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思い出すは、君の名  ~愛した姫の名で生まれ変わり、前世の誓いを果たす~  作者: 呂兎来 弥欷助
2・選んだ恋

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【1】柚子

 賑やかな音楽の中に食器の音も混在していて、忙しない。

 複数の足音も、飛び交う会話も混ざり、ガヤガヤとした日常が戻ってきた。


 赤がよく視界に入る空間に、何十人もの人々がいる。




 先日滞在した場所は、広範囲に渡り赤い絨毯が敷かれていた。


 あの場所は異空間だった──そう思うくらい非現実的な場所で。()と一言で言っても、()()()ではないと、理屈抜きで知った。




 ひとつひとつの音を、聞き分けようとするのは難しい。


 しかし、ひとつの音に耳をとられるのは容易だ。


柚子ユズちゃんどうしたの?」


 たった一言なのに、『いない』と突き付けられる。

 庾月ユツキアヤを不在にして三日目あたりから、リュウは聞かれるようになった。


 そうして、『いた』のは──先日の二日間のように、幻だったんじゃないか。そんな気にもなる。


 けれど聞かれる度、

「久しぶりに帰省しているだけですよ」

 と、リュウは笑って返す。


 あんなに一緒にいたじゃないか、と。




『柚子』は、アヤでの庾月ユツキの呼び名。

 名付けたのは祖父だった。


 あれは、庾月ユツキが住み込みで働き始めた初日だ。


「柚子……お~い、柚子!」


 初め、庾月ユツキはまさか呼ばれていると思わなかったのだろう。

 二回目の『柚子』で振り返り、祖父の手招きに驚いていた。


 そうして庾月ユツキにしては珍しく、頬をぷっくり膨らませていた──のをリュウは覚えている。




「喧嘩でもしたのかぁ?」

 日を追う毎に常連客の言葉は大袈裟になっていった。


 だが、リュウは『接客』を崩さない。


「してないですって」

 冷やかしを笑って受け流す。


 ピーク時の食堂にも関わらず、リュウは少し上の空になる。庾月ユツキの明るい雰囲気を思い出して。


 ──明日、ようやく庾月ユツキに会える。


 長く感じた数日間だった。でも、庾月ユツキに出会う前はこんな毎日だったような──。


 記憶の時間が出会ったころや、付き合い初めのころに行き来して──。


 庾月ユツキに、『柚子は好き?』と聞かれたのを思い出していた。




 祖父が『柚子』と名付けた日の仕事後。庾月ユツキはわざわざリュウの部屋までついてきた。


 部屋に入るのをリュウがためらっていると、

リュウは、柚子……好き?」

 と、服の裾を引っ張ってきた。


「え? あー……いい香りがするよね」


 パッと浮かんだことを言っただけなのに──次の瞬間、庾月ユツキは笑顔になっていた。

 そうして、

「決めたわ、私『柚子』がいい!」

『仕事中はリュウも柚子と呼んで』と手を振って、『また明日』と別れた。




 仕事が終わり、パタンと自室の扉を閉め、一息吐く。


 ──今日は懐かしいことを思い出したなぁ……。


 あれから庾月ユツキは、仕事中に『柚子』と呼ばれる度ニコニコしていた。


 リュウは上着を脱ぎ、シャワーを浴びる準備を始める。


 ──庾月ユツキは、どうして『柚子』って名前を気に入ったんだろう。

 変化の理由は、リュウにはわからない。


 ただ、正式な婚約者になって戻ってきてから──祖父が『柚子』と呼び名を付けた真意は理解した。


 ──『鴻嫗トキウ城の姫』が、こんなところで働いていると知れたら……確かに大問題だよね……。


 準備が整い、即座にシャワーを浴びに向かう。




 見慣れた風呂場を前に──先日の鴻嫗トキウ城の風呂場が浮かんだ。まったく一致しない。

 でも、用途は同じ場所だ。


 ──やっぱりあそこは異空間だったな……。


 粗いシャワーを強く受けて、あったかい雨みたいと感じても──。


 ──何だか、呑気だな。


 なんて、地に足がついていないような感覚がある。


 ──明日だ。


