第5話 片耳イヤホンと、膝の上の生徒会長
好きな人との距離は、何センチまでなら平常心を保てるのだろう。
一メートル?
五十センチ?
それとも、三十センチ?
最近の私は、そんなことばかり考えている。
なぜなら。
「ミサト、もうちょっとこっち来て」
「えっ?」
「イヤホン、届かない」
「あ、うん……」
私は少しだけ体を寄せた。
肩が触れる。
……近い。
「もうちょっと」
「えっ、まだ?」
「うん。コード引っ張られちゃうから」
さらに体を寄せる。
ぴとっ。
肩と肩が、完全にくっついた。
……。
…………。
(近い近い近い近い!!)
私、榊ミサト。
高校二年生。
趣味はライトノベルを書くこと。
そして現在、好きな女の子と一つのイヤホンを分け合っています。
……誰か助けてください。
◇
話は少し前に戻る。
今日も学校は平和だった。
数学の小テストが明日に迫っていることを除けば。
放課後、私はユウナと一緒に帰宅した。
昨日約束した、二日目の勉強会をするためだ。
「ミサト、昨日やったところ覚えてる?」
「……たぶん」
「たぶん?」
「……半分くらい」
「ふふっ。じゃあ、今日は復習からだね」
ユウナが笑う。
……かわいい。
じゃなくて。
勉強しなきゃ。
私たちは制服から部屋着に着替え、リビングのテーブルに教科書とノートを広げた。
昨日と同じく、隣同士。
そして昨日と同じく、私は集中力を試されていた。
「ここ、昨日も間違えたところだよ」
「あっ、本当だ」
「符号に気をつけてね」
「うん」
ユウナが私のノートを指さす。
その指が、私の手のすぐそばにある。
……。
綺麗な指だなあ。
「ミサト?」
「は、はい!」
「今の問題、もう一回やってみようか」
「あ、うん!」
危ない。
危ない危ない。
何を見ているの、私。
今は数学!
恋愛じゃなくて数学!
……いや、恋愛はしてるんだけど。
私が一方的に。
◇
一時間ほど勉強したところで、ユウナが大きく伸びをした。
「ん〜っ! 疲れたぁ!」
……。
おお。
出た。
最近、少しずつ見るようになってきた、家でのユウナ。
学校では絶対にこんな声を出さない。
姿勢だって、いつもきちんとしている。
でも今は、椅子の背もたれに体を預けて、だらんとしている。
「休憩する?」
「する〜」
即答だった。
私は思わず笑ってしまう。
「飲み物取ってくるね」
「ありがと〜」
キッチンで麦茶を用意して戻ると、ユウナはすでにソファへ移動していた。
クッションを抱え、足を伸ばしている。
「はい、麦茶」
「ありがと、ミサト」
ユウナがグラスを受け取る。
一口飲んでから、ふうっと息を吐いた。
「……生き返る」
「大げさだよ」
「今日は結構頑張ったもん」
「そうだね」
ユウナは満足そうに笑った。
そして、テーブルに置いてあったスマホを手に取る。
「あ、そうだ」
「ん?」
「ミサトって、普段どんな音楽聴くの?」
「音楽?」
「うん。小説書くときとか」
「ああ……」
私は少し考えた。
「アニソンとか、ゲームの曲とか……。あとロックも好きかな」
「へえ! ロック聴くんだ」
「うん。小説書くときは歌がない曲を聴くことも多いけど」
「そうなんだ」
「ユウナは?」
「私? 色々かな。最近はこのバンドが好き」
ユウナがスマホの画面を見せてくれた。
知らないバンドだった。
女性ボーカルの四人組らしい。
「この曲、すごくいいんだよ」
「へえ……」
「聴いてみる?」
「うん!」
ユウナはスマホにイヤホンを接続した。
そして、片方を自分の耳に入れる。
もう片方を私に差し出した。
「はい」
……。
「……え?」
「一緒に聴こうよ」
……。
…………。
えっ?
イヤホン?
片耳ずつ?
それって。
あの。
少女漫画とかでよく見る、あれですか!?
「……ミサト?」
「あ、うん!」
私は慌ててイヤホンを受け取った。
そして左耳に入れる。
ユウナは右耳。
一つのスマホ。
二人で一曲。
……。
(待って待って待って!!)
