旦那様と合流
「ヒスイさん!」
「旦那様」
ヴィラへと戻った途端、建物の前にて待機していた旦那様に駆け寄られ、私はそのまま彼の腕の中に閉じ込められるように抱きしめられた。
せっかく綺麗な白っぽい肌なのに、長時間外に居たためか日に焼け赤くなってしまっている。
どうやらずっと私が戻るまでここで待っていて下さったようだ。
先ほどアイリスさんに聞いたのだけれども、旦那様は私が居ないのに気づき、すぐに探しに出ようとしてくれたらしい。その時偶然ヴィラへとやってきたアイリスさんの案により、すれ違い防止のため留まって貰ったそうだ。
もしアイリスさん一人で探しても見つからなければ、ニゲイル国に捜査協力を願う予定だったらしい。
まさかそんな大事になっているとも知らず、私ときたら「蟹うまっ!」と暢気に食事をしていた。
なんて浅はかなのだろうか。
「あぁ! 無事で良かったです」
「……ごめんなさい。ご迷惑をおかけしました」
「謝るのは僕です。申し訳ありませんでした。せっかくの楽しい旅行だというのに、自分の世界に入ってしまい……貴方の事をないがしろに……」
「悪いのは私ですよ。今度からちゃんと旦那様か、アイリスさんと外出します」
私は旦那様にしがみつくように抱きしめ返した。
「本当にもうしません」
ヴィラが近づき旦那様の姿が見えたのだけれども、彼の顔色はすぐれなかった。
もう血の気が引きすぎて唇が紫で倒れる寸前。
それを見て思った。もう二度と勝手な事はしないって――
「ごめんなさい、旦那様」
「もういいですよ。ちゃんと元気に戻って来て下さいましたから。
お腹が空いていませんか? お昼まだですよね?」
旦那様は私から身を離すと、微笑を浮かべた。
「それが……その……」
私は口ごもった。
だって非常に言いにくい。まさか、食べて来ましたなんて。
しかも生まれて初めて食べた生の蟹に興奮して、二匹も食べちゃったよ……
だが言わねばなるまい。アルと出会う事になったきっかけを。そしてそれから何が起こったのかを。
私は意を決して、ゆっくりと口を開いた。
「た、食べて来ました……」
「え? でもヒスイさんお財布忘れていきましたよね? テーブルの上に乗っていましたよ」
「えぇ、そうなんですが……その……アルに……助けていただいた方に奢って貰いました」
「食事まで奢って下さったのですか? そんなによくして頂いて、是非彼にお礼をしなければなりませんね」
旦那様のきらきらと輝く笑顔に、私は押し潰されそうになってしまった。
そのため、心が若干折れそう。
「いや、それが……その……」
どうしよう! やっぱり言いにくい!
まさか、また余計な事に首を突っ込んで危険な目にあった上に、キスされ求婚されました。
なんて言えるはずがないよ!
……いや、でもいっその事言った方がいいの?
変に隠して後でバレて、ややこしくなるのも嫌だし。
「旦那様。それが奥様を見つけた時、誰も居なかったのですわ。奥様は直前まで一緒にいたと……」
頬に手をあて「ふぅ」と溜息を漏らしながら、こちらに眼差しを向けてくるアイリスさん。
その顔はちょっと哀れんでいる。
「アイリスさん! その言い方だと私が幻覚でも視ていたみたいに聞こえちゃいます!
