キスの反撃はキスで
―綺麗だなぁ。
水平線の上には、オレンジ色の丸いものが色づき空を染め上げていた。
波音と共に音楽を奏でるのは、海鳥の鳴き声。
それがゆるやかにテラスへと流れてくる中で、私と旦那様は共に並んだロッキングチェアに座りながら、
その美しさに言葉を交わす事無くただ見惚れていた。
明日の夜になると、ここから海上花火の打ち上げが見られるそうだ。
そうなれば、違う顔を見せる。
「旦那様」
私は顔を左側へと向けながら、旦那様に声をかけた。
チェア同士がくっついているせいか、意外と思っていたよりも近くて少しだけ驚く。
呼ばれた旦那様は、身を起こし「どうしました?」と体ごとこちらを向いた。
「連れて来て下さり、ありがとうございました」
旦那様に誘って貰わなければ、ここへ来ることも無かったのだ。
これは旦那様に感謝しなければ!
「お礼を言うのは僕の方ですよ。こんなに素敵な景色を見せてくれたのですから」
その台詞に、私は首を傾げた。
だって夕日も海もそれは自然的な物だ。私にお礼を述べる必要なんてない。
それにここまで連れて来てくれたのは旦那様のお金。
私は一切何もしていないのだから。
「私、何もしてませんよ?」
「いいえ。ヒスイさんのおかげです」
そう言いながら、旦那様は微笑んでいる。
「ヒスイさんが隣に居てくれるから、この景色も一層輝いて見えるんです。僕一人で見てもそれは心を動かすものではありません」
「よっ、酔っ払っているのですか!?」
「いえ、素面ですが……」
そう、きょとんとしている旦那様。
一応旦那様越しにあるサイドテーブルを見て見るが、乗っているのは水の入ったグラスだけ。
それなのに口にしている台詞がなんだか泥酔している時と似ている。
ちょっと桃色的な何かを含んでいるというか、何というか。
でも……――嬉しい。
つい堪らず顔が緩んでしまう。
すると「かっ……」という、旦那様のうわずった声が耳に触れた。
かと思えば、こちらに向かって手を伸ばしかけている姿が目に入る。
「どうしました? 虫でもついていましたか?」
そう尋ねれば、旦那様の手はゆっくりと元に戻っていく。
「違います。ただ……」
「ただ?」
「触りたかったのです。ヒスイさんの笑った顔が可愛くて」
「……」
やっぱり酔っ払っているのだろうか?
いつもの旦那様じゃない。念のためにもう一度だけ、グラスを見て見るが水に見える。
もしかしてあれは水ではなく、透明な液体のアルコールなのだろうか。
ぼんやりとそんな事を考えていると、「ごめんなさい」という、旦那様の謝罪の言葉が耳朶に触れてきた。
「え?」
「呆れてしまいましたね」
と眉と肩を落としている旦那様に、私は慌てて声をかけた。
「違いますよ。ただちょっとびっくりしただけです。汽車の中でも泥酔中の旦那様に言いましたが、勝手に頭撫でたり抱きしめたりしても怒りませんよ?」
「でも……」
「大丈夫です。本人が許可しているのですから」
と告げれば、花が咲いたような旦那様の笑顔と遭遇。
それがダイヤモンドなんて比じゃないぐらいに眩しい。さすがは王子様。
「本当に?」
「えぇ。ですから、いいですよ。好きにして下さい」
とは言ったけれども、旦那様には躊躇いが見える。
忙しなく腕を伸ばしては、まだ戻したり。
――本人が良いって、許可しているのにっ!
若干いらっとした私は、その手を取り自分の頬に当てた。
すると「ヒッ」と悲鳴じみた声が耳に届き、私は小首を傾げてしまう。
いや、旦那様。触りたいって言ってなかった?
「初夜の時も思いましたが、ヒスイさんはリスみたいな姿をしているのに心臓は虎ですね」
「また人を小動物扱いして! 私がリスなら、旦那様のこの手はとっくに噛んでますよ」
「本当ですか?」
「何故そんな表情を……」
旦那様は顔をくしゃくしゃにして笑っている。
噛むって言っているのに。
もしかして痛いのが好きなタイプなのだろうか? それは困った展開なのだが。
「噛みませんよ。私はリスじゃありませんから」
「わかってますよ。今は違いますものね」
「今はってどういう意味ですか! 私の前世は熊ですよ!」
えぇ、それはもう獰猛な。
旦那様なんてひと噛みですよ。
「それはありませんよ。ヒスイさんは前世ではリスのお姫様です」
「リスの世界に王国なんてあるんですか? 無いですよねっ!?」
身長がデカイからって、ずるい!
なんとか旦那様に一泡吹かせてやりたい。
――何か。何かないかなぁ? あっ!