私、今、ものすごくラブコメっぽいことしてない!?
しかも相手はユウナ!
私の好きな人!
「じゃあ、流すね」
「う、うん!」
音楽が始まった。
軽快なドラム。
ギターの音。
そして、少しハスキーな女性ボーカル。
……あ。
いい曲。
結構好きかも。
そんなことを思っていると。
「ミサト、もうちょっとこっち来て」
「えっ?」
「イヤホン、届かない」
……。
そうだった。
有線イヤホンだから、コードの長さには限界がある。
私は少しだけ体を寄せた。
肩が触れる。
「もうちょっと」
「えっ、まだ?」
「うん。コード引っ張られちゃうから」
さらに体を寄せる。
ぴとっ。
肩と肩が、完全にくっついた。
……。
…………。
(ちょっとぉぉぉ!!)
心臓!
静かにして!!
音楽が聞こえない!!
……いや、聞こえてるけど!
頭に入ってこない!!
「このサビ、好きなんだよね」
ユウナが私の顔を覗き込む。
「ミサトはどう?」
「えっ!? あ、うん! 好き!」
「ほんと?」
「うん!」
……。
…………。
好き。
好きって言っちゃった。
いや、曲が!
曲が好きって意味だから!
分かってるよね!?
ユウナは嬉しそうに笑った。
「よかった。趣味合うね」
……。
…………。
(趣味合うって言われたぁぁぁ!!)
私はもう、どうしたらいいのか分からなかった。
◇
結局、そのあと三曲ほど一緒に聴いた。
最初は緊張して音楽どころではなかったけれど、二曲目あたりから少しずつ落ち着いてきた。
……落ち着いたというより、諦めたと言った方が正しいかもしれない。
だって。
肩がくっついているのは、もうどうしようもない。
ユウナは平気そうだし。
私だけ離れたら、変に思われるかもしれないし。
……。
だから。
もう、このままでいい。
私はユウナの隣で、流れてくる音楽に耳を傾けた。
時々、ユウナが小さくリズムを取っている。
楽しそうに笑ったり、口ずさんだり。
学校では見たことのない姿。
そんなユウナを、私は横目で眺めていた。
……。
(……幸せだなあ)
好きな人と、同じ音楽を聴いている。
ただ、それだけ。
なのに、こんなに嬉しい。
「ねえ、ミサト」
「ん?」
「またおすすめ教えてね」
「……うん!」
「私も色々紹介するから」
ユウナがにっこり笑った。
……。
これからも?
こうやって?
一緒に音楽を聴くの?
……。
(……心臓、鍛えなきゃ)
私は本気でそう思った。
◇
夕飯は、昨日買ってきた食材を使って簡単な炒め物を作った。
ユウナも野菜を切るのを手伝ってくれた。
料理が得意じゃないと言っていたけれど、包丁の使い方は普通に上手だった。
「ミサト、これくらいでいい?」
「うん。ちょうどいいよ」
「よかった」
……。
学校では生徒会長。
家では一緒に料理をする女の子。
こうしていると、だんだんユウナとの生活が普通になってきた気がする。
……いや。
普通になってきたのは、行動だけだ。
心の中は、相変わらず大騒ぎ。
「ミサト?」
「ひゃい!」
「……玉ねぎ、焦げそう」
「あっ!」
私は慌ててフライパンを動かした。
……。
まだまだ先は長そうだった。
◇
夕食後。
食器を片づけ、少しだけ明日の準備をしたあと。
私たちはリビングのソファでテレビを見ていた。
ユウナはお風呂を済ませていて、ゆったりとした部屋着姿。
私はまだ入っていない。
テレビでは、旅番組が流れていた。
綺麗な海。
美味しそうな料理。
楽しそうな観光客。
「いいなあ。旅行」
ユウナがぽつりと言った。
「行きたいの?」
「うん。温泉とか行きたい」
「ああ、いいね」
「ミサトは?」
「私も好きだよ。温泉」
「じゃあ、いつか一緒に行きたいね」
……。
…………。
(温泉旅行!?)
それは!
二人で!?