 庾月ユツキは来るとわかっているのに──ぽっかりと、心に穴の空いたような。大きな欠如がある。


 庾月ユツキと付き合ってからは、一緒に過ごす時間は増える一方だった。

『柚子』と呼ぶようになってからは、初めて離れた『数日間』で──。


 ──こんなに寂しく思うなんて、想像していなかった。でも……。


 庾月ユツキはこれからまた家族と離れる。きっと、もっと寂しい。いや、これまでだって、寂しかったのかもしれない。


 キュッとシャワーを止める。


 ポツポツと、雫が落ちた。


 ──待とう。


 きっと、庾月ユツキの方がずっと辛い。


 なのに庾月ユツキは──何とか一緒になれる方法を、いくつもいくつも考えてくれていた。


 庾月ユツキが『嫌だ』と言うのは、リュウと別れること。何度も、そう伝えてくれた。




 風呂場から出て、タオルに包まれる。


 信じているのに、寂しさで心が枯れかかっている。──常連客に日々、何度もからかわれたからだ。

 ジワジワと今頃になって、こんなにも蓄積していたと実感してきた。


「早く会いたい……」

 しっとりとした庾月ユツキの手の感触が、懐かしくて恋しい。


 シャワーを浴びたばかりなのに、やけに体も乾いている気がする。




 翌日、リュウは朝から落ち着かなかった。庾月ユツキが来る予定の時間が近づくと尚更。


 祖父は見かねたのだろう。


「出迎えに行っていいぞ」


 ニンマリと──まるで父のような笑みで、リュウの背を押してくれた。




 祖父の言葉に甘えて、店の出入り口へ向かう。


 外が気になり、一歩出る。


 店の前で立ち止まったものの──気付けば、店から二歩も三歩も歩いていた。


 行き交う人々の中で、必死にクロッカスの色彩を探し──チラリと見えて、叫びそうになる。


……」

 いけない──と、言葉を呑む。同時に体がピリピリとした。


 この町中で、『庾月ユツキ』と叫んではいけない。


『呼んではいけない』それだけなのに。『それだけ』ではないと、決断の重さがのしかかってくる。


 決して譲れないもの以外は、それこそ捨てる覚悟で一緒にいることを選んだ。


 ──そういう恋を、俺たちは選んだんだ。


「柚子!」


 リュウは一直線に走っていく。すると、庾月ユツキは気付いたようで、視線が合うなりパッと微笑んだ。


「おかえり!」

「ただいま!」


 ふにゃっと崩れた庾月ユツキの顔を見て、『これは柚子だな』とリュウは笑う。


「貸して。持つよ」

「重いかもしれないわよ?」

「それなら、尚更だよ」


 ふふふと笑う庾月ユツキは、『ありがとう』と荷物を渡してくれた。


 重くはない──けれど、リュウには確かにズシリときた。


 ──大事な『姫』を、ひとりで送り出すみんなの気持ちは……どうだったかな。


「ありがとうは、俺の台詞だよ」

『船着き場で待っていればよかったね』と話しながら、アヤへと戻る。




「ただいま戻りました」

 庾月ユツキは第一声で祖父にあいさつする。


 リュウは一度荷物を置き、

「今日はこのまま体を休めたら?」

 と勧める。


 だが、

「少しでも一緒にいたい」

 と、庾月ユツキは店に立つと宣言。


 祖父は笑顔で、

「とりあえず、荷物を置いてこい」

 と言った。




 庾月ユツキの部屋は、元々、身近な人用の客間。リュウの部屋の手前を曲がる。


 リュウはこれまで庾月ユツキを送っていたように、自室の手前で曲がろうとした。すると、

「あ……」

 と、庾月ユツキの声が聞こえた。


 思わずリュウの足が止まる。


「どうしたの?」


 振り返るが、庾月ユツキはすっかり足を止めている。


 何かを言いたい感じは伝わってくるのに、庾月ユツキは口を開こうとしない。──言葉を探している。そんな印象だ。


 リュウは二歩、三歩と庾月ユツキに向かう。


庾月ユツキ? どうしたの?」


 小声で名を呼びかければ、さまよっていた視線はリュウへと向いた。


「今日からは……もう同じ部屋じゃ、駄目?」

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