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燕雀鴻鵠  作者: 見城R
9/22

3−3

墨寧が想定した最終月がやってきた。

馬が揃い、それらを売るか貸すかして、

少しずつ肥やしていくのだろう。

周雲の想像はそこで止まっていた。

決して知能が足らないわけではない、

宰相派の面々すら密偵を放ち掴んだ情報でそう判断していた。


周雲はそれを成功すると見ている。

だが、宰相派は違う。

馬を飼うという商売は、遙かに難しい、

一朝一夕でできることではない、まして商売として既に確立している分野に飛び込むことは、

何か強烈な個性がなければ無駄になる、大成はしない。

また、宰相派の密偵は、墨寧が集めた馬がことごとく駄馬であったことも掴んでいる。

全ての材料から鑑みてこの事業は失敗する、捨てておいてもなんともなるまい、

そんなことを考えていた。


「?また、翁殿が見あたりませんが」


「少々近隣の県に使いに出て貰っている」


「使い?」


「そうさな、そろそろ説明しておくとしよう」


墨寧はそう言うと、周雲に典晃を呼ぶように言った。

やがて、周雲に連れられて典晃がやってくる。

外は彼の鍛えた県民の何人かが見張りをしている、

知らぬ内にすっかりと、県にそれなりの組織が出来ている。


「あと一週間したら、馬の市を開く」


「え?もうですか?」


周雲が驚きの声をあげた。

買ってきたばかりの馬を、すぐに転売して儲けが出るのだろうか、

それを周雲は心配している。

それとは異なる部分から、典晃が異を唱える。


「それは無茶だ、翁殿は頭数こそ揃えたが駄馬揃いだ、とても売れぬ」


「そうなのか」


こくり、典晃は周雲の問いかけにうなずいて答えた。

墨寧はそのやりとりを見たまま、いつもの顔で座っている、

話に続きがある、そういう口元がさらに動く。


「その通りだ、もともとまともに売る気などないからな、我々は商売人ではないのだから」


影翁が横にいたら大いに相好を崩したことだろう。

墨寧は暗にして、かつての政敵である曹蓋を皮肉っている、だが、

この場の誰もがその影はわからない。

言葉のままに二人は受け取った。


「どういうことですか?」


「競馬をやる」


「…なんと?」


正直に訊ねた周雲に答えた墨寧。

その答えに、一瞬沈黙を持ち、問い返す典晃。

三人が今、事実を共有した。

各々が考えるところは、その台詞に現れてくる。


「競い合わせて売るのですか?」


「そんなわけあるか、馬なんざハナから売る気はない」


「……なるほど、墨寧殿は頭が良いな」


「ありがとう典晃、目元が怖いがよく言ってくれる」


「墨寧様……賭博を、公の立場から行うのですか?」


「そう、もっとも手っ取り早く金を集めてくる、人間の根幹に訴えかける方法だ」


「県民達に、どう説明するというのですか!」


「がなるな周雲、お前五月蠅い」


「その台詞は何度も聞いてきましたっ」


「最近は言ってなかったろう」


「そういう問題では…、県民達が汗水流して作ったものが、そのような物に使われるなど…そんな不義理」


「典晃答えてくれ、公営の賭博は中央でどの程度だ?」


「……催されております」


「それは答えじゃない、もっと具体的に聞こう、誰が主に楽しんでいる」


「…高官達で、あります」


「馬鹿なっ!」


「それが実態だ周雲、いいか、これからは少し別の話になる、聞け」


墨寧は、落胆する周雲にその隙を与えないようとするため、

やや性急に話を進めることにした。

落ち込んだ周雲と、侮蔑を持った典晃。

この二人をうまく御したまま、なんとしてもこの計画を遂行する。

墨寧はその決意のまま、さらに、すらすらと弁を並べる。


「高官が好む、それにより、物見にやってくる、各地のそれなりの使いが集まる」


「そこで、あなたの地位を売り込むというのですか」


「無論だ」


「…あなたは、やはり鬼だ」


「待て、それは否定せぬ、が、落ち着いて考えてみろ、それらの高官に、

お前達二人が大事にしたがっている県民を売り込むのだ」


「!?…それは」


「よいか、人を集めるということは、大きな機会となる、私は出世にその機会を使う。

お前達が何に使おうとも構わぬ、機会はそれぞれに平等な形でやってくるのだからな」