……いや、家族旅行の話かもしれない。
そうだよね。
落ち着こう。
「……う、うん」
私はどうにか返事をした。
ユウナは満足そうに微笑んだ。
そして。
「……ふぁぁ」
小さくあくびをした。
「眠い?」
「ん〜、ちょっと」
「今日も疲れた?」
「うん。勉強頑張ったから」
……。
…………。
確かに頑張ったけど。
私に教えてくれた時間の方が長かった気がする。
「ミサト〜」
「ん?」
「ちょっと横になっていい?」
「う、うん。いいよ」
ユウナがソファの上で体を動かした。
私は邪魔にならないよう、少しだけ端へ寄る。
すると。
ぽすん。
……。
…………。
………………。
「…………え?」
私の太ももの上に。
何かが乗った。
……いや。
何かじゃない。
ユウナの頭。
ユウナが、私の太ももを枕にして横になっている。
……。
…………。
………………。
(…………ええええええええっ!?)
私は完全に固まった。
何これ!?
何が起きた!?
膝枕!?
これ、膝枕だよね!?
ユウナが!?
私の!?
「……ユ、ユウナ?」
「ん〜?」
「な、何してるの……?」
「ちょっと休憩〜」
……。
…………。
休憩。
休憩ですか。
そうですか。
なるほど。
……なるほどじゃない!!
どうして私の太ももの上なの!?
クッションあるよ!?
さっきまで抱えてたじゃん!!
「……重い?」
ユウナが私を見上げた。
「えっ!? ううん!」
「ほんと?」
「う、うん!」
「よかった〜」
ユウナは安心したように笑った。
そして、再びテレビへ視線を戻した。
……。
…………。
終わった。
私の平常心が、完全に終わった。
◇
ユウナの頭が、私の太ももに乗っている。
重さは、それほどでもない。
でも。
確かに感じる、温かさ。
少し動くたびに、さらさらした黒髪が触れる。
……。
…………。
(……これ、どうすればいいの?)
私は両手を宙に浮かせたまま、固まっていた。
どこに置けばいい?
手。
手って、どこに置けばいいの!?
ユウナの肩?
いやいや!
頭?
もっと駄目!
太ももの横?
……ああ、もう!
「……ミサト?」
「は、はい!」
「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ?」
「えっ!?」
……。
…………。
ばれてる!?
私が緊張してるの、ばれてる!?
ユウナがくすっと笑った。
「お母さんには、よくこうしてもらってたんだ」
「……え?」
「膝枕」
……。
…………。
あ。
そういえば。
昨日の勉強会でも、そんなことを言っていた。
お母さんには、昔から甘えていたって。
「学校だと、なかなかこういうことできないからさ」
ユウナが小さく笑った。
「家だと、つい甘えちゃうんだよね」
「……そ、そうなんだ」
「ミサト、嫌だった?」
……。
…………。
私は慌てて首を振った。
「い、嫌じゃない!」
「ほんと?」
「うん!」
……嫌なわけがない。
むしろ。
むしろ、ものすごく嬉しい。
でも。
嬉しすぎて困っている。
「……よかった」
ユウナがほっとしたように笑った。
「まだ一緒に暮らし始めたばっかりだから、ちょっと遠慮してたんだけどね」
「……うん」
「ミサトといると、なんか落ち着くから」
……。
…………。
………………。
(…………っ!!)
やめて。
そんなこと言わないで。
私、今、本当に心臓が危ないから。
「……迷惑だったら言ってね」
「……ううん」
私は小さく首を振った。
「……大丈夫」
「ありがと、ミサト」
ユウナは嬉しそうに微笑んだ。
そして。
私の太ももの上で、目を閉じた。
……。
…………。
(…………かわいい)
……駄目だ。
かわいすぎる。
こんなの。
こんなの、反則だよ。
◇
テレビでは、相変わらず旅番組が流れていた。
でも、私はもうほとんど見ていなかった。
視線は自然と、ユウナへ向いてしまう。
目を閉じた横顔。
少しだけ緩んだ口元。
学校では決して見られない、無防備な姿。
……。
…………。
私はそっと、ユウナの髪を見つめた。
綺麗だなあ。
触ってみたい。
……。
…………。
いや。
勝手に触るのは、よくないよね。
そう思った、そのとき。
「……ミサト」
「ひゃいっ!?」
ユウナが目を開けた。
「……な、なに?」
「髪、変になってない?」
「えっ?」
「さっきお風呂入ったあと、ちゃんと乾かしたつもりなんだけど」
……。
…………。
私はユウナの髪を見た。
「……大丈夫だよ」
「ほんと?」
「うん。綺麗だよ」
……。
…………。
言っちゃった。
綺麗って。
本人に。
しかも、こんな距離で。
ユウナは小さく笑った。
「ありがと」
……。
…………。
私は顔が熱くなるのを感じた。
駄目だ。
もう何を言っても、変な意味に聞こえてしまう。
するとユウナが、少しだけ体を動かした。
私の太ももの上で、寝返りを打つ。
……。
(…………ひゃあああ!!)
