【5】新しい感触
留の足がゆっくりになると、庾月はゆるりと歩みを止めた。
つられて留の足も止まり、視線が庾月へと動く。
「指輪……見てみない?」
雑貨屋のとなりの宝飾品見せに庾月も気付き、両手を組むほど喜んだ。
店内にはショーケースが整然と並んでいた。正面より右側のショーケースに指輪が並んでいる。
庾月はパッと繋いでいた手を離した。
中央や左側のネックレスやイヤリングなどには目もくれず、一直線に正面へ向かっていく。
留は慌ててついていく。
庾月に追いつき、ショーケースの前に着けば店員がすぐにきた。
「どんな物をお探しですか?」
誕生日プレゼントを選んだときを思い出し、留は少し照れて庾月に聞く。
「どんなのがほしい?」
庾月は『ん~』と悩んで、パッと花の咲くように言う。
「ペアリングがいいわ!」
店員は『かしこまりました。お持ちいたします』と一礼。後ろのショーケースへと行ってしまった。
──確かに、結婚指輪とは……言ってなかった。
留が少しガッカリしていると、
「『結婚指輪』って伝えると、派手な物になりそうだったから……いつも付ける物なら、シンプルなデザインがいいと思って……」
ポソリと庾月が言う。
一転、顔が火を噴きそうになった。
──伝わってた!
「それにね……値段で、出されたくないのよ……」
こういう店では、庾月の方が品物も、伝え方も知っている。
なのに、ポソポソという様は恥ずかしそうで──傍から見れば、付き合い立てのカップルに見えるかもしれない。
留は当時のことを思い出し、懐かしくなる。
「そういうところ……とっても好きだよ」
ふいに庾月はキュッと口を閉じ、留を見た。
「付き合う前、『どう思っているのか、全部取り払って考えて』って、言ってくれたよね。それと似てる」
正直、留はこれまで指輪に興味を持ったことがない。だから、どんな物がいいと言われても、選べる自信がなかった。
でも、庾月が選ぶなら──どんな指輪だって気に入ると留は断言できる。
「好きなのを選んでね。絶対に俺も気に入ると思う」
『じゃあ』と目を大きくした庾月は、
「留の色の石を、入れてもらおうかしら」
と楽しげに言った。
だから留は、
「俺は……紫の色の石を入れてもらおう」
と返す。
クロッカスは留にとって特別な色だ。初めてその色を持つ物に選べて、留はこの上ない幸せを感じた。
庾月が選んだ指輪は、シンプルだった。
表面はツルンとしていて、少しねじれのあるくらいのペアリング。
「フラット状にちいさな石を表面に入れられるかしら?」
留に庾月が聞いてきて、
「できますよ」
と店員が答えてくれたから、ふたりは事前に話していた色をお願いする。更に、
「指輪の裏面には、文字を入れられますよ」
と言うので──留は庾月にある提案をした。
庾月が目を輝かせてくれたから、そのまま店員に伝える。
「では、宝石と文字を入れる時間が少し必要ですので……ご用意は九十分後くらいになります」
ふたりは伝票を受け取り、『お願いします』と一礼。そして、再び町に出る。
いくつかの店をまた歩きながら見て、『柚子は何色が好き?』と留は聞く。
「黒が好き」
間髪なく返され、留は少し照れる。
「それなら……ショートケーキとかチーズケーキみたいに白っぽいデザートとかは引き立つし、モンブランくらいの色味までなら品が出るね」
話しながら、目にとまった店で黒い皿を手に取る。
「あくまでも食器は脇役だから。食べる物を映えさせる存在じゃないと」
好きなことはいくらでも言葉が出てくるもので、一度具体的に想像すると言葉があふれてきた。あ~でもない、こ~でもないと思わず饒舌になる。
手に取った皿だったらどうだろうと一通り確認していると、留は違和感を覚えて止まった。
──視線を感じる……。
商品から視線を移動させると、庾月と目が合った。
「ん?」
首を傾げる。
すると、どうしてか庾月は息を呑み、左右に首を振った。
「な、何でも……あ、ねぇ、そのお皿! ちょっと私も見たいわ!」
「うん、いいよ。ちょうど手触りも、これがいいかなって思ってたとこ」
渡すと、ニコニコとしながら上下左右と皿をよく見始める。
──そんなに見たかったのかな?
