3話 彼女は空から落ちてきた
【前エピソードのあらすじ】
自称魔法使いの少女フィナと共に、拳銃を持つ男をなんとか退けた。
そのあと、俺はフィナからの質問攻めに遭いながら、そのおよそ1時間前、フィナと出会った時のことを思い出す。
拳銃を持つ男と対峙した時から、およそ1時間ほど前。
15時ごろ、高校からの下校道。
住宅街にて、俺は白色のセダンにクラクションを鳴らされていた。
その運転手はわざとらしくアクセルを吹かして走り去っていく。
ぼんやりと、走り去る車を見ながら思う。
感情的になれるのも才能だ。
と、そんなことを思いながら、俺は1人でぼーっと、前を向いて歩いていた。
いつも通り、一人の下校道。
いつからか、ただ時が流れる不気味な心地よさに流されるまま生きている。
家に帰ったら、昨日通販で買った「世界一不味い珈琲の淹れ方」と言う本でも読むか。
おそらく暇つぶしにもならないが……、と、その時。
上から音が聞こえたような気がして空を見る。
今日も空は青くなかった。
今日は雲一つない空だから、美しい青空のはず。
だが、俺の目には、その空が色づいているようには見えなかった。
「あーーーーーーーーー!」
そこに、一筋の流れ星。
いや違う。
あれは……人間?
そう思うも束の間、俺の前方数メートル先のアスファルトに、光を超えるような速度で飛来物が突っ込んだ。
パーン!
大きな破裂音が響く。
俺は思わず目を瞑り、耳を塞いでいた。
「痛たたた」
耳を塞いだ指の向こうから、女性の声が聞こえる。
……って、え? 人間の声?
恐る恐る両目を開くと、目の前には水のように透き通る水色の髪の女の子が転がっていた。
転がっている彼女は地味な黒色のワンピースを着ており、近くの地面には、外で落ち葉を掃除する時に使うような藁でできた箒と、黒色の綺麗な靴が転がっている。
お尻をさすっている彼女に、俺の両目のピントが合う。
彼女は俺と同い年くらいだろうか。
目は二重で非常に丸く、それでいてやや吊り目気味、目鼻立ちははっきりしており、口角は優しげに上がっている。
また、彼女の瞳は今日の快晴とよく似ている空色だった。
髪質は細く、髪色は、例えるとするなら、山中の小川のせせらぎに光が乱反射した時に見える、あの水色。
体格は全体的に華奢に見えるが、黒色のワンピースの下から覗いている足は筋肉質に見えた。
ピクリと、転がっていた彼女が動く。
生きている、のか?
さらりと髪の毛が揺れたと思うと、普通に立ち上がった。
目があい、気まずい沈黙。
ん? なんだ、あの宝玉。
俺は彼女の首から下げているネックレスの宝石に目を奪われた。
首から下がるネックレスの宝石。
彼女は全体的に地味な衣装なのに、それだけは明らかに浮いている。
その宝玉は、銀河のような模様で、動いていたから。
って、いやいや、そんな宝石よりも――。
再び、彼女と目が合う。
突然の事態には、冷静さが何よりも重要だ。本にそう書いてあった。
俺は顎に右手を当て、考える。
彼女はどこかの女子中学生、いや、女子高生?
とりあえずこの状況に納得したいと思い、あの速度で地面に落下できるようなマンションかビルを探すが、この交差点の近くには平屋の住宅しか立っていない。
改めて落ちてきた彼女を見ると、全く痛みなど感じていない様子で、俺の顔を見てポカンと口を開けている。
口をあんぐりと開けた彼女の顔を見て、俺は自分が焦っていたと気づく。
色々考えるより、こいつに質問するのが一番早いな。
「生きてる?」
率直に問いかける。
すると、目の前に落下した彼女は硬直したまま一言。
「へ?」
ポカンと俺の目を見たまま、気が抜けたようにそう言った。
それはまるで、現在の状況に理解が追いついていないと言った表情。
どうやら相手も同じ状況らしいな。
と、そんなことを思っていると、彼女は徐々に顔が青ざめ、絶望的な表情に変わっていく。
「やばっ! 見られてる!? なんで!?」
俺に見られたことを気にしている?