やや詭弁が入る、まだ、やってくるとキマっていない。

それに、地位が低くなるにつれ、当然その機会は生かすことが難しくなる。

つまり墨寧は成功する可能性が高いが、周雲達は低くなる。

その論理のほころびを、周雲は気付いているらしく、まだ目が冷えている、

典晃については、そのあたりは何も思わないのか、

ただ、弁の立つ様をじっと見ている。


「そしてこれにはもう一つ策がある」


「策?」


やや嘲りを含むような笑顔を周雲が浮かべている。

いい表情だ、墨寧はそう思う、自分がそうされているということに、

とりたてて不快を感じていない。

むしろ、そのやたら真っ当ぶるわりに人間臭いところを好んでいる。

それは余談。


「所詮これは岩倉県で催されるもの、鉄火場なのだ」


「それが」


典晃が久しぶりに言葉を挟んだ。

じっと困惑した眉を寄せて、話を聞くだけは聞いている、

そういう感じだが、この話には興味を持ったらしい。

墨寧は、ひきずりこむような口振りですぐに説明を続ける。


「私は、中央で好まれる上等な競馬を知らぬ、が、どこの地方でも必ず鉄火場はある」


「それはそうだろう、賭博は正直、中央に務める近衛の兵隊内からどの村でも少なかれ催されている」


「人間は賭事を好むのだ、そして、好む奴は必ず滅びる」


「……」


「賭事には魔性がある、人間が引き寄せられる、上等なのもくるが、下等なのも集まるだろう」


「まさか…罪人を集めるつもりか」


「周雲流石だな」


墨寧はそれ以上説明せず、含み笑うことで安っぽさを取り除いた。

言外に秘められることによって、貧相なこの話は深みを持ったかのように錯覚される。

下等な罪人も集めてくる、だから、貧困層がここにあることは間違いないし、土地も肥えない、

岩倉県は名目を守ったまま、ただ、一つの娯楽施設を作るに留まるはずだ。

当然、増える住人は滞りなく登録させてやる手はずを墨寧は整えてやるつもりでいる。

罪人を貯めておき、周雲達が育てた善良だと思われる人間を外へ出しても、

岩倉県はカラにならない、そういう下準備を進める、それで上への説明が立つし、県民を救うことにもなる。

そこまでは言わない、言うと悪徳が匂いすぎて、周雲は苦虫をかみつぶし、典晃は剣を抜くかもしれない、

結局不幸な人間をすげ替えるだけの策なのだ。


「墨寧殿は政治家であるな」


「冗談、貴公の主君より遙かに劣るさ」


墨寧は典晃にそう告げた。

典晃はそれ以上何も言わなかった。

周雲は二人の間、というよりも、県令と中央役人との間にも、

大きな何かがあることを感じ取った。

しかし、墨寧の込めた意味は違う、

典晃の主君という幻想は、既に周雲に移っている。

それを確認するための台詞だった、そうした上で、

自分はそれよりは劣る、そう宣言しているのだ。

しかし、政治家という珍妙奇天烈な生き物と周雲が一緒とは思われない、

そういう意味で、典晃は奇異の視線を墨寧に向けた。


「そんな目で見るな、過去が示している、最後に残るのは誠意と正義を持つものだよ」


吐き捨てるではないが、墨寧はそう告げた。

その裏で、やはりこの典晃は主君を周雲と思っている、それを墨寧は確認した。

反動、典晃は墨寧が己の粗悪を認め、周雲の能力をも認めていると気付かされた、

墨寧にとってはそれが重要である、これによって二人を別々に相手とするところ、

周雲一人で済ませることになる。

この売国を臭わせる策について、説得せねばならぬのは、

周雲一人と絞られたのである。


影翁がその数日後に帰ってきた、そして約束の時がくる。



当たり前のような盛況を誇っている。

墨寧は自身の売り込みに走り、

周雲は県民が惑わされぬように諭した。

典晃は、かつての主君筋が来ていると聞きつけそれに、

周雲のことを売り込んだ。


誰が描いたでもない。

これは、全て、自分たちが願った形を、

現状で叶えるために必死になっている、そういう図だ。

墨寧はおもねりを続けながらも、上手に、天帝派、宰相派いずれとも、

交友を続けていく、かたわらに影翁を連れているのは相変わらず。

賭博には胴元がいるが、それ以外でも法外な賭率が成り立っている賭場もあるそうだ。

既にそういうことに賤しい暗部が乗り込んできている証拠だろう、

間違いなく、悪人もはびこりはじめている。

ただ、その悪人と上の人間に交わりがないとは言い切れない、

