4−1
競馬を催してから忙しい日々が続いた。
天帝派に拾われたことで、媚びを売っていたいくつかの宰相派から、
よくない風を浴びることとなったが、
墨寧は、賭博で上がった儲けのほとんどを、
宰相派の省に税金として納めることで、とりあえずの安寧を得ている。
このあたりは、なかなか賢いことだ、墨寧の両天秤はまだ生きることとなった。
納税は、墨寧と影翁が行ったのだから、どういうことを言ったかは誰にもわからない。
さて、その3ヶ月後に配置換えが行われた。
墨寧以下、影翁、周雲、典晃、徐粛、県民200人が揃って、
隣の県へ移転とあいなった、約束されていたとはいえ、
破格の待遇とも思われる。
いち県令如き、また罪人を含む役人と県民を揃って引き取るとは、
大きなことをする、それを引き受けた省令はかなりの仁であろう、
周雲はそう感じていた、墨寧は無感動なまま己の録が上がることに喜びを見出している。
「いよいよ異動だ」
「心得ております」
周雲に語りかける墨寧。
二人は仲がよいというわけではない、だが、それでも理解しあった何かがある。
影翁は不思議に思ったが、お互いがお互いに影響されていると気付いた。
もっともそのお互いを引き合わせたのは他でもない、影翁の橋渡しである。
いつからか、周雲には驕りが無くなった、賢いと自分を思っていたところが薄れている、
そのためか、徳のある人という印象に人当たりの良さが加わった。
無論、墨寧も成長している、周雲を認めることで己の欠点を自覚し、
そこを最小限に、自分では無理なところを他人に任せるようになった。
その他人が周雲であり、周雲を慕う男達である。
「その異動に際して、注文がついた」
「どういうことですか?」
「道筋を選ばれている、そして、翁に調べて貰ったが、その途上には賊がいるのだ」
墨寧は嘆息を交えながらそう告げた。
この場には周雲だけでなく、典晃、徐粛もいる。
徐粛については、墨寧は何一つ素性を聞かず県民の一人として数えた、
役人とするには少々禄が足らないのでできないが、周雲に引かれた一人というだけで、
なんとなし、役に立つと踏んでそのまま雇っている、客扱いである。
「大きな賊ですね」
「そう、賊徒だけで200人となればかなり大きな賊だ」
「考えるまでもなく、そこをどうするか、試験でありますね」
最後の台詞は徐粛のものだ。
墨寧は我が意を得たりと微笑みながら、その言葉をさらに拡げる。
「そういうことだ、我々は結局賊徒と代わらぬ視線を浴びている、それらを払拭するには、
それなりの武功が必要となる、そういうことだろう」
墨寧がつらつらと述べる、影翁は横で神妙な顔つき、
周雲、典晃は既にその賊をどうするべきか、
そういうことを考えている。
この土地の、墨寧以下の意志は統一されている。
今は、全員の安全を保つために、目的が明確になっている、賊徒を討つそれだ。
「典晃殿が鍛えた県民が20人、正直渡り合えるとは思えぬ」
「…が、やらねばなりませぬな」
「そういうことだ徐粛、策はあるか?」
「考えてみます」
徐粛のその場を濁した台詞から、この任務が重いことを悟る。
周雲はこの場の空気が重くなったことに気付き、
なるだけ明るい調子で声を出す。
「なに、典晃、徐粛、二人の傑人が居ればなんとかなるだろう」
「買いかぶりすぎですよ」
「ははは、貝をかぶるにもこの土地は海はおろか川もない、詮無いことさ」
それを聞いて、典晃と徐粛は揃って笑った。
釣られて、墨寧と影翁も続いたが、心底の笑いではない、
これらの状況が、今の岩倉県の政治だ。
「ともあれ、明日には発たなくてはならない頼むぞ」
