激愛注意報発令中
ガタンガタンと電車がレールを進む規則的な音が響く中、私とアイリスさんは対峙するように廊下に佇んでいた。
すぐ傍の窓から見える風景はすっかり闇色。
しかも田園地帯を走っているためか見事に障害物がなく、先が見えない。
「大丈夫ですか? 奥様お一人で……」
「はい。酔っ払いの介抱は、会合帰りの兄さんで慣れてますので」
私はそう言いながら、アイリスさんが差し出している銀のトレイを受け取った。
その上には錠剤と水の入ったグラスが。
ゆらゆらと揺れる透明な液体は、アイリスさんの不安げな表情を映してだしている。
「それならいいのですが……」
アイリスさんは歯切れの悪い言葉を吐くと、ちらりと私の後方――つまりは、私達の部屋へと通じる扉へと視線を向けた。分厚い板のその先には旦那様がいらっしゃる。
ただし通常の女々しい性格ではなく、かと言って王子様モードでもない第三形態の旦那様。
――まさか旦那様があんなに思い詰めていたなんて……
一緒の寝具で眠るか眠らないか。
それが旦那様には最大問題だったらしく、考えた出した答えが、「お酒を飲んでほろ酔い気分で眠ってしまおう!」だったらしい。
スケルトンのバスルームはいいのか? と一瞬思ったけれども、どうやらその問題より先にそちらに気を取られているようだ。
その結果、夕食時に旦那様は食前酒をいつもより多めに摂取。
そして部屋に戻りアイリスさんお勧めの葡萄酒を数本開け、その上お祝いのシャンパンを呑んだ。
その結果、すっかり泥酔。
――きっと明日は二日酔いだね。あれ。
そのためこうしてアイリスさんに用意して貰った二日酔いの薬を貰い、飲ませるつもりだ。
「旦那様、酔うと饒舌になるので、ちょっと面倒になるかもしれませんわ。一方的に話すだけなので、適当に流して下さいませ。人に絡んだりそういう悪癖はないので、楽と言えば楽です。ただ話を聞き流せばいいのですから」
「はい。わかりま……――」
そう私が返事をしかけた時だった。
背後から部屋の扉が開く気配がしたかと思えば、「ヒスイさんっ!」という声と共に体に何かが巻き付いてきたのは。
あまりの突然の出来事に「うおっ」と可愛げも何もない声が漏れ、私の心臓が高く飛び跳ねてしまっている。
そんなこっちの事はお構いなくとばかりに、その物体はぎゅっと私を抱きしめると、首もとに顔を埋めすりすりと頬を寄せていた。
「……え、あ? 旦那様っ!?」
「ヒスイさん。ヒスイさんーっ! 早く来て下さいー。僕一人ですごく寂しいんですよー」
声が旦那様だったが、行動が旦那様っぽくない。
少なくても私の知る旦那様は、こんな風に耳朶をくすぐる甘え声なんか発しないはずだ。
――しかも話に聞いていたのと違うんですけどっ!
「アイリスさん。めっちゃ絡んでいるじゃないですかっ!?」
何か変なモノにでも乗り移られたように、別人化。
ついさっきまで寝具の上にて寝転がりダウンしていたのに……
「あらぁ? どうなさったのかしら。初めてですわ。こんな旦那様。このような事は絶対になさらないのにぃ。奥様だからかしら?」
「私だからって、どういう事ですか! うわっ。お酒くさいっ!」
そう叫んでいる間にも、旦那様は暴走中。
……すみません。そうこう言っている間になんかリップ音が耳に届くし、頬や髪などに何かが触れてくるんですが。
これは明らかにキスしてますよね? 悪酔いの典型的なやつじゃないですか。
しかもなぜ私にだけ絡むのっ!?
「見て下さい、アイリス! 僕のヒスイさんは凄く小さいんですよー。ほら腕にすっぽりと収まるぐらいに小さくて可愛いんです。はー。どうしてこんなに可愛いんでしょうね? あぁ、でも駄目ですよ。小さいヒスイさんは僕の大切な奥さんなんですからあげませんっ!」
「まぁまぁ旦那様ったら。ごちそうさまですわ」
おほほと高笑いするアイリスさんは大人だ。
「あの~、旦那様。さっきから小さいって連呼して言わないで下さい。気にしているの知っているじゃないですか」
自分が身長高いからってずるいですよ。
あと重いからどいて下さい。グラス持っているせいで体を自由に動かせないので、貴方を外せないんですってば。
「ヒスイさんが怒った~。我慢しなくてもいいって、駅のホームで言ってくれたじゃないですか~」
「それはたしかに言いました。でも小さいとかストレートは駄目です。オブラートにくるんで下さい」
「わかりました。なら頭をナデナデしてもいいですか? お兄さんとかには、普通にナデナデさせていますよね?」
「それぐらいなら構いませんよ」
「あとそれから抱きしめたいのも我慢してるので、好きな時に抱きしめてもいいですか?」
「そんな事思っていたんですか?」
「はい。だってヒスイさん小さくて可愛いんですもん。頬袋がないのが不思議です」
「頬袋……?」
なんの事だろうか。
しばし考えたけれども、酔っ払いの戯れ言として流す事にした。
「というか、もう抱きしめているじゃないですか」
「だって限界だったんです。ヒスイさんが可愛いのが悪いんですよー。ねぇ、早く部屋に行きましょうよ。お風呂一緒に入りましょう!」
「え?」
私は驚きのあまり、トレイを落としそうになった。
入りましょうって、まさか一緒に!?
