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第58話 夢と信頼の挟間


 目の前で微笑む彼の笑顔が、ミナミナにとっては悪魔の嘲笑に思えた。

 ライネックと名乗った金髪碧眼の少年。

 小中学生を思わせるくらい幼くあどけないその笑みの裏側には、他人の心を見透かし、その心中を思いのままに探る、堕ちた妖精のような素顔を秘めている。


(彼の送った一通の手紙――)

(その悪魔の誘いにのって、まんまと私は連れ出された――?)

(イオちゃんに迷惑をかけたくないと思って、ただそれだけを考えて、だれにも言わずにここに来た)

(でも、そんな私の考えを、この子ははじめから利用しようとしていた)

(ううん。目の前にいるのは子どもじゃない。子どもの仮面をかぶった、れっきとした大人――)

(しかも彼は、他人の心を容易に読み取ってしまう――)


 読心術者。

 そんな単語が、ミナミナの頭に浮かんだ。

 人の心を読み、その行動を制御できる人物。

 それが彼。


 大学は私を油断させるつもりで、わざとこんな小さい子どもを送り込んできたんじゃ――。

 いや、そもそも本当に彼は、小中学生という年齢なのだろうか。

 本当は、私よりもずっと年上なのでは――。


 ミナミナはあらゆる方向へ考えを巡らせるが、どれ一つとして自信をもてるものがなくなっていた。

 いまこうして考えていることすら、彼――ライネックに読み取られているのかもしれない。

 そう思えば思うほど、ミナミナは思考を働かせることができなくなっていった。


 出会う前から、相手のほうが一枚も二枚も上手。

 そう実感するミナミナの顔から、しだいに表情が無くなっていく。

 心を読み取られそうなことへの恐怖と、彼の手の上で踊らされたことへの自己嫌悪が、彼女の心を徐々にむしばんでいく。


「――さきほどの質問に戻りますが、教えて頂くわけにはいきませんか。イオネラさんの居所を」


 そんな青白い顔をしたミナミナに、丁重に尋ねるライネック。

 その口調がむしろ、ミナミナにさらなる迷いを抱かせていた。

 ――分からない。分からなくなった。

 彼の本心が一体どこにあるのか。

 彼は私を気づかっているのか。

 それとも――


「……脅すの。私を」


 目の光を失いつつあるミナミナが、頼りなくつぶやく。

 ライネックは、安心させるように笑みを浮かべたまま首を横にふった。


「まさか。あなたを脅すようなことはしませんよ。決して」


 彼はそう口にしてから、自嘲気味に口元を上げた。


「告白すると、じつはボク、あなたのファンなのですよ。ライブには行ったことがありませんが、レギュラー出演されているテレビ番組はよく見ていますし、曲もいくつかダウンロードして聴いています」


 こんなときになにを、とミナミナは複雑な気分になった。


「先日出された新曲『I Need Your Games』も聴きましたよ。いい曲ですね。電脳空間をイメージしたトランスチックなメロディと疾走感が最高でした」


「……ありがとう」


 愛想のかけらもない表情で、ミナミナは感謝の言葉を述べる。

 きっと私に取り入ろうとして、前もって最新曲をチェックしてきただけなんだろう。

 そんなうがった見方をしてしまうミナミナに、ライネックは少しガッカリした表情をみせた。


「あれ、いつもの鉄板ひな形リアクション、してくれないんですか?『は~い、聴いてくれたんですかぁ? うれしいです~!』っていうあれ」


 思わずにらみつけてしまうミナミナ。

 その反応を見て、ライネックはすぐに両手を上げた。


「冗談ですよ、冗談。そんなに怒らないでください。でもボクとしても今日は、心の底ではうれしかったんですよ。ミナミナと一対一で話せる機会なんてまずないですから。その気持ちは察してほしいな」


 苦笑する少年。

 思っていたより悲しそうなその顔つきに、本当に彼は以前からの私のファンだったのかもしれないと、ミナミナはわずかに後悔して思い直そうとした。

 だが――


(――やっぱりダメ。信用しちゃダメ)

(またそんな言葉で誘って、私から話を引き出そうとしているに決まってるんだから)


 心の中で首をぶんぶんと横にふるミナミナに、ライネックは気を取り直した様子で話を続けた。


「話を脱線させてしまいましたね。さて……さっき申し上げた通り、ボクはミナミナを脅す気など、これっぽっちもありませんよ。だから安心して頂いて結構です」


「……じゃあ、私がもしイオちゃんの住んでいるところを教えなかったら、あなたはどうするの」


「どうもしません。ミナミナが教えてくれなければ、そのときは残念ですが、ボクは引き下がるしかありませんね」


 にわかには信じがたい彼の答えに、ミナミナはまた戸惑いを隠せなかった。

 教えてくれないなら、引き下がるしかないって――

 そんなので、交渉になるの……?


