第十五節 かけがえのない時間 後
レッスンルームはどの部屋も舞台上での動きを練習できるように作られていて、武踊館と同じ板張りの床に、舞台を示す線が引いてある。出番の者は舞台上の位置に、出番を待つ者は舞台袖の位置に、見守る者は舞台から離れて壁際の椅子に座る。
これから練習するのは、月姫神ヴィルジェーニアスが現れ、カノープスの力量を試す場面だ。ロイとマルコが立つ舞台に、神々しく輝くルーナ・アステラを纏うイレーナが登場する。
★ ☆ ★
『待っていましたよ、風華の騎士。あなたが来ることはわかっていた』
ヴィルジェーニアスの周囲で藍色のルーナ・アステラが渦をなし、レッスンルーム全体がほの青い輝きに満ちる。凄まじいアステラに、レグルスは思わず目を瞠った。
『我が名は月姫神ヴィルジェーニアス。風華の騎士カノープスよ、あなたの望みを述べてごらんなさい』
カノープスとブランヴァはひるむ。眼前にした神の姿に、慈愛にあふれながらも厳しさを伴ったその声音に、その圧倒的な威圧感に。カノープスは臆さないよう似心を強く持ち、ヴィルジェーニアスに語りかける。
『四大神の一柱、月姫神ヴィルジェーニアスよ。お目にかかれたこと、恐悦至極に存じ……』
『風華の騎士よ』
ヴィルジェーニアスはアステラを唸らせて奔流となし、カノープスに容赦なく浴びせかけた。突然のことに、カノープスは膝をつく。
『望みを述べてごらんなさい、と言ったの。神の言葉が聞けなくって?』
ヴィルジェーニアスの横暴にブランヴァが何事か口を挟もうとするが、カノープスは制止する。
『……どうかこのカノープスに、月の民の至宝たる〝月明の剣〟をお与えください。私は預言に従い、参じました。四大神に見えし騎士、神より四つの剣を賜り、戦を調停せん、と』
ヴィルジェーニアスは不敵に口角を上げる。
『では、あなたが剣にふさわしい強者かどうか、見極めさせてもらいましょう』
部屋に満ちていた輝きがヴィルジェーニアスの手のひらに収束し一点に集まると、そこから無数に拡散して、矢のごとくカノープスに迫る。カノープスとブランヴァは瞬時にアステラ・ブレードを発現させて振るい、神が放つ魔法の矢を次々と打ち払っていく。
このシーンでは出番のないレグルスとシュルマは、観客に徹するフランツと共に、壁際で騎士二人と神の攻防の場面を見つめている。
イレーナのアステラの扱いは、完璧だった。彼女が力を振るうたび、頭上を飾る王冠型のアステラ・ティアラが輝きを増す。対するロイとマルコは必死に矢を捌く。彼らの武踊が必死なものに見えるのは、イレーナが絶妙な位置にアステラを飛ばしているからだ。その技巧にレグルスは舌を巻き、シュルマは悔しげに歯噛みした。
やがて、矢の一本がカノープスの足に突き刺さる。
『ぐっ!』
ロイが呻く。だが、実際には痛くはないし、刺さってもいない。イレーナが放っている矢はあくまでアステラの光の集合体に過ぎず、アステラ・ブレードやティアラのような実体はないのだ。
『どうやら、預言の騎士とは、あなたではなかったようね』
舞台が暗くなっていく。イレーナが藍色のアステラを広げ、暗闇を演出したのだ。観客であるレグルスたちからは、演者の姿がおぼろげにしか見えなくなった。
『神に要求した己の傲慢さを悔いるがいい』
冷酷な言葉と共に、ヴィルジェーニアスは幾百もの矢をカノープスに向けて放つ。負傷したカノープスは動けない。闇に視界を奪われたブランヴァも動けない。
絶体絶命。
カノープスが死を覚悟したその瞬間――青いアステラが、守るようにカノープスを覆った。殺到した魔法の矢は、すべて青いアステラによって阻まれた。
カノープスが思わず振り返ると、そこには、騒魔を食い止めるべくひとり死地に残ったはずの仲間がいた。
『サジェ!』
『あとで必ず追いつく。そう言っただろう?』
自らのルーナ・アステラで暗闇をほの明るく照らしながら舞台に現れて、力強くそう告げたサジェを演じているのは――
◆ ◆ ◆
「……レグルス。やはりこの演出は、俺には合わない。俺の青いアステラでは、イレーナの作った夜の闇に埋没してしまう」
サジェを演じていたユアンが、突然演技をやめた。
「なっ、君!」
すると、フランツがユアンを怒鳴りつけた。
「ストーリアでは、台本にない言葉を口にしてはならない。意見を言うなら、場面が終わってからにしないか!」
「……」
ユアンは答えない。
「レグルス、君の差し金だろう? 僕のような凡愚に、彼みたいな天才との差を見せつけて、いったい何がしたいんだ!?」
震える声に怒りを滲ませて言い募るフランツに、レグルスは尋ね返した。
「……フランツ先輩は、どうしてティターニア学園に入学したのか、忘れてしまったんですか?」
「なんだって?」
「おれはナイドルになりたくてこの学園に入りました。先輩は、違うんですか?」
フランツは一瞬身を固くし、唇を震わせた。
「……そうさ。当たり前だろう。誰だってナイドルになりたいからこの学園の門をくぐる。でも、わかってしまったんだよ。僕は輝けない。輝く才能を持っていない。諦めるしかないんだよ。今だって、君の王子様の演技を見て、痛感したところさ。才能の差をね」
