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2-2(『完璧な世界』のうわさ1)

 管理棟に入るとハルナは表情を緩めた。

「マグナ姉さまはお変わりありませんでしたか?」

「デアにいた頃よりも活き活きしていたわ。お土産も預かっているわよ。ちょっと出して貰える?」

 フランが足を止める。

 ふたりの前の廊下が破裂したかのようだった。フランの影から、野菜や果物で一杯になったかごがいくつも飛び出して廊下を塞いだ。10かご以上ある。それぞれのかごを、フランの影が、いや、妖魔が支えている。

 果物がいくつか勢い余って転がり落ちる。それを素早く妖魔が受け止め、恭しくハルナに差し出す。

「まぁ。美味しそうですねぇ」

「食堂に誰かいる?」

 ハルナが少し間を開ける。視線を遠くに投げる。

「メイとジーニィがお昼の支度をしていますわ」

「じゃあ、これ、食糧庫に運んでおくからメイとジーニィに伝えておいて。

 あなたたち、食糧庫の場所は知ってるわよね?」かごを支える妖魔たちがフランにしか判らない声でさえずる。

「よろしくね」

 廊下を塞いでいたかごが、引き摺り込まれるようにフランの影の中に消える。影から小さな影が分かれ、任せて!とでも言うように飛び跳ねてから、細長く形を変え、矢のような速さで走り去って行った。

「今の子たちが誰なのか、判っているのですか?」

「---と、---と、---ね」

 ハルナの問いにフランが妖魔たちの名を答える。迷わない。

「今更ながらですけど、よく見分けがつきますねぇ」

「もし間違ったりしたら、拗ねちゃってあたしの言うことを聞いてくれなくなるわ。あの子たち」

「可愛いものですね」

 笑ってハルナが再び歩き始める。「ジュリはどんな様子でしたか?」隣を歩くフランに問う。

 ジュリ。14歳になり、北の領地へと送り出した妹のことだ。成人すれば一度は屋敷を出る。

 そう決めている。

「あの子の明るさは天性のものね。もう10年も北の領地にいるんじゃないかってぐらいみんなに溶け込んでいたわ」

「そうですか」

「心配し過ぎよ、ハルナ」

 ハルナは苦笑した。

「あの子のことはよく判っていますし、マグナ姉さまがいらっしゃいます。大丈夫だと判っていても、やはり心配になります。

 あの子がここに来た時のことは忘れられませんから。

 こうして暮らしぶりを聞くと安心できますわ」

 ハルナが「どうぞ。フラン姉さま」と扉を開けたハルナの執務室には先客がいた。

 背筋を伸ばしてソファーに座り、足を組み、組んだ足の上で両手を組み合わせ、僅かに頭を落として寝息を立てていた。

 灰色のウェーブした豊かな髪を背中に落としている。

 40代かと思われる女だ。

「あらあら」

 ハルナは女に歩み寄ると、優しく揺り起こした。

「リディス、リディス、フラン姉さまが来られたわよ」

 リディスと呼ばれた女がまぶたを上げ、アーモンド形の栗色の瞳でハルナを見る。ぼんやりとしていた瞳が焦点を結び、「あ」と小さく声を上げる。

 女がソファーに座り直す。

「申し訳ありません、ハルナ姉さま。フラン姉さま」

「コーヒーでも淹れてくるわ」

 ハルナが部屋を後にし、フランはリディスの前に座った。

「疲れているわね、リディス。魔術師協会のトップの仕事は大変?」

「そんなことは--」

 と言いかけ、リディスは止めた。この姉には、虚勢を張る必要はない。正直になった方が良い。

「毎日毎日、事務仕事ばかりでイヤになります」

 吐息交じりに愚痴を言う。

「前の借入金をまだ返してもいないのに新しい借金の申し込みとか、借入金の借り換えとか。下らないことばかり。

 他にもシロレ劇場--」

 魔術師協会が運営している劇場だ。

「でもモメ事があって、支配人と芸術監督がいがみ合ってて何とかしてくれって。

 そんなこと、わざわざわたしに言ってくるなって思いませんか?

