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陽光を浴びて輝く、黄金色の木々の連なりが、馬車の窓を流れていく。旅路は順調で、季節の色彩が心を癒す。だいぶ打ち解けてきた俺たちの間に、会話が増えはじめた。
「馬が好きなのか?」
「はい。嫌なことがあると、よく馬に乗って領地の森を駆け回っておりました。風を切っている間だけは、全てを忘れられましたから」
「奇遇だな。実は俺もなんだ。兄上に乗り方を教わってからは、ほぼ毎日、王宮の馬場で馬を走らせていたよ」
「カイル様の兄上……王太子殿下から乗馬を?」
「ああ。兄上は俺に乗馬だけでなく、剣術や勉強も教えてくれたんだ。俺にとって兄上は、親代わりのような存在なんだ」
俺が尊敬する兄への感謝を口にすると、グレースの表情がふと曇った。彼女の視線が揺れ、心の声がざわついた。
グレースの心の中で、悲劇のヒロインちゃんが頭を抱えて走り回り始めた。
「(親代わりほどに大切にされている弟君の婚約者が、私のような婚約破棄された令嬢で、しかも実家と絶縁した女だなんて!きっと王太子殿下は私のことを快く思わないに違いないわ!)」
すると長老が現れ、走り回るヒロインちゃんの肩を引き留めた。
「(ステイ!! 落ち着くのじゃ! まだ起きてもいない未来を嘆くのは、降ってもいない雨に怯えて傘をさして歩くようなものじゃ!)」
「(でも長老! 王族の方よ? 厳しいに決まってるわ!)」
「(よいか、『不安』とは、自分の心が作り出した幻影じゃ。相手がどう思うかは相手の課題。お前がどう振る舞うかがお前の課題じゃ! 他人の領域に土足で踏み込んで勝手に絶望するな! 堂々としておればよい!)」
長老の言葉に内心頷きつつ、どうすれば彼女に安心してもらえるか、俺は馬車の窓の外を眺めながら思案した。言葉で「大丈夫だ」と言うだけでは、彼女には気休めにしか聞こえないだろう。
その時、馬車が活気ある街へと差し掛かった。
街中が色とりどりの花で飾られ、人々が浮き立っている。広場の掲示板に貼られた大きなポスターが俺の目に留まった。
『祝・レギオス国第三王子婚約記念! チューリップ球根(求婚)まつり開催!』
ポスターには、「愛する人に球根を贈り、花と共に愛を育てよう」というキャッチコピーが踊っている。
この時期に、俺たちの到着に合わせて祭りを開催した兄上の意図を俺は察した。
グレースが抱えるであろう不安を、国の歓迎という形で払拭しようとしてくれたのだ。俺たちの婚約を国全体で祝福するイベントにすることで、国民の関心を「傷物の王子と訳あり令嬢」というネガティブな噂から、「愛の告白イベント」という純粋な祝福のムードへ導く意図もあるのだろう。
さらに兄上は、祝祭がなく活気が落ちがちなこの秋の時期に、国民の間に明るい話題と経済的な動きを生み出すことも狙ったに違いない。グレースへ歓迎の意図を伝えつつ、祭りを通じて国民が愛を育み、多くの幸せなカップルが誕生することを願う、兄上らしい温かい思いがこもった施策だ。
「グレース、あれを見てくれ」
俺はポスターを指差した。
「兄上が、俺たちの婚約を祝って、この祭りを企画してくれたようだ」
グレースがポスターを見て目を見開き、そしてぽつりと呟いた。
「……国を挙げて、歓迎してくださっているのですか?」
「ああ。兄上は、君を歓迎しているから安心してくれ」
窓の外では、若い男女が恥ずかしそうに球根を交換し合い、笑い合っている。その温かい光景を見て、グレースの心の奥にあった黒い不安の塊が、春の雪解けのように消えていくのが見えた。
「(よかった…。私、受け入れてもらえるのね…)」
安堵のあまり涙ぐむヒロインちゃんに、長老がドヤ顔でサムズアップしているのを見て、俺も胸を撫で下ろした。
◇
数日後に迫った到着に備え、婚約手続き関連の書類を整理していたとき、グレースの生年月日を見てハッとした。
明日は、グレースの誕生日だ。
旅の途中とはいえ、何もしないわけにはいかない。俺たちは宝石加工で有名な街に立ち寄り、婚約指輪を兼ねた贈り物を探すことにした。
宝石店のショーケースには、目もくらむような大粒の宝石が並んでいた。
だが、グレースが選んだのは、控えめな中粒の指輪だった。
「(カイル様は第三王子。国のお金を使わせていただくのだから、あまり高価なものを選んで国庫に負担をかけてはいけないわ。品格を落とさない程度で、一番慎ましいものを…)」
彼女の健気で理性的な配慮に、俺は愛しさと同時に少しの寂しさを覚えた。