近い!
顔が!
顔が近い!!
ユウナが仰向けになって、私を見上げている。
目が合った。
……。
…………。
「……ミサト?」
「は、はい……」
「顔、赤いよ?」
……。
…………。
終わった。
完全に終わった。
「ね、熱いのかな!?」
「そう?」
「う、うん!」
「暖房、そんなにつけてないけど」
「……そ、そうだね!」
ユウナが不思議そうに首を傾げる。
……。
お願い。
これ以上、見つめないで。
私の心臓が。
もう。
もう……!
「……ミサト」
「な、なに?」
「……眠くなってきた」
……。
…………。
ユウナは再び目を閉じた。
そして、少しだけ私の方へ体を寄せた。
「……あと五分だけ、こうしてていい?」
……。
…………。
私は、ゆっくりと頷いた。
「……うん」
「……ありがと」
ユウナの声が、少しずつ小さくなる。
……。
…………。
ああ。
どうしよう。
私。
この人のこと。
本当に好きなんだなあ。
◇
五分後。
ユウナは、すっかり眠っていた。
……。
…………。
「……また寝ちゃった」
私は小さく笑った。
昨日もソファで寝ていたし。
今日も膝枕で寝ている。
学校では、あんなに完璧なのに。
家では、こんなに無防備。
……。
これが、本当のユウナなんだ。
私は少しだけ嬉しくなった。
誰も知らない姿を、私だけが知っている。
……いや。
お母さんも知っているんだけど。
それでも。
学校の誰も知らないユウナを、今、私は見ている。
そのことが、嬉しかった。
……。
…………。
でも。
同時に。
少しだけ、切なくなった。
ユウナにとって、私は安心できる家族。
だから、こんなふうに甘えられる。
だから、無防備に眠れる。
でも。
私にとっては、それだけじゃない。
……。
「……好きだなあ」
私は声にならないくらい小さく呟いた。
もちろん、返事はない。
ユウナは静かに眠っている。
……。
…………。
私はそっと、ソファの背もたれに体を預けた。
膝の上には、好きな女の子。
テレビからは、楽しそうな笑い声。
窓の外は、すっかり夜になっていた。
……。
…………。
(……幸せすぎる)
でも。
(……もう心臓がもたないよ)
私は天井を見上げた。
◇
それから、しばらくして。
「……ん……」
ユウナが目を覚ました。
「……あれ?」
「おはよう」
「……ミサト?」
「うん」
ユウナはぼんやりと私を見上げた。
そして、ようやく自分が膝枕されていることを思い出したらしい。
「あ……寝ちゃってた」
「うん」
「……ごめん」
「いいよ。疲れてたんでしょ?」
ユウナはゆっくりと体を起こした。
そして、大きく伸びをする。
「ん〜っ!」
……。
…………。
かわいい。
何をしても、かわいい。
「……ミサト」
「ん?」
「ありがとね」
「……ううん」
「膝、痛くなかった?」
「だ、大丈夫!」
「そっか。よかった」
ユウナが嬉しそうに笑った。
そして。
「またお願いしてもいい?」
……。
…………。
………………。
「…………え?」
「膝枕」
……。
…………。
また?
またですか!?
もう一回!?
いや、もう一回どころじゃない!?
これから何回も!?
「……だ、駄目?」
ユウナが少しだけ首を傾げた。
……。
…………。
そんな顔しないで!!
断れるわけないでしょ!!
