93 封印の洞窟《Side.黒魔女天使》
「銀狼はいるか」
乱暴に開けられた扉の前には、銀の鎧で身を固めたロベルトが立っていた。シルヴァと目が合うと、直ちに扉を閉め明瞭な声で指示を出した。
「灯りを消せ!全ての窓に暗幕を張れ!割れた窓には板を張り補強しろ!灯りを外に漏らすとミズチが襲ってくるぞ!」
それを聞いた三人は、事前に話し合っていたかの如く素早く対応した。
ガッキーラは蝋燭の火を消し、シルヴァは暗幕を閉めてまわり、アルベルトは長椅子を窓枠に合うサイズに手刀で斬り、壊れた窓を補強した。
「銀狼、封印を解くのは後だ!この街にのみ、ミズチが大量発生した!そちらの対処を行う!」
「ミズチ?水の蛇の事ですね。何故、街の中にだけに突然現れたのですか!?」
「恐らく封印が弱まったのか、若しくは他の何者かの力によるものだろう。前者の方が濃厚だな。街の外はワイバーンにより確認済みだ」
「それならば封印を解き、呪われし蛇を仕留めれば収まるのでは?」
「我々は街の人々を守らねばならん。私のドラゴンや他の騎士団長及び、街の兵士や冒険者たちが街に散らばり対応中である。しかし数が多過ぎる。こちらの数には限界がある。封印を解くために、人を割く分けにはいかん」
「でしたら私たち二人で向かいます!」
「ならん!二人で行かせれば必ず逃げる!逃げると分かっておきながら、みすみす行かせるものか!」
「私たちは逃げません!封印を解き、呪われし蛇を仕留めます!そして必ず戻ってきます!」
「ダメだ!貴様ら亜人の戯言に耳を貸すとでも思ったか!ミズチの処理に向かうぞ!着いて来い!」
「行きません!私を信じて下さい!証拠が必要なら命よりも大切な、英霊の牙を預けます!」
「……」
「ワイアットこれを君に預けるよ。モンスターが近寄らないお守りだからね。僕が戻るまでガッキーラさんと教会を守ってね」
「うん。わかった!」
「今から僕とアルベルトの二人で、西の祠に向かいます!」
射抜くように、ロバートを見るシルヴァの赤い瞳の輝きは、美しく強い意志が感じ取れた。
「……良かろう。ここから門までは一直線だ。私が道を作ろう」
ロベルトは、扉を開き外へ出ると、両手を広げて詠唱を始めた。
「赤き炎よ、我に集いて火球となれ」
短い詠唱の後、ロベルトの両手に炎が現れ暗闇を照らし始めた。同時に水溜りが膨らむ。
「必ず戻ります。行こう!アルベルト!」
「はいシルヴァ様。門まで駆け抜けましょうぞ」
「準備は良いか?門の外まで立ち止まるなよ!ファイアーボール」
ロバートの両手の炎から、次々と火球が飛び出し、教会前の広場を通過すると、水溜りからミズチが顔を出し、火球目掛けて飛び掛かった。
「行け!」
その言葉と共に二人は、ミズチ溢れる街へと駆け出した。
「裏の世界では、詠唱をせねば魔法も使えないと馬鹿にしていましたが、彼の魔法はとんでもないですな。ファイアーボールを、ここまで複数打てるとは」
アルベルトは、ロベルトの人外の能力に眉をひそめた。ロベルトが放つ複数のファイアーボールが、二人の両サイドを並走しミズチを引き付けている。
まるで門までの道標のように。
ロベルトの力を借り、難なく門を抜けた二人は迷う事なく封印の祠へ向かっていた。
「この先どんどん匂いが濃くなってる!」
「強烈な悪臭ですな!」
シルバーウルフ族の嗅覚は、異常に発達しており、離れた場所の匂いは勿論、魔力までも識別する事が出来る。
二人は止まる事なく走り続け、ついに悪臭の根源が目の前に現れた。
「ここで間違いなさそうだね」
「悪臭と同時に、禍々しいオーラが噴き出ております」
低い山の表面には、ゴツゴツとした岩肌が見えている。丁度二人の目の前には、岩にめり込む巨大な青黒い何かの塊があった。
「この匂いは……魔石。シルヴァ様、このドラゴンの魔石が原因でしょう」
「ドラゴンの魔石を使って封印する程の者が、この中にはいるんだね。この辺りにモンスターが全くいないのは、きっとこいつのせいだ」
シルヴァは立ち昇る禍々しいオーラを見上げた。しかし逆に、アルベルトは足元に視線を落とした。
「ここを見てください」
不思議なことに、シルヴァたちの目の前の地面は、手前は豪雨により水が溜まっていたが、ある場所を境に雨が降っていなかった。
青黒い魔石を中心として半円状に、見えない何かがあるようだった。
「この封印は私が解きます。この奥の者は私では敵いません」
「でも!」
