【8】結婚への道標
「俺が、『王子様』じゃなくて……ごめんね」
そっと庾月を抱き締める。
「何言っているの? 留はずっと『私の王子様』よ?」
庾月がクスクスと笑って、留も笑う。
笑い声が消えて、わずかな静寂が訪れた。
留が視線を下げれば、少し上目遣いの庾月と視線が重なる。
「それにね、私は……留の前では『ひとりの女の子』になれるのよ?」
『こんな魔法はないわ』と微笑む。
「愛してるよ、庾月」
「私もよ。留」
愛を誓う行為はもう理解している。婚約の儀式の『行動』が、それだ。
「愛しているわ」
ふたりはどちらともなく、互いの想いを『行動』で宣誓する。
翌日、留は夢心地で目覚める。庾月の寝顔を見、愛しさを噛み締めて頬をなでる。
──本当に、庾月と結婚できるんだ……。
告白されたときも、付き合うと決めたときも、夢のできごとのようだった。それに付き合うと決めてからは、どこか『いつか別れる』が前提だったようにも思える。
結婚への道標をしてくれたのは、庾月だ。
──これからは、俺がもっとしっかりしなきゃ……。
庾月の長いまつげも、ふんわりとやわらかい髪の毛も、眠っているときの顔も──どれをとってみても、なんてきれいだろうとうっとりする。
けれど、視界に映り込んだ時計をしっかりと見れば──留は飛び起き、慌てふためく。
今朝は、両家の顔合わせだ。
ワタワタとベッドから出れば──身にまとう物はなく。驚きと昨夜のフラッシュバックが重なり、顔が急激に熱くなる。
思考はもうパンクだ。
『服を着る』と冷静に判断できずに、身を縮める。
そんな折、
「留?」
と、声が聞こえた。
それはもちろん庾月のもので。
留は最愛の人の名を呼んでベッドへと戻り、抱き付く。
するとフワフワと頭に心地よさを感じ、落ち着きを取戻し始めた。
だが、真っ先に思い出したのは──まさに顔面蒼白。
「急がなきゃ!」
ガバッと留が起き上がったからか。
庾月は目を丸くしたが、それは一瞬で。留を見るなり、にこりと微笑む。
「そうね。行きましょう」
そうしてふたりは身支度を整え──る前、庾月が留の手を引いた。
新しい広い空間がまた現れた。
ここは、庾月にとって衣装部屋のよう。見渡す限りズラリと服ばかりある。しかも、留が見たことのないドレスや装飾品の数々が並んでいる。
留は一時、呼吸を忘れた。
だが次の瞬間には、庾月が留に服をあてていて、大きく息を吸う。
庾月が持っている服は、留の物ではない。
──そういえば……。
『庾月、『旦那』らしく面倒みてやれ』と、父が言っていたのを思い出す。
──こういうことだったんだ。
これから両家の顔合わせに向かう。
当然、庾月の母とも会うのだ。現在の、世界最高位の人と。
少し血の気が引いた。
庾月はその次点だ。
「こっちがいいかしら……ねぇ、留?」
「庾月が選んでくれるなら、間違いないよ」
問いかけられて我に戻るが、うまく笑えない。本心なのに。──庾月を、そんな風に思ったことがなかったから。
「そう?」
『私はこんなにかしこまらなくてもいいと思うんだけど……』と続ける庾月は、綺で見てきた庾月と何も変わらない。
キュッと思わず抱き締める。
「留?」
「大好きだ」
すっぽりと腕に収まる庾月は振り向き、ふふっと笑って。その唇で弱きな口を封じた。
「うれしい。私も留が大好きよ。今までよりもきっと。これからも、ずっとね」
庾月がまた背伸びをした。
留は少し屈んで、今度は互いに唇を寄せる。
合わさったのは刹那で。
庾月が離れて、留は目を開けた。
「伯父様たちを待たせたら悪いわ。ゆっくりいたいけれど、お母様にもみんなにも……私の王子様を早く見せつけたいの」
照れる庾月がかわいらしくて、留にも照れが移る。
「留は何でも似合うわね。すごく迷っちゃう」
『やっぱりこっちがいいかしら? でも、こっちもいいかしら?』なんて言いながら、庾月はようやく一着を選んだ。
選んでもらった服を留はしっかり受け取る。ただ、着慣れないような服を、ひとりできちんと着られる気がしない。
「うまく着られないかもしれないから、手伝ってくれる?」
留が眉を下げて言うと、
「私も、留に手伝ってもらわないとうまく着られないわ」
と庾月が返してきた。
「ファスナーを上げればいいの?」
留が聞けば、
「ネックレスもつけてほしいわ」