 劇場で取っ組み合いのケンカをしたらしくて、この忙しい時に二人揃って傷だらけで訪ねて来て、ぶん殴りたくなるのをガマンしていたら胃が痛くなってしまいました」


 フランに向けられた憎悪と絶望に歪んだ赤く輝く瞳を、フランは思い出した。

 リディスに初めて会ったときのことだ。

「わたしたち結婚します!」

 そう宣言したときの清々しい顔。

 初めて会ってから5年が経っていた。

 結婚する相手として連れて来た--フランが若年寄くんとあだ名した--彼と二人とも傷だらけだった。

 ケンカして、リディスが先に手を出して、いつもならそれで若年寄くんが引き下がって収まっていたのが収まらず、殴り合いながら互いに「好きだ!」「好き!」と叫び合って結婚することを決めたと言う。

 二人を前にして悪いと思いながら、フランは吹き出さずにはいられなかった。


 焦土のリディス--。

 リディスが人々から奉られた異称だ。

 気性が荒く、短気で、火の精霊術をリディスは得手としている。しかし、血生臭く物騒な異称は、リディスの気性が荒く、短気で、火の精霊術を得手としているからではない。

 魔術師協会の重要な業務のひとつに金融業がある。

 より正確に言えば、金貸しである。

 利率は良心的だ。

 しかし、取り立ては苛烈である。

 リディスは魔術師協会の一員として返済が遅れた債務者の取り立てを担当しており、リディスが出張った後には、リディスの高笑いと、身ぐるみはがされた債務者の死体しか残らないとまで言われた。つまり焦土のリディスという異称は、余りに苛烈な取り立てに泣かされた債務者が恨みを込めてリディスに奉ったのである。

 フランも彼女の取り立てにつき合ったことがある。

 魔術師協会の貸出先は一般市民とは限らない。

 貴族、王族、国家の時もある。

「ちょっと手を貸して頂けますか?」

 と、フランがリディスに頼まれた時の債務者は、ある国の国王、国そのものだった。

 返済を渋り、いくさ支度までして、「ここまで取りに来たら返してやるわ!来られるものならな!」とイキがっているという。

「喜んで」

 ふたつ返事で了承して、リディスと二人、何重もの結界を、低い生け垣を飛び越えるように軽々とすり抜けて王の許に赴くと、真昼間だというのに王は寝室でかわいいお小姓とコトに及んでいる最中だった。

 リディスは黙って王をベッドから引きずり出し、壁に叩きつけた。

「わたしたちを呼び出しておいて房事に励んでいるなんて、いい度胸をしているわね。あなた」

 王の首を掴み、片手で自分の頭よりも高く吊るし上げる。

 もちろんリディスにそんな腕力はなく、娘たちの力を使っている。それをあたかも腕力だけで吊るし上げているように装っている。

 判りやすく暴力を見せつけている。

「あなたの股間の粗末なソレを焼かれるか、それとも今すぐ借金を返すか、選ばせてあげるわ」

 低い声で静かに恫喝する。

「そんなに脅したら可哀想でしょう」

 リディスの横からフランが笑顔で王に手を伸ばすと、王は壮年の男とは思えない「あ……」と甲高く細い声を上げた。

 フランがどこに手を伸ばしたかは、リディスも知らない、王とフランだけの秘密だ。

「もしきちんと借金を返済してくれたら、この続きをしてあげるわ。だから、早く借金を返してね」

 フランが後ろに下がり、リディスが手を離して王の身体が落ちる。リディスも後ろに下がり、王が息を乱して二人を見上げる。

「いつでもあなたの枕元に立てるってこと、忘れないでね」

 フランが優しく微笑んで、二人は消えた。

 リディスのムチが効いたか、フランのアメが効いたかは判らないが、王は借金を即刻返済した。しばらく後、傭兵団が反乱を起こしたのは資金不足による給料の遅配が理由だ。寝室にいたかわいいお小姓が「裏切り者!」と言い残して王の叔父の下へ走ったのは、おそらくフランが原因である。結局、かの国は四分五裂して内乱状態に突入し、混乱のなか王は行方知れずとなったが、それはもう、フランもリディスも知ったことではなかった。