それを、墨寧は典晃の言葉から推測している。

博徒にもそれなりの勢力があると見たほうがよい、侮ってはならない、

それらが、天帝、宰相、いずれの派となっていることも考えられる。


どちらでもよい、ともかく自身の売り先をまとめなくてはならない。


墨寧は敢えて、天帝、宰相のいずれにも荷担せず、

ただ、自分をその派の中でより高く評価するものを探すことにした。

機会を最大に利用する、そこで遠慮して次に大きく出世させてもらう、

そういう遠慮とか、駆け引きを墨寧は好まない。

いつ死ぬかわからない、ならば、上れる内に登りきっておく。

そう考えているのだ。

その、あからさまな権威や出世に媚びを売る様を、

何人かの役人達は気に入った様子だ。

そしてその様子の男達に、次の試合で勝つ馬を教えておく、そういう、

元手のかからない賄賂を送り続けた。


「せめて、省令程度になりたいものだな」


「墨寧様、それは高望みしすぎでありましょう、県令となられてまだ1年ですぞ」


「叩かれてすぐに落ちてくるだろうからな、一度、違う眺めを見たい、そう思うだけだ、次はあれだ行くぞ」


言って、天帝派の役人に向かっていくこととした。

忙しく歩き回る、墨寧は上ばかりを見ている。

よいことだろうか、影翁にはわからないが、その行く途中、

周雲とすれ違った、しかし墨寧、周雲、いずれも気付いたそぶりが無い、

あちらは下を向いていすぎる、視線があわぬな、

この珍妙な二人の行動を好ましく思ったのか、にやにやと影翁は笑みを浮かべて歩いた。


そのすれ違った周雲である。


「典晃!」


「周雲殿」


「先は有り難かった、わざわざ骨をおって貰ってすまない」


「いや、首尾がよくなかった以上、何にもなりますまい」


嘆息を漏らす典晃。

引き合わせたが、典晃の主筋のものはあまりに清い周雲を、

好ましく捕らえなかった様子だ。

頭の良さはわかったが、得体のしれぬ、いやそれ以下の岩倉の県民を伴うなど、

そういう顔つきで、ほとんどの役人達は敬遠してしまった。

不首尾であった、それがこの日のことだ。

この催しがどれくらい続くかはわからないが、高官に近いものほど、

早くに去っていくだろう、なんとか今日中にあたりだけでも付けておきたいな、

周雲は少し表情を曇らせた。


「あまり滅入りなさるな」


「いや…そうだな」


すぐに持ち直した様子で周雲は明るい笑顔を見せた。

その表情には光がある。

典晃は、少し贔屓目だろうと自嘲しながらも、なんとかこの人を立てたいと考えている、

その考える内に、こういったことに長けた人間として墨寧を思い浮かべて浮かない顔となる。


「墨寧様のようにうまくはいかぬ」


「…周雲殿」


「典晃殿は、県令様を相変わらず好まないようですね」


「何度ももうしましたが、やはり…」


「失敬……どうした?」


ふと、周雲は典晃との会話を遮って、近づいた誰かに声をかけた。

それは県民の一人であるらしい。

周雲は、全員を把握しているのか、この人だかりの中で、

しかと県民を見つけだすことができている。

典晃はその事実に驚きながら、それを見守る。


「も、申し訳ございません役人様…厳しく達しを戴いておりましたが、どうしてもと…」


「賭をしたのか……首尾は、聞くまでもなく悪かったのだな」


「は、はい…それで、それで…」


大の男だがもう、泣いている、人目をはばかることもない。

典晃はそれを見て、自業自得だと考えてしまう。

弱気者とはいえ、それは自らが招いたことだ、仕方がない、

ここを甘やかすことは、決してその人間のためにならない、そう考えている。

周雲はどうするだろうか、なんとなく結果は見えるが見守る。


「そうか、それで、この方々を私のところへお連れしたのか」


周雲はゆっくりと背をただした、

県民の背後に悪相な男達が数人いる。

見事に、この男からかっぱいだのだろう。

だがそれでは足らないのか、あるいは不足分が出たのか、揃って取り立てに来た様子だ、

典晃は少し身構える仕草を見せたが、それを周雲が止めた。

お手並み拝見というところだ。


「お役人だそうで、まさか、我々一同引っ捕らえるつもりか?」


「そんな力は私にはない、それを解って、今、目の前にいるのだろう」


ひしししし、悪相達は笑った。

若造と侮ったところがあるらしい、

