変わらない街
「最後の被害者………ベーゼだったらしいぜ」
隣のテーブルから聞こえてきた言葉は……鋭利なナイフとなり、俺達の胸に突き刺さった。
「まじかよ」
「……確かな情報だぜ」
………なんだよ。最後の被害者がベーゼだったら、お前たちに関係あるのかよ。
「そうか、ベーゼだったのか。そいつは…………良かったな」
………は?良かっ……た?
男性の会話が信じられず、自分の耳がおかしくなってしまったのではないかと疑う。
「あぁ、まだマシだったな」
良かった?マシ?こいつらは一体何を言っているんだ。
被害者がベーゼだからどうしたと言うんだ。たった一つの命が失われたことに変わりはないのに。
「むしろさ、ベーゼが死んだ分、この街もキレイになったんじゃねーの?」
「ガハハ!そいつは言えてるぜ!」
何も……変わらないというのか、ニーナが死んだっていうのに、まだ。
わからないと言うのか、ベーゼだって……幸せを望みながら普通に生きているということが。
多くの人はベーゼを人間だと思っていないと言う。だが……誰かの死を悲しめないこいつらは……人間なのか?
人間じゃないのは一体……
「本当に良かったぜ。これで最後の被害者まで罪のない女の子だったら、目も当てられねぇ」
「だな」
二人組の男性は、豪快に酒を煽った。
罪もない女の子だったら?………ニーナに何か罪があったのかよ。
変わらないんだ、この街は。無垢な少女の死さえ悲しめない。その……少女が、ベーゼだったという理由だけで。
もう……我慢の限界だった。拳を握り、砕けてしまいそうな程に奥歯を噛みしめる。
一発、ぶん殴らなきゃ気がすまない。
………そう思い、僅かに腰を浮かせた時。
「………っ!」
微かに震えるシノの姿が見えた。
耐えているのだ。テーブルの下………膝の上で拳を握り。
友への侮辱を、世界の理不尽を。シノが堪えているのなら……俺は……
「…………」
落ち着くために短く息を吐いてから、再び椅子に腰掛ける。
ここで俺が怒りに任せ、奴らを殴ってどうなる?
それではあの時と、ニーナの父親に怒鳴った時と同じではないか。それではシノを怯えさせるだけだ。
せっかく、男性恐怖症であるシノが、俺にだけは恐怖をおぼえないでいてくれるのに。
治る予兆があるというのに。
だから……我慢するんだ。耐えろ、耐えろ耐えろ耐えろ。
「いっそのことさ、世界中のベーゼをぶっ殺してほしいよな」
「そりゃあ言えてるわ」
二人組の男性の笑い声が店内に響き渡る。
俺達の気持ちなんてよそに、くそったれな会話は続けられる。
「…………」
俺は、震えるシノの手を握りしめた。
シノは一瞬驚いた顔でこちらを見たが、すぐに受け入れてくれる。………手の震えも、治まっていた。
耐えられる。一人では無理でも……二人なら。
『ガハハハハ!』…………隣から聞こえてくる笑い声は消えない。
憎きベーゼがこの街からいなくなったのが、そんなに嬉しいのか。自分たちがニーナに何かされたわけではないのに。
この不快な笑い声が、早く止まれと心から願う。
止まれ……止まれ……。心の中で呟きながら、シノの柔らかな手から力を貰う。
…………ガタッ
不意に、左側からそんな音が聞こえた。
俺とシノは音がした方をみる。すると、飲みかけの水が入ったグラスを持ち、立ち上がるアイルの姿。
その顔は……陰りが出来ていてよく見えなかった。
「アイ……ル?」
彼女の名前を小声で呼ぶ。だが……反応は無い。
一体、どうしたというのだろうか。唐突に立ち上がったアイルを、シノも不思議そうな顔で見ていた。
「…………」
アイルは無言のまま、下品な笑いをやめない二人組の前まで移動する。
「ガハハ!…………ん、どうした嬢ちゃん、俺らと一緒に飲みたいのかい?」
アイルの接近に気がついたスキンヘッドの男が、いやらしい視線を送る。
「可愛い顔してるじゃねーか」
髭面の男も同じだ。アイルの全身をなめ回すように見る。
「……………」
そんな二人の様子を完全に無視し、アイルは………
持っていたグラスの中身を、スキンヘッドの男にぶちまけた。
「…………おいガキ、何してんだよ」
男は低い声で凄み、それを見ていた他の客は息を呑む。明らかに……店の雰囲気が変わった。様々なテーブルから聞こえていた話し声が、今は聞こえない。
「あはは!水も滴るいい男じゃねーか!」
腹を抱えて笑う髭面の男。
「笑い事じゃねーだろが!」
スキンヘッドの男は完全に切れている。
「いいじゃねーか、いきのいいガキは嫌いじゃ……」