 初孫も生まれ、「焦土?上等!」とばかりに我が世の春を謳歌していたリディスの人生が暗転したのは1年と2ヶ月ほど前のこと。

 魔術師協会のトップを務めていた姉、マグナが高齢を理由に引退を決めた。

「長い間、お疲れさまでした。マグナ姉さま」

 労いの言葉をかけたリディスに、マグナは「ありがとう、リディス。ところで、わたしの後任はあなたにやってもらうことにしたわ」と冷ややかに告げた。

「すぐにとは言わないわ。今から1年、わたしの下でトップの仕事を覚えなさい」

 現場一辺倒のリディスにとっては晴天の霹靂だった。

「無理。ムリです!」

 フランが屋敷に戻ったのは、肉体的には12歳の時、1年前のことで、戻ったフランにリディスは泣きついた。

「フラン姉さまからマグナ姉さまに言ってください!わたしに魔術師協会のトップなんて務まらないって!」

 確かにリディスには難しいだろう、とはフランも思った。

 しかし、マグナの人を見る目もフランは信じていた。

 今はできないかも知れない。けれど、もしかするとこの子は良いトップになるかも知れない、とも思った。

 何より『この子がトップというのも面白そうね』と(かなり無責任に)思った。

「あたしと初めて会った時、今の自分を想像できた?」

 哀訴するリディスに、フランはそう尋ねた。

「あたしには想像できなかったわ。

 いまのあなたの魔術の腕は、あたしの想像を越えているわ。

 だからあたしには、あなたにトップが務まるか務まらないか判らない。

 リディス。

 やってみてごらんなさい」

 リディスは絶望の唸り声を上げた。

 逃げ道はもうなかった。

 そうしてマグナの下で1年間の修行を終え、リディスが魔術師協会のトップになったのが、2ヶ月前のことである。


「大人になったものね、リディス」

 笑いながらフランはリディスの表情かおを覗き込んだ。

「マグナと比較されているようで辛いの?」

「え、いえ」

 視線が泳ぐ。

 何か言いかけ、諦める。

「認めたくはありませんが--、多分、そうです」

 フランが微笑む。

 まるで傷ついた獣ね。

 と思う。

 リディスらしいわね。

 と思う。

 やる気はある。ただ、それをどこに向けたらいいか判らない。行き場を失ったやる気だけが胸の内で渦巻いている。イライラして、イラついている自分にイラつき、しかもそれを表に出せないことがリディスをさらに傷つけている。

「ねぇ、リディス。何もマグナと同じことをしなくてもいいのよ。マグナだってあなたが自分と同じことが出来るとは思っていないわ。

 むしろ、自分とは違うから、マグナはあなたを後任に推したんじゃないかしら。

 あなたはあなたのやりたいようにやればいいのよ」

 リディスの心を解きほぐすようにフランが言う。

「あたしが魔術師協会を創った理由、話したでしょう?」

「--はい」

「お母さまを守るためにあたしたちがいる。でも、あたしたちだけではお母さまを守れないわ。もうひとつ、人の世との間に何らかの組織が要る。

 だから魔術師協会を創ったの。

 魔術師協会はあくまでも手段で、目的ではないわ。もしあなたが必要と思うなら、魔術師協会を潰しても構わない。それぐらいの気持ちでいればいいのよ。

 魔術師協会がそもそも何の為に存在しているのか、それさえ忘れなければいいの。

 それと、何でもひとりで抱え込まないこと。

 ナターシャもリタもいるでしょ。

 マグナの残したスタッフもみんな優秀よ」

「--それは、判っています」

「判っているから大変?」

 小さくリディスが息を吸う。

「はい」

「あなたがそう感じるのも無理はないでしょうけど、あの子たちだって、昔は気持ちが先走り過ぎて失敗ばかりしていたのよ」

「え」

 フランが笑う。

「シリは勿論だけど、スタッフの子たち、あたしのことを知ってるからこう言ってみればいいわ。

 昔のことをあたしから聞いたって。

 きっとみんな取り乱す筈よ。

 例えばね--」

 ハルナが執務室に戻ると、リディスが声を上げて笑っていた。執務室を訪ねてきたときにはどこか硬く強張っていたリディスの表情が緩んでいる。

「何の話をしているのですか?」

 とハルナは尋ねた。

「魔術師協会のスタッフの子たちの、ムカシの話よ」

 フランが答える。

 ハルナも彼らのことは知っている。フランの友人も、弟子だった人もいたハズだ。とても優秀な人たちで、フランの知っている昔の話など誰にも聞かれたくないし、本人も決して聞きたくはないだろう。

「それは、お気の毒なことですわね」

 笑いながらコーヒーを置き、フランの前には、ミルクも置く。

「ありがとう、ハルナ」「ありがとうございます。ハルナ姉さま」

「それで、今日はどうしたの?」

 ミルクを溶かしたカップを口に運びながらフランが問う。

「フラン姉さまやハルナ姉さまのお耳に入れておいた方がいいことがあって、魔術師協会を抜け出して来ました」

 笑いを収め、疲れも脇に置いて、事務的な口調でリディスが答える。

「何かしら?」

「『完璧な世界』という名の魔術書、ご存知ですか?フラン姉さま」

 カップを置き、世間話でもするかのようにリディスは尋ねた。

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