【11】思い出すは『君の名』
彼はピクリと一度大きく目を見開いた。そうして、キュッと唇を締め直す。
──こんな風に想いを寄せている人が、庾月のそばに……いたんだ。
じんわりと胸が痛い。でも、自然なことだと安易に共感してしまう。
彼が庾月と一番近い存在だったはずだ。年も近く、庾月が生まれたころから、彼はそばにいたんだろう。
ふたりで、長い時間過ごしてきたに違いない。
鐙鷃城で庾月が暮らしていた時期があったなら、尚更。
──庾月みたいな魅力的な子が、ずっと近くにいたら……好きにならない方がおかしいよね。
逆に彼を見ていれば、疑問に思うほどだ。これだけ近しい異性が昔からいたのに、と。庾月はどうして留を選んだのか。
彼は誠実な人だろう。剣ではなく、それを支えるベルトを握る人なのだから。
身につけている剣は誰のためか。それまで伝わってきてしまって、留は思わず視線を逸らす。
そのとき、彼がおもむろに口を開いた。
「俺は、幼いころから『鴻嫗城』に関して、深い知識を与えられて育ちました。……叶わないと知っていました。願ってはいけないと思っていました。俺の身分では、庾月は届かないと……想ってはいけない存在だったのです。俺からは言ってはいけない……そんな、遠い存在の人です。庾月は」
声が沈んでいる。
とても好きだとヒシヒシと伝わってくる。
他人事に思えず、再び留の視線は彼に戻ってしまう。
庾月を想う気持ちは、『わかる』と安易に同調してしまう。
尚且つ、もし逆の立場だったら──とまで、考えてしまう。
──俺は……貴族として育たなかったから……。
庾月と、付き合ってみるだけでもいい。そう思えたのかもしれない──と自らを振り返る。
「幸せにしてください」
彼が留を見上げたから、留の時空が少し歪んだ。
結婚すると気持ちを固めるとき、互いの気持ちを庾月と洗いざらい話した。
綺に残ると言った留に対し、結婚の『妥協案』を庾月がいくつか出した。
そのひとつ目が、『鴻嫗城を継ぐまで』庾月は綺で暮らすこと。
しかし、『城を継承するときが来たら、帰らなくてはいけない』。
庾月が更に言った。
ふたつ目は──『娘が生まれたら、長女は後継者として連れていかなくてはならない』こと。
庾月がいつ城を継承をするのか──いつまで一緒に過ごせるのか。期限は庾月にもわからない。
子宝に恵まれても、一人娘なら──留は、愛する妻子と離ればなれになる。
それでも、ふたりは約束をした。
たくさんの幸せを作っていこうと。
離ればなれになっても、『夫婦』で、『家族』でい続けようと。
そして──必ずいつか、また一緒に暮らそうと。
「約束します」
彼が頭を深く下げた。
「お願いします」
留は驚く。
──いや、これは……庾月への想いだ。
留はしっかりと受け止める。
「頭を上げてください」
彼がゆるやかに元の体勢に戻っていく。
「夢みたい……なんです」
留は思わず笑みがこぼれる。
「こんなに多くの家族ができるなんて、想像したことがなくて。……胸がいっぱいです」
彼が『家族』と認めてくれたのかはわからない。けれど、留は彼がいてくれたことにも、感謝の気持ちでいっぱいになった。
「戻りましょうか」
留が言うと、彼は初めて微笑んだ。
「そうですね」
悲しげな笑みだったけれど、今の彼の精一杯の笑顔だろう。
──すごくやさしい人なんだろうな。
振り返らず留は来た道を戻る。
贅沢な眺めを『二度と見ない風景』として刻む。留の横に彼は並ばないだろうと、速度を落とさないよう気を付ける。
彼とふたりきりにした、父の意図がわかった気がした。
父は、どちらの息子にも分け隔てない。
これは、留にしかできなかったことだ。