「ボクは、あなたをおとしめるようなことをするつもりはありません。大学側からすれば、もっと強引な方法をとれと言われるのかもしれませんが、これがボクのやり方ですから。

 そもそもボクはあなたのファンですし、脅すような乱暴なマネはしたくないのです。だからあなたが教えてくれなければ、ボクはあきらめて引き下がるしか――あ、言い忘れましたが、もちろんタダで教えてほしいとは言いませんよ?」


「えっ?」


「もしミナミナが私にイオネラさんの居所を教えてくれれば、それなりのお礼を差し上げます。きっと喜んで頂けると思いますよ」


「お礼、って……そんなもので、私が親友のイオちゃんを裏切るとでも思ってるの……?」


 やっぱり――

 彼は「お礼」で私のことを釣ろうとしてるんだ。たぶん、高額な金でも提示するつもりなのだろう。

 そう考えると、徐々に怒りがこみあげてきたミナミナ。

 それとともに、彼女に強気の口調が戻ってきた。


「あなたたちが出すお礼って、どうせお金とかでしょ。どんな額を出されたって、私がイオちゃんを裏切るなんてこと、あり得ないんだから――」


「へえ。裏切るとでも、ということは、あなたはやはりイオネラさんの住んでいるところは知っている、ということですね」


「なっ……!?」


 ミナミナが言葉を止めるのに、ライネックはおかしそうに笑った。


「そこで戸惑うということは、図星ですね」


「……住所は、知らない」


 苦しまぎれの言葉を、ライネックは容赦なく突く。


「住所は。ではその他の何か――電話番号やメールアドレスは、知っていると。それでもかまいませんよ。そこから彼女の住所を割り出しますから」


「…………あなた、どこまで卑劣なの」


 彼女の言葉に、少年は首を傾げた。


「卑劣? 心外だなあ。ボクはあなたの発する言葉の端々から、できるかぎりの情報を拾い出そうと必死になっているだけです」


「その、私の心を端から端まで読もうとするあなたの姿勢が卑劣だって言ってるの! それにお金なんかでイオちゃんを売ろうとさせるところも!!」


「そうでしょうか。ボクはトップアイドルを目指すあなたにとって、極めて有益な話をもってきたつもりなのですが」


 平然と言ってのけるライネック。

 そんな彼に、ミナミナはますます嫌悪感を募らせた。


「お金なんかで、私が釣られるわけないでしょ! 一億円もってきたって、百億円もってきたって、私は絶対イオちゃんを裏切ったりしないんだから!!」


「ボクはひとこともお金だなんて言ってませんよ。少し落ち着きましょう、ミナミナさん」


「じゃあ、なんだって言うのよ!?」


「はい。もしボクに、イオネラさんの居所を教えてくれたならば――」


 ライネックは、蒼い瞳をミナミナの両の目に鋭く向けた。


「――ミナミナを、19Kの正式メンバーに加入させてあげます」


「えっ……?」


 思いもよらない彼の言葉に、ミナミナは一瞬、自分の耳を疑った。


「19Kって、あの――」


「はい、もちろんそうですよ。『Reinhard = G = Steiner 19 Knights(ラインハルト・ジー・シュタイナー・ナインティーン・ナイツ)』。略して『RGS19K』、さらに略して19K。押しも押されぬ、日本のトップアイドルグループです――って、ボクが説明するまでもないですか」


 19K。

 それは、ミナミナが最もライバル視していた、アイドル集団。

 日本で間違いなく一番活躍している、アイドルの頂点に君臨するグループ。

 日本で最高のアイドルと認められるには、そのグループ内で行われる年一回のファン投票で一位をとることが、いわば絶対的な称号だった。


 ミナミナがそのグループをライバル視していたのは、彼女の所属する事務所がまだ新興であり、大手アイドル事務所の利権が複雑に絡む19Kの正式メンバー入りにはまず声がかからないと、プロデューサーをはじめ事務所のスタッフに散々言われてきたからだった。

