87 シルヴァの覚悟《Side.黒魔女天使》
裏の世界へ来る代償として、銀色の輝きを失った。
ヴァンパイア族と並ぶ、強大な力を持っていたシルバーウルフ族は、無意味な争いを避ける為、自らの力を失う事を選んだ。しかしその代償はあまりにも大きかった。
ヴォルフは今、窮地に立たされていた。
ホムンクルス、そしてワイバーン。銀色の輝きさえあれば目を閉じていても倒せる相手。
しかし今は、自分の非力さを恨むことしか出来ず、諦める事しか出来ない事に怒りを覚えたが、それさえも目の前の敵には届かない。
一族の長として、これ以上導く事さえ、守る事さえ許されない。
音が鳴る程牙を喰い縛り、消えない戦意を目を閉じる事で無理矢理殺そうとした。
(ヒメ様!!)
「そこまでだ!」
死を覚悟したその時、冷たく刺すような男の声が響いた。
ワイバーンは息を吸い込むのを止めて、声の主を睨んだ。
ヴォルフは、炎に焼かれない事に様々な感情が入り混じり、断腸の思いで覚悟を決め、閉じた瞼を、再び開いた。
「争うつもりはない」
脳を直接刺激する感覚に恐怖を覚え、声の主を探すと、空でホバリングをする一頭のワイバーンがいた。
そのワイバーンの背に、銀色の鎧に身を固めた体格の良い男がいた。その後ろには、身を隠したはずのシルヴァの姿があった。
「シルヴァ!そこで何をしている!」
「僕は……お父様に言われた通り、四体のワイバーンを追いました」
「何だと?」
ワイバーンはホバリングを止めて、ゆっくりと着地した。二人は背から降りるとヴォルフの前まで歩いた。
「其方がこの村の領主殿か?私は、我が王の命を受けギャリバング王国から参った、騎士団長のロベルトと申す者。突然の空からの訪問、誠に申し訳ない。時間が無かったとは言え、このようなことになったのは私の不注意。大勢の怪我人を出してしまった事、重ねてお詫び申し上げる」
ロベルトと名乗った鋭い三白眼の男は、悪びれる様子もなく、その目は片時もヴォルフから離さず、心にも無い言葉を淡々と紡いだ。
「人間の王が……どういう事だ!?」
「今、我が王国は、未曾有の大災害の真っ只中にある事は既にご存知かと。一年中、一度として雨が止まぬ。それにより食物はおろか、家屋にさえ被害が出る始末。そして昨日、遂に雨が人に牙を向け始めた。その被害は甚大であり、このまま何の策も講じなければ、間もなく我が王国は滅ぶだろう」
その時、教会の扉が開き中からアルベルトが出て来た。
「指示を聞かず、勝手に出て来た事お許し下さい。しかしヴォルフ様、この話、聞いてはなりません」
「そうはゆかぬ。話は聞いて頂く」
ロベルトが右手を上げると、二頭のワイバーンが頭を下げ低く唸り声を上げた。
「アルベルト」
ヴォルフはアルベルトを見て、静かに首を振った。
「しかし……」
アルベルトは、ロベルトの隣でうつ向くシルヴァを見た。
「承知しました」
それを見たロベルトは、淡々と話し始めた。
「我々は、ついに雨が降る原因を突き止めた。それは王都より北を流れる、オールメール川よりも更に北の街、レガリストアント。
そこから西にある祠に封印された、呪われし蛇の影響であった」
ヴォルフはロベルトから視線を外し、シルヴァを見た後、再びロベルトに視線を戻した。
「我々は直ちにそれを退治すべく祠に出向いたのだが、禁忌による封印が施されており、退治どころか、祠のある洞窟に足を踏み入れる事すら出来なかった。
その地に蛇を封印したのは、おそらく亜人の王。我ら人間を脅威と感じてのもの。しかし亜人の術であれば、亜人の血で封印は解ける」
そこまで聞いたヴォルフの脳裏に一抹の不安がよぎり、口を開かずにはいられなかった。
「亜人の王が、術を掛けた証拠などないのであろう?」
「無論証拠はないが、我々が衰退して喜ぶ者は亜人の王の他におらぬ。しかし納得の行く証拠をかき集め、それを提示する猶予など皆無。我々に残された時間はゼロに等しい。封印が解ける可能性が少しでもあれば、それを全て試すのみ」
ヴォルフの不安が確信へと変わった。
「この村の者はシルバーウルフの生き残りと聞く。伝説の銀狼の血であれば、例え亜人の術でなかろうとも、蛇の封印は消えるであろう」
ロベルトはそこで話を切り、周囲に倒れるシルバーウルフを見渡し、シルヴァへと視線を向けた。
「そこで彼女の力をお借りしたい。見た所、銀狼の血を濃く受け継ぐ者は彼女を置いておらぬであろう。そして先程の闘いで、その強靭さも既に確認済みだ。私が連れて来たワイバーンは五体。その内三体を一人で再起不能にしたのだからな」
