第1話 好きな人が、妹になりました。
私には、好きな人がいる。
同じクラスの女の子。
成績優秀、容姿端麗、運動神経も抜群。
しかも、生徒会長。
漫画やラノベだったら、ちょっと設定を盛りすぎじゃないかと思うくらい、何でもできる女の子だ。
名前は、神崎ユウナ。
私、榊ミサトとは、住んでいる世界が違う。
いや、もちろん同じ日本に住んでいるし、同じ高校の同じ教室にいる。
でも、そういう意味じゃない。
「神崎さん! 今日の放課後って時間ある?」
「ごめん。今日は生徒会の仕事があるんだ」
「そっかー。じゃあまた今度!」
「うん。また誘って」
教室の向こうで、ユウナが女子たちに囲まれている。
いつもの光景だ。
背筋がすっと伸びていて、制服もきちんと着こなしている。
少し短めの黒髪がよく似合う、かっこいい女の子。
笑うと、またこれが反則級に素敵なのだ。
女子からの人気は、男子以上かもしれない。
実際、告白されたこともあるらしい。
……女子から。
すごい。
同性から告白されるって、どんな気分なんだろう。
「ミサト、また神崎さん見てる」
「み、見てないよ!」
「まだ何も言ってないけど」
「言ったじゃん!」
隣の席から話しかけてきたのは、友達の七海。
私の数少ない友達の一人だ。
七海はにやにやしながら、私の机を覗き込んだ。
「また小説?」
「うん。ちょっとだけ」
「今度は何書いてるの?」
「異世界ファンタジー。女の子が魔王を倒す話」
「へえ。魔王、倒せそう?」
「まだ村から出てない」
「先は長いねえ」
私は趣味でライトノベルを書いている。
ネットの小説投稿サイトで連載していて、ありがたいことに、読んでくれる人も少しはいる。
将来は作家になりたい。
……なんて、大きな声では言えないけれど。
私は別に、人と話せないわけじゃない。
友達と普通に会話もするし、アニメやゲームの話なら何時間だってできる。
ただ、初対面の人とか、あまり親しくない人とか。
そういう相手には、ちょっと緊張してしまう。
特に神崎ユウナ。
彼女に話しかけるなんて、私には難易度が高すぎる。
同じクラスになって半年以上。
まともに会話した回数は、片手で数えられるくらいだ。
「榊さん、これ配ってもらってもいい?」
そんなふうにプリントを渡されたことが、今でも忘れられない。
たったそれだけ。
でも、その日は帰宅してから、しばらくにやにやしてしまった。
自分でも気持ち悪いと思う。
仕方ないじゃん。
好きなんだから。
もちろん、この気持ちは誰にも言っていない。
七海にも。
本人になんて、絶対に。
私は今日も、遠くから彼女を眺めるだけ。
それで十分だった。
少なくとも、このときまでは。
◇
「ミサト、ちょっといいか?」
その日の夕食後。
食器を片づけていると、お父さんに呼ばれた。
「なに?」
「前に話したこと、覚えてるか?」
「前って?」
「再婚の話」
「ああ、うん」
私の家は、お父さんと二人暮らしだ。
そのお父さんに、少し前からお付き合いしている女性がいる。
再婚したいと思っていることも、すでに聞いていた。
別に反対する理由はない。
お父さんが幸せになるなら、私も嬉しい。
「今度の日曜、向こうの家族と一緒に食事でもどうかと思ってな」
「いいよ」
「そうか。よかった」
お父さんは安心したように笑った。
「あ、そうだ。向こうにも娘さんがいるんだ」
「へえ」
「ミサトと同じ高校生だそうだ」
「そうなんだ」
「しかも同じ二年生らしいぞ」
「え?」
ちょっと待って。
同じ高校生?
同じ二年生?