そう言いかけた髭面の男の顔にも……勢い良く水がかけられた。
アイルが俺のグラスを奪い、同じようにぶちまけたのだ。
「………ちょっと勉強が必要かもなぁ」
髭面の男が、濡れた髪をかきあげながら立ち上がる。
そして………
「ふんっ!」
アイルに向かって渾身の右ストレートを放つ。
拳の高さは、ちょうどアイルの顔。女の顔を、躊躇いなく殴ろうと言うのだ。
アイルと髭面を見ていた店員が悲鳴を上げる。アイルの顔に拳が命中し、血を流しながら倒れるとでも思ったのだろうか。だが………
アイルはその拳をいとも容易く、右手で受け止めてみせる。力むことも、呼吸を整えるこそすらせずに、ただ………『当たり前』に。
遅い……遅すぎる。あんな遅い攻撃が、あんな無駄の多い動きが、アイルに当たるわけが無い。
「………………」
アイルが髭面の拳を握った手に力を込める。すると、ミシミシと嫌な音が聞こえてきた。………やりすぎだ。
「うっ……ぐぁ!離せっ!」
髭面は痛みに悲鳴を上げる。
「おい、どうしちゃったんだよ!」
いつもと様子の違うアイルに声をかける………。が、彼女は反応を見せてはくれない。
「この……このッ!」
アイルから逃れそうと、髭面は自らの腕を引っ張る。
すると、アイルはその力に合わせるように……不意に握っていた拳を離す。
「うおっ!?」
ガッシャーン!!!
急に手を離された髭面は、後ろに大きくよろけ……そのままテーブルにぶつかり、上に乗っていた食器が散乱する。
「…………何が」
尻もちをついた髭面を見下ろしながら、アイルが低い声を出した。まるで……地を這う虫を見下すような視線。
「何が『良かった』んですか………?」
あぁ、そうか。どうしちまったんだよじゃない。
「何が『マシ』なんですか………?」
アイルは………超怒っている。
「人が………殺されたっていうのに!!!」
アイルが二人組に向かって怒鳴る。冷静な彼女には珍しい。ただ単純な怒り。
だが、それも仕方のない事だ。
俺やシノだって、内心腸が煮えくり返っている。だが、耐えた。
「あなた達みたいな人がいるから………だからニーナちゃんは………!」
ここであいつらに怒りをぶつけてもどうにもならない事は、アイルにだって分かっているはずだ。事実、ニーナの父親と話したときも、アイルは怒りを堪え、冷静でいた。
なのに今回はなぜ?………わからない。
アイルがブチ切れた理由なんてどうだっていい。とにかく今は、アイルを落ち着かせ、怒りを抑えて貰わなければ行けない。
「あなた達みたいな人が……あなた達みたいな人がぁぁぁぁぁぁ!」
「おい、ちょっと待て!」
「落ち着け!」
今にも殴りかかってしまいそうな勢いのアイルを、俺とシノで抑える。俺が右腕、シノが左腕。
第四勇者は……『やれやれ』といった様子でこちらを見ていた。バカ、手伝え。
「離してください!」
「離したら殴るだろうが!」
なんて……力だ。当然アイルはまだ本気ではない。その程度の理性は残っている。
だが……それにしても、シノと二人がかりで抑えるのがやっと。
兎にも角にも、早くアイルを落ち着かせないとやばい。本格的な殴り合いになったら、大怪我をおってしまう。…………あちらのほうが。
「一旦落ち着けって!」
「落ち着く……?この人達は、ニーナちゃんの死を愚弄したんですよ!?彼女の想いも……彼女の願いも知らないでっ!」
「わかってる!わかってるけどさ、今は……!」
髭面がアイルに殴りかかってから、すでに何人かの客が店を出ていた。その何人かが、もしも騎士に連絡すれば………。
だが、アイルは俺の静止も聞かず、ジタバタと動き続ける。正直言って、抑えるのも限界がある。
「お前らしくないぞ、バカ!」
シノも頑張ってくれてはいるのだが……力の差がすんごい。ほとんど振り回されている。
まずい。第四勇者が居るとはいえ、俺達は所詮お尋ね者。この騒ぎはまずい。
「嫌っ!離してっ!」
……アイルはもう駄目だ。冷静さを欠いている。
ならば。
「おい、あんた達!」
髭面とスキンヘッドを交互に見る。
「さっきの見たろ!こいつはゴリラオブゴリラだ!怪我したくなかったらとっとと逃げろ!」
本来であれば会話もしたくない。だが……今はやむを得ない。この騒ぎを収めるのが最優先。
だけど……
「逃げるだぁ?ガキになめられたままでいられるかよっ!」
髭面は懐に手を入れ、何かを取り出す。
それは……ナイフだった。
「お前もバカかよ……」
アイルを押さえながら、小声で呟く。