「シルヴァ様!」
アルベルトは、うつ向くシルヴァに声を掛けた。シルヴァはアルベルトを一瞥して静かに口を開いた。
「教会の門を開けた時、屋敷へ向かう四頭のワイバーンが目に入りました。お父様に言われた通りその四頭を追いました」
「流石は銀狼。油断していたとは言え、屋敷へ向かう飛行中のワイバーンを襲うとは思わなかったがな。私が異変に気付き振り向いた時には、私が乗るこいつに飛び移るところだった。他のワイバーンは既に始末されていた。しかし彼女が賢くて良かった。私の話を理解して、封印を解いてくれると言ってくれた」
「なりません!なりませんぞシルヴァ様!人間なんぞについて行けば、命はありません!」
「アルベルト!!……アルベルトありがとう。僕は大丈夫。村には手を出さないと……約束してくれました」
「そのような約束など、守るような者たちではありませんぞ!!」
「約束は守る。私はこれ以上この村には手を掛けない。竜騎士の矜持に賭けて誓おう」
「それは貴公の……」
そこまで言うとヴォルフは言葉を飲み込んだ。
(それは貴公の言葉であり、人間の王のものでは無いのだろう)
ロベルトは無表情で淡々と続けた。
「筋は通した。話は以上。それでは失礼する」
「待ってくれ!くっ!」
(しかし何故だ、逆らえん。全てを見透かすような目と、耳元で囁かれているような底冷えする声。亜竜を手駒にするスキルによるものだろうが、この男、底が見えん)
抗う事など許されないであろう目の前の脅威に対し、愛する我が子の為に、震える体の底から言葉を絞り出した。
「少しシルヴァと話しをさせてくれ」
「……承知した」
シルヴァはヴォルフに駆け寄ると抱きついた。
「シルヴァ済まない!」
「お父様!」
そして二人は耳元で、二人にしか聞こえない声で話を始めた。
「表の世界に逃げなさい。これ以上我らの為に苦しむ必要は無い」
「そんな事、出来ません。僕が逃げると皆んな殺されます」
「どちらにしても殺されるだろう」
「そんな事はさせません」
「表の世界に行き、我らのヒメを救うのだ!」
「嫌です!僕はまだ、忠誠など誓ってはいない!」
「シルヴァ!頼む聞いてくれ」
「嫌だ!」
「くっ!こんな時に……せめて月が青ければ」
「必ず戻ります!」
「……分かった。こうなったら聞かないのは誰に似たのか……私はシルヴァを信じよう。これを持って行きなさい」
「これは……ありがとうお父様。この村で待っていて下さい」
シルヴァはヴォルフからゆっくり離れると、ロベルトへと歩き始めた。
「シルヴァ様待って下さい!ロベルト殿お願いがあります。私もシルヴァ様の執事として同行させて頂きたい!無礼は百も承知!しかしこの老骨、枯れてもシルバーウルフ族。封印を解くに当たり、何か役に立つ事もありましょう」
「……良かろう。だが、くれぐれも変な気は起こさぬよう」
ロベルトは踵を返し、ワイバーンに向かった。
「肝に銘じます」
そしてロベルトの背中に頭を下げた後、ヴォルフを力強く見つめ頷いた。
「アルベルト頼んだぞ」
ヴォルフは、力無く両目を閉じた。
〜〜〜
ヴォルフはそこまで話すと、残された目を開けた。
「シルヴァは我らの為に行ったのだ。力を捨てた私には、シルヴァを止める事が出来なかった」
「そんな事って……」
ヒメは事の重大さを理解した。
「叔父様!シルヴァは死ぬつもりじゃない!?どうして止めなかったの!シルヴァは、死の宣告を受けたようなもんだろ!」
「私に力があれば……」
ヴォルフは、失った左腕の服を右手で握りしめた。
「ヴォルフさん。私に任せて!私に呪いは効かないから」
「ヒメ様ありがとうございます。ヒメ様ならば、必ずそう言って頂けると思っておりました」
ヴォルフはヒメに頭を下げた。
「善は急げ!今から出発……」
しかしヴォルフは、頭を上げるとヒメの言葉を遮った。
「ありがとうございます!しかし無理なのです。シルヴァは昨日の昼、出発しております。ワイバーンの速度だと半日もせずに到着するはず。しかしここからレガリストアントの街まではバイコーンで2日。しかもバイコーンは水に弱いので、雨が降る地には向かえません。途中から歩くとしても10日はかかります。間に合いません。物理的に無理なのです」
「嘘……」
ヒメは、ヴァニラとフランを交互に見たが、皆、凍り付いた様に動かなかった。