ぴんと頭の中でひらめいた事に、私はにやりと笑った。
そして早速行動に移す事に。
掴んでいる旦那様の手を離すと、その二の腕を両手で掴み自分の元へと引き寄せる。
そして、その頬に口づけを落とす。
そうすれば旦那様の顔が徐々に色づき、沸騰。
見えない煙が立ちこめた。
「なっ……」
あまりに突然の事に言葉も出ないようだ。うちの旦那様は。
そんな彼に私は右の下瞼を指で下げ、舌を出してやった。
「馬鹿にした仕返しですよ」
「貴方は全く……」
片手で顔を覆いながら呟く旦那様。
そんな彼を見て、私は成功した事を笑った。
「旦那様。顔真っ赤ですよ~」
とからかってみたら、「では僕も」という返事が返ってきた。
そこからは旦那様の反撃だった。
「あっ」と声を上げる間もなく、私は引き寄せられ唇を奪われてしまう。
でもそれはすぐに離されたけれども。
「――僕も仕返ししました」
と呟く旦那様に負けずに、きっと私の顔も赤くなっているだろう。
その後冷たいドリンクを持ってきたアイリスさんは、私達が二人して赤くなっているのを日焼けと勘違い。そのため、「なんて事! 再来月にはパーティーがあるのに日焼けなんて!」と悲鳴を上げられてしまった。
+
+
+
眠れない……
私はもう眠らなきゃならない時間だというのに、ごろごろと寝具の上で横になっていた。
別に怪談話の本を読んだからとかそういう理由じゃない。
今回は原因がわからないのだ。
もしかしたら寝具に原因?
この国のベッドは何故か高めだ。旦那様は丁度いいって言っているけれども、私にはデカい。
ストゥールを使はないとならないぐらいに。
だから、心がざわめくのか。それとも夕方の……?
どうしよう。旦那様の所にいこうかな?
ソファで眠ろうか考えたけれども、なんとなく旦那様の顔が浮かんだので、私はそちらを選択する事にした。
「なんでストゥールがないのよっ!?」
魔法具の一種である光る石を手に旦那様の寝室へと忍び込んだのはいいけれども、あれがないと私は寝具へと上がれない。行儀悪く足を上げて昇るような形になってしまう。
今は夜着のワンピースタイプのやつを身に纏っているため、そんな態勢を取れば下着が見えてちゃうのだ。
しかも部屋中を探してみているが、ストゥールが見当たらない。
もしかして邪魔だからどこか別の部屋に置いているのだろうか。
使わないでも寝具に上がれるなんて、さすが長身。
……仕方がない。戻ろうか。
すやすやと眠る旦那様の顔を見ながら、私はそう判断した瞬間、「ふっ」と息を噴き出すのが耳に入った。かと思えば、見つめていた彼がクスクスと肩を震わせて笑い始めてしまっている。
「旦那様、起きてたのですか!?」
「えぇ。貴方が部屋に入った時に」
旦那様は起き上がると、寝具へと腰かけるように足を床へと降ろす。
悲しきことに足は床にぴったりと丁度付いている。
「もう少し我慢していようと思ったのですが……貴方が面白くてつい。まさか夜這いかけられるとは思いもしなかったですよ」
「夜這いじゃないです! 眠れなかったから……旦那様の所で寝ようと思ったんですってば」
「また怖い話でも読みましたか?」
「いいえ。なんだかわからないけれども眠れなかったのです。そしたら旦那様の顔が浮かんで。
きっと旦那様の傍なら落ち着いて安心して眠れるかなって思ったのです」
何時ぞやの怖い話を訊いた時の様に。
あの時は旦那様が隣で眠ってくれ、赤い騎士から守ってくれるって言ったから安心して眠れた。
「安心ですか……? 僕の傍が?」
そう尋ねられ首を縦に動かせば、何故か小首を傾げられた。
「危ないと思いますよ?」
「え?」
「なんでもありません。さぁ、どうぞ?」
旦那様が手で促してくれ、許可が下りたけれども、私はぼうっと立ったまま。
理由は簡単。一人では上れないのだ。
――意地悪だ。わかっているのに……
「どうしました?」
「旦那様性格悪いですよ……」
「すみません。つい。貴方の拗ねる顔が可愛くて」
そう言うと、旦那様は立ち上がり私の傍に立つ。
そして私の体に手を回したかと思えば、不思議な事に自分の体がふわりと浮いてしまった。
「あれ?」
これってお姫様抱っこというやつでは……?
何故か気が付いたら、私は旦那様にお姫様抱っこされていた。
「ストゥールは邪魔なので隣の部屋にあるんです。ですから僭越ながら僕が」
「重いです!」
「軽いですよ。羽の様に」
「いえ、それは……」
羽よりも重いですって。だって、旦那様の屋敷に来てから体重が。
料理長の食事が美味しいし、毎回デザートとおやつ付。
それで太らないわけがない。兄さんは丁度良く肉付いて女性らしくなったって言ってくれたけど……
「軽いですよ、ヒスイさんは。足枷でも嵌めてないと飛んでいきそうです」
「足枷っ!?」
私はつい大声を張り上げてしまった。
旦那様、酔っぱらっていた時もそうでしたが、檻とか足枷とか方向がやばめですってば!
「足枷も相手に鎖を切断されたら無意味ですね。もういっその事、ヒスイさんがリスに変身すればいつでも何処でも連れて行けるのに。そうすれば奪われないで済む」
「あの……旦那様。ちょっと言っている意味が……」
「なんでもありません。さぁ、どうぞ」
そう言って旦那様は私を寝具の上へと降ろしてくれた。




