2話 棍棒で釘を打つ(1)
価値を見誤ってはならない。
本質的な価値はあくまで主観的なものにすぎない故に、例え、全ての価値が量子コンピュータで計算できるようになったとしても、それは意味をなさない。
否、それも私の価値観だ。
【前話のあらすじ】
フィナと出会った翌日。フィナは勝手に学校に来て、屋上で俺に声をかける。
そして、一緒に昼ご飯を食べていると、不良5人組が屋上に来て絡まれてしまう。
そんな中、屋上にもう1人、魔法使いらしき女性がやってきた。
彼女は一瞬で不良を蹴散らし、俺に対しても容赦なく魔法を使い殺そうとする。
狂暴な暴力女に吹き飛ばされた一秒後。
何故か、死んだと確信した俺は生きていた。
吹き飛ばされたはずの俺は、約1秒後、俺は屋上の階段の手前に立っていた。
俺はたしかに後方に吹き飛ばされたはず、証拠に俺と俺を吹き飛ばした魔法使いの間に距離がある。
途中でその勢いが掻き消された、まるで魔法が消えたかのような感覚だった。
「なんで!? 私の魔法が消されたんだけど!」
エミリーは困惑したようにそう言うが、一方のフィナは俺の方を振り向いて言う。
「ハル! 逃げて、速く!」
昨日から、ハルと呼ばれても、自分の名前を呼ばれたと自覚するまで一瞬間が開いている。
だが、今は発言の内容から、すぐに自分が呼ばれたと分かった。
慌ててフィナの表情を確認する。彼女は涙目でプルプルと、生まれたての子鹿のように足を震わせていた。
また、彼女を見たと同時に、彼女が首から下げていた宝玉が不思議な力で、宙に浮いていることにも気づく。
「フィナ。今、まさか、この凡夫が死なないように、その宝玉に願ったの?」
エミリーがそう言うと、フィナは恐る恐る言い返す。
「そ、そうだけど。それが何?」
すると、エミリーは頭を抱えながら、呆れたように言う。
「まさか、お師匠さまは本当に、本当に本物の天体儀の宝玉をフィナに奪われて、逃げられたって言うの……?」
エミリーは戸惑いながら言う。
「速く逃げて! エミリーは同じ未来の魔女の魔法使いだから、私を襲うことはない」
フィナは俺の方を見て、もう一度鬼気迫るように言う。
すると、エミリーはフィナを無視して俺に向け魔法を唱える。
「そこの凡夫。とっとといなくなって」
エミリーは俺を睨みながら、フィナと同じように目の前の空気に指先を立て、何かを描く。
「衝撃魔法、破壊砲!」
しかし、魔法らしき現象は何も発生しない。
「ちょっとエミリー! あなたの狙いは私でしょ!?」
フィナがそう叫ぶと、エミリーは舌打ちをする。
「……、そっちの凡夫。とっとと消えて! そしてフィナ、私たちのお師匠様を裏切ったこと、死んで反省して!」
「な……、なんで、エミリー……」
フィナは言葉を失って、固まっている。
しかし、俺はそのエミリーの言葉に違和感を覚える。
出会ってすぐに凡夫を殺そうとした女が、何故、俺を見逃そうとしているのか?
そして、先ほど放った魔法はどこへ行った?
フィナの宝玉に何か不思議な力があるのか?