庾月はきちんと答えてくれる。
だから、留にはかけがえのない時間になる。
「庾月も、何を身につけてもすごく似合うね」
「留にそう言ってもらえてうれしいわ」
『留はイヤリング付けてみる?』と聞かれ、『ううん』と首を横に振る。
着替え終われば庾月はこれまで見たこともないほど輝いていて──留は思わず息を呑んだ。
「きれい……だね」
「うれしい」
キュッと庾月は手を繋いで、綺にいるときと変わらない笑みを見せてくれた。
「留も一段とかっこいいわよ」
部屋を出、庾月に手を引かれるまま向かう。
顔合わせは鴻嫗城内だ。
昨夜は気付いてから、どうも絨毯の色気になってしまった。
──確か、庾月の部屋に向かう前は、赤い絨毯だったはず。
しばらく歩くが、絨毯は紫紺のままだ。
──昨日は通ってない……かな……。
見上げれば、天井も一段と高い気がする──というか、もう『広い』とか『高い』とかを越えて、『すごい』という感覚しかなくなってきた。
庾月は道標でも見えているかのように歩いていくが、壁はなく。円柱が幾重にも並ぶ場所へ出て、留は空間認識まで狂いそうになっている。
「そろそろ着くわ」
庾月がそう言ったとき、絨毯の色が赤へと変わっていた。
「あれ?」
狐につままれたような感覚だ。
その感覚を、なぜか庾月はわかっているようで、
「そろそろ中庭が見えるわよ」
と言う。
──つまり……昨日通った道に、出る……。
「どうりで……」
「昨日見た場所に似てるなって、思ったんでしょ?」
留はコクコクとうなずく。
すると庾月が、
「きちんと覚えようとしてくれているのね」
と、幸せそうに微笑んだ。
中庭がガラス越しに見えてきた。すぐに右手側を庾月が示し、客間らしき場所へ入る。
そこは、これまで入った部屋で一番大きな部屋。留は思わず、たじろぎそうになった。
──いけない。
『顔合わせだ』と、気持ちを持ち直す。
室内には見たことのある人物が多かった。
父や祖父、大臣。それに、昨日顔を初めて合わせた義弟──の、となりに、女性がいる。
庾月とも父とも義弟とも同じ色彩を持っていて──『庾月の母』と見極められた。
だが、合致しないような感覚に襲われる。もし、この場以外で会ったならば、『庾月の母』とは見極められないだろう。
それほど華奢で、儚げで──どこか危うい雰囲気を、『少女』の面影を持っている。
一気に帯びた緊張は、『結婚相手の母』だから──そんな安易な仮定をして、留は緊張の原因を流した。
庾月にそっと『あいさつをしたい』と伝える。
それで庾月は、留が義母と初対面だと察してくれたらしい。
父や義弟に会釈をし、義母に笑みを作る。
「初めまして。留と申します。この度は庾月さんとの結婚を許してくださり、誠にありがとうございます」
義母の次点である、娘の結婚相手だ。さぞ思うことがたくさんあるだろう。
留が気構えしていると──。
「貴男を、庾月は好きになったのね」
やわらかい肯定の言葉をかけられて。
でも、『はい』とは言いにくい言葉で。
留が返答に迷い、視線を泳がせた。その矢先、
「そうなの。すてきな人でしょう? お母様」
スッと庾月が入ってきてくれた。
「本当に感謝しています。お父様も、きっと許してくれたと信じています」
いつの間にか義母の手を握り、義父に祈るように感謝を告げている。
──庾月のお父さんは……。
もう、ずい分前にいないと聞いている。それなのに──。
「そうね。沙稀は貴女の想いを尊重するわ」
──まるで、まだ存在しているかのような……。
留が困惑している間に、庾月は義母を席まで誘導した。
そうして、あいさつは終わったとばかりに、今度は義弟に父、それに祖父へと話しを振り──父の家族がやってきて。
留の意識は、また違う緊張で包まれた。
用意された席にそれぞれが座り、食事会が始まった。庾月と祖父が打ち解けているのはもちろん、祖父と父もきさくに話していて──気付くと、いつの間にか義母と義弟がいない。
庾月が気付いていないことはないだろう。
父にしても同じだ。
けれど、いなくてもいいかのように、食事会は進んでいく。
庾月は、家族と仲が悪いわけではない。
少なくとも、昨日出迎えた義弟の様子を見れば。少なくとも、先ほどの義母との様子を見れば。
言い表せない、ザラザラした感じがする。
──この違和感は、何だろう……。




