第16話 救難信号
第五支部に到着してから一週間が経過した。消えた第五支部の連中の足取りは未だ掴めず、〈反抗者〉本部とも探査部のヤムたちとも連絡が取れないまま——だった。
「救難信号を受信した」
ここに着いてからほとんどの時間を最奥の司令室で過ごしていた幹部の男が、顰めっ面で現れるなり開口一番に言い放った。現在地は食堂。俺とサラとサムと管理部の三人は昼食中。
「それは誰の?」
意外にも、堂々とした調子で問いを返したのは管理部の青年だった。第五支部を目指す道中、俺に『こいつやっちまいましょうよ!』と言い放った男だ。
幹部の男が緊張に顔を強張らせ、「ヤム・メルヴィレイの端末のものだ」と答える。
「音声通信は繋がらず、信号だけが送られてきている。場所はここから西へ九十キロの地点にあるコランの森の中だ」
早口で説明を終え、こちらをチラリと見やる。
「現状、我々の戦力は安全を保つ上で不足している」
お偉いさんらしい遠回しな表現が示しているのは、ここに戦闘可能な〈契約者〉が俺一人しかいないということ。
天使の強さはその翅の数に比例する。一対翅の名無しは〈契約者〉一人で倒せるか倒せないかというレベル。二対翅や三対翅の大天使は、複数の〈契約者〉でなければ倒せない。最低でも天使の攻撃対応に一人、翅を落として力を削ぐのにさらに一人必要。
特に三対翅相手となると、悪魔の能力次第では十人で掛かっても倒せないことがある。つまり、今の俺たちが二対翅以上の天使と交戦状態になった場合、黙って死ぬしかないということだ。
「本部と連絡が取れず、増援を呼べないどころか移動先の当てもない状況下で、ヤムを失うのはこれ以上ない痛手だ」
要するに、このジジイはヤムを連れ帰り、あわよくば彼が見つけているかもしれない悪魔の化石を入手したいということ。
管理部の青年が「送られてきたのは信号だけなんですよね?」と苛立たしげな調子で尋ねた。
「もうとっくに死んでいて、通信機の誤作動で信号が発せられてるだけかも」
幹部の男が苦虫を噛み潰したような顔をする。
「……生きている可能性も、同じだけある」
「生死不明者の捜索のために、ここを〈契約者〉ゼロにするんですか?」
俺は隣に座るサラを盗み見る。彼女がギュッと下唇を噛んでいる理由は、管理部の青年が彼女を〈契約者〉にカウントしなかったこと以外に考えられない。
(まあ、だからって俺にフォローができるわけでもない、か)
戦闘部が複数人いれば、捜索隊を編成する方法もあっただろう。しかし、ここにいるのは俺とサムだけ。ならば俺が一人でヤムの捜索に向かうのが合理的で、だから幹部の男はこちらに視線を寄越した。
九十キロメートルの距離というと、車の一台でもあれば一夜の間に十分往復できる距離だ。しかし第五支部は天使狩りを意図した組織ではなかったのか、それとも単なる物資不足か、その手の装備がどこにも見当たらない。
徒歩となると、俺一人なら一夜と少しあれば片道を歩けるが、普通の人間なら急いでも二夜かかる。
「アスモデウス」
幹部の男が、サラの隣に座るアスモデウスを見下ろした。
「お前に、ギデオン・ロスが留守の間の警戒及び有事の際の防衛任務を命じる」
高圧的な声色に、アスモデウスは長いルビーレッドの髪を片方耳にかけると、ニヤリと笑ってテーブルに頬杖をついた。それだけで何も言わない。幹部の男が苛立たしげに目元を痙攣させる。
「仮にここが天使や〈罰の魚〉に襲われた場合、お前が戦わないということは即ち、サラ・エヴァンスの死を意味する」
アスモデウスは横目にサラを一瞥し、長いため息をついて椅子に凭れた。
「私が力を使わないのは、サラの身を案じてのことだとお考えで?」
心底呆れた様子で、やや小馬鹿にした声色の問い。当然、幹部の男は顔を顰める。
「ではない、と?」
「当たり前でしょう。私は悪魔ですよ? 人間の生死などどうでもいいし、『憐憫』だの『慈愛』だのという単語は私の辞書にありません」
「では何故力を使わないのだ」
怪訝そうな顔の幹部の男に、アスモデウスは深いため息をつき、
「使ったところで何にもならないからですよ」
ひらひらと手を振って見せる。
「私にもプライドがあります。天使は悪魔の天敵。それを前に、自らの発した力が何も成し得ずに終わるのは許せません。そして、サラは呆れるほど優しい人間です」
「サラ・エヴァンスに天使を殺す意図がないと?」
「違いますよ」アスモデウスは呆れた様子で一息置き、「戦い方にも色々あるということです」それきり口を閉ざしてしまった。
気まずい沈黙。
「マモンに守らせれば良いではないか」
それを破ったのはベルの声。部屋の隅の床に座って立体パズルをいじっていた彼女が、呆れ顔でこちらを向く。(何故そんなところにいて、そのパズルはどこから持ってきたのか、俺は気になったが考えないことにした)
「その間にギデオンと連絡を取り、ギデオンは私の力で『一瞬で基地に戻る自分』の空想を具現化すればいい」
当たり前のように言う彼女に、俺は疑問が一つ。
「そんな都合のいいこと、できるのか?」
悪魔の力で具現化できるのは、強く詳細なビジョンに限る。そこには無意識下の空想も含まれ、故に『天使に勝てる』と信じきれていない人間の空想は天使の装甲を打ち抜けない。
第七支部が襲われた際、アザゼルと契約したエノクが呆気なく死んだ理由はここにある。そして無意識とはつまりコントロール不能なもので、これが絡む以上、悪魔の力はそう易々と操作できるものではない。
しかし、
「この点において、君に懸念点はないだろう」
ベルはニヤリと笑って断言した。
「君の妄想力は強力だ。平常時でさえ私はそれに引っ張られて、こんなところでこんなことをやる羽目になっている」
「お前のガキ臭い行動を俺のせいにすんな」
「! ……ハハッ。君が一瞬でも実現を望めば、私はツルペタの幼女にもボンキュッボンの妖艶な美女にもなってしまうということだ。実に悍ましい」
「おい、何で俺が普段からそういうのを妄想してるみたいになってんだ」
「事実だろう」
「真っ赤な濡れ衣だ」
ベルが俺の主張を完全に無視して「君の性癖は幅が広いな」と続ける。俺は再度の否定を試み、
「だから濡れ衣——」
何となく視線を動かすと、サラを守るように腕を回すアスモデウスの汚物を見るような視線と目が合った。
「……違うぞ。全部、俺を揶揄うための嘘だ」
幹部の男が咳払いをして、「決まりだな」と言って踵を返した。また司令室に籠るつもりだろう。いっそ俺もどこかに閉じこもってしまいたい気分だが、できないことを望んでいても仕方がない。