「かしこまりました」
不思議と、墨寧、周雲の共生がうまく生きている。
この3ヶ月で200人以上、実に400人にのぼる博徒をこの土地は受け入れた。
岩倉県は、博徒のちょっとした聖地になっている。
なにせ、税さえ払えばどのような悪徳な賭場を儲けようとも罰せられない、
これは墨寧が、周雲達をはねつけて行った悪事の一つであるが、
悪人達にとってはまさに極楽だった、おかげですっかり悪人が集まった。
土地にもともとから居た住人は異動となるわけだから、誰も困ることは無いはずだが、
この土地に対して、最悪のことをしでかした県令、
そういう記録を墨寧は残すであろう。
「途中細い道がございます、そしておそらくそこで宿を取らねばなりませぬ」
「なるほど、周雲を呼んでくれ」
翁の進言に墨寧は周雲を呼びつけた。
すぐに飛んできた男に対して、
県令は、指示を与える。
「おそらくこの場がもっとも危険であろう、注意せよ」
「わかりました」
周雲はそれ以上、一切の無駄口を叩かなかった。
墨寧は満足しつつ、その才気に舌を巻くこととなる、
すっかり傲慢が取れて、才気に走るばかりではなくなった。
周雲の人変わりを墨寧はほくそ笑んで見守る。
己の眼力が間違っていなかったことを感じている。
その結果を見ることとなるであろう、この日の宿泊が静かに拡げられる。
「典晃」
「周雲様」
「様は、私の敬称ではないよ」
「…何か?」
「そうだな、今宵が最も危険なこととなるだろう、頼む」
「防衛は充分であります、ただ」
「ただ?」
「守るばかりで、はたしてよいのかどうか…」
確かにそうだな、周雲はそう感じ取った。
守り切ることはあまり重要ではないのかもしれない、
墨寧は何一つ言わなかったが、自分に期待をかけてきているその様から、
そこまでを見越して期待しているとも思える。
周雲は、他の誰よりも、と言うほどではないが、
墨寧を反面教師として、また、実際の教師として己に足らないところを学ぶ手本としている。
その手本が謎かけをしてきている、今回はそうとらえた、
相手の気持ちになって考えてみる、自分がもし墨寧だったならば、
この危機を千載一遇の機会と捉える、逆手で賊を散らさねばならぬ。
周雲の腹は決まった。
「徐粛殿はいずれに?」
「後衛にまわっております」
「よし、私から行く、典晃は人数を揃えて今夜に備えよ」
「御意」
言うなり、すぐさま周雲は徐粛のもとへと急いだ。
急いだというほど隊が離れているわけではないが、
しんがりを務める部隊のところへとやってきた。
しんがりは強固な兵である必要があるが、現状ではそれを臨めないので、
徐粛を長とした、博徒くずれが主立った構成となっている。
博徒崩れ達は、元々の県民とは異なる奴らだ、酔狂にこの一団についていくと決めた。
ゴロツキである、周雲は気後れするでもなく、その中心へとずかずか踏み込んでいく。
「これは、周雲殿」
「徐粛殿、すまぬが智恵を貸していただきたい」
「なんなりと」
「勝ちたいのだ、守るだけではなく、掃討したいと思う」
徐粛は黙った。
少々考えるそぶりを見せてから、
一言返すことにした。
「わかりました、ならば、後衛の全権を私に委ねていただけますか?」
「全権?」
「ええ、後衛で何が起ころうとも絶対に周雲様は関わりないこと」
「それは承諾しかねる、内容は説明できないのか」
「できますが、長くなりますので、あと、先頭の墨寧様に相談もしたく思っておりまして」
「なんだ、私だけ仲間外れか」
「それについてはそうですね、周雲様には守備を典晃とともにお願いしたく思います」
「わかった、任せよう」