レグルスはちらとユアンを窺う。ユアンはフランツの言葉に表情を変えすらしない――と、レグルス以外は思っているだろう。だが、レグルスにはわかる。ユアンは、必死に無表情を貫いているのだと。
ナイドルになりたいフランツの夢を、ナイドルになりたくないユアンが挫いている。挫いてしまっている――ユアンはそのことに傷つく。ユアン自身、自分の人生のために努力しているのだから気後れする必要はないと、頭では理解しているはずだ。だがユアンは、それを飲み込めるような性格ではない。彼のことだから、アステラパシーが悪い方に作用する可能性も考えたに決まっている。そうレグルスは思った。
それでも、傷つくとわかっていても、ユアンはレグルスのために手を貸してくれた。
ユアンの決死の思いに報いるため、レグルスは語気を強めてフランツに迫る。
「諦めたんなら、どうして怒るんですか。どうして落ち込んでるんですか?」
「……どういうことかな?」
「本当に諦めてるんなら、ユアンと自分をくらべて悔しがるなんて、おかしい。すっげぇナイドルを見たら、感動したり、褒めたりする……見ているだけのお客さんなら、そうなるはずだ」
「……っ」
「悔しいのは、フランツさんが、舞台の上にいるからだ。観客じゃなくてナイドルだからだ」
イレーナが発現させた夜の暗さはまだそこにあり、闇の中で、ユアン以外の三人が対峙し続けている。
ユアンはフランツの目の前に立つと、彼の手首を握った。
「……なんの真似だい?」
「あの演出は、俺には合わない。藍色の夜闇の中で、俺の青いアステラは、あまり目立たない」
「だったら変えればいいだろう? 君に合った演出にさ。原典にも台本にも書かれていないことは、自由にして構わないんだから」
「俺は第二班です」
フランツの顔が、カッと真っ赤になった。
「君は僕を馬鹿にしているのか!? なら、どうしてわざわざ僕らの練習に割り込んで僕の席を奪う!?」
激昂するフランツを前にしても、ユアンは態度を変えない。
「わからないふりはしないでほしい。それとも、本当にわからないのか」
「……っ!」
「第十班の仲間は、サジェの助けを待っている」
フランツは投げやりにユアンの腕を振りほどき、白くまばゆいアステラ・ブレードを顕現させ、舞台に向かって振り抜いた。純白のアステラが、闇の中にいるロイを守るように広がる――闇の中では青くぼやけてしまうユアンのアステラとは違い、フランツの白いアステラは眩しく鮮やかに輝いた。
イレーナが作った夜が消えていく。サジェの登場に合わせてイレーナが自分のアステラを消せば、観客は、サジェがその力で闇を払い、カノープスを守ったと受け止めるだろう。
イレーナは大きく深呼吸をし、ロイとマルコはブレードを消す。舞台上に残っていた白いアステラは、自然と霧散していった。
「あなたが演技プランを人任せにしたのは、ある意味では正しかった。アステラのコントラストを活かすという演出は、それぞれが別々に考えては思い浮かばなかったでしょう。全員の演技プランを、全員で考えるべきだった。私が考えた私のプランより、レグルスくんが考えたプランのほうが、よかった。彼は人の長所や強みを発見する力に優れている。私にはない能力だわ」
「へっ……」
突然イレーナがレグルスを褒めたが、異論を挟む者はいないらしい。驚いているのはレグルス本人だけだった。
「フランツ」
イレーナが、初めてフランツの名前を呼んだ。
「ユアンくんが演じるサジェを見て、感じたでしょう。『あとで必ず追いつく。そう言っただろう』……ユアンくんのセリフに詰まった煌めきがわからないような者なら、入試で門前払いされているわ」
イレーナの問いに、フランツは力なく俯く。
「……でも、僕、には」
「才能がない、やめたいって……そう思ってたんですよね?」
レグルスの言葉にフランツが顔を上げて振り向く。その碧眼は驚愕に見開かれていた。
フランツの白いルーナ・アステラに、レグルスは見覚えがあった。だが、いつ、どこで見たのかは、なかなか思い出せずにいた。ようやく思い出したのは、寮の自室でユアンと今日の計画を練っていたときだった。
後期中間試験、〝エルトファルの修行〟についてマーネンが講評を終えた後、ユアンのアステラが青黒い闇となって学園中に広がったあの時――粘つくような闇に包まれた廊下で、ふと目に留まった、白いルーナ・アステラ。濃緑のネクタイの生徒が、闇から己を守る鎧のごとく、アステラを纏っていた。「やめたい」と、苦しげに呟きながら――あれが、フランツだったのだ。
「アステラは、嘘偽りない心の反映。フランツさんの心が本当に折れてしまっているなら、アステラは輝かないはずだ」
光は闇の中でこそ、まばゆく輝く。
ユアンを追ったあの日一番輝いていたのは、彼が道しるべに残した青白い炎だった。
「フランツさん……学園で過ごした時間を無駄なものにしてしまっていいんですか? 夢のために努力した、かけがえのない時間を」
「……はは」
フランツは俯いたまま、乾いた笑いを漏らす。
板張りの床に、ぽたりと雫が落ちた。
ユアンがレグルスに目配せをしたので、そっと頷くと、ユアンは静かにレッスンルームを出ていった。