留をきちんと受け止めてくれていた父だからこそ、もうひとりの息子の恋をきちんと終わらせようとした。
父の信頼がじんわりと伝わる。
勝手な想像以上の父を感じて、留は少し笑ってしまった。
彼がどう思おうと──留はもう、彼が『弟』として愛おしい。
彼がどう思うかわからないから、決して口にはしないけれど。
室内に戻ると、庾月が駆け寄ってきた。
「ふたりで何を話してきたの?」
クイクイと留の腕を引っ張る──が、口を滑らせるわけにはいかない。
すると、
「『庾月は身長がコンプレックスだから、背の高い人でよかった』って話してたんだよ」
と、彼が後方から留を追い越していった。
「え、やだ! 礫ったら! ……そんなことを言ったの?」
驚き叫んだ庾月は、彼を追いかけていく。
スルリと離れた庾月を目で追っていけば──ふたりは同じくらいの身長で。仲のいい様子を、つい眺めてしまった。
──身長のコンプレックスは……礫くんの方なのかな……。
好きな子をからかうなんて、バレバレな言動をとっているつもりはないんだろう。
庾月も庾月で、気付いていそうにない。
かえって庾月の反応は、礫への信頼だ。
──でも、あの庾月の態度は……『兄妹みたい』な感覚なんだろうな。
仲睦まじい光景は、留には『双子』のようにも見える。
きっと彼は、庾月の気持ちをわかっていたんだろう。立場が足らないとか何とか色々言っていたけれど。
ふと気付けば、庾月がまた留の方へとやってきていて──。
「ねぇ……留もやっぱり背の低い子の方が好き?」
いつになく弱々しい瞳で見上げてくる。
まったく聞こえなかったが、礫は更に庾月をからかっていたのだろうか。
「身長は関係ないけど……庾月は充分『俺より背の低い子』でしょう?」
答えるや否や、庾月が抱き付いてきて。『わぁ!』と思わず留は声を上げてしまった。
父の家で、しかも家族の目の前で。それに、礫のいるところで。この状況をどうすればと、半ばパニックになったが──。
──あれ? こんな状況、どこかで……。
支える手の置き場に迷う。だが、この場にいる皆に認めてもらった婚約者だと、迷いを払拭する。
庾月の背中にそっと手を置き、もう片方の手で頭をなでる。
「初めて会ったときから、確かに年齢がわからないくらい身長はあったけど。でも、もし庾月が年相応の身長だったら……返事を考えるより先に、年齢を聞いていたかも」
留が笑ったからか、庾月の表情がパッと晴れた。
「あら……身長が高いのも、悪いことばかりじゃなかったのね」
庾月がクスクス笑いだすと、次第に周囲から拍手が聞こえ始めた。
夕刻、留は祖父と綺へ帰る。
庾月はこのまま鴻嫗城に残り、数日間生家で過ごす。
留にはわからない、色々な手続きがあるのだろう。
夕刻になる前に祖父と合流しようとすると、庾月が──父まで見送りにと、一緒に来てくれた。
祖父との合流前に、留は着替えようとしたが、
「一着くらい、そのまま着てっちゃえよ」
『大丈夫、大丈夫』と、父が押し切ろうとする。
庾月に視線を向ければ、父と同じく『大丈夫』と言いたげにニコニコしていて──留は着替えそびれてしまった。
鴻嫗城のホールの手前に祖父の姿が見え、留は手を振る。
「じぃちゃん!」
「おお、留!」
ふと、視線の端で父が動いた気がした。チラリと留が父を見ると、父は気まずそうに留を見る。
「ん?」
父はごまかしたつもりかもしれないが、留にとっては確信だ。
忘れもしない。
五歳で初めて父に会ったときも、父は同じ反応をしていた。
「やっぱり……父ちゃんってさ、じぃちゃんが俺を呼ぶと、反応するよね」
留がそんなことを言ったときには、もう祖父との距離は近く。あとはまた、さよならだと思っていたのに。
