幸福の青い鳥
「前にも言ったでしょう?私たちはまあ、実家があんな感じだから。『どうかお近づきになりたいです』って感じの人が来ることがあるって」
「そう言えば、言ってたな。クラスメイトからそんなことを言われるって」
「当然と言えば当然だけれど、あれはクラスメイト以外からも結構されるのよ。頼んでもないのにお中元が届いたり、普通の買い物のはずなのに勝手に無料にしようとしたり……平たく言えば、媚びてくる人たちが多いワケ」
辟易している様子で、終夜は自分にまとわりつく人間のことを打ち明ける。
庶民である僕からすると想像がつきにくいが、本当に彼女たちにとってはあるあるネタのようだった。
「だから、その館長が香宮家にアピールしようとするのは、不自然なことではないと思う。これからもよろしくと言っておくだけでも、大分違うもの」
「でもそれなら、このお屋敷を直接訪ねれば良いんじゃ……」
「流石にそれは露骨過ぎるわ。そもそも凪は地下室から出て来ないことが多いから、直に来たところで会えない可能性も高い。無理に押し掛けても、今だと追い返されるだろうし」
言いながら、終夜はちらりとリビングの奥を見やる。
そこには、晶子さんの事件から引き続き配備されている警備員の姿があった。
事件は終わったが、また何かあった場合に備えて、ある程度は常駐するようになったのである。
彼らの存在があるからこそ、終夜の論理には一定の説得力があった。
門扉の前で堂々と立っているくらいだから、外部の人間にも警備強化は伝わっているだろう。
香宮に直にアピールしようにも、警備員に守られた現在では中々難しい。
「だから……代わりに、僕にアピールすることにしたってこと?」
「そうよ。高額なバイトをアンタのために用意して、強引に恩を着せる。そうすれば、アンタが凪に『あそこの館長さんは凄く良い人だよ』って宣伝してくれるかもしれないでしょ?そうやって、間接的に凪に媚びようとしたんじゃないかしら」
「いやでも、それならあんな風にバイトを大々的に募集する必要はないんじゃ……これはこれで、十分露骨だよ」
最初から僕がターゲットだったと言うのなら、僕だけにバイトの勧誘をすればいいだけの話である。
館長の子どもは幻葬高校に通っているそうだから、僕を呼び出してバイトを勧めるくらいはできるだろう。
それがどうして、幻葬高校の生徒全体に周知するような形になったのか。
「そこは、こう……いくら何でもアンタにだけバイトの話を持ち掛けたら、警戒して会ってくれないんじゃないかと心配したとか?バイトのまとめ本に載っていないバイトなんて、それこそ闇バイトだと勘違いされるでしょうし」
「まあ確かに、あのリストに載っているからこそ信頼したところはあるけれど……」
何だか、しっくり来ない感じはした。
僕個人を雇うためだけに、変な代償を払ってしまっているというか。
こう言うとアレだが、多数集まった希望者をあしらうことに時間を使ってまで、香宮家にアピールしたかったのだろうか?
なまじあんなことをするせいで、「異様に採用条件が厳しいバイトがある」と変な噂になったようなのだが……。
そもそも、ここまでして僕にお金を渡しても、香宮に対してどのくらい宣伝効果があるのかは分からない。
どんな確信があって、館長はこの手法を選んだのだろうか。
──ただ、終夜だって春に同居人を探していた時には、結構大々的に周知していたみたいだしな……もしかするとこれも、「幻葬市の資産家あるある」なのかな?
