第26話 自らの罪状も知らず
通信はサラからだった。当然だが、良い知らせではない。
『どうしよう、ギデオン。みんなが基地を出ちゃって、なんだか変なの。呼ばれてるって言って、どんどん離れて行っちゃって、どうしよう。もうすぐ朝なのに!』
加えて、彼女は完全に冷静さを欠いていて、何を言っているのかよくわからない。
「サラ、落ち着け。急がなくていいから、ゆっくり話してくれ」
『急がないとダメなの! ああ、もう、どうしよう! 追いかけたんだけど、全然話を聞いてくれないの。ずっと呼ばれてるって、そればっかりで、やっぱりもう一度追いかけ……ねえ、アスモデウス、離して!』
「……サラ、アスモデウスに代わってくれ」
『え?』
「早く。隣にいるんだろ?」
恐らくサラは基地の固定通信機から連絡してきている。風や何かのノイズがなく、『ギデオンがあなたに代わってって』という少し離れたサラの声がクリアに聞こえるから。それから、アスモデウスのものと思しき盛大なため息も。
『ギデオン、私はお前のことがあまり好きではないのですが』
「状況を説明しろ」
『基地の奥にルシファーの化石があったようです』
「……は?」
『恐らく、司令室かどこかの金庫か何かに保存されていたのでしょう。だから私たちも気づけなかった』
「おい、ちゃんと説明してくれ」
思わせぶりな物言いに俺が抗議をしたところで、隣に立っていたベルが「なるほど」と独りごちた。
「何だよ」
「これで第五支部が無人だった理由がわかったな」
「お前らはわかりやすく説明したら死ぬ呪いにでもかかってんのか?」
「私たちの消失に君たち人間の『死』の概念は当てはまらないが、まあ、親切に教えてやるのは悪魔の流儀に反するということはあるな」
「今は流儀は置いといてくれ」
「はて、どうしようかな」
ベルがニヤリと笑って腕組みをする。俺がどうにか怒鳴らないよう堪えていると、ヤムが「ルシファーは悪魔の王だよ」と口を開いた。
「その力は絶大で、人間が制御できるような相手じゃない。化石の状態でも意思と力を持っていて、本部では、化石捜索に出た学者たちが戻らなかった時、よく『ルシファーの化石を見つけてしまったんだ』って話していたよ」
「なんで化石を見つけたら帰らないんだ?」
「ルシファーは神を打倒するために生贄の魂を集めているって話だ。だからその断片を見つけた人間は呼ばれる。『我が贄となれ』ってね。普通の人間は悪魔の囁きに抗えない」
「そんな危ない化石がなんで第五支部にあるんだよ」
「さあ。そればっかりは私にもわからない」
つまり、皆はルシファーに呼ばれて、その本体があるどこかへ向かったということ。今から歩き出して夜明けまでに着く距離なのか、それともルシファーが考えなしに呼んだのか。相手が悪魔の王であることを考えるなら後者が妥当だろう。悪魔の辞書に『配慮』などという親切な言葉があるとは思えない。
状況は何となくわかった。しかし、わからないことが一つ。
「サラはどうして呼ばれなかったんだ?」
俺の独り言に近い問いに、ベルが間髪入れず「アスモデウスとの契約があるからだ」と答えた。忌々しげな顔でヤムを見ている。恐らく、散々焦らしてから恩着せがましく語ろうと思った答えを、彼が先に話してしまったからだろう。
「ルシファーは、悪魔の中の序列によって便宜上『悪魔の王』と形容されるが、私たちを統べるわけではない。あくまでも、最も強い悪魔であるというだけの話。そして悪魔と契約した人間は、その悪魔の側にある」
「だからサラにはルシファーの呼び声が届かない?」
「そういうことだ」
ベルがため息混じりに答えると同時に、通信機の向こうから『サラ、行ってはなりません』『離して!』とアスモデウスとサラの声。
「サラ、おい、サラ。応答しろ」
俺が通信機へ呼びかけると、少しの間を置いて『何?』とサラの焦った声。
「今、誰が一緒にいる?」
『アスモデウスとマモンだけ。早く連れ戻さなきゃ——』
「落ち着け。あいつらがどの方角に向かったかわかるか?」
『西だよ。あなたが行ったのと同じ』
「わかった。俺はこれからあいつらを探しながら基地に戻るから、お前はそこから動くな」
『でもっ——』
「絶対に動くなよ。わかったな? 切るぞ」
俺はそれだけ言って通信を切り、バックパックに通信機を戻して背負いかけてやめた。今晩中には基地に着ける距離。ルシファーに呼ばれたサムたちを連れ帰ることを考えると、荷物は邪魔にしかならない。
横に括り付けた予備のライフルを取ってヤムに差し出す。
「俺は先に行く。お前はハーマンと一緒に後から来い」
ヤムはそれを受け取りつつ、「見つけられるのかい?」と困惑を浮かべた。
「『基地から西の方角』ってだけの情報で」
「見つけられるも何も、探す以外に選択肢はない」
「選択肢はあるよ。『探さない』が」
「は?」
ヤムが傍らの瓦礫に張り付く魚の影を一瞥し、「君は不思議な人間だ」と呟く。
「僕をわざわざ探しに来たし」
「なんだよ、急に」
「いくら上の人間に命じられたからってさ。そもそも、第七支部は壊滅して、組織も何もない状態だろう? それなのに君は僕を探しに来て、今度は彼らを探しに行こうとしている」
「だからなんだ」
「考えてごらんよ。幹部と、碌に戦えない管理部の人間と、あと戦闘部が一人だっけ? 〈契約者〉でもない彼らの命を繋いだところで、一体何になると言うんだい?」
「見捨てろって言いたいのか」
「まあ、僕が言えた義理じゃないんだけどさ」
ヤムが言いたいことはわかる。過不足なく、隅から隅まで。
天使が地上の罪人を根絶やしにしようと動くこの世界で、生き残るために求められるのは純粋な強さだ。弱い者に優しい世界は終わった。戦えない者はお荷物でしかない。
誰もが役に立つことを求められる世界。役に立たない者は、足を引っ張る者は、切り捨てられて然るべし。
「……それが嫌だからだ」
俺は心底うんざりしている。ずっと前から、一瞬も途切れることなく。
「弱い人間は死んで当然なんて、おかしい話だろ。〈終末審判〉からまだ九年しか経ってないってのに、なんでみんなそれを当たり前みたいに受け入れてんだ」
「そりゃあ、世界がそういう風になったからだろう。現実問題として、天使がいるんだから」
「それもおかしいだろ。なんで俺たちは狩られなきゃならないんだ」
「〈終末審判〉で、罪人と見做されて地上に残されたから……」
「その〈終末審判〉って名前もどうかしてる。審判してないだろ。奴らは最初から急に襲ってきたんだから」
「……ギデオン、今は世界の仕組みの話をしている場合じゃ——」
「俺はそんなこと話してない。何も納得できないって言ってるだけだ」
俺はライフルの安全装置を外して肩にかける。
「罪状くらい読み上げたらどうだって話だ」
そして東へ駆け出した。月が僅かに色褪せた、やがて朝に至る夜を。背中にヤムの制止の声がかかったが無視。周囲に人影を探す。
「面白いことを言うではないか」
少しして、不意に隣からベルの声がした。着いて来ていないと思ったが、いつの間にか隣を走っている。
「君は神の判決が不服なのか?」
「当たり前だろ。納得できるところを探す方が難しい」
「ハハッ、確かに」
ベルは東の空を望むと、「君は愉快な男だな」と言ってカラカラ笑った。




