第三話 黄金の国
テキサスの酒場で、エースは濡れた広告をグラスの下から引き抜いた。
JAPANにて、悪党退治の用心棒を募集。
腕に覚えのある者、求む。
報酬は、たんまり。
酒の染みを避けて持ち直す。
下の方には、渡航費と滞在中の食費を雇い主が負担すること、応募の窓口となる商館の名が、小さな字で記されていた。
「そいつなら、便所にも貼ってある」
酒場の主人が言った。
布で拭いたグラスを、棚へ戻す。
「よく読まれる場所だ」
「誰も持っていかん」
「一枚、頂こう」
エースは紙の端を揃えて畳み、額へ落ちた銀髪を払った。酒のついた指先は、先に布で拭いた。
「悪党退治か。お前が?」
「その顔やめろ」
「いや、向いてる。仲間の居場所を教えてやれば済む」
エースは畳んだ広告で、グラスの底を押し退けた。
それから、広告を白い上着の内側へしまう。
「あの男がまた来たら、海で溺れたと言っておいてくれ」
「どの野郎だ」
「金を払わないくせに、俺に怒っている男だ」
「多すぎて分からん」
エースは主人を見た。
主人も見返してきた。
主人は笑わなかった。
エースは勘定を置いた。長い脚を椅子の下から引き出したが、立ち上がりはしない。
主人が銀貨を数え、釣りを二枚、押し戻した。
エースは受け取らず、主人の手元を見た。
「足りない」
主人がもう一枚出してから、エースは席を立った。
*
商館で話を聞き、エースが酒場へ戻った頃には、裏手に洗濯物が並んでいた。
その一枚を横へ寄せると、ビリーがいる。
洗濯籠を腰に当てた女と、壁の間に立っている。
「君を見るたび、ここへ来てよかったと思うよ」
「昨日は、もうこの町にはいられないって」
「昨日の俺は、君に会う前だった」
「昼にも会ったわ」
「それで、まだいる」
女が笑い、ビリーも笑った。
頬に落ちた金髪を払うと、女の目がその指を追う。
エースは洗濯物から手を離して待った。
女が先に気づき、ビリーの肩越しに顎を上げた。
「迎えよ」
「借金取りなら、留守だと言って」
「仕事だ」
ビリーが振り返った。
開いたシャツの襟元も、革の銃帯を巻いた腰も細い。喧嘩を売られれば先に謝りそうな顔が、エースを見てほころぶ。
「エース。生きてたのか」
「会うたびに確かめるな」
「今度は、どこへ逃げる?」
「JAPAN」
ビリーは女へ向き直った。
「少し遠出することになりそうだ」
「そう。籠を持って」
籠を渡されたビリーは、それを抱えたままエースについてきた。
女に呼び止められ、戻って渡し、また来た。
「あれは、付き合ってるのか」
エースが洗濯物の向こうを指す。
「たぶんね」
「たぶん?」
「旦那がどう言うかだな。で、仕事って?」
エースは酒場の裏口を一度だけ見て、広告を開いた。
ビリーは上の二行を読み、口笛を吹いた。
「悪党退治……おい。俺たちの名前、もう教えた?」
「俺のは」
「本名?」
「それより、お前も来いと言われた」
「俺、何て名前になってる?」
エースが紙の裏を見せると、ビリーは声を出して笑った。
依頼主はJAPANの領主。港と蔵を持ち、商売の支払いを滞らせたことはない。渡航費は、すでに商館へ預けられていた。
エースは、紙の余白に書かせた額を指した。
「金はある」
「悪党の方は?」
「娘を攫う連中らしい」
ビリーの指が、広告の折り目をなぞった。
「何人だ」
「分からない」
「銃は」
「分からない」
「分かってるのは?」
「金はある」
ビリーは広告を返した。
「俺一人で行かせる気じゃないだろうな」
「俺も行く。ほかにも声を掛ける」
「なら、いい」
背後で、何かが倒れた。
「いつ出る?」
二人が振り返ると、キッドが足元の空桶を起こしていた。
砂色の帽子をかぶり直し、何もなかった顔で歩いてくる。つばの下から短い金髪が跳ねていた。
「お前は呼んでない」
ビリーが言った。
「聞こえた」
「聞こえたのと、呼ばれたのは違う」
「俺も行く。金ならあるぞ。いや、いまはねえけど、あそこに俺の銃の弾が——」
「売るな。あれ俺のだ」
ビリーが遮った。
「半分は俺のだろ!」
言い切ってから、キッドは二人の顔を見た。
「……JAPANって、どっち?」
ビリーはエースを見た。
エースは港へ向かう道を指した。
「船で行く」
「乗ったことある」
「川の渡しだろ」
「向こう岸まで行けた」
キッドは二人の間へ入り、広告を覗こうとする。
白いシャツの肩には、まだ余りがある。
首に巻いた赤い布と腰の拳銃だけは、一人前のつもりだった。
その拳銃が、歩くたびに腿を叩く。銃帯を引き上げたところを、ビリーに帽子ごと押し下げられた。
「留守番だ」
「誰の?」
「俺たちの」
「帰ってくるまで?」
「そうだ」
「いつ?」
ビリーの手が、帽子から離れた。
キッドはつばの下から青い目で二人を見上げる。鼻の上に薄いそばかすがあり、頬にはまだ子供の丸みが残っている。
十七になったばかりだ。
ビリーは、もう一度エースを見た。
エースは広告をしまった。
「出る日が決まったら知らせる」
「俺にも?」
「ビリーに」
「じゃあ、俺にも分かるな」