言って、周雲は承諾した。
徐粛はうやうやしく頭を下げて、すぐに準備にとりかかることにした、
夕焼けが空を染め始める。
まもなく宿営を張る場所に到着するだろう、
徐粛の馬は、周雲をその場に留め置いたまま、急ぎ墨寧のところへと向かった。
☆
「墨寧様」
「おお、徐粛殿、どうされた後衛に何か?」
「いえ、相談がありまして」
墨寧はやや馬の進みを遅くさせた。
並んで徐粛が相談をもちかける。
「周雲殿より伺いました、次の宿営地が危ういと」
「ふむ」
「私に策があります、賊の襲撃を逆手に取り、奴らを殲滅させます」
「ほう?」
墨寧は興味を示した、自然、声を押さえた調子となった、
徐粛はさらに寄せた馬を近づけて、
耳打ちするではないが、小声で会話を続ける。
「周雲殿は潔白すぎるのでこの策は用いられないと思い、直々に参ったのです」
「中身は」
「後衛の賊徒を捨て石にします」
「……」
「攻め手を凌ぐのは周雲殿に任せなさいませ、さすれば典晃が働き、余裕をもって撃退できるでしょう」
「それはわかっている、その後だ」
「そう、追撃を博徒に任せるのです、私を博徒共の首領に認めていただければやってみせます」
「……」
「勝てば、墨寧様が思惑通り、負ければ博徒を失う限り、損はありませぬ」
「確かにな…」
墨寧はそれを告げる徐粛をじっと見つめた。
何かあれば瞳に現れる、そう経験上獲得している墨寧は、
徐粛の瞳を馬上で並びながら見つめた。
どろり、そういう言葉の似合う瞳だ。
「あいわかった、承諾しよう、その前に私に自信を与えてくれ」
「自信?」
「周雲が目を背けるそれとは何か、それをとくと披露してほしい」
墨寧はそう告げると、
徐粛など及ばぬほどの、どろり、そういう瞳を晒した。
流石に気圧されたのか、徐粛は一瞬だけ居住まいを正した、
だが、その後に、決意したようにさらに一歩近づきそれに答える。
その一歩が、何か、とてつもないものへと踏み込んだ、
徐粛はそう感じた、戻れない、そう感じたのだ。
「殲滅とは、殺し尽くすということです」
「なるほど、そういうことか」
賊徒を一網打尽にするではなく、
殺し尽くすことで撃退する。
それが徐粛の提案だ、足りない兵隊で完全勝利を得るための手段、
捕虜というか、拿捕することで罪人を捕まえたという武功を得るわけではない。
殺すことで治安を回復させたと言うのだろう。
墨寧はほくそ笑んだ、確かに周雲は嫌うだろう、
賊徒ですら庇うであろう周雲では、絶対に赦せぬそれだ。
「わかった、お前に任せればそうできるのだな」
「墨寧様が私のことをどれほど調べられたかわかりませんが、私はそのあたり踏み越えております」
「任せた」
墨寧は満足そうにそう告げた。
その言葉に背中を押されたようにして、
徐粛はすぐに後衛へと戻っていった。
入れ替わるように馬を近づける男が一人、影翁。
「よろしいのですか?」
「お前は耳もよいな」
「年を取ると他人の会話がよく聞こえるようになるのですよ」
「皆殺しというのが気に入った、これほど強い印象はなかろう、だからさ」
「確かにそうは思いますが、はたしてあの男がそれを出来るかどうか」
墨寧はからり、また笑った。
そして影翁を見つめる、その口が言う。
「できぬではない、やらせるのさ、無論、爺に頼むがな」
合点がいった様子で、その言葉に微笑みを残す影翁、
失敗せぬように後ろから支える、
その指示が影翁に降りた。
やがて宿営の準備を整え、夜が訪れた。
「本当に来たか」
地響きでもないが、大きな足音が近づいてくるのがわかる。
典晃は預かっている20人の県民達と槍を取ってゆっくりと立ち上がった、
