1.壊れた家族、壊れていた妹
「最悪だよ、本当に」
母さんの姿が完全に見えなくなった。それでようやく張り詰めたものが切れたように力が抜けた。
床に倒れ込み天井を見上げながら、あの日のことを思い出す。
───家族が壊れたのは今から3年ほど前だ。
人からの好感度が見えるようになったあの日、俺は親父に何も考えず『俺が嫌いなのか』と聞いてしまった。
その返答は冷たいものだった。
嫌いだと、刃物のように鋭い言葉が俺に突き刺さったのを今でも覚えている。
俺の言葉がきっかけだったんだろうな⋯⋯。
これまでずっと溜め込んできたものを吐き出すように親父は感情のままに怒鳴っていた。
何を言っているのか、その時は直ぐには分からなかった。いや、分かりたくなかった。
───俺が、親父の子供じゃないって認めたくなかったんだ⋯⋯。
「親父も被害者だ悪くない⋯⋯悪くない筈なんだ」
騙していたの母さんだ。
親父は知らなかった。後から知ってしまった。
俺が母さんの不倫相手との間に出来た子供だと。
親父が気付いたのはつい最近らしい。親戚かあるいは友人か、大きくなるにつれ俺と親父が似ていないと指摘を受けたとの事だ。
その時は笑い飛ばしたそうだが、親父自身も気になっていた事だった。だから家族に内緒でDNA鑑定を行った。
杞憂であって欲しい。そんな事を心から願い、それでも答えを知りたくて親父は結果を待った。
その結果、残酷な結果を知ってしまった。
「よりにもよって⋯⋯親父の友達とかよ」
DNA鑑定で分かった訳じゃない。親父が探偵を雇い不倫相手を見つけ出した。
その結果、親父は母さんと友達の二人に裏切られた事を知った。
被害者なんだ、親父は。
残酷な現実を知った親父はずっと悩んでいた。一人で抱え込んでいた。
怒りのままに離婚を突きつけるか、それとも子供の為に我慢するか。ずっと一人で悩んで苦しんで考えていた。
そんな時に俺が、あんな発言を⋯⋯。
「優しいんだよ⋯⋯親父は」
親父も限界だった。自分のことでいっぱいいっぱいだった。それでも怒りのままに離婚へと踏み出さなかったのは当時中学生だった俺や妹たちに、影響が出ないか心配したからだ。
俺たちが成人するまで⋯⋯親父は耐えるつもりでいた。つもりでいたんだ⋯⋯。
「でも、これで良かったんじゃないか? 俺たちが成人するまで苦しむより⋯⋯ずっと」
───離婚して、家を出ていった親父を思うと、それが正解だったと心から思う。
今にして思えばあの日の出来事が、俺が人間不信になるきっかけだったな。
好感度が見えるようになるまで、仲の良い夫婦にしか見えなかった。けど、それは親父が俺たちに見えないように苦しみを隠して耐えていただけだ。
どれだけ耐えても、我慢しても、いずれ限界は訪れる。
あの時よりもずっと疲弊していたのだとすれば、最悪の結末も有り得たかも知れない。そう思えばあの時の発言は正しかった?
いや、正当化したいだけだな。
「ん?」
不意に机の上のスマホから音楽が流れる。
登録していた音楽から着信音ではなく、時刻を告げるアラームだと直ぐに気付いた。慌てて時計を見ると時刻は13時を指している。
どうやら考え事をしているうちに随分と時間が経っていたらしい。
「約束していたのは13:30だったか?」
俺の相談に乗ってくれていた友達と、ゲームで遊ぶ約束をしていた。今のアラームは忘れないようにあらかじめ設定しておいたものだ。
「となると時間はないな」
準備の時間を考えると料理を作っている余裕はない。せっかくレシピを教えてくれたのに申し訳ないが、今日のお昼はカップラーメンで済ますとしよう。
現在の時刻は16:30。絶賛ゲーム中である。
『ウイングさん、助けて!死ぬ!死んじゃう!』
迫真の悲鳴がイヤホン越しに聞こえてくるが、俺たちがプレイしているゲームはFPSのような対人戦のゲームではない。
すべてがブロックで構成された世界で、建築や冒険、サバイバルなどを自由に楽しめるサンドボックスゲーム───そう世界的人気を誇るあの!『ボックスクラフト』を友達の猫大福さんとプレイ中である。
「ハードコアじゃないから死んでも大丈夫だよ、猫大福さん」
ボックスクラフトは難易度を選ぶ事ができ、プレイヤーのゲームスキルに応じて調整するのが基本だ。
俺はボックスクラフトの経験者なのだが、このゲームをやろうと誘ってきた猫大福さんは初心者である。
その為、難易度は猫大福さんに合わせてノーマルに設定してあるので、たとえモンスターにやられたとしても後から回収出来るから問題なし。