 だから、ミナミナは19Kのメンバーになることははなからあきらめていた。


 本当に正式メンバー入りしたいなら、大手の芸能事務所に移籍すればいい。

 人気急上昇中である今のミナミナなら、それは容易といえた。

 だが彼女には、移籍という考えは皆無だった。

 お世話になったプロデューサーに、恩返しをしたい。

 いまはまだ弱小な事務所を、私の力できっと、有名にしてみせる。

 その目標を達成するために、ミナミナは全力で取り組んでいた。

 だから、これまで19Kなどには目もくれなかった。

 だが――


「ミナミナの目標は『日本一のアイドルになること』でしたよね。それをかなえるには、19Kの正式メンバーになり、『総選挙』と呼ばれる年一回のファン投票で一位を獲得することが最も分かりやすく、最もはっきりしていることは、ミナミナも承知のはずです。でも、業界ではまだまだコネも少なく力の弱いいまの所属事務所では、まず19Kのメンバーには入れない。だからいま、あなたの中では一種の矛盾が生じている。『現在の事務所にいながらにして、トップアイドルであることをどうやって証明すればいいのか』と」


 まるで狙いすましたかのような彼の的確な指摘に――

 ミナミナは、自分のずっと抱いていた夢が揺り動かされたように感じた。


「移籍すれば話は簡単。ですがいまの事務所には多大な恩がある。それはできない。かといっていまのままでは、19Kに入ることはかなわない。あと五年、十年と経てば、もしかしていまの事務所が、業界でも有力な芸能事務所の一角にまで上り詰めているかもしれない。ですがアイドルというのは水物。五年先など、自分がどうなっているかわからない。

 たった今、メディアに注目されて始めている今後数年の自分が、アイドルとしての最高期かもしれない。なら、今のうちに、トップアイドルになるという夢を実現させるべきではないか。

 ボクはあなたのそんな強い想いをかなえるべく、少しでもお力になりたいと、今回このような『お礼』をご用意したのです。ボクの気持ち、理解して頂けますか……?」


 自分の夢を、理想を、すくいあげるようなライネックの提案に――

 ミナミナは正直なところ、わずかに心を動かされていた。


 彼の言っていることは正しかった。

 ミナミナは、トップアイドルになるという夢をもっている。でもいまの事務所にいたままでは、かなわぬ夢だとも知っていた。

 19Kの正式メンバーに入るということは、それほどのステータスだということを、ミナミナは業界のあらゆる風潮から感じ取っていた。

 19Kのメンバーは、絶対的なカリスマ性を備えている。それはアイドルとしての、というよりも、業界としての、という意味だ。

 公演、テレビ番組、雑誌取材、楽曲配信、はてはネット放送から被災地応援のチャリティーイベントまで――

 あらゆるメディアに「19K」というステータスは多大な付加価値としてついて回る。

 それなしに日本のトップアイドルを語ることを、ただ個人の能力だけで埋め合わせるのは、極めて難しいことだった。


 その入り口に立つきっかけが、彼女の目の前に開こうとしている。

 19Kの正式メンバーに、入れる――。


「もちろん、いまの所属のまま、ですよ。もしあなたが加入すれば、知名度が格段に上昇することは容易に想像できます。事務所もさぞ潤うでしょうね」


 そうなのだった。

 もし19Kのメンバー入りということになれば、鳴り物入りと言われ、話題を呼ぶことは明白だった。

 ネームバリューのついたミナミナは、ますますメディアへの引き合いが増える。

 そうすれば、いまの事務所ももちろん多大な恩恵を受ける。

 利益が上がらず、将来を約束した彼女と結婚することもままならなかったプロデューサーも、そのうち心置きなく結婚に踏み切れるだろう。

 そして自分はトップアイドルになり、夢をかなえる――。

 だが――


「――信じられない」


 ミナミナは、うつむきながらつぶやいた。

 そして少年の言葉を全て否定するように、小さくあざ笑う。


「19Kの正式メンバーに加入させるなんて簡単にいうけど、そんなこと、信じられると思う? 私、新興事務所にいるアイドルの19K入りがどれほど難しいのか、あなたなんかよりずっとよく知ってる。それを、アイドル業界に関係のない大学の人から言われても、全然説得力ないよ」