20人は、鍛えあげられ、それなりの兵士として名をあげられるほどとなっている。
相手は200人、戦上手でしられた典晃は、中央警邏をしていた頃の経験から、
賊は、出鼻をくじけば散ることを知っている。
だから、この攻めてきた瞬間をどう対処するか、
それに尽くすつもりでいる。
「よし、5人ずつで別れよ、訓練の通りに身体を動かせばいい、あとは気合いだ」
「おお!」
すっかり統率が取れている、20人が5人ずつに別れて4部隊となった。
それぞれが指揮のままに展開していく、
典晃は一人だ、将軍は一人でいるものだ。
そういう奇妙な信仰がある、大将がどっしりしていれば戦は勝てる。
そういう信条の持ち主らしい布陣。
賊徒がやってきた。
相手は20人ずつくらいに部隊を分けているらしい、その数10部隊ということ、
闇から現れる敵を4部隊が必死に防ごうとしている。
典晃は一番後ろにいる、その瞳は闇の中を見ている、
典晃の狙いは一つだけだ。
頭を潰す。
それさえすれば、相手はちりぢりとなるだろう、
賊の目的は墨寧が隠して持ってきた金銀だと解る。
それをどうやって賊ごときが知り得たのかはわからないが、その金銀を得るよりも、
損をすると思わせることさえできれば勝てる。
それが頭領を失うこと、典晃はそう信じて、そして一団だけ動きが違うものを見つけた。
今だ、典晃が槍を振るいながらその一団へと突っ込む。
「頭領と見たっ!!!」
ガギィッ!!!
間髪をいれない攻撃が、一人の男を襲った。
慌てた様子だが、剣でそれをかわす頭領。
「おうよ、いかにもワシが頭領じゃっ!!」
言うなり、この男の剣が閃いた。
典晃は舌を巻きながらそれをかわし、また反撃を試みる、
時間がない、典晃はそう感じている、
一刻も早くこの男を屠らなければ、味方の損害が増える、
それを懸念しての本気だ。
がぎがぎがぎ、5度打ち合った。
それで典晃の実力を悟ったらしい賊の頭領は、
すぐに逃走の構えを見せ始めた。
それを見て、ついてきていた19人の賊徒が矢をいかけ始めた、
卑怯!典晃の側からそういう言葉が出た次に反撃するよう矢が飛んだ。
しかし、不思議とそれらの矢はまったく典晃を捉えることがない、
敵の頭領は背中を見せた。
「ふんっ、臆したかっ、それは斬れという合図かっ!!!!」
言うなり、典晃は槍を捨てて剣を抜いた。
はためくように、月夜に跳び上がって剣を上段に構えた。
虚空を漂いながら典晃の跳躍が逃げる頭領の背中に追いついた。
がっ!!!!!!どぱぱぱぱぱぱぱ、
鈍い音の後、凄まじい液体の音が響いた。
そして、その音をかき消すように典晃が吼える。
「突撃っ!!!!!」
「おおお!!!!」
言われるままに守衛を任されていた4部隊全てが、
この頭領の部隊に殺到する、この一団20人を叩き潰す。
20対20、しかし典晃という戦神を連れた男達は、
負けるわけがないと信仰している、そしてその勢いのまま、
敵の頭領部隊を壊滅させた。
「典晃!!!!続け、我らも!!」
典晃の活躍に吼えたのは周雲だ。
守衛の長として必死に戦った。
戦に慣れない工人達を率いながら、守衛の任務を見事果たした。
これに備えてかなりの盾や柵を用意していたのが大きかったのだが、
ともかく、最終的には戦いとなったその先頭で周雲は武功の限りを尽くした。
典晃の勝報が伝わり、賊は浮き足立ち始めた、
今しかない、周雲は全員に総攻撃を命じる。
今まで亀のように盾の内側にこもっていた男達がいっせいに表へ出た、
殺されないように、怪我をしないように、そういう後ろ向きな考えから、
凄まじく長い槍を持って男達は前進した。