気に入った皿をまじまじと見てくれている様子は、何だかうれしい。
「私もこれがいいと思うわ」
「よかった。じゃあ、試しに一枚買って、じぃちゃんに見てもらおうか」
『そうね』と笑う庾月は、どこか照れていて。
──やっぱり、柚子のときの庾月って、ちょっと幼いんだよな。
『それもかわいいんだけど』と、幸せに浸りながら会計を済ませる。
買った皿は、庾月がよほど気に入ったようで──上機嫌に皿を受け取っていた。
手を繋いで歩き、指輪を買った店に寄って受け取る。『夜に部屋で付けよう』と約束をして、綺に戻る途中、ふと過る。
──そういえば、付き合っている間……こうしてデートしたことなかったな……。
実は祖父は、交際に反対だったのか。
それともこれらの時間は、祖父なりの結婚祝いなのか。
どっちかと繰り返し考え、留の結論は──『祖父は意地悪をする人ではない』だった。
『どんなデザートが乗るんだろう』と話しながら綺に着き、
「いい皿を見付けてきたよ」
と、祖父に報告する。
庾月が自慢げに包みを開けた。
皿を見るなり祖父は、満足そうな表情を浮かべ、
「おお……いいじゃねぇか」
と、全方位から皿を眺めている。
祖父の反応を見て、留は信頼に応えられたと実感が湧く。
一方の庾月は『ふふ』と笑い、食堂の片付けに向かった。
留は庾月の背を見送りながら、
「じぃちゃん……ありがとうね」
この三週間分の礼を言う。
「ん?」
とぼける祖父に、『何』とは言わず『充分受け取った』と感謝を返す。
「いい結婚祝いもらった」
留がにこりとすると、祖父は照れくさそうにした。留は気付かないふりをして、庾月と同様に片付けへと向かう。
指輪の裏面には『RYU』と、ふたつとも入れてもらった。
『R』と『YU』を繋げて、『りゅう』と読めるようにして。
『庾月』と結婚したから『柚子』とは入れたくなかった。
でも、『庾月』と入れてとは言えないから、互いの初めの文字だけを選んだ。
庾月がそう気付いたかは、わからないけれど──。
「ふたりの名前の意味なのに、『りゅう』って読めるようになるなんて……すてきだわ」
うっとりと言ってくれたから、留は提案してみてよかったと喜びを堪えきれなかった。
仕事を終え、部屋で落ち着いたころ、留は庾月と向き合う。
「庾月、手を出して」
戸惑うように庾月は左手を出す。
留はそっと手を取り、薬指にしっかりと指輪をはめた。
「一ヶ月近くも……待たせてごめんね」
庾月は首を左右に振り、はにかんだ。そして、留の左手を両手で包む。
やさしく触れられ、急激に緊張する。そのせいか、動作のひとつひとつがゆっくりと見えた。
左手が引き寄せられ、包みから開けられたように露わになる。
上部にあった庾月の手が、残されたもうひとつの指輪を取った。
指輪に庾月が口づけをして──心にされたような、淡い気持ちが広がっていく。
指輪は留の薬指へと吸い込まれていって。スッと金属が指を滑っていく感覚に、時間の感覚が戻ってきた。
「ありがとう。……いいね、この新しい感触」
恋を自覚したときのような、恥ずかしさが湧いてくる。
ふたりして照れて笑い合い、互いに見せ合う。左手をふたりで並べてみたり、かざしてみたりして、色んな角度で眺めては喜び合った。
結婚して間もなく一ヶ月になり、若葉の芽吹く朗らかな季節になった。
朝の身支度を整え、いざ仕事に──と留が思ったところで、異変に気付く。
庾月がベッドにちょこんと座ったままでいる。
「庾月? どうしたの?」
珍しいと留は声をかける。
だが、庾月はちいさい声を出したくらいで、顔を上げない。
留は座る庾月の前に行き、両膝を床につける。少し屈んで覗き込み、視線を合わせた。
「体調悪い? ゆっくり休んでていいよ?」
『無理することないからね』と続けたところで、庾月が肩に両手を回してきた。
「わっ……」
思わず声が出てしまった。しかし留は焦らずに、庾月の背に手を回す。
心配しながら、ポンポンと軽く叩き始める。
──落ち着いたらいいな。
その矢先、ポソリとか細い庾月の声が降ってきた。
「ごめんなさい」
留は『気にしないでいいよ』と明るく返したが、
「ごめんなさい」
と、庾月は繰り返す。
さすがにおかしい。
留はもう一度問いかける。
「どうしたの?」