「同じ学校だったりして」
「ははは。まさかな」
お父さんは笑っていた。
私も笑った。
だって、そんな偶然あるわけない。
高校なんて、いくつもあるんだから。
……いや。
あるかもしれない。
同じ学校の、知らない女の子。
あるいは廊下ですれ違ったことのある女の子。
ひょっとすると、同じクラスの誰かだったりして。
まあ、誰でもいいか。
仲良くできるといいな。
私はそのくらいに考えていた。
◇
日曜日。
待ち合わせは、駅前のレストランだった。
少しだけ緊張する。
これから新しい家族になるかもしれない人たちと、初めて会うのだから。
「そんなに緊張しなくても大丈夫だぞ」
「お父さんの方が緊張してるじゃん」
「そうか?」
「さっきからネクタイ触ってる」
「……そうか」
お父さんが慌てて手を下ろした。
ちょっと笑ってしまった。
レストランに入ると、店員さんに案内されて奥の席へ向かった。
そこには、上品な雰囲気の女性が座っていた。
お父さんが嬉しそうに手を上げる。
「お待たせしました」
「いえ、私たちも今来たところです」
優しそうな人だった。
お父さんと並んでいる姿を見ると、なんだかお似合いだと思う。
「ミサトです。よろしくお願いします」
「こちらこそ。神崎です。今日は来てくれてありがとう」
「いえ……」
ん?
神崎?
どこかで聞いた名字だ。
いや、珍しい名字じゃないし。
「娘はちょっとお手洗いに行っていて。すぐ戻ると思います」
「ああ、そうなんですね」
お父さんが椅子を引いた。
私はその隣に座る。
飲み物のメニューを眺めながら、何となく話を聞いていた。
「娘さんも同じ二年生なんですよね」
「ええ。生徒会の仕事もしているので、毎日忙しいみたいで」
……生徒会?
「昔から本当にしっかりした子なんです。私よりずっと」
「ははは。頼もしいですね」
……ちょっと待って。
神崎。
二年生。
生徒会。
いやいやいや。
そんなわけない。
同じ名字の人なんて、たくさんいる。
生徒会だって、会長だけじゃない。
副会長とか、書記とか、会計とか。
それに、うちの学校とは限らない。
落ち着け、私。
そのときだった。
「お母さん、お待たせ」
背後から、聞き覚えのある声がした。
私はゆっくりと振り返った。
そこにいたのは――。
「…………え?」
白いブラウス。
すらりとした立ち姿。
少し短めの黒髪。
何度も何度も、教室で目で追っていた女の子。
「……榊さん?」
神崎ユウナだった。
……。
…………。
……………………。
え?
「あら、知り合い?」
ユウナのお母さんが嬉しそうに聞いた。
「うん。同じクラスの子」
「あらまあ! すごい偶然!」
すごい偶然。
そうですね。
すごい偶然です。
偶然すぎて、私の脳みそが完全に停止しています。
「榊さんだったんだ。びっくりした」
ユウナが笑った。
いつもの、落ち着いた笑顔。
ああ。
やっぱりかっこいい。
……じゃなくて!
「あ、あの、神崎さん……」
「うん?」
「えっと、その……」
言葉が出てこない。
だって。
だって、これって。
「二人とも知り合いなら、話が早いな」
お父さんが笑いながら言った。
「これから家族になるんだから、仲良くしてくれると嬉しいよ」
家族。
家族って言った?
つまり。
神崎ユウナが。
私の。
……妹?
…………妹!?
私はテーブルの下で、ぎゅっと両手を握りしめた。
叫びたい。
今すぐ叫びたい。
でも叫んだら、絶対に変な人だと思われる!
「榊さん、よろしくね」
ユウナが私に手を差し出した。
「……っ!」
握手。
握手ですか!?
好きな人と!?