すると、彼女は自分の横に落ちている黒色の靴を眺め、唖然として呟く。
「靴、脱げてるんですけど……」
……いや、それもそんなに重要なことか?
彼女は慌てて靴を履きなおそうと動き出したので、俺はまたも率直に尋ねる。
「なんで生きてるの?」
普通の人間なら、身体が爆発するように砕けているはずなのに、彼女はその速度で落下してピンピンしている。
彼女は慌てながら、目線を右往左往させていた。
感情が分かりやすい女の子だなと思って見ていると、急に視線を強め、力強い口調で言う。
「っていうか、生きてて悪い? 死んでるより良くない?」
まあ、確かに。
「いや、ごめん。悪くはない。むしろ、生きていてよかった。あの速度で落ちたら普通、死ぬから」
「な、何で笑いそうになってんの? とりあえず! 普通は死なないから! あの速度で落ちても!」
いや、さすがにそれは無理がある。
と、思ったその時、突如、全く知らない声が脳に響いた。
「私の可愛い弟子よ。人間に見られたのかい?」
脳に響いたその声は、まるで空間の向こう側から俺に問いかけるよう、どこからともなく聞こえていた。
俺は本能的に周囲を見るが、その声の主はいなかった。
と、思ったその直後、俺の背後に気配が生まれた。
後方に明らかな人影を感じる。
本能的に後ろを振り返り、その気配を目で確認しようとした。
が、その瞬間。
振り返ろうとした俺の肩を、柔らかい手が掴んだ。
「あなた、お名前は?」
その声はゆったりとして、さらに若干しゃがれているように聞こえる。
肌で感じる気配や声音から、背後に立つ人間が女性であることと、その老獪さを感じた。
って、ん?
俺は身体が動かなくなっていることに気づく。
経験をしたことがない、不思議な感覚。
まるで、脳が自分の身体の動かし方を忘れたようだ。
「名前は、忘れました」
俺は正直に告げる。
「忘れた?」
「はい、忘れました」
これは比喩ではない。
俺は本当に、名前を忘れたのだ。
数年前の出来事。
ある日、昼寝をしていた時。
俺は自分の名前を失った。
親は俺を連れて病院や神社、最終的には怪しげな宗教施設にまで連れて行ったが、どうしても自分の名前を思い出せなかった。
名前を呼びかけられても認識ができない。
読めないし書くこともできない。
俺は病院で記憶障害及び失語症、名前健忘症等々の診断を受けている。
名前が分からないこと以外、俺はすべての記憶を持っていると考えているし、普通の人間として生きるための知識もある。
しかし、それを機に、俺の生活は全て壊れた。
ーーあいつって、悪魔が憑いてるらしいよ。
ーー近寄らない方がいいって。
今でも思い出す、中学時代のこと。
「忘れた……。ふむ、そうか」
肩を掴んでいた女性は、次に俺の首を掴んだ。
殺気は感じない。
ゆったりと首筋を掴まれ、まるで何かを探られているような感覚だ。
が、俺は自分の状況よりも、目の前の落下してきた女の子の様子が不可解だった。
「お、お師匠さま!?」
落ちてきた女の子はそのように言うと、急いで跪く。
俺の背後の女性は、目の前の彼女の対応を無視して、俺に問いかける。
「あなたは目の前の女の子を見て、どう思いました?」
「なんで死なないんだろうと思いました」
俺が即答すると、後ろの女性は黙った。
1秒。
2秒。
3秒。
しばらく時間が経過した後、背後の女性が呟いた。
「それは、目の前の子が魔法使いだから」
「魔法使い、ですか」
ふざけた話だが、そうなら全て合点がいく。
あの落下速度で生存したことも、箒が近くに落ちていたことも全て説明がつく。
もっとも、魔法使いという言葉の定義が、俺の読んだ本で蓄えられた知識に基づくものであれば、だが。
「え、えーーー! お師匠様、言っちゃっていいんですか!? この人、ボンフですよ!?」
目の前の彼女は慌てて顔を上げて言う。
ボンフ? ボンフと読む言葉は、漢字で書けば凡夫しか知らない。