 ミナミナの言い分は、もっともだった。

 話がうますぎる。

 それはミナミナでなくとも、どんなアイドルが聞いてもそう感じたはずだった。

 彼女の言葉を受け、ライネックもあっさりうなずいた。


「そうですね……やっぱり、これだけじゃ信じてもらえませんか」


「当たり前でしょ。口約束だけして、私からイオちゃんの居所を聞きだしてから『やっぱり無理でした』って言われたらそれで終わりだし。そんなことで私、だまされないから。っていうか最初からウソだったんでしょ? そんなうまい話、あるわけないもん」


「ふーん……しかたありません。ではミナミナさん、ボクに少し時間を頂けますか」


「時間?」


「ええ、時間です。ほんの少しですよ。五分くらいかな」


 ライネックが妖しく微笑む。

 いったい、なにを企んでいるんだろう――。

 いや、なにを画策したところで、19Kのメンバーになんてなれるわけがない。

 それも、たった五分間で。


 そう考えるミナミナの前で、ライネックはおもむろに胸のポケットへ右手を差し入れた。

 取り出したのは、スマートフォン。

 シックなモノクロのカバーデザインがついたそれを、彼はすばやく指で操作してから、耳にあてる。

 どうやら、どこかに電話をかけているようだった。

 ミナミナが見つめる目の前で、少年は着信を確認し、話し出す。




「――Yeah, Wryneck. Carry out my plan, OK? Thanks」




 英語、だというのはミナミナにも聞き取れた。

 流ちょうな言葉。だが意味は分からない。

 ミナミナの見つめる前でライネックは短く話し終えると、またスマホを胸のポケットにしまった。

 しばらく流れる沈黙。

 不可解な彼の行動を怪しんだミナミナが、先に口を開いた。


「――何をしたの」


「おまじないですよ。ミナミナさんを19Kのメンバーに変えるため、ちょっとした魔法をかけたのです」


「……冗談はやめて」


「フフ。しばらく待てばわかります。それまでは少し休憩にしましょう。――あ、そうだ。このあいだに……」


 彼は横においた黒いビジネスバッグから、新品の色紙を一枚取り出した。

 そして透明の包み紙を破ると、サインペンとともにミナミナへ差し出す。


「ぶしつけですが、サインを頂いてもいいでしょうか? ボク、今日はこれをもらえないと死んでも死にきれません」


 そう言って期待をこめた笑みを浮かべる少年。

 ミナミナは不審がりながらも特に断る理由を思いつけず、差し出された色紙とペンを受け取ってさっとサインを書いた。


「あ、できれば『ライネックへ』って書いてくれるとうれしいです」


 さらなる彼の注文に、ミナミナは無言のままペンを走らせる。

 できたサインを渡すと、少年は感激して喜んだ。


「ありがとうございます。うれしいな……。この色紙、家宝にしますよ」


 上機嫌のまま、大切そうに色紙をバッグへしまうライネック。

 この様子だけを切り取って見れば、彼はどこにでもいるただのミナミナファンだった。

 年相応な今の無邪気な彼と、ミナミナの心を見透かし、制御しようと話しかけるときの冷徹な彼とのギャップ。

 ――これも全て、計算なのだろうか。

 ミナミナの中で、ライネックに対する不信感はますます高まるばかりだった。


 そのとき。

 彼女のショルダーバッグの中で、ブルルルル……という振動音が聞こえた。

 ――スマートフォン。

 ミナミナはバッグの中を右手で探り、スマホを取り出す。

 画面をみると、そこには「着信:♪ユカリン♪」の文字が表示されている。

 同じ事務所でも特に仲の良いアイドル・ユカリンからの電話だった。


「――どうぞ」


 ライネックは電話に出ることを促してくる。

 きっといい知らせですよ。そうにこやかにつぶやきながら。

 ミナミナは彼の白い笑顔を見つめつつ、電話に出た。


「もしもし、ユカリン?」


「あっ、ミナミナ! いま電話大丈夫?」


「うん、短時間なら」


「いまどこにいるの?」


「ホワイトテイルだけど……なに?」


「あのねあのね、ミナミナすごいよ! 大事件だよ!」


 興奮した様子のユカリンに、ミナミナの胸がざわめいた。


「事件……? 何があったの?」


「ついさっきね、事務所のほうに連絡があってね、なんとミナミナが、19Kのメンバーに入ることが正式に決定したんだって!!」


 彼女の言葉に、ミナミナは全身から血の気がひいた。


 あまりに――

 あまりに簡単に決まった事実。

 ユカリンの伝えた信じられない言葉が、まるで夢の中で聞いたかのように耳に響き、ミナミナは現実感のない浮ついた感覚に襲われた。


「すごいよミナミナ! しかも候補生じゃないよ? いきなり正式メンバーだよ? もう事務所のみんなも大騒ぎしてて、まさかうちから19Kのメンバーに入れる人が出るなんてって……あれ、ミナミナ、大丈夫? 聞いてる?」


