【1】転機の音
いつも、雑多な音が流れている。
宿屋のお客の談笑。
賑やかな音楽。
買い物に出れば、人々の喧騒。
船の大きな汽笛。
大きな汽笛は正午の合図になっていて、町の人たちの流れが変わる。
風に強く吹かれたかのような衝撃を受けながらも、歩く。
通り過ぎていく音。
途切れない音。
行き交う足音。
誰かが、呼ぶ声──親子連れの姿に、つい視線を泳がせてしまう。
『悪い癖だ』とひとり笑い、抱えた買い物袋を段差の上に置く。
ひぃ、ふぅ、みぃと物を数えるように見直し、
「よし、大丈夫」
と、また両手で荷物を抱える。
向かうのは町の終わりの方角。
港を背に歩く。
やがて全体的に赤く、大小の丸みのある飾りを付けた建物が見えてくる。
大きく『綺』と書かれた宿屋が生家。こけしのような、それでいて異様に大きい置物が、まるで名物かのように置いてある。
ためらわずに入り、紅葉のような赤に包まれて進んでいく。大きいこけしのようなものは、中でも連なっていて、微妙な顔の違いに安堵する。
まるで守り神に見守られているかのように、日用品を手際よく片付けていく。そうして、食料だけになったところで、また場を移す。
陽気な曲が、体に吹きかかる。細くやや暗い道は、従業員専用の通路。裏方ゆえの利便。
この先にいる、恰幅のいい白髪の男性が祖父だ。
食欲をそそる香りが漂い、一気に空間の温度も上がった。
「じぃちゃん、ただいま」
「おう、お帰り。今日も買い物ありがとな」
労いに応え、笑む。
食料を祖父の手の届く場所に置き、
「すぐに料理運ぶよ」
ちょうど料理が移し終えた皿を手に取る。
今日も大盛況だ。
「ああ、それ『三番』さんだ」
愛人の子……と思ったことはない。
「はーい」
ただ、『隠し子』だという自覚はある。
「はい、チャーハンお待ち」
「おお、留。最近また身長伸びたんじゃねぇか?」
生まれてからすぐ母は他界し、父は──知っているけれど『言ってはいけない』と生きてきた。
「まさか。俺、もう二十一だよ。伸びないよ」
『そうかぁ?』なんて──楽しそうな声は、忙しさで消えていく。
五歳のとき、父と初めて会った。
「留」
と祖父が呼び──まるで自分が呼ばれたかのような反応をした人だった。
根拠もないのに『この人が父だ』と──あれは一種のテレパシーのような、何とも言い難い体験だった。
その人が一泊したときは、なぜかとてもソワソワして──思い返せば、一緒に住めるのかもしれないという期待と、どこかに連れて行かれるのではという不安。
『話したい』
『息子と認めてほしい』
そんな願望があった。
結局、どれもないまま父は出ていき、咄嗟に追いかけて──。
あれは、強引に願望を叶えに行ったんだと、十五年以上が経ってから振り返って、何だか笑ってしまった。
「ほら、留も食っちまえよ」
昼のピークが過ぎて、祖父が残った材料で餃子を焼いていた。
近場から椅子を持ってきて、小休憩のように座る。
「じぃちゃんはいつも器用だよね。何が残ってもおいしく作る」
口に入れれば、『家庭の味』がしみ込んでいく──。
父には家族があった。
家族構成も知っている。
一番上の娘とは、一年も差がなく──けれど、理由がいくつもある。
ひとつ、父は母がすでに『亡くなった』と聞いていたこと。
ひとつ、父は世界に君臨する城の長男だったということ。
ひとつ、父にはそもそも婚約者がいたこと。
色んなことが偶然重なって父と母は付き合い、離れ、父は『いるべき場所へ戻った』だけだ。
ザックリ聞いただけでも情報過多で、詳細を聞いたとしてもかみ砕けそうにない。だけど──。
ひとつ、父は母を捨てたわけではない。
ひとつ、父は子がいたと知っていたわけではない。
これだけで、父を恨まない充分な理由になって。自身を下げ荒まなくていい理由になって。これ以上に何か理由が必要かと思えるほどの理由で。
だからだろう。
父の家族をうらやましいとは思わず。父が幸せでいてくれるならそれでいいと思えるのは。
この世に生を受けたことは、奇跡だと思えた。
こんな風に数奇な人生を受け止めていたころ。
「気をつけてけよ、留」
「うん! じぃちゃん、行ってきます!」
子どものころと祖父は変わらない。大きな声は外にまで聞こえるような、通る声。
手を振りつつ出、買い物に向かおうとしてすぐ、ひとりの少女と出会う。
これが、運命の出会いになるとは、知らなかった。
「ねぇ! 貴男……留と……留と言うの?」