これが当たった。
賊徒達はもの凄い槍ぶすまが近づいてきたと喫驚しあわてて馬首をかえして逃げはじめた、
あとは大声と槍で追い立てるばかり、
無事、宿営地を守り抜いた、周雲は高らかに勝利を宣言した。
そして、そこから彼らの知らぬ戦いが始まる。
「参るぞ」
「おうさっ!!!」
闇に紛れながら50人程度の賊徒が、徐粛に率いられてひた走る。
徐粛は、賊が突撃を始めた後すぐに逃げ道となることごとくに罠を張っておいた、
そして一点の道だけを無事にした。
罠にかかって死ぬ賊徒も出るが、それを見て道を変えてくる奴らがいる、
それを叩く、伏兵の常道にて賊徒達を森に隠していた。
二手に別れて、片方を影翁が率いている。
だが、彼自体は何もしない、ただ、徐粛の眼力のみに従う次第だ、
徐粛は自分の策が当たることを信じ切っている。
はたして、その信じた通りに賊はイチモクサンに伏兵のいる道へと戻ってきた。
「いくぞっ!!!」
「おおおっ!!!」
賊徒は相手を殺すことで相手の財産全てを得られると知っている。
だからその手に容赦がない、殺しに殺し尽くす、
それを徐粛は、素晴らしい手際で指揮していく。
「右翼、まわりこめ、常に横から攻撃を加えろ!!」
言われるままに賊徒たちは動いていく。
これら賊徒の間で、徐粛はそれなりの地位にいるらしい、
影翁はそれを確認しつつ、右翼として指揮通りにまわりこんで敵を散らす、
無論、爺も得意の小刀を持ち、縦横無尽に殺し走る。
「我らも行くぞ」
徐粛の取った作戦はとても単純なものだ。
徐粛からすれば賊徒などというのはそれで充分だと踏んだのだろう、
さらに言うなら、既に敗戦を悟った兵隊ほど追い込みやすいものないのだ。
秩序無く動く物体に秩序を与える。
すなわちここへと逃げてくると操ってしまえば、それは酷く簡単になされる。
統制の取れていない賊徒を囲い込んだ形となった、
あとは殺すのみ、逃さず、逃げようという意識の強い奴から殺していく。
戦う意志のある奴はあえて相手にしない。
「なるほど、そういう効果があるのか」
影翁が一人を殺しながらその手際のよさに感心を示した。
逃げる男達は戦意を喪失しているので殺しやすい、
それでいて、殺される仲間が多ければ、戦う気力を持った者も、
その戦意を削り取られていく、自然脱兎に身を投じることになる。
またそれをやる、その繰り返し。
「しかし、それを可能とさせるのが肝要」
「第二隊、右側厚くせよ、右翼中央で散開!」
徐粛の声はよく通る。
一人だけ組み上げた櫓の上にいる。
だからその戦況を実に見つめやすいのだろう、
ただ、それを将棋のように指揮するところは恐ろしい。
徐粛が得意とするのは包囲戦だ、敵を弱めていくという手法を得意とする、
それが遺憾なく発揮されて、やがてこの地は、
多くの生き血を吸うこととなった。
「墨寧様、お約束通り」
「…凄いものだな」
凄惨な死体の山を見て、墨寧は少しだけ身震いを覚えた。
その少し前に徐粛の働きぶりについて、影翁から聞いていただけに、
その評価はうなぎのぼりとなった、恐ろしい男だがこれが味方とは心強い、
そう感じたのだ。
「手を汚させたな」
「慣れております」
「悪いようにはせんよ、ありがとう、徐粛」
言って墨寧は満足した様子で去った。
去るといっても、宿営地へと戻っただけだが、
この宿営地から離れた暗がりの惨劇は墨寧と影翁の胸にしかと刻まれた。
徐粛の名前とともに。
「……徐粛よ」
「おう、なんだ」
「殺し尽くしておいてなんだが、これでよいのか?」
賊徒の一人がそう言って近づいた。
味方に少しだけ犠牲が出た、だが、
