48話 幕間1 生態観察記録「水の魔法使い」後編
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そんな怒涛の朝が終わると、俺はヘトヘトになって、自室で寝転んでいた。
「水魔法、激流砲!」
一方、フィナはトイレ掃除と風呂掃除を始めた。
最近は部屋の掃除全般をフィナがやってくれている。
おかげで、二人暮らしでも一人暮らし程度の水道代で押さえられている、はず。
節約の頼もしい味方だ。
「フィナ、いつもこんなトレーニングをした後に掃除をしてくれてるのか?」
俺が声を大きくしてトイレにいるフィナに尋ねると、彼女の声だけが返ってくる。
「これはただの掃除じゃないよ。トレーニング」
「トレーニング?」
「そう。激流砲のコントロールをするトレーニングなの」
フィナはトイレの扉の端から顔だけをひょっこりとこちらに向けた。
廊下が見える位置に寝転んでいた俺は、そのフィナと目が合う。
「細かい汚れを落とすためには激流砲を細くして、雑な汚れを落とすためには激流砲を太くする。あと、意識をしてコントロールに集中して操作をすることも大事」
将来、このトイレ掃除風呂掃除で培ったフィナの激流砲でやられる相手が出てくるのだろうか。
でも、ションベン魔法と揶揄された激流砲でトイレ掃除とは……。
ガーッと、トイレの流れる音が聞こえる。
「さーって。ハル、動けないでしょ。料理作るよ」
フィナは長袖ワンピースの袖を下ろしながら、リビングに戻ってきて言う。
「……は? フィナ、ちょっと待て! 料理は俺がーー」
俺は衝撃のあまり、筋肉痛を忘れて身体を起こすと、痛みが走って顔を顰めた。
「……、いや、必死すぎ。今日くらい私に任せて。私をなんだと思ってるの?」
フィナはジトっと俺を見る。
魔法使いだと、思っているが……。
「だって、初日から台所に立ってなかっただろ?」
「いや、ハルが立たせなかったんじゃん。さすがに勝手にやるのは違うし」
そう言ったのは、フィナが台所に立つ姿を俺が想像できなかったからだ。
失礼ながら、フィナは鍋を焦がしたり、ガスコンロから謎の爆発を起こしたりーー、いわゆるメシマズ女子だと勝手に判断していた。
異世界の料理は基本は魚と雑草料理とか言ってたし。
「私、お師匠様の料理も作ってたんだよ? それに、最初の数日間でハルの朝食の定番レシピは覚えたもんね」
「いやいや、俺に任せてくれ」
と、俺が言うものの、すでにフィナはスイッチが入っているようで。
「私がやる! ひ弱なハルはそこで待機」
「大丈夫。コンロの使い方とか……」
「いいから」
フィナはややめんどくさそうにそう言うと、冷蔵庫から卵とウインナーを取り出しつつ、冷凍ご飯をレンジに入れる。
フィナは基準の分からないスイッチがあり、そのスイッチが一度入ると決して意見を変えない頑固なところがある。
要するに一度決めたことに、横やりを入れられることをあまり好ましく思わない性格だ。
「じゃ、料理名はわからないけどいつものやつしまーす」
見様見真似なのか、コンロの火をつけ、慣れた手つきでフライパンをさばく。
鼻歌を歌いながら、俺に自身のスキルを見せつけるように料理を始める。
が、その光景は圧巻だった。
教えていないのに、卵を割って溶きながら、油をフライパンに垂らし、冷蔵庫の中から流れるようにベーコンを取り出した。
それからも、そつなく料理をこなすフィナ。
しかも、料理しながら、激流砲、と宣言して、左手の指先一本で卵を溶くために使ったボウルを洗い始めた。
料理をしながら指一本で洗い物をする手際の良さ。
なんだこいつ、これまでにないほど光って見えるぞ。
魔法使いとしての才能はさておき、お嫁さんの才能はあるらしい。
キッチンの前に立つ姿は、まるでこなれた主婦のよう。
数分後、出来上がったフィナのご飯を、ドヤ顔の彼女に見つめられながら食べる。
「どう?」
「美味しいです」
俺は敬語でフィナにそう言って、失礼を詫びる意図で頭を下げた。
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それから、フィナは激流砲で皿洗いをして、洗濯物を干していた。
ちなみに、家事のうち、洗濯物は2人で協力している。
自分の下着をフィナに洗われることが、なんとなく嫌だったからだ。
逆に、俺はフィナの下着を見たことがないし、絶対に見るなと厳命されている。
干してあるところも見たことがない。おそらく、俺がいない平日を狙って洗っているのだろう。
「さて、体力トレーニングは終わったので、次は魔法のトレーニングです」
まだ床で伸び切っている俺に対し、フィナはにっこりと笑って言う。
何よりも恐ろしいのが、まだ午前9時だということ。
しかし、魔法のトレーニングなら、俺が体感する必要もないだろう。
ここからは楽そうだと安堵する俺に対し、フィナは言う。
「じゃ、今から、水流衝撃波の気持ちを考えるトレーニングをします」
?
