品子の青春11
お話の続きです。
どうぞよろしくお願い致します。
「…なして?」
「はん?なんだ?品子…どした?腹でも減っだのがぁ?」
「ちっ…ちがっ…だ…だがらさ…なして、父さん…あったらおがしなこど言っだのさぁ…」
「ん?…はて?なんだ?…おがしなごと?おらなんが言ったべがぁ?なんだべな?」
昭三には品子の言っている意味がイマイチ理解できずにいた。
「やっ…だがらぁ…ほら…さっぎさぁ…わかるべさよぉ…」
品子は昭三に悟ってもらいたかった。
だが、無情にもそんなやりとりの最中、ホームに電車が到着。
もやもやしたままの品子はそれ以上、もう何も言えなくなってしまったのだった。
「お~!美晴がぁ?ややっ…違うな、おめぇ…」
電車から降りてきた男性に昭三は声をかけた。
だが、目までかかるほどの長い前髪の相手をまじまじとよく見ると、それは美晴とは似ても似つかないタエさんのところの長男孝之だった。
「なんだぁ、おめがぁ…孝之…おめ、何、電車さ乗って…どごさ行って来だの?」
「やんだなぁ、昭三さん、藪から棒に…ああ、ちょっと…王港さ…母さんの顔さ見に…」
「ああ、そんだがぁ…はん、何?タエちゃんは?なん?入院が?」
孝之はこくんと力なく頷いた。
「…なん?タエちゃん…そっだらにわりぃのが?」
もう一度こくんと頷くと孝之は続けた。
「やぁ、もう結構前さなるがなぁ?…そんだぁ…いつだか、昭三さんと一緒に電車さ乗っておはぎさやったって言ってたっけがなぁ?」
昭三はすぐにその日を思い出した。
「そんで、一人で病院さ行ったんだども、それがら病院がら電話あっで、検査入院させるがらって…」
「…」
「いぎなりだったもんだがら、びっくらこいだんだども…担当の医者に呼ばれで…母さん、結構わりぃみでぇでなぁ…秋までどんだがってなぁって言いなさるもんだで…」
「…そうがぁ、タエちゃん…そっだらに…」
「んでなぁ、一回家さ戻るがって話で…まぁ、しばらぐはわがんねぇども…」
「んだがぁ…しだら、おめぇも大変だなぁ…おう、なんがあっだら…すんぐ教えてけれ!なぁ…頼むでや…なぁ…」
「はい、しだら…品子ちゃんとお客さん…待っでるがら、俺、これで…」
軽く会釈をしたタエの長男、孝之はす~っと力なく行ってしまった。
昭三はその哀しげな後姿が見えなくなるまで、目で見送ったのだった。
「父さん!」
品子に呼ばれ、ハッと気持ちを切り替えた昭三はそちらの方に進んだ。
「父さん、どしだの?孝之ちゃん…顔色悪がったども…ああ、そんだ、それはそうと、ほれ、美晴…」
「おう、美晴がぁ?なんがまだでっがくなったんでねぇ…わはは…いやぁ、よぐ来だよぐ来だなぁ…」
昭三は自分よりもずっと背の高いひょろひょろっとした青年の頭を、爪先立ちになりながら必死に撫でた。
「ああ、ははは…おじいちゃん!久しぶり!…なんか、急にすみません…しばらく厄介にならせてもらいます…」
兄、ローリーに似た薄い茶色の巻き毛の青年は、昭三と品子それぞれにぺこりと頭を下げた。
「しだら、行ぐがぁ…それにしでも…ずんぶでっけぇ荷物だなぁ…おめ、大丈夫がぁ?こっがら結構歩くど…」
昭三はひょろひょろとした美晴が背負ってきた大きなリュックサックを見て、驚いてしまった。
「大丈夫!大丈夫!僕だって、こんぐらいなんでもないですって…家からずっと背負って来たんですから…あはははは。」
あっけらかんとした美晴の様子に、品子と昭三は安心したのだった。
昼ご飯をすっかり忘れてしまっていた品子と昭三は、ささやかな美晴の歓迎会も兼ねて夕食まではだいぶ早いが飯の支度に取り掛かった。
「あの…僕も手伝います…」
「あ~、いい、いい…こっぢは慣れてるがら大丈夫だんだぁ…そったらごとより、美晴は自分のこどやらねぇばさぁ…兄ちゃん達が使っでた部屋、わがるべ?しだら…あ、そんだ…これ…これだけ、持ってってけるがい?」
乾いた洗濯物を取り込んでいた品子は、美晴にシーツとタオルケット、それと枕に敷くタオルを渡した。
昭三と品子は昔から枕カバーではなく、フェイスタオルをカバーとして用いている。
それだと毎日取り替えるのも簡単で、清潔を保てるからなのだった。
「あどの布団は部屋さ全部あるがらぁ…それだけ頼むぅ!」
「は~い!わかりましたぁ!」
大きなリュックを背負ったまま、洗面所で手を洗ったばかりの美晴は品子から受け取ったシーツとタオルケットとタオルを両手で大事に持つと、そのまま階段を上った。