「お前さんが私の許可なく勝手にこの世界へ出て、ドジを踏んだから仕方ないだろう。それに、私は協力者が少ないから、都合が良い」
俺の首を掴んでいる何者かは、目の前の彼女の師匠らしい。
徐々に俺の首を掴んでいた手の力が緩んでいくが、首から手は離れない。
「名前を忘れた君。そこに立っているのは、私の弟子、水の魔法使いフィナ」
水の魔法使いフィナ。
落下した女の子はフィナという名らしい。
「私の弟子の中で誰よりも努力をしており、光る素質もあるのだが……、私の弟子の中でも一番の落ちこぼれ」
光る素質、と聞いた瞬間、フィナの大きな両目は見開いたが、落ちこぼれと聞くと、その途端、彼女は視線を地面に落とし、がっくりと両肩を落とした。
まるで受け取った言葉へのリアクションがそのまま外に流れ出てくるような彼女の挙動を見て、俺は思わず呟く。
「確かに、魔法使いが戦う仕事なら、落ちこぼれてそうですね」
俺がそう言うと、目の前の彼女は勢いよく叫ぶ。
「はあーー!? お師匠さま! この人、失礼ですよ!」
しかし、師匠は彼女を無視して俺に言う。
「私がこの子を魔法使いと言ったことについて驚かないのかい」
「驚きはしません」
「こちらの世界の者に言わせれば、魔法は非科学的だろう」
俺は淡々と答える。
「魔法を非科学的であると言ってしまえば、未だ解明されていない全ての事象を非科学的ということと同義です。何千年前、水の存在は非科学的に信仰されていましたが、今は誰もが知る科学的物質です」
すると、フィナはきょとんとした表情で言う。
「何言ってるんですか? この人」
一方、師匠はその言葉を聞いて黙る。
深く、深く考えているようで、何も言わなくなった。
フィナはそんな師匠を見て一言。
「嫌な予感……」
失礼な弟子だ。本当に師匠弟子の関係なのか?
と、気づけば、この道は俺とフィナ以外、誰も全く通らなくなっている。
どう言う原理なのかはわからないが、誰もいないし誰も来ない。
「フィナ。気が変わった」
「やっぱり!」
フィナが怯えたように縮こまる。
一方、師匠は再び2、3秒考えてから言う。
「本当は3日間食事抜きにしようと考えていたんだが……、私は決めたぞ」
「え、えーっと、何を決められたんですか、お師匠様」
フィナが恐る恐る尋ねると、師匠は俺の後ろで高らかに宣言した。
「水の魔法使い候補生フィナに、現世で魔法使いとしての修行を行う許可を与える」
「え」
フィナはフリーズしたような顔で固まった。
フィナは、4、5秒、ピクリとも動かない。
俺は一体何を見せられているんだ。
そう思った時、フィナの顔色は再び悪くなっていきーー。
「えーーーーーー!?」
地面に落ちてきた時よりも大きな声が、天に轟いた。
そして、フィナは跪いたまま頭を地面に擦り付けて言う。
「お師匠様!? まだ私に修行は早いと仰ってたじゃないですか!? それも昨日!」
「気が変わった」
「えーーー!? 気が変わったってそんな……! 私、お師匠様の一番の落ちこぼれなんですよ!?」
フィナが顔を上げて抗議をすると、俺の後ろの師匠は告げる。
「そうだ。修行を始める前に、当然、凡夫に見られた罰も受けるように」
背後に立つ師匠が、俺の首を再び強く握る。
するとその瞬間、俺の首が焼けるように熱を帯びた。
いや、フィナの師匠が俺の首に熱を与えているのか?
一方、目の前のフィナは風船から空気が抜けるように、力が抜けていくような様子で地面にへたり込んでいく。
「え、ちょっと待ってください。罰って、魔法使いから魔法を取り上げる罰ですよね!? 魔法が使えないのに修行なんて!? お、お師匠様、本気、ですか? 魔法が使えなかったら、すぐに殺されて、しま、います――」
フィナは、全ての力を吸い取られたように、アスファルトにへにゃっと寝転んでいる。
と、その直後、師匠は小さな声で囁くように言う。
「君にはこの魔法使いの協力者として、彼女が最強の魔女と成れるよう導いてほしいのだが」




