第四十七章 星の福音
シエナ王国
ユウ・ナギノは、ソードスワードから山脈を抜けて、西にあるシエナ王国を目指した。
ソードスワード家が護衛の馬車を何台もつけたので、旅の路は何事もなく進んでいける。
御者もしっかりいるので、ユウが手綱を握る必要はない。
ホロの中で、エリオ・ソフィー、アルト・プレヴィンと一緒にゆっくりできる。
エリオ・ソフィーは車に揺られて、うとうと微睡んでいる。
彼女はシエナ行きを父に許された。
シルクの白のブラウスに藍色のスカーフ、藍色のロングスカート。
巻きぐせをつけて整えたライトブラウンの髪、腰元に刺突剣エストック・アザレアを納めた鞘が置いてある。
アルト・プレヴィンも、シエナステラの修道院服を着込み、憧れの場所を訪れる期待で胸をふくらませている。
アルトも親と話をつけて旅立った様子だ。
二人の表情は満ち足りていた。
ユウは彼女たちよりも、ずっと大きな希望を抱いていた。
ソラナの啓示によって、シエナステラ修道院で天啓の門を開く。それは本当に可能なのかどうか、多少の心配があった。
ユウとソラナの想いは、まだ叶っていないのだ。
峠を下ってゆくにつれて、風が潮の香りを運んできた。
シエナ王国は大洋に面した、温暖で綺麗な街だった。
青く深く、おだやかな海に面して、白や黄色やオレンジ色の明るい屋根と壁の家々が並んでいる。
所々に教会があり、トライアード教色の強さを感じる。
それでも、なぜか、あのソードスワード市国にある教皇庁や、教会群と違って、閉鎖的な陰険さを微塵も感じさせない。
「ソードスワードよりも、教会がたくさんあるね」
目を覚ましたエリオ・ソフィーは、頬に当たる柔らかい潮風を吸い込んでいた。
「ぼくも、この国にすぐ馴染めそうです。この街に住めるなんて、わくわくします」
アルトは目を輝かせている。
海岸沿いの岬の上に、修道院が建っている。
あれはシエナステラ修道院だと、ユウは即座に分かった。
天啓の門の先で、精霊が見せたヴィジョンと同じだった。
「さあ。俺、エリオ、アルトは修道院に行くぞ」
複数の馬車の群から、一台が離れ、岬の丘に方向を切った。
ユウの馬車は、陽光に照らされ、海鳥の鳴き声のもと、修道院へ続く坂を登った。
・・・・・
はじまりの場所 シエナステラ修道院
修道院の扉の前で、二人の女性が並んで待っていた。
「いらっしゃーい、待っていましたわ。勇者様っ」
年上のほうのタレ目でほんわかした雰囲気の女性が、まっさきにユウに飛びついてきた。
彼女は、ネヴュエラ修道院長だ。
「初めまして」
ネヴュエラは、さらにユウの両肩をぎゅっとつかんで、顔を近づけた。
鼻と鼻が当たりそうな距離になる。
「えっ、ちょっと」
「いやー、ソラナと似ているところがないかなって。兄妹なのでしょう? あなた……、瞳が綺麗ねっ」
彼のブルーの瞳は、ちょうどシエナの海と同じ色をしていた。
ユウはネヴュエラの振る舞いに気後れするばかりだ。
「俺とソラナは、似ていないよ」
「ソードスワード市国から参りました。エリオ・ソフィー・フォン・ソードスワードと申します」
スカートの裾を掴み、エリオ・ソフィーは深々とお辞儀をした。
その振る舞いは、育ちの良さを窺わせる。
つづいて、アルト・プレヴィンが挨拶をした。
「あら、初めましてアルトちゃん。贈った修道院服がぴったりねえ。いますぐにあなたがここにいても、違和感ないわ」
ネヴュエラが、アルトから注文を受けて服を作った。
「はい。シエナステラ修道院に憧れていました。いますぐにでも入りたいです」
「ノンノン。ここの修道院の戒律は厳しいのよ。シエナにはいろいろな教会があるから、しっかり修養するところを選んでね。ここは、体験でも腰掛けでもいいから」
「はい、ありがとうございます」
次に、ネヴュエラのお付きの修道女が、丁寧に挨拶をした。
「はじめまして、レマリィと申します。みなさま道中、おつかれさまでした。お茶をいれますので、ゆっくりしてくださいね」
ソラナと街の買出しのパートナーだった、かすれ声のレマリィは、すっかりしおらしくなっていた。
ユウたちは、テラスに招かれて、シエナステラの修道女がつくったケーキやクッキーをごちそうになった。
「すごく、おいしいですね」
エリオ・ソフィーは甘味に舌鼓を打った。
「えっと、すみません。ここは男が入っても良いのですか? 男子禁制でしたよね?」
ユウは、修道院の規則を思い出した。
「勇者様は特別よん」
ネヴュエラは、片目をつむってウインクした。
彼女は、ユウのカップになみなみと紅茶を注いだ。
「ソラナはデロスの地まで行ったのね……、あの子の旅は、わたしはダメで元々と思っていたわ。あの子、突然ソードスワードに行きたいと言いだして、いろいろと準備を始めていたわ。天啓の剣を扱える男の子に会いにいくんだって。わたしは、彼女があなたに出会えるなんて思わなかった。すぐに帰ってくると思っていた」
ネヴュエラはソラナを懐かしむ。
「ソラナは天啓の門の先へ行ってしまいました」