いや、落ち着け。
普通の挨拶だ。
外国の映画でもよくある。
日本でも別に珍しくない。
私は恐る恐る、その手を握った。
「よ、よろしくお願いします……」
「そんなにかしこまらなくても」
ユウナが少し笑った。
手が温かい。
柔らかい。
……無理。
今日、私死ぬのかな。
◇
そのあとの食事は、正直あまり覚えていない。
覚えているのは、お父さんがとても嬉しそうだったこと。
ユウナのお母さんも、何度も笑っていたこと。
そして。
「お母さん、本当によかったね」
ユウナがそう言ったこと。
その言葉は、とても自然だった。
「ありがとう、ユウナ」
お母さんが優しく微笑む。
ユウナも笑った。
学校で見せる笑顔と、少し違う気がした。
……気のせいかな。
食事が終わる頃には、私はどうにか普通に話せるようになっていた。
とはいえ、ほとんど聞かれたことに答えるだけだったけれど。
「ミサトちゃんは小説が好きなの?」
「は、はい。読むのも、書くのも……」
「まあ、書くの?」
「あ、趣味ですけど……」
「すごいじゃない」
ユウナのお母さんが感心してくれた。
隣ではユウナも興味深そうにしている。
「へえ。榊さん、小説書くんだ」
「う、うん」
「どんなの?」
「えっと……ファンタジーとか……」
「今度読んでみたいな」
「えっ!?」
だ、駄目です!!
絶対駄目です!!
私の小説なんて、恥ずかしくて見せられません!!
「あ、あんまり面白くないから……」
「そう?」
「う、うん……」
「そっか。でも完成させるのって大変そう。すごいね」
……。
…………。
褒められた。
神崎ユウナに。
私の趣味を。
褒められた。
どうしよう。
今日の出来事、全部日記に書きたい。
いや、日記どころじゃない。
一冊の本にしたい。
◇
それから一週間後。
神崎さん親子が、我が家に引っ越してきた。
正確には、もう神崎さんではない。
お父さんたちは婚姻届を提出して、新しい家族になった。
彼女の名前も変わる。
神崎ユウナから、榊ユウナへ。
私と同じ名字。
ちなみに誕生日は私の方が少し早いらしく、家族の中では私が姉、ユウナが妹ということになるらしい。
……お姉ちゃん。
いやいや。
絶対そんなふうには呼ばれないだろうけど。
同級生だし。
そもそも、生徒会長にお姉ちゃんと呼ばれるなんて、想像するだけで恥ずかしい。
「ミサト」
「ひゃい!?」
変な声が出た。
目の前にユウナが立っていた。
私服姿だ。
シンプルなシャツにジーンズ。
ただそれだけなのに、妙にかっこいい。
「ごめん、びっくりさせた?」
「う、ううん!」
「私の部屋って、こっちで合ってる?」
「あ、うん。そこ」
「ありがとう」
ユウナは私の隣の部屋へ入っていった。
……。
…………。
今。
ミサトって呼んだ?
名前で?
下の名前で?
今までは榊さんだったのに?
いや、そりゃそうか。
二人とも榊なんだから。
榊さんって呼んだら、どっちか分からない。
合理的。
実に合理的な判断だ。
でも。
(ミサトって呼ばれたぁぁぁ!!)
私は自分の部屋に飛び込み、ベッドに顔を埋めた。
何これ。
何なの、この状況。
好きな人が隣の部屋に住んでる。
廊下に出れば会える。
朝起きたら会える。
ご飯も一緒に食べる。
お風呂だって同じ家のを使う。
……お風呂。
いけない。
変なこと考えるな、私。
私は枕を抱きしめた。
こんなの、毎日心臓がもたないよ。
◇
その夜。
夕食を終えて、自分の部屋に戻った私は、ノートパソコンを開いた。
書きかけのファンタジー小説がある。
明日までに更新する予定だった。
主人公はようやく村を出て、最初の街に到着したところだ。
そろそろ冒険者ギルドに登録させなきゃ。
……と思ったのに。
頭に浮かぶのは、別のことばかり。
『ミサト』
……。
『今度読んでみたいな』
…………。
『よろしくね』
………………。
「だあああああっ!」
私は両手で顔を覆った。
無理!