それを差し引いても圧倒的な勝利を得ている。
この短期的な恩恵については、博徒達が根こそぎ持っている、
それは、そういう約束だからよいだろう、
徐粛は、訊ねてきた男に答える。
「なにがよくないのだ?」
「これだけの殺しをしたら、博徒の俺が言うのもなんだが、流石に引くぜ」
「お前達ほどのキモ座りが引くんだから、その印象は凄かろう、それでいいのだ」
徐粛はそう答えた、この言葉は確かに言葉の通りの意味だが、
心の内で、違うことを考えている。
この件によって、墨寧に悪評がたつのを密かに待っている、
殺し尽くすという残忍な手法を持たなくてはこの窮地を脱しなかったが、
その殺し尽くすという罪を誰かがかぶらねばならない、
それを周雲とせず、墨寧とさせた。
それが、徐粛が一番に書いた脚本だ。
戦最中の指揮ぶりなどは、枝葉にすぎない、この智将はそう考えている。
典晃ほど愚直に支持していては、やがて足下を救われる、汚れ役を俺がやらなくてはなるまい。
徐粛は、周雲をなんとか県令にしようと目論んでいる、
そのためには、目上の墨寧が邪魔だ。
今回ので墨寧が失脚するもよし、出世するもよし、
出世すれば省令となるであろうから、自然、周雲は県令となるだろう、
そこからまた別の形で智恵の支援を行おう。
徐粛はそう考えていた。
「今暫くは、典晃と喧嘩づくめとなるか」
「ほ?」
「いや、今回の一番武功は我々だからな」
苦笑いを交えながら、ぱちくりと目を開いた博徒の一人に、
徐粛はそう答えた。
武力馬鹿はそのままとさせておいて、悪事の全ては請け負おう、
徐粛はそう考えてこの一団に仕えているのだ。
ほどなくして、無事、隣の県に移住がかなった。
途中の賊徒退治については、墨寧が好きな上へのおもねりとしては成功したらしい、
ただ、周雲はともかく、それ以下の県民や下々のものはそういった凄惨さを忌んでいる様子だ。
影翁あたりが気付きそうだが、そういうのを捨てる性質の男達だから、
どうということはあるまい、徐粛はそう結論づけて、
改めて、墨寧の武功を労った。
「なに、皆のおかげであろうさ」
珍しく殊勝なことを言った墨寧。
その脳内は、既に違うことを考えている。
今回の件に、どのような陰謀が隠れているかはわかっていないが、
政治的な観点から不安を抱いている。
「翁」
「ここに」
「少し調べてくれ、ここは何の管轄下になるか」
「かしこまりました」
言うなり影翁は消えた。
墨寧の不安は、地勢にある。
岩倉県の隣に引っ越してきたのだが、
ここは、南州に帰属してもおかしくない場所である。
もともと岩倉県が西州と南州の間でいらないからという理由で、
押しつけあったのだからその隣といえば、推して知るべく境界である。
ただ、郡までが宰相派であった隣から、
たやすく天帝の座まで、墨寧達が異動させられたことで、
大きく勢力図が変わるはずだ、何かがある、この異動に大きな力が働いている。
それをわずかながら墨寧は感じ取っている。
「省令は私となる、この土地の県令をそなたに任せるぞ」
「かしこまりまして候」
墨寧は省令に頭を下げた。
この男の出世の手伝いをしたのかもしれないが、
にわかに不穏な空気が漂いはじめたと思うところ、
ともかく、砂漠が近い町へと彼らは引っ越してきたのである。
「さて、墨寧県令」
「はい」
「早速だが、自慢の工人を率いて柵を築いて欲しい」
「柵…ですか?」
「そう、柵、それに館までできれば重畳、あとは、おぬし得意の牧場もこしらえて見せよ」
省令は、随分と仕事を任せた。
それが、大きな事件の一歩になると、まだ、
墨寧達は知らないでいる。