「……い、いいよ」
「やった」
ユウナがにっこり笑った。
……。
…………。
ああ。
駄目だ。
私、絶対この人に甘い。
そして。
たぶん。
これから、もっと甘くなる。
◇
夜十一時。
私は自分の部屋で、ノートパソコンを開いていた。
もちろん、小説を書くためだ。
今夜も、書きたいことが山ほどある。
片耳ずつのイヤホン。
肩がくっついたこと。
膝枕。
そして。
あの寝顔。
……。
…………。
「……ううう」
私は両手で顔を覆った。
思い出すだけで、また恥ずかしくなってくる。
……でも。
書かなきゃ。
だって、これが私のラノベなんだから。
私は小説投稿サイトを開いた。
昨日更新した第4話には、新しいコメントがついていた。
『妹ちゃん、完全に甘えん坊ですね(笑)』
『学校とのギャップが最高!』
『この二人、距離感がおかしいwww』
『主人公が毎回ドキドキしてるのかわいい』
……。
…………。
「……距離感、おかしいよね」
私は小さく呟いた。
読者の皆さん。
あなたたちの言っていることは、正しいです。
距離感。
ものすごくおかしいです。
……少なくとも、私にとっては。
私は新しい話を書き始めた。
『第5話 片耳イヤホンと、膝枕』
……。
…………。
そのまんま。
また、そのまんま。
でも、いいか。
小説の中では名前も変えているし、設定も少し違う。
それに。
今日は、ちょっとだけ大胆にしてみよう。
私はキーボードを叩いた。
『「ナツ、これ聴いてみて」』
『アオイが差し出したのは、一つのイヤホンだった。』
『「一緒に聴こう?」』
『私は頷き、彼女の隣に座った。』
……。
…………。
うん。
いい感じ。
続きを書く。
『肩が触れる。』
『イヤホンから流れる音楽より、自分の心臓の音の方が大きく聞こえた。』
……。
…………。
「……これ、実話なんだよねえ」
私は思わず笑ってしまった。
そして、さらに続きを書く。
『その夜。』
『アオイは私の膝を枕にして眠ってしまった。』
『私は彼女の寝顔を見つめながら、そっと髪を撫でた。』
……。
…………。
……髪を撫でた。
……。
「……そこは嘘だなあ」
現実では、撫でていない。
でも、小説だから。
少しくらい、いいよね。
私は続きを書いた。
『「ナツ」』
『眠っていたはずのアオイが、ゆっくりと目を開けた。』
『「……私のこと、好き?」』
……。
…………。
………………。
「…………」
私はキーボードから手を離した。
……好き?
もし。
本当に。
ユウナに、そんなことを聞かれたら。
私は、どうするんだろう。
……。
…………。
「……言えないよ」
小さく呟いた。
だって。
好きなんて。
本人に言えるわけがない。
……でも。
小説の中なら。
私は再び、キーボードに指を置いた。
『「……好きだよ」』
『私は、初めて自分の気持ちを言葉にした。』
……。
…………。
……あ。
なんだろう。
ちょっとだけ、胸が苦しくなった。
現実では言えない言葉。
でも、ずっと言いたかった言葉。
それを、小説の主人公に言わせている。
……。
…………。
「……ずるいなあ、私」
私は苦笑した。
そして続きを書いた。
『アオイは嬉しそうに微笑んだ。』
『「……私も」』
……。
…………。
………………。
「…………っ!」
私は机に突っ伏した。
無理!!
自分で書いておいて、無理!!
もしユウナにそんなこと言われたら!!
私!!
絶対!!
倒れる!!
