サマーダイブ
『明日から来なくていい』
会社で上司からそう言われたのが、2時間ほど前のことだった。
「──クソッ!」
コンビニで買った缶ビールをいっきにグビグビとあおり、一瞬で中身の消えたそれを公園のゴミ箱に投げ捨てるも見事枠に当たって跳ね返された。
「ああもうっ! ――なんで…………っ!」
そんなちょっとしたことで余計否定されたような気持ちになり、ムカムカと胸全体によくない苛立ちが広がっていくのがわかった。
俺はそんな気持ちを必死に抑えて立ち上がり、缶を拾いに向かう。
──俺が務めていたのは、ドリンクの製造・販売を行う『ゼッタードリンク』という会社だった。
そして今日、確かに俺は営業先のお偉いさんを怒らせてしまった。
けどそれはウチの新作商品を散々コケにされたからであって、開発部の人たちが必死に作り上げたのを知っていたからどうしても我慢ならなかった。
そんな会社と取引なんてする必要ない。きっと上司だってわかってくれる。むしろよく言ったと言ってくれるんじゃないか。そんな風に思ってた俺がバカだったのだ。
――悠木湊。22才。独身。彼女ナシ。
ついでに先ほど無職の肩書きまで手に入れた俺は今、夜の公園で一人やけ酒をしていたというわけだ。
帰宅途中にあるこの海浜公園はデートスポットとして有名で、近くにはショッピングモールなどもあることから昼はたくさんの人で賑わっているものの、夜になると俺みたいな冴えない社会人とランナーばかりになる。以前から仕事の悩みなんかを整理して考えるときによく利用していたのだが、海が近く、自然も多いため、田舎を思い出して落ち着くことが出来た。
「…………はー。なっさけねぇ……」
飛び出して以来帰っていない田舎を思い出すことも、4月に入ったばかりの会社をクビになることも、弱いくせに普段まったく飲まない酒なんて飲んでるのも、すべてを情けなく思いながら空き缶を拾ってゴミ箱へ捨て直す。カランカランと音が響いた。
手元に残ったのは、ビニール袋に入ったコンビニ弁当。
普段はありがたく美味しくいただけるそれが、今の俺にはなんだか妙にもの悲しく見えてしまい食欲が湧かない。
俺はボーッとする頭でふらりふらりと千鳥足気味に歩くと、遊歩道の柵にもたれかかるように海を眺めることにした。ライトアップされたレインボーブリッジや街の灯りが少し眩しい。夜になれば暗闇一色しかなかった故郷とは大違いだ。
そこでふと思い出す。
おそらく、今日の上司の言葉が無性にキツく感じたのは、父親のそれと重なったからだ。
『二度とこの家の敷居をまたぐな』
俺の親父は故郷で一番と云われる名士で、日頃からそうとうに厳しい人だった。
アニメを見たりゲームをしたりすることは許されず、高校までスマホは禁止で、テストは満点以外は叱咤の対象。習い事も、観ていいテレビ番組も、進学先も、将来の仕事も、小さい頃からなんでも全部親父に決められてきた。気になる女の子とデートすることだって出来なかった。
やりたいことを何一つさせてもらえずに成長してしまった俺は、大学受験のときに親父には内緒で自分の選んだ大学へと進学を決めた。
初めてといっていい明確な反抗だった。
母さんは俺の気持ちを汲んでくれて親父に進言してくれたが、やっぱりダメだった。最後まで親父にはわかってはもらえず、その言葉を聞いて以来実家には戻っていない。
そうして一人上京してきた俺は、東京の安いアパートを借りて一人暮らしを始め、大学に通いながら必死に勉強とバイトをしてきた。給付型奨学金のおかげで生活はなんとかなり、四年後無事に大学を卒業することが出来たが――やりたい仕事を見つけることは出来なかった。
当然だ。
なにかやりたいことがあったわけじゃない。反抗のために選んだ大学に過ぎなかった。そんな人間が選んだ場所で、都合良く目標なんてものは見つからなかったという話だ。
やがて俺は、大学側が勧めてくれた新進気鋭の急成長中である飲料会社になんとなくで就職をした。なんとなくで毎日働き続けた。
そんなある日に気付いた。俺は、さっき捨てた空き缶のように空っぽだったんだって。
だから、クビ宣告を突きつけられても当然だったのかもしれない。心のどこかでは、ようやく解放されたというような思いもあった。
4月に入社してまだたったの3ヶ月。最初はなんのやりがいもなかったけど、研修を終え、仕事を覚え始めてから少しずつ楽しくなってきて、これからだってときの上司のあの一言は今までの自分の努力をすべて否定されたようだった。
家を捨て、一人きりで東京にきて、そうすればなりたい何かになれると思っていた。
けれど、そんな考えは甘かったんだ。
これからのことは──今はちょっと考えられそうにない。
「…………海…………気持ちよさそうだな……」
目の前の静かな海を見て、故郷である瀬戸内の優しい海を思い起こす。
慣れない酒のせいか、顔が熱を持ってポカポカしていた。梅雨も終わってだいぶ暑くなってきたせいもあるだろう。気付けば目の前の海に飛び込みたくて仕方なくなっていた。そうすれば、今の嫌な気持ちも全部洗い流せるかもしれない。
家も近いし、誰も見てないし、見られたところでどうでもいいし、そもそも海水浴場が近くにある場所だ。俺がここでずぶ濡れになってもたいしておかしかないだろう。東京なんていくらでもおかしなヤツがいる場所だ。いてもいい場所だ。
スマホや財布の入ったジャケットと靴だけ脱ぎ、柵の上に登る。弁当も一緒に置いた。
不安定な柵の上で夜風を受けながらネクタイを緩め、ゆっくりと呼吸を整える。
そして、今まさに飛び込もうとした次の瞬間――
「──ちょちょちょ! ちょっとおにーさんっ!? なにやってんの~~~~~~っ!!」