いや、それよりアルコール摂取してのお風呂は危険だから辞めて下さい。
「あらあら! では、お邪魔虫はそろそろ下がりますね」
「えっ、ちょっとアイリスさんっ!?」
そそくさと気を利かせて去っていく彼の背を引き留めたかったが、旦那様に引きずられるように部屋に戻されそれが叶わなかった。
+
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……何でこんなに散らかっているわけ?
私が見下ろしているベッドの上には、乱雑にばらまかれた入浴剤の袋や瓶。
まるで結婚式後のフラワーシャワー後みたいに彩り鮮やか。
他にも散らかしたのか? と思い辺りを見回せば、いたって変わらない。
どうやらここだけのようだ。
「一体、何をしていたんですか?」
と、べったりと背中に張り付いている旦那様に尋ねれば、「入浴剤選んでいたんです」
という答えが返ってきた。
選ぶのは構わないけど、こんなに散らかさなくても……
「今日はお風呂駄目ですよ、旦那様。そんなに酔っ払っては危ないです」
「大丈夫ですって。ヒスイさんは心配性ですね。ほろ酔い気分なので問題ありませんよー」
どこがほろ酔いなんですか……もう完全に泥酔状態ですよ。
普段こんなにベタベタしないじゃないのに。
しかも旦那様。私の体に回している手の動き、ちょっと怪しいです。
「それにせっかく入浴剤選んだんですよ? ほら、あれ」
と旦那様が言ったので首を少し後方へ動かし彼を見れば、とある一点を指している。
それはベッドの右端に設置されてあるサイドテーブル上にあった。
紫色のレースリボンが結ばれた、黒い小瓶。
「イランイランの香りです」
「イランイランですか? 名前は聞いた事ありますが」
「ヒスイさん。ヒスイさん」
「二度も呼ばなくても聞こえてますよ」
「知ってますか? イランイランには催淫効果があるんです。僕たちにぴったり。ねぇ、一緒に入りましょう」
「……明日素面で同じ台詞が言えるならば、一緒に入ります。とにかく今日は駄目」
酔っ払うと積極的になるんですね、うちの旦那様は。
きっと普段の旦那様がこの光景を見ていれば、穴に入りたくなる事だろう。
是非見て頂きたい。
――私は一緒に入っても構わないんだけれども。
結婚するときに覚悟を決めたというか、なんというか。
だから私はそうなっても構わないのだけれども、旦那様は違う。
寝言で元婚約者を愛していると呟くほどだし。
「言えますよー。僕の可愛い妻はヒスイさんだけですからー。リスにどんぐりプレゼントされ仲間認定されたり、ウサギに追い掛け回されたり。見ていて飽きない、小さくて楽しい奥さん」
「仲間認定なんてされてませんっ! あれは偶然です。そういう風に見えただけですよ。それにウサギは餌を持っていたから、追いかけてきたんですってば!」
つい先日ニクスにせがまれ、連れて行った移動動物園。
旦那様が口にしているのは、その時の事だ。
いろいろな動物を見られるそこには、ゲージに入った珍しい白リスもいた。
ふわふわで可愛いそのリスは何故か私を見るや否や、こちらに来てドングリを差し出してきた。
それを見て旦那様は口元を覆って笑うのを我慢しているし、ニクスにいたっては「仲間だと思われているんですよ」と声に出して笑っているしで散々。
――……ただ、リスは可愛かった。
しかもそれだけでなく、その後にウサギなどの小動物に餌をあげれる「体験コーナー」の前を通れば、
ニクスに餌をあげたいとせがまれ一緒に囲いの中へ。
そこで餌を購入してみれば、なぜか私だけ狙われ追いかけられてしまう嵌めに。
それを見てニクスはむせ返るほど笑い転げているし。
結局旦那様に抱きかかえられるようにして助けられ、なんとかウサギの襲撃から逃れた。
「とにかくもう寝ましょう! 私はベッドを片付けるので、旦那様はお薬飲んで休んでいて下さいね」
埒があかないと無理矢理引きはがし、私はトレイを旦那様に押し付けた。
そしてベッドに散らばる瓶や袋を回収し、それを抱えるようにしてバスルームへと運ぶ。
……今度から旦那様のお酒はちゃんと管理しよう。
私がそう心に決めながら入浴剤を元へ戻し、軽くバスルームを整えていると、
「ヒスイさん~」とまた旦那様に名前を呼ばれてしまった。
それに適当に返事をしながら振り返ると、透明な壁越しに旦那様が手招きをしている。
今度は何だとばかりにバスルームを出れば、こちらに近づいて来た旦那様に抱き上げられ、ベッドの上へと下ろされた。
かと思いきや、そのまま押し倒されてしまった。
「……は?」




