付け。ライネックが彼女宛ての手紙を送るのに、「ミナミナ様」では締まりがないなと思ったため、急きょつくった。それがなければミナミナは最後まで本名がなかったかもしれない。

・当初の設定では、じつはミナミナはイオネラらと会わず、テレビの中の存在で終わる予定だった。でも書いているうち、ミナミナのキャラが案外イケイケになったので、「ミナミナとイオネラを絡ませたらおもしろいかも」と思い実行。結果この作品になくてはならない存在になった。

・本作では一番書きやすかったキャラ。コメディ向きだと思うし、自分に合ってる。気が向けば彼女を主人公にしたスピンオフでも書こうかなと思う。

・ミナミナがライネックに陥れられる場面(第58話)とイオネラに電話口で懺悔する場面(第64話)は個人的に最も好きなエピソード。力も入れたつもり。読む人に伝わったかどうか。


●鈴宮 小詩【すずみや・こうた】

・いわゆる男の娘キャラ。全国大会に出場した弓道部員という設定が一番似合わない人。

・理屈より感情を優先させる数少ないキャラ。他が理屈っぽいキャラばかりなので、ここぞというときにお世話になった。

・同人誌に目がないという設定は当初からあったが、「計三十冊以上ある山のような同人誌を読みあさる会」(第46話)は思いつきで書いた。私の小説は思いつきが多いとつくづく思う。


●大翔【たいしょう】、鞠【まり】

・弓道部部長とマネージャー。じつは苗字がない。

・声の小さいキャラ(鞠やふつつか)を私は自分の小説によく入れる。私自身が声小さいから。かな?


●ユラ→岡本 由宇良【おかもと・ゆうら】

・書いているあいだにキャラが変わってしまった人。清楚キャラだったはずなのに、後半から男どもをなぎたおすことに快感を覚えているアグレッシブなキャラになってしまった。こんなはずでは。

・「ホワイトテイル」はつい最近まで一部「ほわいとている」になっていた。名称の不統一。すみません。ほかにもある気がする。

・バトルメイド三人衆(アン、チェリー、レイカ)は完全にその場の思いつきでつくった。彼女らの武器は元になるイメージがちゃんとあるが、それを使う場面を描写できなかったのが残念。


●エリ

・ホワイトテイルのメイド。いちおう彼女もバトルメイドなのだが、結局描けずじまい。

・最初は一回の登場で終了させる予定だったが、イタズラっ気に満ちた性格や話口調が私の中でけっこうハマり、その後も何度か登場させた。最終的に全キャラ中上位のお気に入り度。


●ミナミナのプロデューサー

・本名なし。ちょっとかわいそう?

・当初はアニメ「アイドルマスター」のプロデューサーっぽい誠実な感じの人にしようと思ったが、あまり真似るのもヤラシイなと考え、思い切って関西弁にしてみた。すると性格が軽くなってしまい、なんとなくうさんくさいキャラに。

・なので、フィアンセをつくって身を固めてもらおうと途中から思い、登場させたのが愛奈だったりする。だから愛奈の初登場場面(第68話)はとってつけた感が否めないかも。


●CSOのパーティメンバー(ノボル、ふつつか、シルフィ)

・三人ともツグミのエピソードだけに登場し、イオネラ捜索時はおまけ程度と考えていたが、最終的に案外活躍した。

・ふつつかがイオネラと遭遇する場面(第69話)は当初の予定になかった。イオネラが城山道駅で降りたことを証明する必要があることに気づいて急に入れた。

・ふつつかの腐女子描写は見よう見まねで描いたのだが、あまりなじみがないのでこれで合っているかかなり不安。

・ノボルのフォロワー百万人はちょっとやりすぎだったと思う。

・ツグミとシルフィの絡みは案外面白いかもと思っている。要するにボケとツッコミの関係。


●月森先生

・じつは言葉づかいの汚い性格の方が当初の設定で、「たたたたた大変です!」という挙動不審キャラは後づけ。雄斗とどうやって出逢わせるかを考えたときに、飲んだくれ医師だと敷居が高いので、挙動不審な保健室の先生ということにした(これもどうかと思うが)。

・豹変キャラのため目立たないが、じつは全キャラ中最も表裏のない人。吸血衝動に対するイオネラや雄斗の判断はこの人の診察結果だけを頼りにしているので、この人自身の信頼が揺らがないよう、なるべく純粋な性格にした。


●ミヤワキ教授

・悪役。アンドロイドの設計図を盗んでから開発に至るまでの経緯はいちおうあるが、冗長になるかなと思い本作中ではほとんど描いていない。

・教授をコメディ路線に引き込んでも面白かったかもと思う。


●ライネック

・本当の悪役。もしかすると、全キャラ中一番のお気に入りかもしれない人物。

・「人の心をもてあそぶ、性格の壊れた子供」がテーマ。裏設定は山のようにあるが、本作ではあえて伏せ、読む人の想像にお任せしている。

・当初のプロットでは、イオネラが逃走してる最中に彼と絡む、という場面があったが、いろいろ考えてお蔵入り。

・もし本作の続編を描くとしたら、彼が物語の中心にくると思う。


●上條 エレナ【かみじょう・えれな】

・最後の最後に登場しておいしいところだけもっていく人。本音を言えば、もっと前から彼女に関する伏線を張っておいたほうがよかったと思う。

・上條は「かっこよさそう」という語感でなんとなく決めた。エレナは、名前を考えているときに聞いていた曲の歌手が「エレナ・フェレッティ」という人だったので、そこからとった。


●七村 圭【ななむら・けい】

・作者。つまり私。

・「吸血鬼ものってシリアス系や恋愛系はたくさんあるけど、コメディってあまりなさそうだから書いてみよう」というのが本作を創るきっかけ。でもあとでよく調べると吸血鬼でコメディものも結構あると分かり動機を失ってみじめな思いをしている。

・これだけの長編を完結までもっていったのは初めて。なので慣れないところ(用語の統一や物語の筋立て等)がありかなり本気で四苦八苦した。

・あまり細かいことは気にせず、勢いで描いてしまうところがあるため、当初予定になかった思い付きの場面がたくさんある。

・プロットは全て手書き。手で紙に書く方がなんとなくアイデアが浮かびやすいと感じているため。だが字が絶望的に汚いため、読み直すのが大変だったりする。

・毎回の掲載までの流れは、

1:パソコンのテキストソフトで本文を作成

2:パソコン上で一次見直し

3:プリンターで印刷し、紙で二次見直し

4:修正してなろうに掲載

 本当はもっと見直しを入れたいが、私のいまの生活スタイルで週一更新ペースを守ろうとするとこれが限界。

・書く場所は自宅か近所の喫茶店。自宅で書くときはたいてい音楽を聴いている。コメディ場面ではユーロビート、シリアス場面ではR&Bを聴くことが多い。見直し時は聴かない。

・喫茶店はその日の気分でいく店を選ぶ。長時間に及ぶ場合はお店に悪いので何軒かハシゴする。はじめは衆人の中で書くのが恥ずかしかったが、慣れると自宅より誘惑マンガとかテレビとかが無いぶん集中できることが分かり、いまでは大いに活用している。

・だがやり過ぎて大量に飲んだコーヒーによりその後おなかの調子がすこぶる悪くなったこと多数。

・「吸血貴族イオネラ~」は「コメディ小説」と銘打っているのに、後半はシリアスな場面が多いため罪悪感を感じている。

・次作は短めのものでいきたいと思っている。

・今後ともよろしくお願いしますと思っている。


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