甘えてみました。
ブログより転載。
「ヒスイ。手が止まっているが、何か悩み事があるのか?」
「え?」
その若干優しさと心配を含んだその声に、顔を上げ反対側の席に座っている兄さんへと視線を向ける。
すると兄さんはもうすでに食事を終え、お茶へと手を伸ばしている所だった。
一方の私の手元には、一口だけ齧ったサンドウィッチが。
ついさっき食べ始めたと思っていたが、どうやら自分が思っている以上に思考の波に囚われていてしまったようだ。
私は午前中の仕事もひと段落し、兄さんと店舗兼自宅の二階にて遅めのランチを摂っている所だった。
「もしかしてライト様と喧嘩でもしたのか?」
「してないよ」
うちの旦那様は温厚。そのため喧嘩なんて滅多にない。
ただ、私が一方的に怒る時はある。
つい最近だと、先週かな? 郊外の動物園に二人でデートに行ったのはいいが、なんとそこで旦那様がリス耳のカチューシャを購入。それをご自分で付けるのかと思えば、なんと私に付けさせたのだ。
そうだ。またリス扱い。
しかも、その後に写真攻撃。
私のソロって誰が得するの……? 旦那様を撮影して方が良いと思うのに。
それで私が感情的に旦那様を怒った。
それなのに旦那様は頬を染め、「ごめんなさい」とまるで幸せを噛みしめているかのような表情で謝罪。そのため私は怒る気が失せてしまった。
旦那様はもしかしてMなのだろうか?
怒られて喜ぶなんて……
以前も「ヒスイさんの前世はリスです!」と発言した時も、「私がリスならば旦那様のその手はもうとっくに噛まれていますよ?」と告げた時も、嬉しそうだったなぁ。
やっぱり旦那様は……うん。今は考えるの辞めよう。
「言いにくいのか?」
「ううん。たださ、どうしていいのかわからなくて。旦那様にね、『もっと甘えて下さってもいいのですよ?』って言われたの」
私はぽつりと漏らす。
昨夜、旦那様にそう言われた。その一言が未だに胸に引っかかっていたのだ。
甘えるって言われても、どうしていいのかわからない。
孤児院に居た頃から早く自立したくて、大人になろうと頑張っていた。
なんでも一人で出来るように――
そのせいか私の性格なのか、旦那様にそう言われた時は困惑し、「今度」と曖昧に返事をしただけ。
「何か買って欲しいとか言えばいいのかな? でも、必要な物って用意されているし。それに元々物欲あまりないんだよね」
「別に物じゃなくてもいいんだ。ライト様にして欲しい事とかでも」
「して欲しい事……?」
小首を傾げ兄さんに尋ねれば、頷き肯定された。
「あるか?」
「んー……したい事ならある。アリーさんが兄さんにしているみたいなやつやりたい」
「アリーが? あいつ俺に何かしていたか?」
「うん。でもライト様に迷惑にならないかなぁ?」
「なんだかわからないが、ライト様の事だ。全て受け入れてくれるはずだから大丈夫だ。俺が保障する。だから、ちゃんと食事取れ」
「うん」
私は手を動かし、口元へとサンドウィッチを運ぶ。
兄さんに話して良かった。少し気分が楽になったわ。
そのお蔭で鈍っていた昼食が進んだ。
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旦那様にしてみたかった事。それは「お帰りなさい」と言って抱き付くこと。
でも、屋敷ではアイリスさん達を始めとしたメイドや、執事の出迎えが必ずある。
そのためさすがに人前でというのは恥ずかしい。
なので、今日だけ皆にお願いして私一人でお出迎えすることに。
「早く旦那様帰って来ないかなぁ……」
玄関のすぐ傍にある螺旋階段に座りながら、私は扉を眺めていた。
それが開くのを。
すると数分後、やっとそれが開けられたため腰を浮かせた。
けれどもすぐに動きを止める。だってそこに現れたのは従者だったから。
「奥様、一人でございますか? 出迎えの他の者は……?」
小首を傾げる従者に「ちょっと外して貰っているの」とそう告げると、すぐに彼は「左様でございますか」と体を横にずらし扉を手で押さえると、誰かを中へと促す。そこに現れたのは、待ち人である旦那様。でも、その姿に私は戸惑う。
――何故、今日に限ってっ!?
