第43話 それから
天使を殺すと周辺にいる〈罰の魚〉もまとめて消える現象について、科学で世界を理解してきた人類は、未だその仕組みを解明できずにいる。科学の外側に位置するそれらは人類の理解可能な領域を遥かに逸脱していて、おそらく、解明に漕ぎ着けるのは不可能に近いだろう。
悪足掻きとして『その天使と存在を共有する形で接続しているため』という説明が一般的に成されているが、この説明自体に説明が必要な有様だ。
サムたちの死体がある場所へ戻ると、死体は既に〈罰の魚〉に食い荒らされていて、戦闘部の規定では回収しないレベルまで損壊していた。つまり、もう人間のものとわからないほど、ただの肉と骨の断片と化していたということ。
俺は基地に戻ろうとして、血溜まりの横に膝をつくサラを視界の端に認めて足を止めた。人間の形を失った死体にも、天使との戦いにも慣れていないはずの彼女が、血溜まりの中から肉塊をそっと拾い上げる。
「あなたたちは……いつも、こんな景色を?」
振り返った顔には、悲しみとも後悔ともつかない表情。どこか躊躇うような色彩が混ざっているのは、俺と自分の価値観の相違を考えてのことだろうか。
彼女の言動に、俺は人間性を思い出す。
「どれが誰だかさっぱりだからな。まとめて焼いて埋めるくらいしかできない」
俺は言いながらサラの隣にしゃがみ、肋骨がついた肉片を拾う。
「できることを、やりましょう」
そう言う彼女の決意が滲む横顔の向こうで、アスモデウスが「サラ、手が汚れます」と言ってこちらに来ようとするのをベルが羽交い締めにして、「邪魔をするな。これは彼の童貞卒業のチャンスかもしれん」などと言っていたことは記憶の彼方へ捨て去りたい。
やっぱり悪魔はクソだ。
* * *
付近一帯の〈罰の魚〉が消失したといっても、何が起こるかわからないのが昼の世界だ。人類の生息域から引き剥がされた時間帯。神の領分。
俺たちは急ぎ死体を回収しつつヤムを探した。しかしどこにも見当たらず、呼んでも返事はない。回収した肉片の中にヤムが含まれていることを予感しながら、俺たちは基地へ戻った。
「そうだわ、ルシファーの化石!」
ひとまず死体を入り口近くに置き、手にこびりついた血を洗い流している最中、サラが言った。
「あの時……」と、彼女が思い返しているのは、基地の連中がルシファーに呼ばれてここを出た時の記憶。
「幹部の人がみんなを呼んで、しばらくしたら様子がおかしくなってここを出て行ってしまったの。私はその時警備室にいて——」
彼女の声を遮って、「あれ? 帰っていたのかい」と背後から声。俺たちが同時に振り返ると、戸口に立つヤムが「仲良しだね」と微笑む。
「お前っ、なんでっ……生きてたのか」
「ああ。適当なところに隠れるより、ここにいる方が確実だと思ってね。天使が僕を追いかけてくるのは君たちが負けた後。つまり、ここを破壊されても、誰も文句は言わない」
軽い調子で語り、「良かったよ。君たちが無事で」と続け、
「ルシファーの化石っての、多分これだね」
持っていた石を掲げて見せる。人間の頭くらいの大きさで灰色の、人の指の第一関節より先を模した石。
サラが「ひっ」と引き攣った悲鳴を漏らし、壁際に立っていたアスモデウスがため息をつき、ベルが「ほう」と興味深そうに顎をさすった。
「その程度のサイズでも、人間は奴の声に呼ばれてしまうのか」
俺が状況を思考する間に、ヤムがつらつらと語る。
「幹部室の金庫に入っていたよ。これを幹部の人が見つけて操られて、みんなを呼んで巻き込む形になったというところだろうね。ここに封印のテープが残っている」
「……見ただけで、呼ばれるってことか?」
「うん。高位の悪魔にしかできないけどね。……ベル、君はできるかい?」
問われたベルが「まあ、やる気になれば」と答える。
「だが、そのサイズの呼び声であそこまで人間を操るのは難しい。そこはまあ、流石は悪魔の王とでも言うべきか」
俺はようやく状況に合点がいった。
「おまっ……! そんなもん持ってきて、どう……あれ?」
てっきり俺たちも呼ばれるものと思って言いかけたが、ベルに「気づくのが遅すぎるだろう」と笑われて終わった。ヤムが「大丈夫だよ」と言って化石をテーブルに置く。
「悪魔と契約している者は、その悪魔との繋がりが最優先される。他の悪魔の囁きは、〈契約者〉には届かない」
俺はその説明に納得しかけるが、
「じゃあ、お前は?」