2階の父達が使っていた部屋は、子供の頃に家族で何度か泊まりに来たことがあったので、ちゃんと覚えていた。
カチャ。
ドアを開けるとそこはアイボリーの壁紙で覆われた明るい20畳ほどもある広い部屋。
2階はその部屋ともう一つ双子達が使っていたやはり大きな部屋、後はトイレと小さな洗面所があるだけ。
美晴はとりあえずシーツとタオルケットを窓際のテーブルに置き、窓を開け、リュックサックを床に下ろすと、ばーんと大きなベッドで仰向けになった。
「はぁ…」
ため息をひとつ漏らすと、美晴はゆっくり目を閉じた。
窓からふんわりと新緑の季節ならではの、ひんやりするでもなく、かといって暑い訳でもない常温の風が入り部屋の空気を流した。
自宅とは違う匂いの部屋は田舎にあるような和風の造りではなく、窓以外は完全な洋風の造り。
1階の部屋それぞれも、この田舎にはまるで似つかわしくないのだった。
それは昭三が故郷を離れて暮らすことになった妻、ジョリーンの為にせっせと改装したから。
少しでも寂しくないように。
不便な山奥のこの家で、少しでも快適に暮らせるように。
それがイタリアからわざわざジョリーンを連れて来てしまった昭三の、せめてもの償いでもあった。
ドア側にある大きな洋服ダンスと、頭側だけ壁にくっつけてあるが部屋のほぼ真ん中にある大きなベッドは、ローリーが真紀子と一緒にここで暮らすことになった時、ジョリーンの実家のイタリアから「お祝い」として贈られてきた立派なものだった。
窓の幅に合わせた丁度良い高さの長いベンチが設置され、そのベンチの下の観音開きの扉を開けると、収納スペースになっており、そこには季節外の衣類やら、すぐ使う訳ではない小物類、洋楽のCDなど様々なものが、それぞれきちんと分けて入れられている。
そのベンチの傍に丸いテーブルと椅子が2脚。
テーブルの上にはシンプルなデザインのテーブルランプが置いてある。
ベッドの足元に、オットマンが2つ。
ベッドの両脇にはそれぞれ小さなチェストとその上にはおしゃれなデスクライトと、目覚まし時計が乗っかっている。
窓側のベッドの横に大きな楕円型の鏡がついたドレッサーがあり、ベッドの反対側の本棚には美晴の父であるローリーが若かりし頃読んでいたらしい格闘系と不良系の漫画がずらり。
それだけはどうにもこの部屋とまるでそぐわないのだが、ローリーから「絶対、絶対、棄てないで!」と言われているので、昭三も品子もそっとしているのだった。
各部屋のドアの下につけている猫用の出入り口から、早速この家の猫のしーちゃんがにゃあにゃあ鳴きながら入って来た。
すぐにベッドで仰向けになっている美晴を見つけると、しーちゃんはすかさず腹の上に乗って腰を落ち着けた。
「…しーちゃん…久しぶりだねぇ…あはは…重たいなぁ…あはははは…」
うとうとしかけていた美晴は、仕方ない笑顔でしーちゃんをそっと撫でた。
「しーちゃん…なんか…あったけぇ…」
美晴の目からつーっと静かに涙の線が引かれると、その先にある両耳の中に入って溜まり気持ち悪い感覚になった。
だが、拭うこともせず、美晴はただただ腹の上で目を瞑るしーちゃんの背中を毛並みにそって撫で続けた。
ここまで来てしまったけれど、ここで自分はどうするつもりなのだろう。
自分は何がしたいんだろう。
答えがあるのかないのかすらわからない美晴の中で、禅問答が繰り返されているのだった。
「…はるぅ~…みはるぅ~!」
窓の外から誰かが呼ぶ声が聞こえる。
美晴は直前まで見ていた夢の余韻が残るも、内容は何故か思い出そうと思ってもなかなか思い出せなかった。
「みはるぅ~!おいでぇ~!」
声と一緒に部屋の中には風で舞い上がった煙も入って、とても煙たかった。
「ん?何、やってん…」
ぶつくさと呟きながら窓の傍まで来ると、下の庭で品子が自分を呼んでいた。
「今、行きまぁ~っす!」
窓から小さくピースサインを投げつけると、美晴は窓を閉めて下に降りて行った。
「あれ?どしたの?品子ちゃん?何が始まるの?」
美晴の声で首から提げたタオルで顔を拭いた品子は、笑顔で答えた。
「何って…これからバーベキューだよぉ~!あたしも父さんも昼食べてねぇがら、お腹空いちまっでぇ…あんたは?どっかで昼ご飯さ、食べて来だの?」