「だって、俺も叔さんに『瑠』って呼ばれてたもん」
父の意外な返答に、留は思わず目を見開いた。
「そりゃお前が……名前聞いたときに、『りゅう』って言ったからだろうが」
「違うの。あのね、俺は『瑠既』って言ったの。ただ、『既』が叔さんに聞こえなかっただけだって!」
『はぁ』と父がため息をつく。
「まったく、それで……孫に名付けちゃうんだから」
「仕方ないだろ」
「『仕方ない』じゃないよ。あ~あ……俺にちゃんと話してくれたら、俺には……付けたい名前があったのに」
たんだんポソポソと父は言ったが、留にはとても重要な内容で。つい、耳が大きくなっていた。
「え。俺……違う名前だったかもしれないの?」
考えたこともない展開に、留は思わず食い下がる。
すると父は、留を横目で見た。
「叔さんが付けたんだ。だから『留』って名前だったろ、きっと」
言いにくそうだけど答えてくれた──と思った矢先。
父の視線は祖父に移って、
「叔さんが俺を拾わなかった限り?」
と笑う。
祖父も一緒になって笑い──祖父と父の、知らない時間を留は垣間見た気がした。
ふと今度は、父が留に向き合った。
「うちの家系はさ、名前の最後に『き』を付けるって……まぁ、決まりがあるんだけど。俺の名前はさ、お祖母様からもらったんだよ」
「留……」
庾月がポソッと言って、留は思わず『え?』と聞き返す。
「そ。お祖母様の名前が『留』で。周囲は『留妃姫』って呼んでた」
父は自慢げに続ける。
「で、俺が生まれて。『瑠既』って名付けられたわけ。お祖母様の名前に『王』と『既に』だぜ? 『生まれながらに王』って、この代々姫が継いできた城の長男に付けたって……すごくね?」
「うん……すごい……」
父とたくさん話せたこの二日間で、名前負けしていないと留は感嘆する。
「でも、まさか……お祖母様の名前が、こうして息子に巡ってくるとは思わなかったけどな」
「でも、だから私『留』と聞いて、思わず駆け寄ったの」
照れている庾月を見て、留は出会ったときの不自然さを思い返す。
確かに、庾月は明らかに『名前』に反応していた。
「すてきな人に出会えてよかったわ」
庾月がにこりと笑うから、
「俺も、この名前でよかった。庾月に見付けてもらえたから」
心の底から留は感謝を述べる。
その後も四人での談笑は続いたが、船の時間は待ってくれない。
父と庾月に『またね』とあいさつをして、用意された馬車に乗る。
ふいに、祖父がこんなことを言った。
「いいのか、嫁さんと離れて」
祖父は自責しているのだろう。
だから、留は思いっきり幸せオーラを出す。
「庾月のことを信じているから」
『わ~、アツアツだなぁ!』なんて祖父がからかってきても、留は『あはは』と笑う。
そうして子どものころのように祖父とじゃれて、道中を過ごす。
港街に着き、今度は船に一直線で乗り込む。
留は手元の乗船券をしみじみと見てから、離れゆく街並を見送る。
「じぃちゃん」
『ん?』と祖父が足を止める。
「ありがとう。庾月との……結婚を許してくれて」
しんみりと留が言ったからか。大きな手は留の頭をガシガシとなで、
「何言ってんだ」
と笑った。
風が鼻をくすぐって、留は涙声になりそうだった。
だから、そのまま祖父にしがみついて、留は笑い声でごまかした。
庾月は数日遅れて綺にくる。
これまで家族と離れて暮らしてきた分、しっかりと家族と過ごしてほしいと願う。
庾月と結婚するまでのカウントダウンは、あとわずかだ。
第一章はここで終わりですが、第二章もあります。
引き続きお付き合いいただけましたら幸いです。
次回の更新は4/2(木)の予定です。




