表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『獣の皇帝陛下に溺愛されています ~無能と捨てられた元王女ですが、隣国で最強でした~』  作者: てん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/2

# 第1話 建国祭の夜、捨てられた王女



 薔薇(ばら)とシャンパンの香りに、嘘くさい笑い声が混じっている。


 ファルネーゼ王国・建国五百周年の祝賀夜会。大広間の天井を埋め尽くすシャンデリアの群れは、まるで地上に引き降ろされた星のようで、集った王侯貴族たちの宝飾を、こぼれんばかりに輝かせていた。


 その中央——玉座の段の前に、ひとりの少女が立たされている。


 齢十七。銀の混じった白金の髪を腰まで伸ばし、ガラス細工のように繊細な美貌を持った少女。本日この瞬間まで、ファルネーゼ王国第一王女であった——セレスティア・ファルネーゼ。


「セレスティア・ファルネーゼ。今この場をもって——お前との婚約を、破棄する」


 その声は、楽団が静止した広間に、ことさら芝居がかった抑揚で響き渡った。


 声の主は王太子ライナルト。社交場の華と謳われる美貌の青年は、しかし今夜はその顔にすら、安酒の熱のような昂ぶりをにじませている。


 息を呑む音が、波のように広間を渡っていった。


 けれども。


 その台詞を真正面から浴びた当のセレスティアは——ただ、静かに目を伏せただけだった。


 ——ああ。


 胸の奥に湧き上がってきたのは、悲鳴でも、絶望でもなかった。

 それは、長い長いあいだ背負い続けた、ひどく重い荷物を、ようやく地面に降ろせたときの——奇妙な静けさ。


 来た、と思った。

 いつかこういう日が来るだろうということは、ずっと、ずっと前から、知っていた。


()()の王女などを妃に迎えるなど、王国の恥でしかない! お前のことは、これまで温情によって王女の籍に置いてやっていただけだ。それも、今宵限りだ——」


 言葉を被せるように、ライナルトが声を張る。


 彼の足元に侍るように立っているのは、異母妹のアンジェリカ。肩を露わにした薔薇色のドレスをまとい、扇の陰でくすくすと笑い続けているその様は、王太子の隣をすでに勝ち取った勝者の顔つきだった。


 その背後、玉座の脇に控える王妃ベアトリス——セレスティアにとっての継母——は、もはや微笑みを隠そうともしていない。


「父上、王太子殿下、わたくしも一言、よろしゅうございますか」


 アンジェリカが愛らしく小首を傾げて、進み出る。


「お姉さまには、これまで本当によくしていただきましたわ。せめて、最後の最後で——王国のために、お役に立っていただきたく」


 ふふ、と笑う。


「ヴァルガルド帝国へ。お姉さまを“(にえ)”として、捧げますの」


-----


 ヴァルガルド帝国——“(のろ)われた銀狼(ぎんろう)の国”。


 大陸の北東に位置する、長く鎖国を続けている軍事大国。

 その皇帝は人ならざる(けもの)の姿に変じ、近づいた者は皆、引き裂かれて死ぬ——そう噂されている、忌まわしき土地。


 なかでも、月に一度訪れるという血の満月(ブラッドムーン)の夜。

 その夜、銀狼の皇帝は完全な狂気に呑まれ、城に踏み入った者を、女であろうと子供であろうと、一切の容赦なく食らうのだという。


 そして、その()()()()は——三日後に、迫っていた。


 つまり、これは婚約破棄などではない。緩慢な処刑である。

 いや、緩慢ですらない。三日後の夜に、確実に殺すための、見栄えのよい儀式。


 建国祭の華やかな舞台を借りて、目障りな娘を、美しく葬るための。


 セレスティアは、それを正確に理解した。

 そして、それでもなお——心の表面に、漣ひとつ立たなかった。


 ——なるほど。次は、こうやって殺すのですね、お母様(・・・)


 彼女が継母を、その呼び名で呼ぶことは、たぶん、もう、二度とない。


-----


 彼女が「無能」とされ始めたのは、五歳の春のことだった。


 国宝とされる魔力測定の宝珠まりょくそくていのほうじゅ

 齢五つを迎えた王族・貴族の子が、その手のひらに宝珠を載せ、内に秘めた魔力を測る——そんな、王国の長い伝統儀式。


 幼いセレスティアの小さな手のひらに、宝珠は載せられた。


 その瞬間。


 ——白く、()()()