キッドは帽子のつばを上げた。
ビリーは何か言いかけて、やめた。
*
ハンクを見つけるには、厩へ回ればよかった。
馬房の隣に積まれた干し草の上で、大男が寝ている。樽を横にしたような胴に、はち切れそうなシャツ。投げ出した脚は太く、だぶついたズボンの裾から泥まみれのブーツが突き出している。
胸の上に帽子、丸太のような片腕に酒瓶。焦げ茶の髪は肩を越え、頬から胸元まで覆う髭には干し草が絡んでいる。
顔のどこまでが日焼けで、どこからが汚れなのか、エースには分からない。
戸口に立つだけで汗が滲んだが、ハンクは口を開けて寝ていた。
エースが近づくと、隣の馬が鼻を鳴らした。
ハンクは起きなかった。
「仕事だ」
片目が開いた。
「荷運びなら断る」
「用心棒だ」
「誰の」
「JAPANの金持ち」
ハンクは天井を見たまま、しばらく考えた。
「遠いか」
「船に乗る」
「馬は」
「置いていけ」
そこでようやく、ハンクは身を起こした。
隣の馬房を見てから、胸の帽子を取る。干し草が肩から落ちた。
「餌代がかかるな」
「商館で、預け先を聞いてくる」
「先に金を渡すなよ。餌を減らしやがる。あと、右の後ろ脚、持ち上げるとき蹴るからな。馬鹿に引き渡すなよ」
「馬屋で聞いてくる」
「あそこの痩せたのは駄目だ」
「どこも痩せてるよ。お前と並べりゃ」
ハンクは笑わず、エースの顔を確かめた。
「蹴ったら殴るんだよ、あいつ。預けんな」
「……分かった」
ハンクは酒瓶を振り、空だと知ると脇へ置いた。
「で、いくらもらえる」
「たんまりだ」
エースは、広告を出さなかった。
「JAPANにはGOLDが山のようにある」
ハンクの口が、髭の中でゆっくり開く。
「行くしかねぇなあ」
立ち上がると、エースの前が暗くなった。
ハンクは腰のベルトを締め直し、干し草に埋もれていた散弾銃を拾った。
「何を撃つ」
「向こうで聞く」
「そうか」
銃身から藁を一本抜いて、床へ落とした。
「飯は出るか」
「出る。食費は向こう持ちだ」
「前の親父も、最初はそう言った。あとで賃金から引きやがった」
「机を薪にされた男か」
「俺の飯代で買った机だ」
エースは今度こそ広告を開いた。
小さな字で書かれた一行を、爪の先で示す。
「ここに書いてある」
ハンクは屈んで読み、頷いた。
「酒は」
「そこまでは書いてない」
ハンクは初めて、眉を寄せた。
「そこは聞いとけよ」
エースは頷いた。
「ジェシーがどこにいるか、知らないか」
「西の町だ。先週、会った」
「まだいるか」
「宿の親父と揉めてた。出てるかもしれん」
「何をした」
「屋根から飛び降りた」
エースは、指で眉間を押した。
「怪我は」
「下にいた男が、腕を折った」
「そいつを踏んだのか」
「受け止めようとしたんだと」
ハンクは笑い、髭についた藁を払った。半分は残った。
「俺から伝えとく。港に来いって言えばいいな」
「船が決まったら、便りを寄越す。勝手に乗るな」
「分かってるよ」
ハンクは掌をズボンに擦りつけ、馬房から出ていた鼻面を一撫でした。
エースが厩を出ると、ハンクもついてきた。
「どこへ行く」
「酒場だ。前祝いだろうが」
「まだ金は入ってない」
「お前が持ってる」
大きな手が白い上着の肩に乗った。
エースはその手を払い、ついた藁を摘まみ取った。
「一杯だけだ」
ハンクは通りの向こうまで響く声で笑った。
*
二日後、ジェシーは宿の二階からハンクを見つけた。
「何しに来たの?」
窓枠に肘を乗せると、長い金髪が肩からこぼれる。西日に透けた毛先が、腰の辺りで揺れている。
柔らかな頬と口元だけ見れば、日曜の礼拝で隣に座ってほしいような美人だった。
下を通りかかった男が帽子を取り、足を止めた。
「エースから仕事だ」
「来るなら酒持ってきてよ! ここの、鼻に抜けるのよ。何なの、あれ」
背後の部屋で、宿の主人が何か言った。
ジェシーは肘で窓をもう少し押し開けた。
「聞こえなーい。ハンク、どこ行くって?」
「JAPAN」
ジェシーは部屋の中へ引っ込んだ。
すぐに白い帽子をかぶって戻り、窓枠へブーツを掛ける。短い革の上着が持ち上がり、銃帯で締めた腰が見えた。
「階段を使え」
ハンクが言った。
「下にいるじゃない」
「受け止めねぇぞ」
ジェシーは目を細め、優しく笑った。
「そこ。そこの帽子の人も! そう、あんた。受け止めなくていいから」
男が何か言いかけた。
「ああもう、どいて!」
ハンクが一歩退いた。
帽子を取っていた男も、つられて退いた。
白い帽子が窓から消える。
ブーツが庇を踏み、乾いた板が折れた。
その下で札を配っていた男たちが、椅子を蹴って立つ。ジェシーは卓へ片手をつき、身体をひねって着地した。酒瓶が倒れ、札と銀貨が通りへ散る。
「ごめんなさい。思ったより古かったわ」
男の一人が、袖口を押さえた。
間に合わなかった。余分な札が二枚、靴の上へ落ちた。
ジェシーはそれを見て、男を見た。
「あなたも謝った方がよさそうね」
ハンクは、まだ二階の窓を見上げていた。
「階段なら、あっただろうが」




