通い妻メイちゃん
そんなやりとりをしながら二人でアパートの階段をカンカンと降りていると、一階で掃除をしていた大家さんに遭遇。
「──あら、悠木くんおはよう~。この前は家賃ありがとうねぇ」
「おはようございます大家さん。いえいえ家賃は当たり前なんで。むしろ、このご時世に値上げもしないでもらって感謝してます」
「うふふ、あちこちガタがきてるおんぼろのアパートだからねぇ。値上げなんてできないわよぉ。それよりエアコンは大丈夫? これからもっと暑くなるもの。言ってくれれば、買い替えの補助金くらいは出させてもらうからね。でも、他の入居者さんにはヒミツよ? 私のポケットマネーからだから」
と言って、シーと口元に指を当てる大家さん。
「えっと、い、いいんですか? すごく助かりますけど、本当はそういうのダメなんじゃ……」
「悠木くんみたいな、頑張る若者を応援できるのは大家の特権だもの♪ それに、大学生の頃からずっとそばで見ているからもう孫みたいなものなのよ。これくらいのことはさせてちょうだい」
「大家さん……ありがとうございます……!」
頭を下げると、大家さんは「やだやだやめてよ」と笑って手をパタパタさせた。
いつもニコニコと大らかな大家さんは確か60歳半ばとかで、このアパートは祖母から受け継いだものなんだとか。学生の頃からずっと良くしてもらっていて、俺にとっては感謝しかない相手だ。
するとメイが俺の背後からひょこっと顔を出し、声を挟む。
「大家さんおはようございまーす! 昨日は急に連絡しちゃってスミマセン!」
「あらあら? メイちゃんも一緒だったの? うふふ、いいのよメイちゃん。でもおばさんが悠木くんを起こしに行く必要もなかったみたいだねぇ」
「ん? えっ?」
急においていかれた感じになって一人戸惑う俺。いや何の話だ?
「メイ? どういうことだよ?」
「あーうん、実は昨日ねー大家さんに連絡しといたの。おにーさん新しいお仕事あるみたいだから、寝坊とかしちゃってたら大変なんでこの時間になったら起こしてあげてくださーいって」
「え? そうだったのか?」
初耳の話に、大家さんが「そうそう~」とうなずいて言う。それで外に出ていたのか。
「でも、メイちゃんが来てくれたならおばさんは要らなかったねぇ」
「えへへごめんなさい大家さんっ。結局気になって来ちゃいました~!」
「まぁまぁそうだったのね。悠木くんはこんなに可愛らしくて優しい彼女さんがいて幸せだねぇ。メイちゃんのこと、大切にしてあげるんだよ~」
「だってぇおにーさーん! こんなに可愛くってキレイで優しくてスタイル抜群で料理上手な気立ても良いスーパーカンペキ美少女カノジョなんだから大切にしましょう!」
「盛りすぎだろさすがに! 自分で言うな自分で! てかいつの間に大家さんと連絡先交換してんの!? 仲良くなりすぎじゃね!?」
そんなやりとりにメイと大家さんが揃って笑いだし、俺までおかしくなって笑った。まぁ本当はそういう関係じゃないんだが、別にここで否定して空気を壊すこともないだろ。
そこで大家さんがふと切り出す。
「あ、そうそう悠木くん。悪いんだけれど、また古くなった蛍光灯を交換してもらえるかなぁ?」
「あ、はい。いいっすよ。って、それたぶんうちの前のヤツですよね? 帰ってきたらやりますよ」
「あっ! そういえば前におにーさんち来るときあそこのバチバチいってた!」
「そうなの~。古いものだからちょっとおばさんには怖くてねぇ。助かるわぁ。お礼にまたお野菜持っていくからね。お仕事頑張ってねぇ」
「どもっす。じゃあ俺そろそろ行ってきます。早めのバス乗っときたいんで」
「あーおにーさん! 待って待って!」
「ん? なんだよ。もうあんま時間ないぞ」
「すぐすぐ!」
歩きだそうとしたところを急に止められたかと思えば、メイは「最終チェック!」と言って俺の格好を上から下まで観察し、それから背伸びをしておもむろに俺の頭に手を伸ばして髪をサッサと払った。
「ん、これでバッチリ! メイちゃんチェック無事通過しました! カッコイイぞ☆」
「お、おう。サンキュな」
「んふふっ、いってらっしゃい! がんばれ男の子~!」
メイにバチコーンと背中を叩かれる俺を見て、大家さんがまた笑いながら言う。
「あらあら。メイちゃんたら通い妻みたいで、二人とも、なんだか新婚夫婦さんみたいで初々しいわねぇ」
今朝のあれがあったもんだからその発言でまたこそばゆい空気が流れ、俺もメイもちょっぴり気恥ずかしい感じで別れることになるのであった。
――それから最寄りの駅に向かい、電車に乗って10分ちょい。
たどり着いたのは、大都会TOKYOにそびえ立つ地上52階建ての高級ホテル。おそらくは著名な建築家がその敏腕を存分に振るったのであろうとわかる豪奢な姿は夏の青空と陽光をキラキラと反射して輝く。まさかこんなところに縁ができるとは夢にも思っていなかった。当然ながら中へ入っていくのは俺とは世界の違うだろう人たちばかりだ。つーかホントにここであってんのか?
「うーん、初めてくる職場ってのは独特の緊張あるもんだけど……今回はなおさらだな……」
緊張に飲まれないよう呼吸を整えていたところで、「あっ」と思い出し懐からスマホを取り出す。一応、もう電源は切って鞄にしまっておいた方がいいだろう。
そこで、メイからのメッセージが届いていたことに気付いた。
『迷わず行けよ! 行けばわかるさ! 帰ったらカツだ!』
「いやお前は伝説のプロレスラーか!」
つい声に出してツッコんでしまう俺。周りからチラチラと視線が送られて恥ずかしくなってしまった。
けど、俺は笑えていた。
アイツが俺の状況を察してこの名言を送ってきたのかどうかはわからないが、たったそれだけで緊張感はどこかに吹き飛び、肩の力は抜けて、むしろ今の状況がどこか楽しくなってくる。
そう。すべては行けばわかることだ!
名言の後のガッツポーズなプロレスラーのスタンプに、親指を立てた了解スタンプを送り返してからスマホの電源を切る。
「――さて、それじゃあバイト楽しんでくるとしますか!」
俺は背筋を伸ばし、高級ホテルの中へと足を踏み入れる。
今はもう、夜のカツ丼を楽しみに思えるくらいの余裕があった。