集中できない!
何なの、この状況!
ラノベでもこんな展開、なかなかないよ!
……ん?
ラノベ?
私はパソコンの画面を見つめた。
そして、新しいファイルを開いた。
タイトルは、まだ決まっていない。
ジャンルは恋愛。
主人公は、ちょっと内気な女子高生。
好きな相手は、同じクラスのかっこいい生徒会長。
そんな二人が、ある日突然、義理の姉妹になってしまう。
……。
…………。
「そのまんまじゃん……」
思わず呟いた。
いや、でも。
名前も変えるし、学校も架空の学校にする。
実際にあったことを、そのまま書くわけじゃない。
ちょっと脚色して。
ちょっと理想を混ぜて。
現実では絶対に言えないことも、小説の中なら言えるかもしれない。
例えば。
好きです、とか。
ずっと憧れていました、とか。
……。
私はキーボードに指を置いた。
そして、書き始めた。
『私には、好きな人がいる。』
……あ。
これ、けっこういいかも。
続けて文字を打つ。
『その人は、同じクラスの女の子。』
『そして今日、その女の子が――』
コンコン。
「ひゃあっ!?」
突然、ドアがノックされた。
「ミサト? 起きてる?」
ユウナの声。
私は慌ててパソコンを閉じた。
「お、起きてる!」
「入っていい?」
「う、うん!」
ドアが開く。
ユウナは部屋着に着替えていた。
ゆったりとした長袖のシャツに、動きやすそうなズボン。
髪も少しだけ乱れている。
学校では見たことのない姿。
……かわいい。
いや、かっこいい。
いや、どっちも。
「どうしたの?」
私はどうにか普通の声を出した。
「明日なんだけど」
「うん?」
「一緒に学校行かない?」
……。
…………。
………………。
え?
「同じ家から同じ学校に行くのに、別々っていうのも変かなと思って」
「そ、そうだね!」
「じゃあ、七時半くらいでいい?」
「うん!」
「よかった。それじゃ、おやすみ」
「お、おやすみ!」
ユウナは微笑んで、部屋を出ていった。
ドアが閉まる。
私はしばらく、そのドアを見つめていた。
……。
…………。
明日。
一緒に。
登校。
「…………うそぉ」
私は再びベッドに倒れ込んだ。
今まで、朝の通学路で偶然すれ違うだけでも嬉しかったのに。
これから毎日、一緒に学校に行くの?
私、何話せばいいの?
天気?
ニュース?
生徒会の仕事?
昨日見たアニメの話とか、してもいいのかな?
……待って。
もし学校で誰かに見られたら?
『えっ、榊さんと生徒会長って仲良かったの!?』
なんて聞かれたりして。
いや、そもそも家族になったんだから、いつかは知られる。
知られるんだけど!
「……どうしよう」
私は枕に顔を埋めた。
しばらくして、むくりと起き上がる。
そして、パソコンを開いた。
さっき書き始めたばかりの新作。
私は続きを打ち込んだ。
『そして今日、その女の子が――私の妹になった。』
少し考えて、さらに一行。
『ちなみに私は、まだ本人とまともに目を合わせられない。』
……うん。
これでいい。
小説の中だけでも、少しは素直になれたらいいな。
現実では、絶対に気持ちを知られないようにしないと。
だって、相手は神崎ユウナ。
……じゃなかった。
榊ユウナ。
学校中から憧れられている、完璧な生徒会長。
そして、私の大好きな女の子。
今日からは、義理の妹。
私は小さく息を吐いた。
「……絶対、バレないようにしなきゃ」
こうして、私の新しい小説と、新しい家族との生活が始まった。
ちなみに。
このときの私は、まだ知らなかった。
学校ではあんなに完璧な生徒会長が、家の中ではまったく違う顔を見せるようになることを。
そして。
そのたびに私の心臓が、これまで以上に大変なことになるなんて。
もちろん、知るはずもなかった。
第1話 完