尋ねると、ヤムがヘラっと笑って手を振る。
「悪魔学者は〈契約者〉しかなれない。見つけた悪魔が高位の悪魔なら、呼ばれて利用されてしまうからね。だから僕にも契約している悪魔がいるんだけど、彼女は今、本部にいる」
「なぜだ?」
「うーん……僕が自由に行動をしたいがためにトンヅラするのを防ぐため?」
一聞にはふざけているようにしか聞こえない説明。しかし、ここまでのヤムの言動を見てきた俺には、納得する以外の選択は存在しなかった。
* * *
本部との通信は依然として繋がらず、俺たちはしばらく第五支部で暮らすこととした。レミエルを倒した八日後に本部からの補給物資を積んだ無人運搬車が来たため、ここが忘れ去られたわけでも、放棄されたわけでもないと判断して。
俺は毎夜外に出て、周辺の廃墟に張り付いた魚の影を確認する。
「一向に増える気配がないな……」
瓦礫の山に張り付いた魚を数えながら呟くと、ベルが「有限なのは向こうも同じだからな」と言った。
「有限?」
「天使の数と、吐き出せる魚の量だ。この辺りの魚の数が少なかったのは、大天使の巡回エリアだからだったのだろう。名無しと比較して単独での戦闘火力が高く、魚による支援の必要度が低い」
「人員削減ってことか?」
「ああ。君たちの戦いは少しずつでも前へ進んでいる、とも言う」
ベルが魚を指差し数え、「この様子なら、今日の昼も寝て過ごせそうだな」と微笑んだ。俺は、彼女の笑顔が、誰が眠れることへ向けられたものなのか考える。
(人間を導く悪魔……)
古来、悪魔は人間を誑かし、堕落へ誘うものとされてきた。彼女の普段の言動には色々と難があるが、その根本は、一般的な悪魔の印象とは真逆。
彼女が異質なのか。それとも、俺は気付かないうちに堕落へ導かれているのか。
(……ダメだな。またあれこれ考えてる)
俺は頭を振って思考を断ち、焼けた大地を歩き出す。ベルが隣に並び、「ところで」とこちらを見上げた。
「君はいつになったら童貞を卒業するんだ?」
——前言撤回。こいつは悪魔らしい悪魔だ。
「なんで俺が童貞ってことになってんだ……」
「違うのか? 第九支部での君の交友関係を見た限りでは、とても彼女ができるようには思えなかったが」
「俺はあそこの出身じゃない」
「では、前にいた場所で卒業済みということか?」
「……黙秘する」
「それにしても、サラは君のことが好きだろう? 応えてやらないのか?」
「んなわけないだろ。どこ見てんだお前」
「いつも君にばかり話しかけているではないか」
「人間が俺とヤムとあいつしかいないからな。ヤムよりは俺の方が話しかけやすいってだけだろ。歳近いし」
俺は事実を説明するが、何故かベルは疑り顔。
「その歳の近い男女が、共に危険を乗り越えてその後の休息を暮らしていて、何故一線の一つや二つを越えない?」
「なんで『一線』が何個もあるんだ」
「私はドロドロの三角関係とやらを見てみたい」
「あのメンツで誰が三角作るんだよ……そもそも、四六時中お前が一緒にいるのにどうやって一線越えるんだよ」
尋ねると、ベルは「確かに」と言って前を向き、考え顔で顎をさする。
「では、今後私は——」
それから再びこちらを見て、不意に言葉を切った。何かを観察するようにじっと見つめてくる。
「……なんだよ」
「なるほどー、ほうほう」
「?」
「君はその見た目で、言動はいじらしいというか、可愛いというか……よもやギャップ萌え狙いか?」
「は? 急に何、うおっ!」
ベルが不意に、指先で顎の下をついっと撫でてきた。意図せずひっくり返った俺の声に笑い、
「つまり君は、私に童貞を卒業させて欲しくて待っているということだな?」
意味のわからないことを確信的事実のように言った。——いや、本当、意味がわからない。何がどうなってこの結論に至ったんだ。
「何言ってんだお前。頭大丈夫か?」
「そういえば、君は契約してすぐに私の尻を触ってきたのだったな。しかも直で」
「……あれは事故だ」
「幼女の姿が好みか?」
「だから、違うって」
「まあ、今のこの体もそれなりにいいところがあるぞ。基地に戻ったら披露してやろう」
「やめてくれ……」
この夜以降、毎日のように繰り出されるベルの『披露』に俺が頭を抱えることになるのは、また別の話。
第一部完
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第二部更新は冬頃を予定しています。




