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世界が推理小説になったから  作者: 塚山 凍
Period11:ツギハギサポート

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番外編:過剰と不足と

 九城空が奇妙なバイトの真相を暴き、静かな夕食も終わった夜のこと────。




 終夜雫は、ため息をつきながら地下室へと足を進めていた。

 夕食用の食器を回収するためである。


 空と一緒に洗い物をしたので、自分たちの使った器は磨き終わった。

 しかし彼を倉庫に帰してから、地下室前に置いた凪の夕食を回収していないことに気づいたのだ。


 ──私としても、ちょっと会いにくかったのかしら。だから、意識から消してたのかもしれない。


 ぶつぶつ言いながら、彼女は地下室の扉の前に立つ。

 そのままいつも食器を載せている棚を見て、おや、と思った。

 全く手が付けられていなかったからである。


 ──全く、あの子はもう……ラップすら剝がしてない。


 直前の言い合いを思えば無理もないとは感じつつ、食材が少し傷んでしまったことを腹立たしくも思う。

 流石に食べられなくなった訳ではないけれど、放置されたことは事実だ。

 こうやって食べ物を疎かにしてしまう姿勢こそが、まさしく先程指摘された「金持ちのお嬢様らしい振る舞い」の一つなのだ────そう言ってしまうのは、流石に酷だろうか。


「そのくらいショックだった、ということなんでしょうけどね……普段は、そんな勿体ないことはしないもの」


 額に手を添えてやれやれと言いながら、雫は扉をコンコンコンとノック。

 反応を待たずに、ホルマリン漬けの臓器が並ぶ地下室内に入っていく。


 ──……いた。


 探していた凪の姿はすぐに見つかる。

 立ち並ぶ書棚の奥、大量のスケッチブックが置かれた机の前に座っている。

 膝を抱えた姿勢で大きなスケッチブックを抱えた彼女は、何かを一心不乱に書いているようだった。


 ──また、溺死体の肺でもスケッチしてるのかしら?


 ストレスが溜まった際、スポーツなどでそれを発散する人はよくいるが、凪の場合は死体の病理像をスケッチすることで発散する。

 死体に慣れ親しんだ彼女は、顕微鏡で観察した細胞の様子を描き続けると精神が安定するそうなのだ。

 同居を始めた頃、雫自身が凪と喧嘩した際には、よくそうやっていた。


 今回もそうなのだろうかと思った雫は、凪の背後から近づくと、ひょいっとスケッチの様子を覗き込む。

 よっぽど集中しているのか、その状態でも凪は雫の存在に気が付くことは無かった。

 そのお陰で……雫がスケッチ内容に絶句したことは、悟られずに済んだ。


 彼女のスケッチは、確かに紙の上半分は何かのプレパラートの様子を描いている。

 しかし、後半からは様子が違っていた。

 それこそ顕微鏡が必要になりそうなくらいの小さな文字で、こんなことが書かれていたのだ。


『絶対に嫌われた絶対に嫌われた絶対に嫌われた絶対に嫌われた絶対に嫌われた絶対に嫌われた絶対に嫌われた絶対に嫌われた絶対に嫌われた絶対に嫌われた絶対に嫌われた絶対に嫌われた絶対に嫌われた絶対に嫌われた絶対に嫌われた絶対に嫌われた絶対に嫌われた絶対に嫌われた絶対に嫌われた絶対に嫌われた絶対に嫌われた絶対に嫌われた絶対に嫌われた絶対に嫌われた……』


 ──うわあ……。


 同居を始めて三年以上経つが、凪がこのタイプの奇行に走っているところを見るのは初めてである。

 驚くやら呆れるやらで、雫は思わず自分の口元を覆う。

 そこで初めて、凪は背後の存在に気付いたように振り返った。


「雫……来てたの?」


 振り返った凪の瞳は、もう少しで泣きそうなくらいに赤くなっている。

 しかしギリギリのところで、涙は落とさずに堪えていた。

 今回の一件で加害者側だった自分が真っ先に泣くのは、いくら何でも筋が通らない────自分で自分をそう律したが故に、ギリギリのところで泣くのを我慢したような顔だ。


「ちょっと様子を見に来たんだけど……本当に、変なところで生真面目ね、アンタたちは。こんな時代に生まれた割に、筋道とか義理ってものに妙に拘るというか」


 どっと疲れが出た雫は、そこでいよいよ感想を口に出す。

 最初からそういう腹の内を見せていれば、こんなことにはならなかったでしょうに。

 そう続けると、凪は更に落ち込んだ様子でスケッチブックを閉じた。






「……本当は……分かっていた気がする。こんな形でお金を貰っても、九城君は喜ばないだろうって。それを喜ぶような人なら、屋敷の前に落ちていた財布を届けに来るようなことはしないもの」