ちゃんとアルはいましたよ。私に生の蟹を奢ってくれました!」
「冗談ですわ。ですが、一体何者なのでしょうかねぇ。諸外国に詳しい異国の騎士。
なんだか、それだけで胡散臭いですわねぇ」
「それは仕事で行くからと。あの……その件なのですか、ちょっとばかりお話をしなければならない事がありまして……その……」
旦那様をちらちら見ながら口ごもっていると、「言いにくい事ですか?」と尋ねられた。
そのため私は首を縦に動かす。
するとそれを見ていたアイリスさんは、「あらやだ。もしかして恋に落ちちゃった? 浮気ー」と茶化し始めてしまった。
それに対し、旦那様は呆れた眼差しをアイリスさんへと向けている。
「アイリス! 貴方という人は全く」
「あのですね、私は恋に落ちてませんが……その……たぶんもしかしたら、からかっているだけかもしれませんが……その……なんて申しますか…」
しどろもどろになっている私の方へ、旦那様の手が伸びてくる。
そして耳元に飾ってある花を抜くと、「ヒスイさん、これはアルさんに?」と私の目の前へと差し出してきた。
たったそれだけなのに、あの時の事を思い出してしまい顔に血液が集中してしまう。
「……はい」
「そうですか。どうやら相手はこの花を異性へ贈る行為の意味を知っているようですね」
そう告げた旦那様の瞳に、ほんのわずかだけど鋭い光が走ったように感じた。
でもきっと勘違いだと思う。だって、嫉妬とかそういうのは無縁だし。
「ごめんなさい」
知らずとは言え、受け取ってしまったので謝罪を言葉を口にする。
きっと旦那様はこの花の意味を知っているはずだから――
+
+
+
「――……というわけです」
半袖でもちょっとじめっとしているぐらいなのに、何故かこのリビングは涼しい。
それは恐らく私以外の二人から漂う空気のせいだろう。
絶対零度で、冷たすぎる。特に私の隣に座っているお方が。
アイリスさんはまだ、怒りが顔に出ているからいいよ。
問題は旦那様。それはもういつもの温厚でちょっと女々しい様子はどこへ消えた? と、
首を傾げるぐらいに。
――こ、怖い……
旦那様の視線は定まらず、どこか一点を見ている。しかも無表情で。
それが余計恐怖を煽ってくる。
何か言葉にした方がいいのか、それとも待つべきかと様子を探る中、ただ静寂だけが身を包んでいく。
あれからどれぐらい経ったのだろうか。
無言の旦那様の変化を待とうにも、一切動きがない。
もしかして、人形? って、思ってしまうぐらいに、彼は微動だにしないのだ。
その間も、私達の周りは相変わらず無音が支配中。
やがて数秒なのか、数分なのか、数時間なのか、時計を見てないから正確には判らないけれども、
取りあえず長い長い時間の経過を感じだ頃、「ヒスイさん」と旦那様はこちらに向かって声を掛けて来た。
「はいっ!」
突如発せられた旦那様の声に、私の肩は大きくびくつく。
そのため自然と姿勢が正され、視線は体を斜めにし旦那様へと対面するような態勢を取った。。
「――貴方も僕を置いて去ってしまうのですか?」
あまりにも深い傷を負ったようなその表情を見て、私は気が付けば体が勝手に動きソファへと両足を乗せ立ち膝になると、旦那様へと腕を伸ばした。
そしてそのまま彼の頭を抱きかかえるように、胸へと押し当てる。
大切なものを抱きしめるように。優しくそっと。
「私はずっと傍にいます。旦那様が私を邪魔にならない限り」
きっと旦那様はメサイアさんの件が深い傷になっている。
泥酔した時もそうだったけれども、いつもはそんな様子微塵も見せないけれども、本当は心の奥は膿んでいるのかもしれない。
「ごめんなさい。もう勝手に居なくなったりしませんから」
だからそんな顔しないで――
旦那様が苦しんでいるのを見るのは嫌だ。
あの汽車の中で彼が泥酔して眠ってしまった時、平穏に過ごして欲しいと望んだばかりなのに。
それを自分で壊してしまった。
――馬鹿だ。私。
悔しくて視界が歪んでいく。泣くなんて事したくないのに。
優しい旦那様は絶対に気にする。それがわかっているから、これ以上困らせたくない。
それなのに涙が溢れてくる。自分が腹立たしくてしょうがない。
「ヒスイさん。少し手を緩めてくれませんか?」
「ごめんなさい。痛かったですか……?」
ゆっくりと旦那様の声に従って、手を離していけば「いいえ」という返事が。
「これでは貴方の涙を拭って差し上げる事も出来ませんからね」
「大丈夫です。これぐらいすぐに収まりますから」
手でごしごしと拭っていると、旦那様に手首を取られてしまう。
「駄目ですよ? 貴方の綺麗な目と肌が痛んでしまいます」
「私のなんて普通ですよ。旦那様の方が宝石みたいで綺麗です」
「ヒスイさんにそう言われると嬉しいですね」
旦那様はそう言うと、私の目尻にたまった涙を指で拭うとこちらへ向かってはにかんだ。
――……あぁ、やっぱり笑っている旦那様の方が良い。
アルに愛なんて無いだろうって言われた時、否定しなかった。
でも、私は旦那様の隣に居たいって思う。
そしてこの人が幸せそうにしているのを見ていたい。ずっと傍で。
旦那様が見て心が喜ぶもの。それが私と同じ景色ならばもっと嬉しい。
自分の中でまだ形にはなってないけれども、何か変わり始めているのかもしれない。
そう思った。




