【6】譲れること、譲れないこと
「ええ……留、残念だけどお散歩は一時お預けね」
庾月が名残惜しそうに言う。
留はうなずき、庾月が歩くのを待つ。
大臣が背を向け歩き始め、庾月も歩き始めた。
繋いだ手が離れないように、庾月のペースで留は歩く。
また一面のガラスが現れ、花畑が見えた。
留には現在地はわからない。一周回ってきたのか、来た道を戻ってきたのかも。
でも、見えた花畑は中庭だと認識できた。
ガラスの手前の部屋へと大臣は入っていく。
庾月に続き留も入ったが、室内は異次元だった。
本棚には多量の本と、分厚いファイルが壁一面にある。扉の近くに机があり──ここで大臣が職務に励んでいると想像できた。
その左隣に窓が──と思った矢先。奥に父と祖父がソファに座り、向かい合っていると気付く。
楽しげに話していたふたりは、留を見るなり『おう』と手を上げた。
留が目を見開いていると、
「悪いな」
と前置きをして、祖父が口火を切った。
「ここにはここの儀式が色々あるみたいだけどよ……悪いが俺はどんっなに可能性が低いって言われたって、留を危険に晒すのには賛成できねぇ」
祖父に庾月との意向を伝えたとき、言われていたことがある。
ひとつ、庾月の結婚相手を公表しないこと。
ふたりは綺で新婚生活も過ごすようになる。庾月の結婚相手が留だと知れたら、否が応でも綺が注目され──最悪、襲撃されてしまう。
ひとつ、庾月の生家の仕来りである、結婚の儀式──懐迂の儀式をしないこと。
庾月が留と付き合い、住み込みで働くことになったとき、手紙を渡された。その手紙は大臣からのもので、懐迂の儀式の詳細が書かれていた。
『互いの身が清らかなままであることを証明し、何にも屈しないという、相手への愛を証明する儀式』。
その条件はふたつ。
新郎新婦が清い身であること。そして、互いを深く想い合っていること。
このふたつさえ合致していれば、難しいことは何もない。
結婚の前夜に、新郎新婦は懐迂と呼ばれる聖なる泉に身を入れ、眠りにつく。それだけだ。
眠ったあと、強い気持ちで結ばれたふたりであれば、懐迂の泉の中で出会えるという。
ふたりが無事に会えば、祝福の光が輝く。
その輝きは、懐迂から港町をつなぐ海──海胡へと繋がり、海を光り輝かせるという。
しかし、もし条件に合致していなければ──懐迂は偽った者たちを許さない。
例えば、清い身でなかった場合。
懐迂が『清い』と認めるのは、婚約の儀式の口づけ一度切り。
反した者が泉に身を浸して眠れば──意識は二度と懐迂から出てはこられない。
もうひとつ。例えば、新郎新婦のどちらかにでも別の本命がいる場合。もしくは、相手に対し真剣な気持ちがない場合。
こちらも同様、懐迂に意識を呑まれる。
留は手紙を見た当時、まだ結婚を現実と意識していなくて。
率直に、『怖い』と思った。
祖父は危険だと感じたのだろう。
庾月に『もし結婚するなら』と言い出して──留は慌てて祖父を止めた。
だから、どうにも別れたくないと結論を出して『ふたりの意向』を祖父に伝えるとき、言われる内容はわかっていた。
懐迂の儀式はしない。
城で結婚式もしない。
結婚相手も婚約者も、公表しない。
留は庾月に心底申し訳なかった。
結婚式は一般的に、女の子の憧れだ。庾月なら大勢に祝福される中、盛大な挙式を行ったはず。
婚約発表にしても、同様だ。
留との結婚を選んだなら──挙式がなくなるどころではない。身分さえも隠し、ひっそりと暮らすことになる。
だから留は、別れる前提で話した。
『結婚』と提示されて留が庾月を諦めなければ、庾月にいくつもの諦めを強いることになる。
それなのに『俺だって、別れたいわけじゃない』と口を滑らしてしまい。
庾月を守れなかったと、涙がボロボロと落ちた。
庾月は『留を諦める方が嫌』と言い──けれど、庾月にも譲れないものはあって。
留は、それを了承した。
結婚したいとふたりで祖父に伝えたとき、頭を下げる庾月を見て、留も一緒に頭を下げた。
ここまでしてくれる庾月に申し訳なくて。
庾月と一緒にいたいと、自身の感情を素直に受け入れて。
ここまでしてくれる子を、手放してはいけないと必死になった。
「大臣、お願い」
今回もまた、庾月が頭を下げ、懇願している。
「お願いします」
庾月だけに背負わせてはいけないと、留も庾月に負けじと頭を下げる。
すると──。
「頭をお上げください」
色んな感情が渦巻いて、でも、誰のせいにもしたくはない。
生まれたのは、奇跡だ。
母が命に代えて産んでくれたこと。
父が高貴な血筋だったこと。
祖父が大事に育ててくれたこと。
命を得たのが奇跡の連続だと思っていたのに、庾月が見付けてくれて。
流されるように生きてきた留の人生は、波から打ち上げられたように大きく変わった。
「留」
クイクイと腕を引っ張られ、庾月の声を認識する。
顔を上げれば庾月は満面の笑顔で。
──ああ、本当によかった。
庾月との出会いに、感謝しきれなくなる。
「解散」
パンパンと、手を鳴らしながら父が言った。
大臣が扉を開ける。
先頭を歩く父の背を見ていたら、クルリと振り返った。
留が驚いていると、近づいてくる。そうして、ある程度の距離で止まると、
「そういや、見届け人……俺がなる」
と、ポソリと言った。
留が意味を理解できずにいると、
「中庭がいいです」
庾月が楽しそうに答える。
『おう』と言った父は、
「庾月の両親のときも俺だったんだぜ」
と自慢げだ。
「まぁ、そうなんですね」
庾月はなぜか両手を組むほど歓喜している。
「そ。で、俺のときは沙稀だった。……って言っても、まだちいさいときだったけどな、俺の場合は」
父は少し照れくさそうに表情を歪めた。
──『沙稀』……は、庾月のお父さんだ。
確かすごく有名な人だったような気がする。だが、留は目まぐるしい変化に追いつくのがやっとで。
「行きましょう」
庾月に催促され、ぼうっとしてしまったと笑ってごまかす。
いつの間にか手が繋がれていて、遅れないようにと歩き始めたが──振り返れば祖父はまだソファに座っていて。大臣も、まだ部屋に残るようだった。
──ふたりで……何を話すんだろう……。
後ろ髪を引かれそうになりながらも、庾月に気づかれないよう体勢を立て直す。
部屋を出て所々通ったような景色を見つつ、中庭に着いた。何度見ても圧巻で、美しい。
花々の甘い香りに意識を取られていると、スルリと庾月の手が離れた。
「婚約の儀式よ」
庾月が、向かい合って微笑んだ。