 スケッチブックを置いた凪に今回の一件について話を促すと、ぽつぽつと後悔した発言が返ってくる。

 本人としても、無茶苦茶な荒い作戦であることは自覚していたらしい。

 それなら何故実行したのか、と目で問いかけると、凪は更に縮こまった。


「……この間から、私は活躍することができなかったから。死法学の知識を言う機会はあったけれど、所詮はそれだけ。例えば雫は、九城君を爆発する工場から救い出したのでしょう?でも、私はもっと間接的なサポートしかしてないから……」

「焼死体から守屋一の生存に気づいて、九城君の失踪を真っ先に察したことだけでは足りないと思ったのね……だからって、すぐにお金に頼らなくても良いでしょうに」

「……私、中々それ以外の取り得がないから。死体のことについては詳しいけれど、生きている人間の役に立つ手段は、全然持っていない……前回の犯人、守屋一は私たちの命を狙っていた。だったらその犯人を退けた彼は、私たちにとっては命の恩人でしょう?それなのに、彼に報いる手段が無くて……」


 だからこそ、とにかく礼金を渡したかったらしい。

 これまた現代らしくない律儀さね、と雫は冷静に分析した。


 九城空は、大金を得られるであろうバイトを前にしても、「なんて楽なバイトを見つけたんだ、ラッキーだったぜ!」とは思わなかった。

 それと同様に、香宮凪は前回の事件を通して、「自分を狙っていた犯人が一円も払わずに倒されたなんて、得したわ!」とは考えなかった訳だ。


 この時代だと、二人のように考える人の方が少ない。

 詰まるところ今回の騒動は、探偵狂時代らしくない二人だからこそ起きたことだった。


「アンタの行動の問題点は、もう九城君がちゃんと言ってくれたから指摘しないけど……それでも言うなら、せめて事前に相談しなさいよ」

「雫が事件後の対応で忙しい時に進めた話だったから……ごめんなさい。貴女の意見を聞かなかったから、こんなおかしなことをしてしまった」


 本当に反省した様子で、凪はしょぼんと項垂れる。

 はあ、と雫は何度目かのため息を吐いた。


「まあ、テスト期間中に生徒を無駄に騒がせたのは事実だけど……今年度最初のテストってことで範囲が狭くて、簡単な内容が多かったくらいだから、流石にこれのせいで落第したって奴はどの学年にもいないでしょ。ポジティブに考えれば、大事にならずに済んだとも言える。変なバイトの噂だけが残っちゃったけど」

「……うん」

「だから九城君の希望通り、関係者に謝ってすぐにバイトを取り下げることね。その後に何か問題が起きたら、それこそアンタのお金を使って弁償でもする。そこまでやったら、ちゃんと償ったってことになると思うわ」

「……九城君は……」

「別に、彼はこんなことでアンタを心底嫌いになるようなことはないと思う。きちんと反省して、やり直そうとしている人なら特にね。殺人犯だった晶子さんとすら、親しく交流していたんだから……しばらくは気まずいかもしれないけれど、その内元に戻るんじゃない?」

「……また、彼には直接謝るわ」


 いよいよ生気が抜けた顔になって、凪はその場で俯く。

 言いたいことは言い終わったと感じた雫は、すっと立ち上がった。

 去り際に凪の頭を撫でた彼女は、最後にフォローも入れておく。


「アンタの財力が凄かったから、変な感じになったけれど……女の子が大切な人のために張りきり過ぎて失敗するなんて、旧時代からよくあったことのはずよ。当然、それを乗り越えて仲直りすることだって、よくあったはず。反省は必要だけれど、悔恨は残し過ぎないようにね。別に、これで絶縁された訳でもないんだから」