品子に尋ねられると、美晴は目だけ空を向いた。
「あれっ?僕…なんか食べた?…あれ?何か食べた気はするんだけど…何だっけ?忘れちゃった!あはははは…あ~、でも、なんかちょっと喉は渇いちゃったかなぁ…」
「そう?しだらぁ…冷蔵庫ん中に冷えた白ワインあるけんど?飲む?美晴、もう成人だもんね?大丈夫だもんね?」
「えっ!いいの?まだ、こんなに明るいけど…あ、僕、21だから大丈夫!飲めますよ!家でもパパとママとよく一緒に飲むから…柚鶴だけいっつも仲間はずれでちょっと可哀想なんだけど…」
「そっがぁ…あんれ?柚鶴は今いくつだったっけ?」
「あいつ、今高3で17?だったかな?来年受験だから…最近は家であんまりそういうの飲んだりできなくって…」
「そっがぁ…わがる!あだしは高校受験だけだけど…そんでも、やっぱり何となくいっつもぴりぴりしてたがもしんねぇ…丁度、反抗期も少しがあったがらさぁ…父さんのちょっとしたことで、もう、かーっと腹立っちゃって腹立っちゃってさぁ…」
「なんがぁ?おらの悪口さしゃんべってたんべぇ…」
台所から昭三が話に混ざってきた。
片手にイタリアから送ってもらっている冷えたワイン、片手には人数分のグラスを持って。
「あはははは…なんも、悪口なんで言ってないよねぇ。」
品子の問いかけに、美晴はただ笑って答えた。
「どら?品子…火加減はどんだぁ?炭さ、ちゃんど燃えでっがぁ?」
穴あきブロックを積み上げて作ったバーベキューコンロの中で、火がついた木炭がいい塩梅に赤く光っているのが見えた。
品子に変わって、火の晩を昭三が任された。
美晴は縁側に腰掛けて、祖父である昭三と会話を続けた。
品子は台所から次々と材料や採り皿、箸にタレなどを運ぶと、美晴の横に腰掛けて一緒にワインを飲んだ。
「もう、そろそろいんでねぇべがなぁ…」
昭三の合図で品子と美晴は早速網の上に野菜や肉などをどんどんと乗せて行った。
辺りに美味しそうな匂いが漂った。
それに釣られたかのように、春子としろとジェレミーがやってきた。
「あんれぇ、どうもぉ…何?今日バーベキューやんの?」
春子が声をかけると、わいわい喋りながら焼けた物をどんどんと食べていた一同がそちらを向いた。
「おう!春子さんでねぇの…あんれぇ、しろちゃんとジェレミーも…お揃いで…」
「あら、こんにちは…昭三さん、品子ちゃん…あれ?こん人は?」
「ああ、ローリーんどこの孫で…」
昭三がそこまで言いかけると、美晴が持っていた皿をガシャンと落とした。
「あんれ…美晴!大丈夫がぁ?怪我さ、してねぇ?」
品子の声にやっと我に返った美晴は、重々しく口を開いた。
「う…うちゅ…うちゅう…うちゅうじん!」
美晴の指差す先にいたのは、しろだった。
美晴以外の一同は一瞬止まってしまったが、その沈黙を破ったのは品子だった。
「や…やんだぁ…美晴、あんだ、何言ってんのさぁ…馬鹿だねぇ…こん子はしろちゃん…春先に春子おばちゃんが川でジェレミーしゃんと一緒に助けた、オランダ人だんだよぉ~!ねぇ!」
品子の問いかけに昭三も春子も笑顔で頷いた。
「おめ、何いぎなり…藪から棒に…そっだらこど…しろちゃんが宇宙人だど…あはは…笑ってまうってなぁ…春子さん、品子。なぁ、しろちゃん…」
昭三がしろに話を振ると、しろは首を左右に振った。
「えっ?しろちゃんはオランダでねぇがもしんねぇけんども外国人だんだよなぁ…」
再度昭三は尋ねたのだが、しろは同じく首を左右に振った。
そうかと思ったら、しろは美晴を指差した。
「えっ!ぼっ…僕?え~っと…えっ?何?どうすればいいの?」
祖父の昭三も品子も、そして春子もすっかりしろに慣れている様子を察すると、美晴はしろが何も危害を加えてこないと悟った。
なので、あえてしろにおっかなびっくり聞いてみた。
「あ、ねぇ…あっ…あのさっ…あなたさ…あなたね…あの…宇宙人だよねぇ?」
美晴の問いに、しろは春子と手を繋いだままこくんと頷いたのだった。
「ええええええええええ~~~~っ!宇宙人~~~~~っ!うそだべぇ~~~!」
品子と昭三、そして春子は見事にぴったり合わせて同じ台詞を叫んだ。
そこ声は山びことなって、どんどんこだましていったのだった。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
お話はまだ続きますので、引き続き宜しくお願いします。