そんなものでアイルに勝てるとは思えないが……こんな喧嘩程度で刃物を出すなんて、アホすぎる。
「きゃぁぁぁぁ!」
ナイフを見た店員が叫んだ。
やばい。刃物まで出てきたら、ただの喧嘩では済まされない。確実に騎士団……良くてもギルドが呼ばれる。
「おい第四勇者!いつまで優雅に水飲んでんだ!お前も手伝え!」
席から立つこともなく、エレガントを決め込んでいた第四勇者を睨みつける。
すると彼は……
「手を貸す?この僕が?」
わざとらしく、大きな声を出し始めた。髭面たちにも聞こえるように。
ほんと、いい性格してやがる
「勇者であるこの僕に、あんな下郎の相手をしろと言うのかい?」
勇者。その言葉を聞いた瞬間、店内に衝撃が走る。
「そうだよ!手伝えって言ってんだ!」
「ふぅ……、仕方ないな。君の頼みなら聞いてあげようか」
第四勇者はゆっくりと、あくまでエレガントに席を立った。
「勇者だと………?ふんっ、ハッタリだ!!」
髭面の男が、持っているナイフを第四勇者に向ける。
「……無知は罪ではない。知を与えないのが罪なんだ。だから──この僕が与えよう。勇者の実力を持ってね」
第四勇者は腰にある剣を握り………
「ふっ……」
一度だけ短く息を吐き……その身に宿る莫大な魔力を、髭面の男に向かって噴出させた。
それは、何かしらの攻撃ではない。ただ単純な『威嚇』。
そしてその『威嚇』の効果は絶大だった。
「なっ………っ!」
髭面の男は情けない声を上げ、尻もちをついた。
魔力が視えるとか視えないとか、感じれるかどうかなんて関係ない。あれだけの魔力が、個人に向けられたとすれば………魔力に対して鈍感なやつであろうと、それを『殺意』という形で受け取ることが出来る。
「どうした。そのナイフで僕の命を刈り取るんじゃないのかい?」
第四勇者が不敵に微笑む。その笑みを向けられた髭はまさに、蛇に睨まれたカエルだ。
「ひぇ……」
髭面は持っていたナイフを落とす。彼にとって、アイルですら敵わない相手だ。それが第四勇者ともなれば……
「おい、逃げるぞ!あいつ本物の勇者だぜ!」
スキンヘッドの男が髭面を抱き起こす。スキンヘッドは第四勇者の制服を見ていた。俺が知らないだけど、騎士団の制服には、隊長にだけ特別な目印があったりするのかもしれない。
「あぁ……」
髭面の男は立ち上がると、おぼつかない足取りで店を出てしまう。………当然、第四勇者はおわない。
アイルはその後ろ姿を睨みつけ、シノは『ベー』っと舌を出していた。
「お騒がせしました」
第四勇者はあたりを見回すと、一礼し……
「破損した器物、今いるお客様の食事代は全て僕が支払います」
店員と何やら会話を始める。
「落ち着いたか?」
「………………はい」
アイルは頷いた。その四肢には、すでに力が入っていない。
一度だけシノと目を合わせてから、彼女の両腕を開放する。
「どうしたんだよ、アイルにしてはめずらし……」
「少し、外の空気を吸ってきます」
俺が言い終わる前に、アイルは出ていってしまう。
その背中には『一人にさせてくれ』と、そう書いてあるような気がした。
「…………」
なぜアイルはあんなにも激怒したのだろうか。怒るのが当たり前だったとはいえ、こんな人目のある場所で…………彼女らしく無い。
彼女はいつも落ち着いていて、強くて、俺なんかよりよっぽど我慢強い。
なのに今回はなぜ我慢できなかったのか、なにか理由があるような気がする。
彼女の後を追い、その理由を聞きたい。そして叶うのなら、彼女の力になりたい。だが……
『少し、外の空気を吸ってきます』
最後に聞こえたアイルの声が、追い掛けるのを躊躇わせる。
……などと、しばらく物思いにふけっていると……
「シノ?」
シノが、少しムッとした表情でこちらを睨み上げていた。
「バカサクラ。バカのくせに考えるな」
そう言ってシノは、俺の背中を押した。
「アイルと話したいんだろ?なら迷っちゃ駄目だ」
「………わかった。行ってくる」
やっぱりシノは、とてもキレイだ。
真っ直ぐで、折れなくて。自分の正義を持っている。
この子がいたから、俺は怒りを抑えることが出来たんだ。
「第四勇者、俺もう帰ってこないから、シノを宿まで送っといてくれ」
「行ってらっしゃい」
ニッコリと笑い、手を振る第四勇者とは裏腹に、シノは『げっ……』とあからさまにいやそうな顔をする。
………まあ、良いでしょう。第四勇者の隣は、俺の隣なんかよりよっぽど安全だ。
「じゃ、あとで」
「ん」
シノに向かって右手を上げ、アイルの後を追うために、俺は店を出た。