「……」


 返事は無かったものの、凪はコクリと頷く。

 それを見て、ようやく雫は地上に戻った。






「そうよ、凪……アンタは、九城君と仲直りした方が良い。例え、価値観の面ですれ違いがあったとしても」


 今度こそ回収した食器(凪は夕食は要らないとのことだった)をキッチンで洗いながら、雫はポツリと呟く。

 皿に貼りついてしまった油汚れをゴシゴシと拭っていると、自然と先程のやり取りが思い起こされた。

 九城空のことを考え過ぎるあまりに、傲慢な行為をしてしまったと悔いる凪の姿と共に。


 正直なところ、雫は凪のことをそこまで傲慢とは思わなかった。

 本当に傲慢であれば、空にああいった指摘をされても反省などしない。

 貧乏人が何を言いやがる、金を恵んでやったんだから黙って受け取ればいいんだ────真に傲慢で嫌味な金持ちは、あの場でそんなことを言い返すだろう。


 仮に凪がそのようなことを言っていたら、流石に空も受け入れるのは困難だったことだろう。

 このような開き直りをしなかった時点で、凪にはちゃんとした感覚も備わっていると言えた。


 勿論、無自覚な傲慢さはあったのかもしれない。

 お金を奪うのならともかく、人にお金をあげようとしているのだから、多少周囲に迷惑がかかっても良いんじゃないか……そんな思い込みはあったのかもしれない。

 だからこそ、実行してしまった。


 しかしそれでも、雫は凪のそんなところを問題だとは思っていない。

 何せ、もっと無自覚に傲慢な金持ちが────庶民的な感覚に欠けている存在が、隣にいるのだから。


「凪は入院費の心配までしてたのに……()()()()()()()()()()()()()()()()。九城君がお金に困っているかもしれないなんて、欠片も考えてなかった」


 もっと無自覚に傲慢な金持ち────終夜雫は、我が身のことをそう振り返る。

 真の意味で庶民的な感覚に欠けているのは、自分の方だったのだと。


「九城君がこの街に来た事情も、義理の父親に仕送りを止められるかもしれないってことも、ちゃんとあの夜に聞いてたのに……それでも、心配しなかった。お金に困るって状態がどんなものなのか、想像できなかったから」


 雫は生まれてこの方、「お金に困る」という経験をしたことがない。

 ノルウェー日本街での生活には苦労したが、両親の収入自体は安定していた。

 この街に来てからも、終夜家、香宮家の二家から潤沢なサポートを受けている。


 勿論、知識としては貧困層の生活については知っている。

 自分たちの年齢で既に働いている者が大勢いることも、「外」ではそういう人の方が多いことも把握している。

 しかし、リアルな想像はできていなかった。


 だからこそ、「怪我するなんて大変だな」とは思っていたけれど、「医療費を支援した方が良いんじゃないか」とは思っていなかったのだ。

 雫には、「入院すればお金はかかるから、それは仕送り頼みの彼の生活には悪影響だろう」という簡単な推理ができなかったのである。


 決して、今回の騒動を起こした凪を褒めている訳ではない。

 空の言っていた通り、これは無駄に周囲に迷惑をかける悪手だった。

 だがそれでも、「九城空は経済的に苦しくなりかけているのかもしれない」と気が付けただけでも、凪は雫よりも彼のことを理解しているのだ。


 だって雫は、そのことに気が付きすらしなかったのだから。

 そもそもにして、発想として無かったのだから。


 これこそ、「無自覚な傲慢さ」だろう。

 自分がお金に困ったことがないものだから、周囲も当然そうだろうと決めつけていた。


「私が『日常の謎』が苦手って言うのもあるけれど……もっと根本的な問題よね、これ」


 自分で自分を侮蔑しながら、雫はぎこちなく笑う。

 そして、「九城君にも仲直りを勧めよう」と決めた。


 改めて別のバイトを探すそうだから、近くに人がいないのは不安だろう。

 彼の価値観に寄り添える相手に、さっさと復活してもらった方が良い。

 今回こそやらかしてしまったが、凪にはある程度の庶民的な感覚があるのだから────「お金は使えばなくなる」という当たり前のことを、知っていたのだから。


「私と違って、ね……」


 そう呟きながら、蛇口を回して水を止めようとする。

 もうとっくに皿を洗い終わっているのに、水が流れっぱなしだったからだ。

 雫の皿洗いは豪快なので、こういうことがしばしばある。


 ──そう言えば、九城君が皿洗いを手伝ってくれた時は、こまめに蛇口を閉めてたな……。


 今になって初めて、雫はそれが水道代を心配しての振る舞いだと気づいた。

 水道代は大家である凪が支払うことになるので、その料金が高くならないように配慮していたのだろう。


 彼のように普通の人は、ちゃんとそういうことを気にして生きているのだ。

 雫とは違って。


 ……いつかと同じように、胸がチクンと痛んだ気がした。

 小さな氷の針が、心臓に突き刺さったように。

 どれだけ待っても、それが溶けて消えることはないようだった。

面白いと思われた方は評価、ブックマーク、リアクションのほどよろしくお願いします。

また、感想もお待ちしています。


※次回更新時期は未定です。決まり次第お知らせします。

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