「ロベルト殿がいない今、シルヴァ様をおいて勝てる見込みのある者はおりません。貴女は強い!心を強く持ってください。獣化」
アルベルトは境界線まで進むと、両腕を広げ二足歩行の狼に変化した。
「グォォォォォォ!!赤の王よ!!私の血を贄として、その怒れる力、迎え入れん!」
「ダメ!まだ満月じゃない!やめてアルベルト!」
その声はアルベルトには届かなかった。
両手に生えるナイフのように鋭利な爪を自分の胸に突き刺すと、両サイドへと切り裂いた。
「狂化!バーサーカー!」
胸から大量の血が噴き出すと共に、茶色だった全身を覆う体毛が美しい銀色へと変化した。
「グルルルアァァァァァ!!!」
両の目は真っ赤に発光し、涎を撒き散らす様はまさに、理性を無くした怒れる狂戦士であった。
狂戦士となったアルベルトは、両腕を広げたまま突進した。
しかし何も無いはずの空間に当たると、電流でも流れているのか、激しい音と体を焦す煙が昇り始めた。
「グルアァァァァァ!!!」
「アルベルト!!」
それでもアルベルトは足を止めなかった。見えない何かを押し込むように一歩また一歩と前へ進む。
足は地面にめり込み跡をつける。乾いていた大地はアルベルトが進むと雨が当たり、足跡に水が流れ込み、水溜りとなる。
自分で切り裂いた胸の傷からの血は止まった。それは傷口の上から火傷を負ったため。しかし火傷により上半身の前面及び、顔の左半分も焼けただれ、左目に至っては失っていた。
前へと突き進むアルベルトは、魔石がめり込んだ岩肌が目と鼻の先まで来た所で、左右の腕で抱きついた。
「ガァァァァァァァァァァ!!!」
抱きついた岩肌に腕をめり込ませ、そのまま鯖折りのように力を込めると、岩肌が粉々に砕け散った。
前方に反発する力が何も無くなった勢いで、アルベルトは洞窟の奥へと転がるように消えていった。
そして封印の影響で、濡れていなかった範囲全てに雨が当たり色を変えていく。
「アルベルト!」
シルヴァはアルベルトを追って、洞窟の中へ駆け込んだ。
「しっかりして!アルベルト!」
暗がりの中でも、シルヴァの瞳はアルベルトをハッキリと捉えている。そして、その奥から立ち込める禍々しい匂いもまた。
アルベルトは狂化が解けていた。見えない何かに押し付けた片目は潰れ、もう片方の目はシルヴァを捉えているのかは分からなかった。微かに息をしてはいるが、危険な状態であるのは一目瞭然。
残りのポーションを振り撒くが、火傷の跡はおろか、切り傷さえ一向に塞がらなかった。
「……蛇を……」
その言葉を最後にアルベルトは目を閉じた。
「どうしてこんなめに!ごめんねアルベルト。ここで待ってて。獣化」
シルヴァは二足歩行の銀の狼に変化し、何の躊躇もなく奥の階段を駆け降り、巨大な地底湖に出た。
そこには、美しいコバルトブルーの湖が広がっていた。しかしそれは、中央から左半分で、残りの半分は黒い絵の具でもこぼしたかのように漆黒に染まっている。
中央には右半分が壊れた祠があり、示し合わせたように、祠を軸に壊れている方の水が黒く変色していた。
漆黒の湖からは、禍々しい怒気の圧力を感じる。
「立ってるだけで吹き飛ばされそう」
視界が歪み大気が震えるような錯覚を覚える。
水底からグングン近付く脅威と比例して、漆黒の水面側が大きく膨れ上がった。
「何か来る!お父様ごめんなさい」
爆音と共に津波が押し寄せてきた。
シルヴァは覚悟した。
それは死ぬ覚悟ではなく、父との約束を破る事。そして、これから自分の身に起こる事への覚悟である。
「狂化!ベルセルク」
シルヴァは、アルベルトと同じく狂戦士へと変化した。しかし彼との違いは、血の犠牲は必要としない。心の中の、荒ぶる王たちに呼び掛ける事で、それを可能にする。
更に理性は失っておらず、射るような赤眼は湖を捉えている。
変化した場所は一箇所。白目が黒く、悪魔のような瞳に変わった。
それが何を意味するのかシルヴァは知っている。
そして、ステータスはアルベルトのそれよりも大きく膨れ上がっている。
津波の中、無傷で立ち続けるシルヴァの姿がそれを物語っていた。
正確には、津波がシルヴァの目前で二つに割れて後ろに流れていく。まるでモーゼの十戒のように。
バーサーカーと比べ、ベルセルクとはそれほど圧倒的にパワーアップするのだ。
「ははは。勝てる気がしない……」
それでも力の差は歴然。
獲物を狙うワニのように、湖から顔の上半分を出したドス黒い蛇が、朧げに光る赤い瞳でシルヴァを見ていた。