「えっ……あ、うん。聞いてる」


「ミナミナ、リアクション薄いよー? 19Kだよ? 正式メンバーなんだよ?」


「うん……あの、ユカリン。それって本当に、確かなの」


「もちろんだよ~。そうでなきゃミナミナに連絡しないもん。あ、プロデューサーも私の後ろですごい喜んでるよ。替わろっか?」


「あっ……う、ううん。いい。――ごめん。またあとでかけ直すから」


「あ、ミナミ――」


 まだ何か言いたそうだったユカリンの声を、ミナミナは青ざめた顔のまま途中で切った。

 視線をスマホから、目の前の少年へ移す。

 そこにあった、決して絶えることのないニコニコした彼の笑顔を、ミナミナはこれ以上ないほどにらみつけた。


「よかったですね、ミナミナさん。おめでとうございます」


 あまりに白々しい彼の言葉に、ミナミナは反吐へどが出る思いだった。


「どうやって……やったの……?」


「お知りになりたいですか? あなたにとっては19Kへ加入できたという事実が大事であって、我々の動きを知ったところでつまらないだけだと思いますよ。

 それでも、あえてお教えするなら……そうですね。芸能界でそれなりの権力をお持ちの方に、直接お願いしたのです。ミナミナを、19Kの正式メンバーに入れてほしい、と」


「それだけ……?」


 彼は簡単にうなずいた。

 ミナミナは、彼の言葉を否定するように――喜ぶべき現実を拒むように、首を強く横にふった。


「それだけで……たったそれだけのことで19Kに加入できるなんて、そんなはずない! それにあなたにそんな権限があるなんて、信じられるわけないじゃない!」


「もちろん、本当にそれだけではないですよ。ここに至るまでに、いくつか根回しをして、充分な準備を整えています。ボクが電話をすれば、19Kの統括者からあなたの事務所へ連絡がいくように。――ですが、その前にミナミナさん。あなたは少し思い違いをしているのではないですか」


「えっ……?」


 声を上げるミナミナとは対照的に、ライネックは極めて冷静な口調で述べた。


「亜斗蘭逓州大学が開発・研究に取り組んでいるバイオロイドは、ただの一大学の研究テーマではありません。この最新型の人造人間は、政府をはじめ、国内のあらゆる研究機関が関わっている、一大国家プロジェクトなのです。当然、それなりのお金もかかっていますし、有名な民間企業も多数出資しています。ボクを直接雇っているのも、プロジェクトに関わっている主要な出資企業のひとつですし。

 その初めての成果としてお披露目されたのが、あのときに展示されていたバイオロイドなのです。が、国家プロジェクトの結晶であるそれが、わけも分からず動き出し逃走。今もまだ行方不明のまま――。もしこのまま『モノ』が見つからないなどということになれば、日本政府としては大失態ですし、協力企業のメンツも丸つぶれです。

 だから彼らは、あらゆる手段、あらゆるコネを使ってバイオロイドの情報を集めています。例えば仮に、とある小さな事務所のアイドルが有名なアイドルグループに加入することで、バイオロイドの居所がつかめるとわかれば、彼らは全力をあげてそのアイドルグループを統括する企業、あるいは人物にコンタクトをとり、便宜を図ってもらうよう打診するでしょう」


「それを……あなたが指示したっていうの……?」


「まさか。ボクはただ自分の推察を雇用主へ伝えただけですよ。それに基づいて、ボクを雇用した企業の責任者が判断し、必要に応じて他の企業へ協力を呼びかける。たとえ業界が違っていても、上の方では相互につながっているのが大企業の常です。そうして19Kにあなたを加入させるための根回しを進め、外堀を埋めていき、最終的に19Kの統括者へ協力を求める。『国家プロジェクトのため、日本のさらなる発展のため』とでも銘打って。――もちろん、この辺はボクの勝手な想像ですけど」