 いや、光った、というのとは、少し違ったかもしれない。


 ガラスの球体の内部に閉じ込められていた、青く揺らぐ測定のしょく——その火が、まるで百倍に膨れ上がった陽光を浴びたかのように、悲鳴を上げる暇もなく()()()()()


 ぱきり、と。

 乾いた、小さな音。

 宝珠の内側に走った、目には見えるか見えないかの、微かなひび。


 誰も、その音には気づかなかった。

 儀式を司る神官すら、その日、宝珠が()()()のだということに、気づくことができなかった。


 彼らがその日確認したのは、ひとつだけ。

 「宝珠が、何の反応も示さなかった」という、表面上の事実だけだった。


 以来、十二年。


 継母ベアトリスは、その日の儀式の結果を金科玉条のように振りかざし、セレスティアからすべてを奪っていった。

 王女としての教育も、まともな衣食も、母の遺品の数々も。


 ある冬には、薪を取り上げられた部屋で、毛布一枚を抱えて凍えながら夜を越えた。

 ある夏には、毒草を仕込まれた紅茶を、本当に運よく、口にする前に床に落とした。——あれは、本当に、「運よく」だっただろうか?


 異母妹のアンジェリカは、そんな姉を笑い物にすることが、何よりの娯楽だった。

 夜会のたびに用意される姉のドレスは、決まって継母のお下がりの、しかも一番染みの目立つもの。


 父である国王は——なにも、見ていなかった。

 あるいは、()()()()()()()()()()()、というのが正確だろう。


 愛されない、ということに、人は慣れる。

 だが、「殺意を向けられている」ということに慣れるには、もう少しだけ、時間が要る。


 セレスティアはずっと、息を潜めて生きてきた。

 目立たぬよう、逆らわぬよう、誰の感情も逆撫でしないよう。

 まばたきの回数すら、誰かに数えられているような気がして。


 ——疲れた、と思った。


 それは、彼女が生まれて初めて自覚した、自分自身の感情だった。


-----


 国王から、形ばかりの「申し開きはあるか」が問われ、形ばかりの「いいえ、何もございません」が返された。


 夜会は、滞りなく次の余興へと進んでいく。

 まるで、たった今ひとりの王女が殺されかけたのだという事実など、最初からこの場には存在しなかったかのように。


 セレスティアは、衛兵に挟まれて、広間を退出した。


 与えられた支度の時間は、半刻にも満たなかった。

 通された自室——もはや、「元」自室——には、すでに先回りしていた継母ベアトリスの姿があった。


「あら、まあ。哀れな顔ね、セレスティア」


 ベアトリスは、絹のような笑みを浮かべている。


「化け物の餌になりに行くのに、その顔では、あちらに失礼でしょう。せめて少し、紅でも差してあげましょうか」


「……結構です」


「相変わらず、可愛げのないこと」


 継母はくすりと笑い、それから、視線をすっと、セレスティアの左手の薬指へと滑らせた。


 そこにめられた、小さな、銀の指輪。

 薄青い石をひとつだけ載せた、なんの細工も施されていない、ささやかな指輪。


 ——亡き実母が遺した、たったひとつの形見。


「その指輪——ヴァルガルドへ持っていく価値はないわよね」


 ベアトリスはにこやかに、しかし躊躇なく、手を伸ばしてきた。


「卑しい家の出だったあなたの母の遺品など、皇帝への土産には汚らわしいでしょうし。そうそう、アンジェリカが似たような型のものを欲しがっていたのよ。譲ってくださる? ねえ——」


 その指が、セレスティアの薬指に、触れた。


 その、瞬間。


「——お『触れ』にならないで」


 空気が、軋んだ。


 セレスティアの右手が、継母の手首を、ぴたりと握り止めていた。


 ぎし、と。指の骨が、確かに軋む音を立てた。


 ベアトリスは、目を見開いた。

 信じられない、というよりも、見たことのないものを見たような表情だった。


 いつも俯いて、顔色を窺うばかりだったあの娘の——

 その瞳に、いま、確かに——


 ()()()()()()宿()()()()()