しかしここで、僕はかつての終夜の振る舞いを思い出す。
思えば、今回の一件は彼女がしていた同居人の募集とよく似ている。
謎の好条件が提示されて、そこに人が殺到して、最終的には僕一人が選ばれる……流れは一緒だ。
終夜がこの件に関して迅速に推理をしたのは、あの一件があるからかもしれない。
そう感じたことで、幾らかの違和感を僕は呑み込むことにした。
実際に僕のような人材を求めて大募集をしていた彼女の意見を、ひとまず尊重したのである。
「……分かった。とりあえず、終夜の推理が正しいと考えよう。でも、そうなるとこのバイトはやっぱり辞めた方が良いのかな。香宮としても、こういうやり方で僕が抱き込まれるのって嫌だろうし」
順当に考えれば、そういう結論になる。
本当にこのバイトが香宮家へのアピールとして用意されたのならば、僕のバイト代とはすなわち、香宮家への賄賂を意味する。
仲の良い同居人様にこれだけのお金を渡したんだから、これからは便宜を図ってくださいね……そんな含みのあるお金な訳だ。
僕としても嫌な気分になる話だが、もっと嫌なのは香宮だろう。
下手すると僕がこのバイト代を受け取ったという事実が、香宮やその両親に迷惑をかけるかもしれない。
推理が始まってから香宮がずっと黙ってしまっているのも、その辺を考えているからだろうか。
だから終夜の意見に従うならば、このバイトはさっさと辞めた方が────。
「……別に、私は辞めなくても構わないと思うけれど。向こうが勝手に渡してくるお金なのだから、返す理由は無いわ。良いじゃない、青い鳥をわざわざ逃さなくても」
「え?」
「な、凪?」
そこで唐突に香宮が割り込んだために、僕と終夜は同時に目を丸くした。
香宮の沈黙が解かれたことにもびっくりしたけれど、それ以上に発言の内容に驚く。
──貰っても良い……だって?
不躾に香宮を凝視したけれど、彼女の様子は変わらなかった。
いつものように、体温を感じさせない唇から淡々と言葉を紡ぐ。
「……私の両親は幻葬市にいないのだから、いくらアピールされようが、館長に対する両親の評価が変わることはないわ。つまり彼は、意味のないお金を配り歩いている状態。だったら、九城君がポケットに収めても良いと思う。向こうが勝手にそうしているのだから、訂正してあげる義務は無いと思う」
「凪の両親に館長からお金を貰ったことは伝えずに、素知らぬ顔で高いバイト代を貰い続ければ良いってこと……?」
「でもそれ、詐欺になるんじゃないかな?」
この高額のバイト代が、館長のポケットマネーから出ているのか、それとも図書館の予算から横領されているのかは分からない。
しかしどちらにせよ、本来なら高校生のバイトが関わるべきではない資金源だ。
向こうの目的に気づかない振りをして、それを貰い続けるというのは……分かっていて詐欺に加担しているような物である。
「……詐欺とは言えないでしょう。私の方からお金を強請ったならともかく、館長が一方的に渡してくるのだから。一種の募金のようなものよ。互いに同意があるのなら、何も問題ないでしょう?」
「究極的にはそうかもしれないけど……でも……」
「凪、今日のアンタ、ちょっとおかしいわよ。どうしたの、一体……普段なら、そんな考え方は嫌ってなかった?死法学の研究に専念したいのに、お金を渡せば仲良くなれると思って近づいてくる人が多いから嫌になるって、前に愚痴を言っていたじゃない」
本気で困惑した表情で、終夜が香宮を問い詰める。
しかし、香宮はそれに答えなかった。
何事もないかのようにごくごくとお茶を飲んでいる。
「……っ!」
「しゅ、終夜、ストップ!」
彼女の態度を「すっとぼけて無視している」と受け取ったのか、終夜は立ち上がって詰め寄ろうとした。
その勢いが余りにも凄かったので、僕はすぐさま押しとどめる。
不思議なバイトについて相談していただけなのに、予期しない方向に話が進んでしまった。
「ま、まだ終夜の推理が正しいかどうかも、完全には決まっていないんだからさ。とりあえず、この疑惑については保留にするよ。明日、返金がてら図書館の人にも事情を聞いてくる。もしかすると、本当に単なるミスかもしれないんだから……」
とにかくこの場の雰囲気を変えたくて、僕はそんな風に捲し立てた。
いくら何でも、終夜と香宮が言い争う場なんて見たくない。
二人ともそれは分かってくれたのか、各々がすぐに頷くのだった。
「館長直々にお金を詰めていた、ですか?」