「国家プロジェクト……」


 スケールの大きさに、全く実感がついてこないミナミナ。


「大事なことは――ミナミナさん」ライネックは、さらに告げる。


「バイオロイドの開発には、日本中の、大変多くの人間――それもそれなりの権力をもった人間が、関わっているということです。そのことだけは、ご理解頂きたいのです。我々がイオネラさんの情報にこんなにこだわっているのも、バイオロイドが我々の国にとって非常に重要な存在であるからなのですよ。

 ここだけの話、ミナミナさんを19Kの正式メンバーにする話は、案外スムーズに進んだと聞いています。やはりいまのあなたにはそれだけの魅力があるからでしょうね。事務所の力関係のせいでこれまでメンバー入りできなかったようですが、むしろあなたを加入させる明確な理由ができて助かったと、19Kの統括者も喜んでいたそうです」


「私、が……?」


 ミナミナの表情が揺れ動く。

 いままで不信感しかなかったライネックへの視線が、しだいに薄まり、力を失くす。

 代わって芽生えたのが、夢へと続く扉から漏れる光をあびようとする、自分の淡い心。

 いままで固く閉ざされていた、トップアイドルへの道。

 日本を代表するアイドルグループ・19Kへの正式加入。

 それがいま、手を伸ばせば届く距離にまで近づいている。


 ――いや。

 もう自分は、扉の向こう側にいた。


 ユカリンから連絡があった通り、自分はすでに、19Kのメンバーになっている。

 あとは、そのまま夢へ続く道に残るのか、それともやっと開いた扉の手前へ自ら戻り、自分の手で再び固く閉ざしてしまうのか。

 その決断をしなければならない。

 だが――

 すでに扉の向こう側に自分がいるという事実は、そのまま自分の夢に進みたいという彼女の欲求を強くそそっていた。


「本当に……本当に私、このまま19Kのメンバーに……」


「さきほども申しましたが、あなたがイオネラさんの居所を教えてくれなくても、特に何のペナルティもありません。もし教えて頂けるなら、このままあなたはメンバー入りできます。でも教えてくれなければ、ボクからのお礼――19Kへの加入の話は無くなる。つまり、いまのままというわけです」


 どうされます? とライネックは尋ねる。

 ミナミナは、苦しんだ。

 自分の夢と、親友であるイオネラとの間で、彼女は板挟みになった。


 トップアイドルになること。19Kのメンバーになること。

 それが自分だけの夢であるなら、ミナミナは迷いなく親友をとっていただろう。

 だが――

 自分が19Kに入れば、事務所の知名度は一気に上がり、収入もはね上がるに違いない。

 そうすれば、弱小事務所で働くみんなが楽になる。

 いつも深夜休日をいとわず働いてくれる事務所の人々。

 お互い切磋琢磨しあっている、ユカリンほか同じグループのメンバー。

 そして、自分のことをどんなときも応援してくれている、プロデューサー。

 みんなの苦労に、自分はアイドルとして活躍することで少しでも報いたい。

 アイドルという、これ以上楽しいことなどない生きがいに気付かせてくれたみんなに、恩返しがしたい。

 それに――

 プロデューサーには、幸せになってもらいたい。

 でもそのためには、イオネラという親友を――


「イオちゃん……」


 ミナミナの心の中に、金色の天秤が浮かぶ。

 一方の皿にはイオネラが、もう一方の皿にはプロデューサーをはじめとする事務所のみんなが乗っている。

 自分はその前にたたずみ、色のない目つきで二つの皿の高さを比べようとしている。

 重い方を残し、軽い方をはじくために。


 ミナミナはその非情な天秤を、心の中からふり払おうとした。


「そんなの決められない……決められないよ、そんなこと!」


 思わず両手で顔を覆ってしまうミナミナ。


「イオちゃんと私の夢となんて、比べられないよ! だって二つは全然違うものだもん!」


「そうかもしれません。でも人生には時々、比べようのないものでもそのどちらかを選ばなければいけない瞬間があるのですよ」


「なによ、知ったようなこと言って……私の心を見透かすことばかり考えて、それがあなたの一番卑怯なところよ!」


「ミナミナさん」彼はこの日初めて、浮かべていた笑顔を消した。


「比べる、比べないではありません。どちらかを選ぶしかないのです。ボクは両方をあなたに与えるわけにはいきません。なぜならボクも、あなたのもつ情報が欲しいからです。だからあなたには、ぜひ勇気を出して決断してほしい。