「……っ」


「これだけは——譲りません」


 声は、低く、静かだった。

 しかしそこには、十二年ぶんの沈黙を、ぜんぶ煮詰めて、ぎゅっと固めたような、(おそ)ろしさがあった。


「ヴァルガルドで殺されようと、途上で野盗に殺されようと、その前に、お母様(・・・)、あなたに首を絞められようと——これだけは、絶対に、誰にも、渡しません」


「な、なんなの、その目は——っ」


 継母の声が、初めて、震えた。


 セレスティアは、ふっと、握っていた手首から指を離した。

 そして、伏目に、すうっと頭を下げた。


「では、お別れでございますね。お元気で——お母様」


 その仕草は、王女としての、完璧な、優雅な辞去の礼だった。

 継母がそんなものを彼女から受け取れた夜は、これが最初で、そして、最後だった。


-----


 馬車に乗せられたのは、その夜のうちだった。


 王宮の裏門。下働きの使用人さえほとんど通らない、暗い裏路地に面した、簡素な扉。

 迎えに来たのは、紋章のない黒塗りの箱馬車と、無表情な御者がひとり。


 葬列のような静けさだった。


 与えられた荷物は、薄汚れた革鞄ひとつ。

 中身は、着替えの下着が二、三枚と——左手の薬指の、小さな指輪。それだけだった。


 馬車の扉が、内側から閉ざされる。

 ガタリ、と車輪が、ゆっくり動き始める。


 セレスティアは、座席に深く身を預けた。

 古びたクッションは、長旅にはとても耐えられそうにない硬さで——けれど、不思議なほどに、それさえも、許せた。


 ——王女としての生涯が、革鞄ひとつに収まるなんて。


 くすり、と。

 声が漏れた。


 自分でも驚くほど、軽やかな笑い声だった。


 ああ、おかしい。

 あんなにも、息苦しかった国を。

 こんなにも軽い荷物ひとつで、出ていけるなんて。


 馬車の窓に、こつり、と額を寄せる。

 夜の街道は、王都の灯りから離れるにつれ、ぐんぐんと闇を深めていった。

 やがて、星々が見えてきた。

 無数の、無数の星々。


 誰の目にも見張られていない夜空を、こんなに長く見上げたのは——いつ以来だっただろう。


 ふと、目尻から、温かいものが伝った。


 悲しい、というのとは、違った。

 怒り、でもなかった。

 ただ——、()()()()、泣くことを許された、という気がした。


「……ようやく、眠れる」


 小さな、ほんとうに小さな呟きが、ガタゴトと揺れる馬車の中に、ぽつりと落ちた。


 誰の機嫌も取らなくていい。

 誰の足音にも怯えなくていい。

 毒を盛られているかもしれない紅茶を、確かめるふりをして冷ましながら飲まなくていい。


 行く先が、化け物の住む呪われた帝国だとしても。

 三日後の血の満月の夜、本当に引き裂かれて死ぬのだとしても。


 ——構わない。


 左手の薬指の、小さな指輪を、ぎゅっと胸に押し当てる。


 お母様。

 いま、行きます。

 あなたが私を産んで、私だけを置いて先に旅立った、あの場所へ——もしかしたら、もうすぐ。


 そう思ったとき、心の奥でなにかひとつ、たしかに、決まった。


 もう、戻らない。

 あの国へは、二度と。

 たとえどんな未来が——あるいは、未来などなくとも、私は、振り返らない。


 馬車は、夜の街道を、北東へと進んでいく。

 ヴァルガルド帝国の、深い、深い森のほうへ。


 そして、セレスティア・ファルネーゼという名の少女は、生まれて初めて——


 誰の目も気にすることなく、安らかな寝息を立てて、眠りに落ちた。


 馬車の窓から差し込む星明かりだけが、その横顔を、静かに、静かに、見つめていた。


-----


 ——彼女が、やがて知ることになる、たったひとつの真実。


 あの宝珠が反応しなかったのは、彼女に魔力がなかったからでは、ない。


 逆だ。


 宝珠の測定限界を、はるかに、はるかに、はるかに——

 ()()()()()、ただそれだけのこと。


 そして、三日後。

 血の満月の夜。

 “呪われた銀狼”の皇帝と、彼女は、出会う。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