もっとわがままを言ってくれてもいいのに。もっと、俺個人の想いを形にして贈りたい。
ふと、兄上のことを思い出した。兄上は毎年、義姉上の誕生日に国費を使わないプレゼントをということで、自分で作詞作曲したラブソングをギター弾き語りでプレゼントしているのだ。
…さすがに明日までにラブソングの準備はできないが、宝石のような「モノ」だけではない、俺自身の言葉を贈りたい。
俺は彼女に見つからないよう、文具店で花の香りがする上質な便箋と封筒を購入した。
その夜、宿の自室でペンを執った。
改めて文字にすると、気恥ずかしさが込み上げる。だが、言葉にしなければ伝わらない思いがある。彼女への感謝、これからの誓い、そして彼女の強さへの敬意。
最後に、二人の共通の趣味である「馬」の絵を描き添えた。絵心には自信がなかったが、まあ、気持ちだ。
◇
翌朝。
馬車が走り出すと同時に、俺は照れながらグレースに封筒を差し出した。
「グレース。誕生日おめでとう。これは、その、贈り物だ」
グレースがその封筒を受け取った瞬間、彼女の心の空気が一変した。
「まさか、また兄からの…」
彼女の脳裏に過去のトラウマがフラッシュバックした。
******
薄暗い部屋。ドアの下から差し込まれた兄からの一通の手紙。
『お前の誕生日など、お前が母上を殺した忌まわしい日でしかない。お前の罪は一生消えない』
******
グレースの表情が凍りついた。手が震え、呼吸が浅くなる。
心の声が悲鳴を上げている。
「(誕生日の手紙。怖い。また、兄から呪いの言葉が書かれている手紙が届いたのかも…)」
俺はしまったと思った。誕生日の手紙が、彼女にとってのトラウマだと気付けなかった。
「グレース!誤解だ!これは俺からの手紙なんだ!」
その言葉を聞きグレースは震える手で、意を決したように封を開けた。
便箋からふわりと、優しい花の香りが漂う。
彼女の視線が、文字を追う。
『グレース、君が生まれたこの日は、俺にとって感謝すべき日だ。君に出会えて本当によかった。
君の強さと優しさに、俺は救われている。君の隣にいられることが、俺の人生最大の幸福だ。
俺は君の全てを、永遠に愛し続けると誓う。』
凍り付いていた彼女の心に、温かい光が差し込んでいく。グレースの兄からの呪いの言葉が、俺の言葉によって上書きされていく心の様子が見えた。
そして、彼女の視線が手紙の最後で止まった。
そこには俺が描いた、胴体が太すぎて足が短い、顔が巨大なソラマメのような生物。カバに毛が生えたようにしか見えない「馬」の絵があり、さらにその下に「ウマ」と注釈が書き添えてある。
「……っ、ふふっ、ふふふっ!」
グレースは口元を手で押さえながら、堪えきれずに肩を震わせている。
「(な、なにこれ!新種のお芋の妖精!?いいえ、これはカバ? え、馬!? 下に小さく『ウマ』ってわざわざ注釈が! カイル様、絵が……絵が独特すぎていらっしゃるわ! あんなに完璧な方なのに!この絵を私のために一生懸命描いてくださったのね!)」
彼女の心の中でもヒロインちゃんと長老が腹を抱えて笑い転げている。
「(ぶふー!面白すぎる!画伯じゃ!)」
「(もう大好き!愛おしすぎるわ!)」
グレースのアイスブルーの瞳から、涙がこぼれ落ちた。
それは恐怖の涙ではない。笑いと、安堵と、幸福が入り混じった、浄化の涙だった。
窓から差し込む朝の光が、彼女の涙の粒に反射し、キラキラとダイヤモンドのように輝きながら頬を伝う。
泣き笑いする彼女の表情は、どんな宝石よりも美しく、生き生きとしていた。
「……ありがとうございます、カイル様。最高の、誕生日プレゼントです」
俺はグレースの眩しい笑顔に、ただ見惚れていた。
(下手くそな絵が、彼女をこんなにも笑顔にできるなら、画家を目指してみるのも悪くないかもしれない。)
そんなアホな考えが頭をよぎるほど、目の前の彼女が愛おしかった。
俺は、この幸福な感情を抑えきれずに、そっと彼女に近づいた。そして、愛おしさを込めて、彼女の頬を伝う涙を指先で優しく拭った。
改めて窓の外のポスターに目をやると、祝祭の文言の下に、書かれた文章に気づいた。
『この春予定される第三王子殿下とグレース嬢の結婚式に、自ら育てたチューリップを持って参加しよう!』
兄上が、どれほど俺たちの未来を温かく見守ってくれているのかが伝わってきた。
俺は色とりどりのチューリップで埋め尽くされた結婚式で、誰よりも幸せに笑うグレースの光景を想像し、幸福な笑みを浮かべたのだった。
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