でも今日に限って両手が塞がってしまっていたのだ。
旦那様が両手で抱えている数冊の本によって。
「では、私は馬車を」
「えぇ、お願いしますね」
旦那様はそう従者に告げると、階段を降りている私に対して微笑んで「ただいま、ヒスイさん」と言葉を発した。
「お帰りなさい。旦那様。その本は何ですか?」
「えぇ、イレイザ兄さんに頼まれまして。これを翻訳して欲しいと。古代語の文献です」
「貴重品ですよね?」
「えぇ」
ならば、ぶつかって落としたりすると駄目だよね。
ということは、正面は無理。
ならば……――
「ヒスイさん。もしかして何かお話があるんですか? アイリス達に外して貰っていると先ほどおっしゃっていましたが」
「はい。ですが、ちょっと後ろを向いていて下さい。本を絶対に落とさないで下さいね。傷ついちゃうと駄目なので」
そう言って置かないと、旦那様が驚いて落としてしまうかもしれない。
というわけで、忠告も済んだ。
旦那様は言われるがまま私に背を向けた。
「あのですね、旦那様に甘えてもいいですよって言われたのですが、わからなかったんです。それで兄さんに訊いたら、旦那様にしてほしい事とかしたい事とかあったらすればいいって言われたんです。ですから、してみたかった事してもいいですか? アリーさんが兄さんにやっていたのを一度見て、私も旦那様にやってみたかったんです」
「是非。ですが、それとこの背を向けているのは関係があるのでしょうか?」
「大有りですよ。覚悟はいいですか?」
「なんだか緊張しますね。どうぞ?」
旦那様の苦笑いが耳に届く。
高鳴る心臓を落ち着かせるために、深呼吸を数回繰り返して、私は旦那様に近づいた。
そして、「お帰りなさい」
と言って旦那様の腰元に抱き付いた。
一瞬だけびくりと大きく動いた旦那様の背。
「実はお帰りなさいって、抱き付きたかったんです。なので、恥ずかしくてアイリスさん達に席を外して貰ったんですよ。……って、旦那様?」
あまりに反応が無さ過ぎたので、心配になった。
もしかして子供っぽいと思われたのだろうか。
やらなければ良かったと後悔に襲われている時だった。叫ぶような旦那様の呟きが耳朶に触れたのは。
「どうして僕は希少本なんて持っているんですかっ!?」
「ええっ!? そ、それはイレイザ様に頼まれたからって、先ほどおっしゃってませんでしたか……?」
私の聞き間違いだったかな?
「何故よりによって兄さんは今日渡したんですかっ!? 明日にして下さればよかったのに! なんなんですか、あの人は! ほんと、空気読んで下さいよ」
「え? それは存じ上げませんが……」
「あぁ、拷問だ。こんなに可愛い妻が抱き付いているというのに!」
「ごめんなさい」
拷問ってぐらいに嫌だったなんて……
私はすぐに回していた手を離した。
だがすぐに「何故、手を離してしまうんですかっ!?」という叫びが聞こえたので、またもとに戻す。
「アイリス! ラン! 誰かいませんかっ!? 誰か、至急この本を持って下さい!」
「本ですか? なら、私が」
「ヒスイさんが本を持ってしまったら、抱き付いて貰えなくなるじゃないですか。何故よりによって今日に限って本を……っ! ああっ、抱きしめたい!」
という、玄関に旦那様の嘆きが響く。
なんだか旦那様の反応が良くわからないけれども、抱き付けて満足。
さすがに毎日は旦那様もお仕事でお疲れなので我慢。だから時々はこんな風にしたいなぁと思った。
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おまけ
ライト
「誰か……早く来てください……誰でもいいから本持って下さい……お願いします……一生のお願いを使いますから…」
ヒスイ「旦那様。どうなさったのですか? 声が涙声ですよ? やっぱりアイリスさん呼んできます! あっ、それより呼び鈴ならした方がいいかな」
ライト「離さないで下さい! もう少し僕を癒していて下さい。幸せを与えていて下さい。でも誰か呼んでほしい! ジレンマ……っ!」
おまけ2
翌日ヒスイの実家にて
ライト「お兄さん、ありがとうございました。アリーさんにもお礼を伝えて下さい。あんなに可愛いヒスイさんを見せて下さったお礼です。これ、良かったらアリーさんとどうぞ。菓子です」
イファン「あの~。俺、礼を言われるような事何かしましたか?」
ライト「はい。お兄さんとアリーさんのお蔭です。お二人を見てヒスイさんもやってみたかったと言っていました」
イファン「あぁ、もしかしてヒスイ甘えたんですか?」
ライト「えぇ、そうなんです。ああっ! 思い出しただけでもう……っ!」
イファン「……」
ライト「お休みの所、わざわざお時間取って頂きありがとうございました。では、失礼しますね」
イファン「……ヒスイ、あいつライト様に何をしたんだ?」