俺はその言葉の意味が分からない。
日本語で言葉を聞いたはずなのに、全く理解できなかった。
ちなみに魔法使いの世界の公用語はこの世界の公用語と違うらしいが、何故か言葉が通じるらしい。
フィナの情報は信用ならないので、おそらく着ているワンピースか何かに、言葉を通じるようにするギミックが組み込まれているのだろうと推測している。
「フィナ。もう一回言ってくれ」
「今から、水流衝撃波の気持ちを考えるトレーニングをします」
やっぱり、何回聞いても理解できなかった。
「えっと、そのトレーニングは? どういうトレーニング?」
「私、反省したんだよ」
「反省?」
「私は水流衝撃波と約10年の付き合い、私はこの魔法と共に育ってきたと言っても過言ではない」
フィナは俺の前にぺたんとお姉さん座りで座って言う。
「でも私はーー、この水流衝撃波を活かしきれていないことが、つい数週間前に判明したの」
おそらく、俺と出会ってからのことだ。
その魔法を小さくボールにしてぶつけるよりも、大きい塊にして相手を巻き込む方が強いと言うことが、ひょんなことから判明した。
「それが、水流衝撃波の気持ちを考えることにどう繋がるんだ」
俺が尋ねると、フィナは俺の目の前で親指を立てる。
「水流衝撃波をもっと知り、感じ、理解を深めることが、私の戦闘スタイル確立につながると思ったんだよね」
まあ、言っていることはギリギリ分かる。
「あー、ようやく、なんとなくわかった。それで、どんなトレーニングなんだ?」
「シャワールームに行きます」
「はい」
俺は返事をしてから立ち上がり、シャワールームに向かうフィナへついていく。
すると、フィナは思い出したように振り返った。
「あ。このトレーニング、ハルもやってもらうからね」
「え?」
「そりゃそうじゃん! ハルは私の戦略担当だよ!? 私よりも水流衝撃波を愛してもらわないと」
将来的には自分で戦略を考えてほしいんだが。
まあ、さっきの言い振りだと、おそらく、シャワールームで水流衝撃波を発動し、それを観察して考える、的なトレーニングだろう。
しかし、このトレーニングに意味はあるのか?
「フィナ、本当にこのトレーニング……」
「ん? 何?」
フィナの冷たい目。
付き合うと言ったのはお前だろ、文句を言うな。と、目で訴えてきている。
まあ、何を言ってもフィナはこのトレーニングを敢行するだろうし、俺は逃げるように視線を逸らして言う。
「いや、いいか」
すると、フィナはにっこりと笑顔に戻り、俺に言う。
「あ! そう言えば聞きたかったんだ! ハルは私の魔法で一番好きな魔法はなに?」
「なんで?」
「いや、なんとなく気になるじゃん。今後の魔法開発に活かしたいし」
しかし、その問いに関する俺の腹は決まっていた。
「うーん。今のところは激流砲かな」
俺がそう言うと、フィナもテンションが上がったように大きな声で言う。
「さっすが! やっぱりハルは私のパートナーだよ! ちなみに理由は? やっぱり宣言名かっこいいよね! それとも、発動時に両手をかざすとこ!?」
目を輝かせる彼女。水道代が浮くからという理由を言えない雰囲気だ。
「いや、なんていうか、マリアとの戦いの決まり手だったから、愛着があるというか」
俺は目を逸らしたままそう言うと、フィナはうんうんと頷いて、にっこりと笑う。
「私、ハルも好きなこの魔法を、いつか最終奥義にするからね」
「最終奥義?」
「あ、魔法使い的な単語じゃなくて、単に私の一番強い技的な意味だから」
フィナは機嫌がより良くなったようで、鼻歌を歌いながら脱衣所、シャワールームに入っていく。
激流砲が最終奥義か……。どちらかと言うと、秘密兵器の方が近い感じがするが。
「先に、ハルからいいよ!」
フィナがそう言うので、俺は促されるまま二人で狭い脱衣所を通過してシャワールームに入る。
「水流衝撃波、使っていいぞ。ちなみに、どんな修行だ? 観察か?」
「うん! 観察だよ!」
フィナはそう言うと、服を着たままシャワールームに入った俺に対し、指で結界を描いて宣言する。
「水魔法、水流衝撃波」
次の瞬間、俺は何故か水の中にいた。
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水流衝撃波の気持ちを感じるトレは、水流衝撃波の中に入って気持ちを考えると言う、なんともふざけたトレーニング内容だった。
狭いシャワールーム、風呂桶の上一杯に水流衝撃波を作って、俺は体育座りのまま中で何度も回された。
そんなことを二分間隔で1時間。
何か気づきはあった? と聞かれたが、水流衝撃波は洗濯機みたいだと答えておいた。
さらに、プランクと座禅を交互に繰り返すトレーニングに1時間取り組んだ後、右手と左手で別の結界を描く反復練習を1時間。
昼飯は筋肉痛と戦いながら俺がチャーハンを作った。
フィナはオーバードライブと連呼するトレーニングをしている。
洗い物は再び、激流砲コントロールトレーニング。