俺が普段遊んでいるハードコアだと、死んだ瞬間に終わりだから緊張感が半端ないんだけど、ノーマルだと死んでも特にペナルティはないからかなり緩くやってる。
けど、どうやら初心者である猫大福さんは違うらしく、今も少しばかり耳の痛い叫び声が聞こえてくる。
『助けてぇえ!』
「分かった分かった。今、助けに行くから待ってて。まだ耐えられる?」
『骨さんにすごい襲われてるから早く!本当に死んじゃう!』
猫大福さんはどうやら序盤の強敵、骨さんに襲われているようだ。骨さんは装備が整ってないと経験者でも殺されるくらいには強いからな。
急いで猫大福さんの救援に向かおう。見殺しにしたら後で文句を言われそうだし。
マップを確認すれば猫大福さんが何処にいるかは一目で分かる。距離も遠くないから骨さんにやられる前に間に合う! そう思った時だ。
コンコンと、扉がノックされた。
「お兄ちゃん⋯⋯起きてる?」
続けて聞こえてきた小鳥のさえずりのような可愛らしい声に、16時を過ぎている事を思い出した。
「お兄ちゃん⋯⋯わたしの声聞こえてる?」
もう一度と、コンコンと扉がノックされた。
声の主が誰かは既に分かっている。妹だ。
「ねぇ⋯⋯聞こえてる?」
コンコンコンと、ノックされる回数が増えた。それに合わせて心臓の鼓動が早くなっている気がする。
───俺には妹が二人いる。
一卵性の双子で歳は俺より二つ下の女子中学生。俺と違って⋯⋯妹たちは親父の血をちゃんと引いている。
「お兄ちゃん!!」
声が強くなる。このまま反応しないでいると、大変な事になると判断してイヤホンを外す。
───ごめんね、猫大福さん。
心の中でそっと謝る。俺が救援に駆けつけなかったら猫大福さんがどうなるか、予想できているにも関わらず俺は自分を優先してマウスから手を離した。
けど、こっちも修羅場だから許して欲しい。
大きく息を吐いた後、覚悟を決めて部屋の施錠を解除する。すると、間を開けずに扉が開かれた。
「お兄ちゃぁぁぁぁん!!!」
───まるで弾丸のようだった。
扉が開いた瞬間に妹が俺に向かって飛んできた。あまりに早く、かつ不意をつかれた為回避は不可能だった。
というより躱すと後で面倒なので受け入れるしかないのが、悲しい現実である。
それはともかく。弾丸のような勢いで飛んできた妹を体で受け止めようとしたが、残念ながら踏ん張ることが出来ず床に押し倒されてしまった。
その際に頭を打った。
カーペットを敷いているとはいえ、勢いよくいったので普通に痛い。
「いっっ!!」
痛みで苦しみ俺を他所に、押し倒した張本人である妹は俺の胸元に顔を埋めて匂いを嗅いでいた。
流石にイラッときて、特徴的なツインテールを引っ張って引き剥がしてやろうかと、一瞬思ったが行動に移せないのが俺だ。
諦めるようにため息をつくと、顔を上げた妹と目が合う。
「おかえり」
「ただいま、お兄ちゃん!!」
ご満悦そうに笑みを浮かべる妹───柊 飛鳥の頭上には、相も変わらず数字が浮かんでいる。
俺にとって唯一の救いは両親から嫌われていても、妹からは好意を向けられている事だろう。
「ねぇ、お兄ちゃん」
「なんだ?」
「お姉ちゃんは部活で帰りが遅いし、母さんも今日は会社の付き合いで夜遅いらしいよ」
「そうなのか⋯⋯」
───ただ一つ問題があるとすれば。
「だから⋯⋯邪魔者は誰もいないね」
───妹から向けられる好意が親愛の域を抜けている事だろうか。
「⋯⋯そっか⋯⋯」
飛鳥の頭上には輝かしい3桁の数字が浮かんでいる。
───『100』。
その数字はこれまで俺が見た中で最も大きい数字であり、それは即ち飛鳥の好感度の高さを表す。
「ねぇお兄ちゃん」
「なんだ?」
「お兄ちゃんはお父さんの子どもじゃないんだよね?」
真剣な口調だ。だが、間違っても俺の上に馬乗りになって、俺の服に手をかけながら聞くような事じゃない。
それと、その確認は割と俺の心をえぐっていると気付いて欲しい。
「そうだな⋯⋯俺は父さんの子どもじゃない」
自分で断言すると胸が痛む。
親父が家を出ていく時に最後に見せた悲しそうな表情⋯⋯。
親父は、ただの被害者だ。
「ん?なんで俺の服を脱がそうとしているんだ、飛鳥」
鼻息が荒いぞ。今の会話で興奮するような所は一切なかった筈だ。なんだったら少しシリアスな雰囲気だと思う。頼むからこの空気を感じ取ってくれ。
そんな想いで飛鳥を見ると、満面の笑みが返ってきた。
分かってくれたか、妹よ?
「なら!お兄ちゃんとエッチしても大丈夫だよね!お父さんが違うならいけるよね!」
「その理論はおかしい!!!」
───家族が壊れる前から、妹は壊れていた。倫理観が。