「はい。あの日、自分でそうしてから私に突然封筒を渡してきたので……そんなに入っていたんですね。あのバイトは、人が足らなくなると適宜募集をかけるんですが、今のような話は初めて聞きました」
翌日の午後。
宣言した通りに返金に向かった僕は、図書館の隅で気になる証言を聞いていた。
封筒を渡してきた職員である磯部さんが偶然通りすがったので、これ幸いと事情を聞いたのだけど────「館長がわざわざ中身を詰めていたので、私は中身について知らないんです。ですので、これがおかしな額かどうかも分かりません」と返されたのだ。
「ええっと、その……バイト代を図書館の館長がわざわざ詰めるのって、よくあることなんでしょうか?」
「いえ、普通は経理の方でやります。今の時代、バイト代を手渡しにすることが多いのは間違いないですが、館長だって忙しいんですから。まあ、今日は休みですけど……それでも一応、暇ではないです」
バイト一人のためにそこまでするのは普通有り得ない、と磯部さんは困惑したニュアンスを伝えてくる。
やはりこのバイトについては、館長の意思がかなり関わっているようだ。
少なくとも、職員に疑念を抱かれる程度には変なことをしている。
──でも、そうなると……終夜の推理がやっぱり正しかったってことになるな。
バイト代を初日から本来の十倍にしてしまうというのは、いくら何でもうっかりミスの領域を超えている。
館長が自ら入れていたとなると、もう確定だろう。
意図的に僕に多額の金銭を渡そうとしたから、そうなったのだ。
──これはまた、面倒な話になってきたな。こうなると香宮は、また「受け取っても良いんじゃないか」とか言い出しそうだし。それを聞いたら終夜が怒りそうだし……。
昨日の時点では、「まだ終夜の推理が正しいと決まった訳じゃないから」というのを論拠にして、言い合いを防いだのである。
やっぱり合ってた、なんて言ってしまえば、第二ラウンドが始まってしまう。
どうすれば良いんだと嘆きつつ、僕は一応やるべきことをした。
「……とりあえず、これは受け取れません。既定のバイト代はもう抜いておいたので、残りは返しておきます。館長さんに渡しておいてください」
「はあ、分かりました。でも律儀ですね、九城さん。これだけの額ですから、こっそり財布に入れちゃえばいいのに」
冗談めかした言い方をする磯部さんを相手に、僕は苦笑を浮かべる。
確かに現代ではそうする人が多いのだが、図書館職員からも勧められるとは思わなかった。
こんな意見を聞くと、昨日香宮が言っていたことが暴論ではないと実感してしまう……普通、そうなのだ。
「今のところは、そんな滅茶苦茶お金に困っている訳ではないですし……そもそも探偵って、特定の人から沢山のお金を貰うこと自体が危険じゃないですか。その人に恩を着せられて、自由に動けなくなることもあるでしょうし」
「まあ、それはそうですけどね……」
そんな会話をしたところで、磯部さんの胸ポケットで携帯電話が静かに震える。
職員間の連絡に使う携帯のようだった。
僕に「ちょっと待ってください」と言った彼女は、携帯電話を開いて幾らかの会話をしてから、急に疲れた顔になった。
「……どうかされたんですか?」
「ああいえ。九城さんがやっているこのバイトについて、新たな希望者が直に受付まで来たって連絡があって。もう枠は埋まったとホームページに書いているんですが、読んでいない人が結構いるようです。私はバイト関連の担当なので、こういう対応が回ってきていると言いますか」
「割の良いバイトですからね。熱意ある人は、直接来てアピールしようとするのか……お疲れ様です」
「いやまあ、九城さんに決まってからは流石に減っているので、対応は楽になりましたけどね。決定前は、前日に申し込んできた人の名前を次の日の朝にリスト化して、館長のチェックを受けてもらって、それから不採用の通知をする作業がありましたから……」
「……へえ」
電話対応に疲れた勢いのままに、彼女はそんな愚痴を零す。
しかし、すぐに一介のバイトに言うべきことではないと思ったのだろう。
慌てて改まった様子になってから、「とにかく、九城さんが返金したいというのなら受け取っておきます。明日は館長も来るので、事情を聞いておきますね」と言ってくれた。
一方、僕の方はこれ以上やることもない。
今日はバイトも入っていなかったので、しばらくその場で考えてから、結局は踵を返すことにした。
一刻も早く、香宮邸に帰るために。
……ああ、そうだ。
今すぐにでも帰らないといけない。
やっと、この一件の黒幕と言える人物のことが分かったのだから。