「で、次のトレーニングは……、ハルの教科書に湧水の羽衣をかけるトレーニング!」
「は!? なんだそれ!?」
「中に入った教科書を濡らさないことが目的。本番さながらの極限のスリルと戦い、魔法を成功させるトレーニングだよ」
「成功率100%じゃねえだろ!」
「いいじゃん。教科書なんて読まないでしょ」
「読むわ!」
「大丈夫、成功させるから! ね!」
教科書を軽視するフィナ。
何度止めても聞いてくれず、1時間後、俺は現国と化学と家庭科の教科書をベランダに干すことに。
「次はイメージトレーニング。はい」
フィナは紙と俺の財布から小銭を出す。
って、勝手に財布を開けるな。
「何?」
「これが自分の立ち位置、こっちがハル、こっちが相手の立ち位置」
なるほど、紙の上で戦術を考えるってことか。
「相手をエミリーとすると……」
これは有効なトレーニングかもしれない。
唯一の問題は、30回想定して、30回負けたことだ。
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「じゃ、締めのランニングね」
フィナはベランダに向かって歩き出す。
が、俺はすでに体力の限界を超えており、フィナの後ろをなんとか歩きながら言う。
「フィナ、毎日こんなにトレーニングしてるのか」
と、フィナはこちらを振り返り、にっこりと笑って言う。
「うん、私は魔女になりたいから」
フィナの努力はホンモノだ。
そして、彼女はそれを楽しみながら実践している。
努力をできることが、最大の才能だと聞いたことがある。
フィナの師匠である未来の魔女は、彼女に輝くものを感じると言っていたし……。
「ハル! ほら、走りに行こっ!」
俺は彼女について、よたよたと外に出た。外はすっかり夕方だが、まだ18時台で空は明るい。
「フィナって、努力家なんだな」
俺が扉の鍵を閉めながらそう言うと、フィナは小さな声で言う。
「誰よりも落ちこぼれだったから」
生態観察記録をつけようと思って、本当に良かった。
フィナの努力量や、魔女になることへの情熱は間違いなかった。
「フィナ、今日やったトレーニングは誰かに教わったのか?」
「ううん。全部オリジナル。私が悩みに悩んで開発したの! ふふっ、このレパートリーの数、すごいでしょ!」
「ちなみに、今日のトレーニングに座学は無かったけど」
俺がぽつりとそう言うと、フィナはビクッと肩を震わせた。
そして、俺の方を見て、ビシッと俺の顔に指を指して言う。
「魔法は座学よりも実践が大事なんです」
何故か敬語で言う。やましい部分でもあるのだろうか。
「いや、座学も少しはした方がいいんじゃ……」
「その必要はない!」
ビシッと胸を張って言うフィナ。
「いやいや、何事も、物事の基本は頭で考えることだぞ。少しは座って勉強も……」
「大丈夫。ハルはすごっく賢くて優秀だけど、魔法使いの修行については詳しくないでしょ?」
にっこりと笑うフィナ。
……、なんとなくフィナは努力のベクトルが、ややズレている気がする。
しかし、それは俺に指摘できる内容ではない。
何故なら、俺は魔法使いが魔女になるために何をすれば良いかが、分からないからだ。
だから、フィナにアドバイスをしても、説得力に欠けるし、何より、フィナは頑固だ。
未来の魔女にはフィナを世界最強の魔女に導けと言われたが……、そこが最も悩んでいるポイントだ。
「よーしっ! ハルも最後まで頑張ろう! あとちょっと!」
そこから朝と同じハイペースランニングを1時間。あとちょっと、という言葉に完全に騙された。
晩飯は、玄関で倒れた俺の代わりにフィナが作った野菜炒め。
そして、今日は俺も、フィナと同じくらい早い時間に寝た。
ちなみに、今日の筋肉痛は翌朝から3日間続いた。
【生態観察記録 水の魔法使いフィナ】
観察季:16歳、春
観察場所:自宅、自宅周辺
天気:晴れ
観察結果:
・朝5時起床、夜20時睡眠
・努力家で一日の時間のほとんどを魔法使いとしての実力を上げること(トレーニング)に費やしている。努力に関する創意工夫も楽しんでいる模様だが、トレーニングという口実で何をするか分からないので養う際は注意が必要。
・一度決めたことに対して非常に頑固だが、誰かを傷つけるようなわがままは決して言わない。
・読書や座学のことを非常に軽視している。
・家事を含め、意外と器用で手際も良いので、家のことを任せられる。水道代対策にも。
・声が大きい。リアクションも大きい。
気づき:
・努力のベクトルがずれている可能性あり。
・俺の料理を真似して、この世界の料理ができる。キッチンに立たせても問題ない。
・激流砲への愛着は予想以上に強い。
・可愛らしく華奢な見た目と、その体重の軽さに反して、基礎体力がものすごく高い。体幹も優れ腹筋が割れていると思われる。
次話より、第一章に突入します。
次回の投稿予定日は10/25(土)です。
新章プロローグを、20時以前より1日に時間を分けて、複数エピソード投稿させていただきます。
よろしくお願いいたします