ただ、その中の何人かは典晃の存在に気付いたらしく、

そちらの挙動を見守っている、典晃が動けば一つややこしいことになるだろう、

周雲は機先を制したのだ。


「さて、借りはどれほどあるのかな」


「なに、肉や皮では払えぬものよ」


「馬鹿にしたものだな」


「天下の岩倉県様だでのう」


下品な奴らだ、だが、彼らの言は延の国では正しいものだろう。

他の誰に聞いても同じようなことを、もう少し上品な言葉で言うだけだ。

内容は、間違っていない、岩倉県は結局低層なのだ。


「よろしい、今度は私が相手になる、どれ、何で賭けた」


「!?周雲殿」


「こりゃ面白い役人様だ…はははっ、わしらと勝負ともうしたか」


不遜な笑顔を見せる周雲、

せせら笑う悪相ども、

何を考えているのだろうか、典晃は少々焦る。

確かに、鉄火場のことは鉄火場で片づけるのが仁義というか習わしではあるが、

周雲と鉄火場というものがあまりにかけ離れているように思われ心配になる。


「こっちだ、あの場で立ってる奴だ」


「案内せい、この周雲逃げも隠れもせん」


「大した御仁だ、うはははははっ」


下品な笑い声とともに、新たなカモを手に入れた、

そういう調子で男達は周雲を連れていくことになった。

くだんの県民は少なくとも彼らから追われることは無くなった、

だが、これは違うだろう、典晃は思うままに行動する。


「貴様」


「ああ、典晃様…わたしは、わたしは」


「そうだ、貴様の失態のため、周雲殿が身をやっすることとなったのだ、反省せよ」


「ひぃぃ…も、申し訳ございません、申し訳ございません」


「愚か者が…もうよい、これ以上は絶対にするなよ、何かあってはまずい身の安全が確保できるところへ逃げよ」


言われて、あわててこの場所から去った。

家へと帰って閉じこもることとなるだろう、

それよりも、連れられた周雲が心配だ。

典晃は、見失うわけもないが、近づくこともできず、

やや遠巻きからそれに近づくことにした。


その奇妙な風景を、もう一つ見ている目があった。


奇特な人物が、このような辺境にいるとは…。

そう頭の中で考えた男、身なりは酷く、貧相な博徒に見える、

だが、かつてはそれなりの公職にあったものだ。

目の前で行われたやりとりだけで、おおよその概要を掴んでいる、

たかだか県民のために死地へと赴く役人とは、

物好きだが、面白い、それに威風がある、

興味を持ったらしく、野次馬に混じり、この男もその場へと近づいた。


「さぁ、次の走りで、いずれが勝つか」


「なんだ、ごくありふれたものだな」


「ふへへ、そりゃ大層慣れたもんだな、役人様」


「初めてだがな」


大笑いを誘っている。

汚い博徒は見ていて、なるほどと少し違う笑いを覚えた、

役人殿必死だな、笑いを誘いながらなんとか考える時間を蓄えているか、

しかし、賭場が悪い、

これは奴らのシマだろうから、どうやっても勝てまい、

どうなるか、興味本位でその場に留まった。


「さて、どうする」


「よし、赤だ」


「!?」


胴元達があからさまに狼狽えた様子になった。

だがそれに気付いたのはごく少数だろう、

すぐにその狼狽を隠し、胴元はその勝負に乗った、男は青に賭けた。

結果は赤が勝った。

どよめきでもないが、拍手のようなものが起こる。


なるほど、この胴元、頭が悪い。


粗悪な賭事だ、賭場をしきるにしても素人すぎる、

博徒は笑ってしまいそうになるが必死にこらえた。

イカサマの仕込み方がおかしすぎるだろう、

勝つ馬があらかじめ決まってるのに、相手に先に選ばせるところ、

抜けている、こういう馬鹿がいるものなのだな。

この賭場は稼ぎやすいよい賭場だ。


「次は」


「よし、黒」


「!?」


と、以上のようなことがこの後5つも続いた、つまり周雲の五連勝だ。

賭神現る、そういう噂になったのか、

すっかりこの賭場は野次馬で溢れかえっている。

おかげで、胴元達も悪巧みを仕込むことが難しくなっている、

何か、小さな失敗をしたとき、仕方ないと流してしまうと、

こんなことになる、いい手本のようなことだ。

ま、それはそれとしても。


この男の運は凄いな。


博徒はそこに感心した。

相手に不備があるとはいえ、そこを常に突き続けることができるのは、

天佑の他なるまい、天佑吉祥を持つものは、世の中にそうそういるものではあるまい、