「フィナ、何が起こっているか教えてくれ。エミリーは本気で殺そうとしてるぞ」
「無駄口叩いてないで、とっとと消えて」
やっぱりだ。
立ち止まっていても、エミリーは口だけで手を出してこない。
あの速度で動けるのに、俺を殺しに来ない。
それにはおそらく、理由がある。
俺の相手をすることが面倒になったか、遠距離で攻撃をする術がないのか、あるいは。
俺はフィナを見る。やはり、フィナの首からぶら下がっている宝玉は、宙に浮いている。
「フィナ。俺の見間違いでなければ、その宝玉は宙に浮いているように見えるんだけど」
すると、エミリーは再度怒鳴るように言う。
「凡夫には関係ない話だから! とっとと失せ――」
そこまで言いかけたところで、俺はエミリーに向かって走りだす。
「ちょっと!」
フィナの声が後ろから聞こえるが、俺は問答無用で突っ込む。
そして、エミリーに殴りかかった。
と、エミリーは喧嘩慣れしているようで、俺の拳を軽々と掴む。
しかし、先ほどのような力強さを感じない。
俺の拳を受け止めた手も、あくまで女性の力だ。
まるで、彼女を守る何かしらの魔法が解けたように、彼女は普通の人間らしい力に変わっていた。
「魔法が――、ちっ! 凡夫のくせに! 何!?」
「ちょっとハル! 何してるの!? エミリーの体術はとっても強いの! 馬鹿なことしてると殺されちゃうってば!」
フィナの悲痛な叫びが聞こえる中、俺はフィナに叫ぶ。
「推測だが、今の俺に魔法は効かないんじゃないか? だから速く! 俺のカバンを持って箒を取って。一緒に逃げるぞ」
「は!? ちょっと!? 何を言って――」
フィナは意味がわからないと言った様子でそんなことを言う。
そんな中、エミリーは俺の横腹に右手の拳を放り込む。
が、俺も負けじと、エミリーの膝に右脚で蹴りを入れる。
「やっぱり凡夫は嫌い! 小蝿みたいに鬱陶しくて、イライラする。私はフィナを殺しに来たのに!」
「な、なんで? エミリー。私たちは同じ未来の魔女の、魔法使いじゃ――」
「フィナ、速く! この魔法使いは聞く耳を持つような奴なのか!?」
俺がそう叫ぶと、エミリーは舌打ちをしてから言う。
「フィナは弱いけど、天体儀の宝玉は厄介だわ!」
やはり、あの宝玉のおかげなのか? 今の俺にはおそらく、魔法が効かなくなっている。
「めんどくさいめんどくさい! 衝撃魔法――」
エミリーは右手の人差し指で虚空に何かを描きながら、宣言をし始める。
彼女は俺のことを見ず、訳が分からず混乱しているフィナの方を見ていた。
まずい、狙いはフィナか!?
「――真空斬!」
「フィナ! 避けろ!」
本能的に、俺はそう叫ぶ。
何かを空気に描き終わった彼女は、右手の先をビュンと、上から下に下ろした。
が、俺は左手で彼女の振り下ろした右手を掴んだ。
しかし、掴みはしたものの、勢いは止まらない。
エミリーが腕を振り下ろした直後、強烈な風がその腕の先から放たれる。
いや、風が放たれたのではない。
まるで、真正面から見た日本刀のような、目に見えにくい鉄線、つまりは斬撃が、彼女の指先から高速で放たれた。
俺が触れたのは、鉄線が切った風。
しかし、その魔法は俺には干渉しなかった。
その鉄線はフィナに向けて飛ぶ。
光景がスローモーションに見える。
実際には一秒にも満たない速度で、その斬撃はフィナに到達した。
が、幸いその斬撃は、フィナの1cm程度横を通過する。
直後、後ろの柔らかいプラスチック製のフェンスは、音もたてずに2つに割れた。
エミリーが舌打ちをすると同時に、俺は再度叫ぶ。
「フィナ! 速く逃げないと! 2人まとめて殺されるぞ!」
その声を聞いたフィナは、我に帰ったように動き出す。
「フィナ? 凡夫に指示されて動くなんて、恥ずかしくないの?」
フィナは無視をして、俺のカバンと箒を持ち、俺に叫ぶ。
「準備できた!」
「よし」
俺も言葉を返す。
「鬱陶しい……、とっととそこをどけ! って!? 何!?」
俺はそう呟いたエミリーに思い切り体重をかけ、動揺したエミリーを押し倒す。
その瞬間、俺は思い切り拳を振りかぶって、彼女の鳩尾に全体重をかけて殴る。
と、さすがのエミリーもゴホゴホと咳き込む。
「こ、この、凡夫の、くせに」
エミリーは力が抜けたようにそう言ってから、再び咳き込み丸まっている。
その隙に、俺は立ち上がってフィナに駆け寄った。
と、フィナから俺は荷物を受け取る。
そして、彼女と手を繋ぎながら、フェンスが切れた箇所から空へ飛び出した。
「飛べ!」
と、フィナが言ったものの、なぜか箒は飛ばない。
箒が飛ばないと言うことは――。
「あ、あれ?」
当然、俺とフィナは屋上から自由落下を始めていた。
次回の投稿予定日は6月21日(土)です。