 イオネラさんはあなたの親友だとのことですが、ミナミナさんが彼女と会ったのはわずか一ヶ月ほど前。実際に話した回数もそう多くはないでしょう。でもあなたが事務所の方々と過ごしたのは、もう何年になりますか? その中には、イオネラさんよりも親しい友人や、恩人と呼べる人だっているはずです。もちろん、あなたのことが好きなファンの方たちだって大勢。

 親しさの度合いや数で物事を差別してはいけないなどというのは詭弁きべんです。きっとあなたのこれまでの生活の中でも、優先順位があったはずだ」


 言われ、ミナミナははっと気づいた。

 彼女の中では、あくまで仕事が――アイドルとしての活動が第一にあって、イオネラと会ったり遊びに行ったりすることは、二の次だったことを。


「それに大学の人間は、イオネラさんをとって食おうとしているのではありません。ただ彼女の体に何が起きているのか、詳しく知りたいだけなのです。バイオロイドは彼らにとっても非常に大切な研究成果。彼女を傷つけるようなことは、決してしないでしょう。もちろん、あなたから情報を得たことはだれにももらしません。

 あとは、ミナミナさんの良心の問題だけです。それでもまだ、あなたはイオネラさんのことを隠し続けますか……?」


 彼の真剣な言葉に――

 全てを否定し、はねのけようとしていたミナミナは、いったい自分が何を守ろうとしていたのか、分からなくなっていた。

 自分にとって、本当に大事なものは何?

 イオちゃんとの信頼? それともトップアイドルへの夢?

 どちらかを守ることで、どちらかを失うとすれば――

 優先順位が高いのは――天秤の皿が重いのは、どちらだろう。


 これなら脅された方がマシだったと、ミナミナは思った。

 もし脅されていたなら――イオネラのことを教えても隠しても、「脅されたのだから仕方がない」という他人の共感が得られるし、無理やり選ばされるのだから自分の良心の痛みもじつは少ない。

 だが、ライネックの仕掛けたいまの状況は、ミナミナ自身の意思を最大限尊重している。

 だからイオネラのことを教えれば、イオネラに対して良心の呵責かしゃくが生まれる。逆に教えなければ、事務所のみんなへの良心の呵責にさいなまれる。

 どちらを選んでも、ミナミナは少なからず他人を傷つけ、自分の心を痛めつけることになる。


 ――いや、実際には、選ばせる気など最初からなかったのかもしれない。

 19Kへのメンバー入りということになれば、ファンの多くは一抹の寂しさを抱きつつも、彼女のさらなる活躍を期待し、大手で送り出してくれるだろう。

 ファンはイオネラのことを知らない。生中継では「バイオロイドではない」という前提で紹介していたし、バイオロイドが大学の手に渡ることなど、ミナミナが19Kに加入することよりずっと小さなことだ。

 そんなファンの視線を受けながら話すこの状況。


 彼がなぜ、話し合いの場としてこの「ホワイトテイル」を選んだのか。

 それは、ここにはミナミナをトップアイドルに押し上げようと応援する人間ばかりがいるからではないか。

 ミナミナがイオネラのことを隠せば、ここにいるファンのみんなを喜ばせることができなくなる、という無言の圧力を与えるために、わざとミナミナの味方が多い場所を――。


 残酷な決断を迫る少年。

 彼にはこの本質が理解できているはずだ。理解できていないはずがない。

 全てを始めから仕組んだ上で、少年はミナミナが自らイオネラのことを話すように仕向けたのだ。

 だからあえて、こんな偽善的な選択を、私に迫っている――。


 彼は、悪魔だ。

 そんな彼が目の前につりさげたエサに、私は知ってて食いつこうとしている。

 彼の狙いは解っている。

 でも――

 でも、選ばなければいけない。

 自分にとって、より大切なのはどちらか。

 優先すべきなのはどちらか。

 そのために犠牲にするのは、どちらなのか――。


 ミナミナは、両手でふさいでいた顔をゆっくりと上げる。

 そして冷たく色のない表情のまま、天秤の軽い方を心の中ではじいた。

 

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