こんな些細なことだが、それを強く感じた。

だが、それもそうそう続くまい。

そう思ったら、自然、この博徒は役人に近づこうとしていた、

なんのためにか、自分ならこの男を救うことができる、いや、救いたい、そういう気持ちが動かした。

その近づいていく肩、それが強く後ろへと引かれた。


しまった。


男はそう思った、捕まった、そう感じた。

つまり、彼はそういう経歴を背負っているのだ。

捕まるという不安を背負う人生を歩いている。


「…西州で役人殺しの罪にある、徐粛だな」


「中央警邏の、典晃か」


「お前らしくもない、かような所で姿を見せるとは」


「賭けに目がなくてな」


博徒の身なりをした、徐粛と呼ばれたこの男、

西州にて役人を一人殺している、そこですぐに姿をくらました。

その後、数年にわたり潜伏し、ほとぼりがさめるのを待っていたのだ。

中央で警邏の任ももっていた典晃は、この男を一時期追うこともあった、

実直でありながら、その武勲は凄まじいもの、

徐粛は舌をまいて、典晃から逃げていた。

やがて典晃が警邏の任を解かれ、二人はそれ以降交わることがなかった。


「貴様もこれを見ていたのか」


「ああ、興味深いものだ、彼のような役人の下だったならば、私も罪を犯さなかっただろう」


「徐粛、一つ質問がある」


「?捕まえるのではないのか?」


「私は今、警邏の任についていない、貴様を捕まえようとは思わない」


「変わったな、犬のように忠義を示す男が、そのような不義理を」


「言うな、今は忠義を示す相手が代わったのだ」


「…そうか、貴様、今はかの男の下にいるのか…」


徐粛は頭がよい。

でなくては、中央が派遣する警邏の網をくぐられるわけがない。

かなりの才人である、それ故にすぐ、この場のことを推理しつくした、

それに答えるよう、彼は言葉を続ける。


「そうだな、私が彼を助けよう」


「…すまぬ」


「ははは、天下に名を轟かせた典晃に頭を下げられるとは、その代わり」


「わかっている、見逃す」


「いや、違うな、私を主君に紹介してくれぬか」


「!…考えよう」


ふふん、そういう感じで徐粛は周雲に近づいた。

周雲は競技からの引き際を考えている、

勝ちすぎてはいよいよ逃れることがなくなるし、

何よりも、この博徒達をおとしめることになってしまう。

それでは様々にまずかろう、そう思って思案しているが、しかねている、

その背中に、くだんの男は近づいた。


「御仁」


「?」


「振り返られるな、私の声のみを聞きなされ」


「…」


「幸運は長く続きますまい、それを懸念されておられるな、ならば一つ策を授けます」


「…」


「次の勝負にて、相手に選択を譲りなされ、それで相手が勝ったところで終えるのです、

さらに、この場で得た益は全て、この場に返すのです、場に返すのですぞ」


それだけ告げた、はたして、周雲はその言葉に素直に従った。

驚いたのは胴元ではなく、徐粛だ。

どうして信用しようと思ったのだ。

正直、このやりとりではなんともなるまい、そう高をくくっていた。

別の方法、まぁ脱兎となりこの場から去る、そういう物騒なことを思っていたが、

先の提案をいともたやすくそれを信じた、馬鹿なのだろうか、

さらに興味を覚えたと思える。

その後、この場は、周雲の独壇場となった。


「先に選べ」


「貴様、愚弄するか」


「そうではない、私がイカサマをしているようではないか、それでは分が悪いのだ」


「……」


周雲のいいざまは、少し高い位置からの声と聞こえる。

が、そんなことにイラだっているほどゆとりはない、

胴元達はすぐにそれを受け入れた、ようやく勝てる。

そう思ったのだ、そして、案の定、勝ったのだ。

だが、勝ったことで、やはり見ていた野次馬から激しい叱責が起きる。


「静まれ!、賭事とはえてしてこういうものだろう、自らが流れを譲ればこうなるのだ」


言ったのは周雲だ。

声は朗々として、この場の全てを飲み込んだ、

群衆に紛れたまま、その様子に釘付けとなる徐粛と典晃、

改めて、周雲の威光を感じることとなる。


「胴元、楽しませて貰ったよ、さて、賭金については、これでよかったかな」


言って、明らかに今回の負けよりも大きな分を渡そうとしている。

流石にそれには、辟易した様子で胴元が一旦断る、見栄もある。