「……あああああ!!」
私は椅子の上でじたばたした。
……。
…………。
しばらくして、ようやく落ち着く。
私はもう一度、画面を見つめた。
……。
…………。
そして、少し考えた。
「……さすがに早いかな」
まだ第5話。
小説の中とはいえ、ここで両思いにしてしまうのは、ちょっと急ぎすぎかもしれない。
……というか。
現実の私が、まだ全然追いついていない。
私は最後の数行を消した。
そして、書き直す。
『「ナツ」』
『アオイが目を開けた。』
『「……また、膝枕してね」』
『「……うん」』
『私は、それだけ答えた。』
『今はまだ、この距離で十分。』
『そう思っていた。』
『……少なくとも、今日までは。』
……。
…………。
「……うん」
こっちの方がいい。
私は小さく頷いた。
現実では、まだ何も始まっていない。
ユウナは、私を家族だと思っている。
私は、ユウナが好き。
その気持ちだけは、ずっと変わらない。
……でも。
今すぐ何かを変えたいわけじゃない。
こうして一緒に暮らして。
少しずつ仲良くなって。
学校では知らなかったユウナを、もっと知っていく。
それだけで、今は十分幸せだから。
私は文章を読み返し、誤字を直した。
そして、投稿ボタンを押す。
「……よし!」
今日も更新完了。
少しずつ読者も増えている。
小説を書くのが、ますます楽しくなってきた。
……まあ。
ネタが毎日増えていくのだから、当然かもしれない。
◇
パソコンを閉じようとした、そのとき。
コンコン。
「ミサト〜?」
「ひゃいっ!?」
……。
…………。
まただ。
また変な声が出た。
「起きてる?」
「う、うん!」
「ちょっといい?」
「い、いいよ!」
私は慌てて小説投稿サイトを閉じた。
そして、何事もなかったように椅子へ座り直す。
ドアが開いた。
ユウナが顔を覗かせる。
部屋着姿。
少し眠そうな目。
「……どうしたの?」
「明日なんだけど」
「うん?」
「帰り、また一緒に帰れると思う」
「あ、そうなんだ」
「それでね」
ユウナがにっこり笑った。
「帰りに、あのバンドの新しい曲、一緒に聴かない?」
……。
…………。
………………。
「…………え?」
「今日、楽しかったから」
……。
…………。
今日。
楽しかった。
片耳イヤホン。
肩がくっついて。
あんなに近くて。
……それを。
また?
「……ミサト?」
「……う、うん!」
私は慌てて頷いた。
「聴きたい!」
「よかった!」
ユウナが嬉しそうに笑った。
「じゃあ、明日ね」
「……うん!」
「おやすみ、ミサト」
「お、おやすみ!」
ユウナは微笑んで、部屋を出ていった。
扉が閉まる。
……。
…………。
私は、しばらくその扉を見つめていた。
そして。
「…………はぁぁぁぁぁ」
大きく息を吐いた。
……。
明日も。
片耳イヤホン。
……。
…………。
私はベッドへ倒れ込んだ。
枕を抱きしめる。
顔を埋める。
足をばたばたさせる。
「……もう無理ぃぃぃ!!」
小さな声で叫んだ。
好きな人と一緒に音楽を聴く。
好きな人に膝枕をする。
好きな人が、自分の隣で安心して眠る。
……。
…………。
こんなの。
こんなの、毎日続いたら。
「……もう心臓がもたないよぉ……!」
私は枕に顔を埋めたまま、しばらく動けなかった。
……。
…………。
ちなみに。
そんな私のスマホには、さっき更新したばかりの小説へのコメント通知が届いていた。
『この二人、もう付き合ってるでしょwww』
……。
…………。
私は画面を見つめた。
そして。
「……付き合ってないんだよぉぉぉ!!」
誰にも聞こえないよう、枕に向かって叫んだ。
ああ。
もう。
本当に。
ラノベみたいな毎日だ。
……いや。
ラノベにしてるんだけど。
私はスマホを胸に抱きしめ、天井を見上げた。
明日もきっと、ユウナは私をドキドキさせる。
本人は、そんなつもりなんて少しもないのに。
……。
…………。
「……好きだなあ」
私は小さく呟いた。
隣の部屋には、私の大好きな女の子がいる。
学校では完璧な生徒会長。
家では甘えん坊の、義理の妹。
そして私は、そんな彼女との毎日をこっそり小説にしている。
……もちろん。
本人には、絶対に内緒で。
だって、もしバレたら。
……。
…………。
「……心臓がもたないどころじゃないよね」
私は苦笑して、部屋の明かりを消した。
両親が新婚旅行から帰ってくるまで、あと数日。
まだまだ、二人きりの生活は続く。
そしてきっと。
私の秘密のラノベにも、まだまだ新しい話が増えていくのだろう。
第5話 完