「断るか、ならばこれは戴こう、勿体ないことをするな貴様は、これで私は今夜の飯のタネが一品増えるな」


わっはっはっ、周雲は高らかに笑った。

それはまるで、一度譲ってやった機会を活かさなかったその責任は、

胴元の方にあると言うような、なんと言ったらよいか、

聖人君子ぶったそれではない、与えられた機会を逃すものが悪いんだぜと、

この賭にて儲けたそれを結局、この男が持って帰ろうとする。

そういう俗っぽさが出た。


「いや、それならば、やはり」


「なんだ、がめついな」


「うへへ、役人様、それはいいっこなしでさぁ…」


どぉっ、とその場は笑いに包まれた。

胴元達もそれに混じって薄ら笑いを浮かべている、

ともかく彼らの面目は、小さい形でも保たれて、なおかつ、

もっとも大切な利益について守られた。

それをわかっているから、この場を笑って流そうとしている、

かくして、笑ったまま、この賭場は解散となった。

不正だとか、なんだとか、そういうのは一つも差し挟まず全てが片づいた。


「周雲殿…ご無事で何より」


「危なかったな、あまり慣れないことはせぬ方がよいと悟ったよ」


少々疲れた様子で周雲は典晃と無事をわかちあった。

ただ、そうしてからすぐに周りを見回している。

典晃はその仕草が、自分に向けられているとわかっている。


「周雲殿、貴殿に助言をした男は徐粛という罪人です」


「徐粛殿というのか、是非会いたいのだが」


周雲は敢えて、罪人というところには触れなかった。

キモの太い人だ、というよりも、その人に対する、

垣根の低さこそがこの男の魅力だろうと考える。

考えて、ゆっくりと典晃は告げる。


「徐粛、主君がお呼びだ」


「ここに」


奇異なるものを見た、

そういう感じで周雲は派手に驚いた。

主君という言葉に対して驚いている、

徐粛がその目の前にやってきた、みすぼらしい格好をしている。


「貴殿が、私に活路を見出す助言を」


「いや、私が言うまでもなく、そうされていたのではないですか、役人殿」


徐粛は、やや考えるところがあるらしく、

そういう形で切り出した、論戦となる。


なることを言うな、私は貴殿の助言によって九死に一生を得たのだ」


「なるほど、おもねりが上手と見える」


そういう相手か、徐粛はそう断じた。

典晃はその口を塞ごうとしたが、それより先に周雲が答える。


「それは違う、私如きは下手のさらに下だ、そなたにそう思われてしまうほどにな」


「認めますか」


「いや、本心だ、それは誓う、ただ本心は相手に届かぬ、それをいつも憂えている。

私にもう少し、今の主人である県令様ほどの智恵があれば、そなたを満足させられたとせつせつ思う」


「……」


「そなたに佐を託したい、これならば伝わるか」


大胆な提案だ、というよりも無謀だ。

典晃はそう思ったが、ずずり、自分の魂が引きずられるようなことを感じた、

おそらく徐粛も同じことを感じただろう、

次の瞬間に、典晃は、徐粛の罪状をいかに隠すか、

それが典晃がすべき仕事と見えた。

そういう意識に至った典晃を見て、また、徐粛も、


悪くない、むしろ、ここに我が天命を得たり!


そう思ったという。

出来過ぎている、それは違う、

周雲は、賭で勝った如く、間違いなく天佑を得ている人間の一人なのだ。

その天佑が、典晃と徐粛を呼んだ。

さらには、


「役人様、役人様」


「おお、どうした、もう出ぬぞ、これ以上は勘弁してくれ」


「いや、たかりにきたわけでは、その、ありがとうございました」


胴元達が礼を尽くしにきた、この胴元達も周雲の人柄を認めたと言える。

このランチキ騒ぎはまだまだ続くのだろう、

この場とは別のところで、墨寧達が骨身を削っている、

周雲は、徐粛という男を手に入れ、

なお、下層にまた名を知らしめた。


この日が暮れることとなる。


「墨寧様」


「おう、翁、どうした」


「朗報でございます」


この時、天帝派が墨寧を拾い上げた。

さらに、周雲達の動きも関知していたらしく、

それらを全て伴って拾い上げると言ってきた。

墨寧は満面の笑みでそれを受け入れることとする。


この催しは、全て、うまくいったと見える。

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