ユウは修道院の二人に頭を下げた。ソラナがいなくなったことを、深く悲しんでいることは確かだ。しかし、彼女たちは喪失感にかられていないように見受けられた。
お茶を一気に飲み干して、ユウは立ち上がった。
「今日は天啓のサークレットをお返しするために訪れたのではありません」
すると、ネヴュエラがこの時を待っていたという表情になった。
「ソラナを帰してくれるのね」
ネヴュエラは、ユウの目的をあらかじめ知っていた。
「はい。俺は……、ソラナの声を聞いたのです。ソラナが、天啓のサークレットを女神像に被せてくれと」
「すべてのことの始まりは、あの子のその行いからです。わたしにもソラナから、啓示があったわ。精霊の声を聞くなんて初めてだった」
ネヴュエラが説明したソラナの声は、ユウのものと同じ内容だった。
ユウの顔がみるみる晴れていった。
「俺と、教皇と、修道院長の三人が啓示を受けたのなら、間違いないですね」
ユウは天啓のサークレットをカバンから取り出した。
「久しぶりに見るわね、やっぱり本物は違うわー」
ネヴュエラは目を細めて、輪冠をしげしげと眺める。
プラチナの輪の中央にはめ込まれた菱形の青い宝石が、神秘的な輝きを放っている。
「勇者様。あなたはサークレットを被れないの?」
興味本位にレマリィがたずねた。
「ああ、ソラナしか被れないよ」
ユウは実演して見せた。
「ふうん……」
「……じゃあ、ソラナのお願いを叶えてあげましょうか」
ネヴュエラがゆっくりとテーブルの席を立った。
ネヴュエラは、エリオ・ソフィーの方を向いた。
「ソラナはユウの実の妹ならね、エリオちゃんはユウの彼女でいられるわね」
ネヴュエラの言葉に、エリオ・ソフィーは顔を赤くした。
「なな、何をおっしゃっているのです?」
声が裏返っている。
「ふふっ。じゃあ、女神像にサークレットを被せてあげてくださいな」
一同は修道院のホールに歩みを進めた。
・・・・・
ユウ・ナギノは、シエナステラの女神像の前に立ち会った。
(この像は、俺が会った精霊の人間時代の姿なんだな)
ユウは女神像の頭に天啓のサークレットを被せた。
「天啓よ。頼む。ソラナをこの世界に帰してくれ!」
やがて、女神像の全身が青い光を放ち、その場にいた者たちは、あまりの眩しさに目を覆った。
ユウたちは目を押さえて建物の外にでると、太陽が月に包まれて暗くなっていた。
そして、風が吹き、シエナの海に大きなうねりを起こした。
ソードスワード市国の街に、教皇庁の鐘を鳴らすほどの突風が吹いた。
ハーシュラームの地で、大砂を巻き上げる風が起こった。
デロスの地で、山林をなぎ倒す突風が起こった。
その風は、【天啓】からの新しい千年紀のはじまりを告げるサインだった。
月に隠れていた太陽がふたたび顔を見せ始めた。
シエナステラの丘の上空に天啓の門が出現していた。
門の形は、デロス神殿で現れたものと全く同じで、門から白色の階段がたれている。
「ああっ……」
ユウは大きく目を見開いた。
ゆっくりと扉が開き、シエナステラのシスター服に身を包む一人の少女が階段から降りてくる。
「ソラナ、ソラナー」
彼女が地上に立つと、天啓の門と階段は、霞のように消え去った。
「ソラナ」
ユウは心臓が止まりそうになりながら、彼女を抱きしめた。
睫毛の長い藤色の瞳と、シエナブルーの瞳が交差した。
彼女は深呼吸をした。
「うーん。本物のシエナの潮風の匂いだわ。私は帰って来たのね」
「ソラナ、ソラナ、ソラナ」
ネヴュエラが彼女に抱きついた。
「ただいま。ユウ、院長。お待たせしましたみなさん。天啓は、私を見出して、次の天啓の門の番人にするようでした。もちろん、天啓に姿かたちなんてないよ。イメージがどんどん頭に入ってくるの。でも、私には、精霊みたいなつとめなんて出来ないって思った」
「あなたは天啓に選ばれた……、でも、帰ってくることを認められたの。そうねえ……、すすんで番人をやりたがるのは、ドニーニ監察官みたいなやつなのよ。あなたには合わないわ」
ネヴュエラはソラナの頭をすっぽり抱いて藤色の髪を愛撫した。
「だからね、天啓もこの世界に帰る方法を教えてくれた。そして、ユウ、教皇、院長が私の声を拾ってくれたのよ」
「やっぱり、あれは夢じゃなかった」
ユウの瞳から大粒の涙が次から次と零れてくる。
「天啓はね……、門の先で私たちが出会った精霊よりも、もっともっと大きなものなのよ。でも、私は私。このままみんなと会えずに、門番をし続けるなんて、とても耐えられない」
「天啓よ、すべてに先立つ存在よ。こころから感謝の意を捧げます」
アルトは岬の下の大海に向かって、透き通る声で叫んだ。
火竜が天啓の門の番人、すなわち精霊だったころ、世の中は荒れていた。人々は互いに諍い合い、残虐の限りが尽くされた。
女剣士の勇者が火竜を退治し、新しい門番である精霊になった。
精霊は、トライアード教をつかって、穏やかな治世を営んだ。やがて、精霊の力が衰えるに従って、教団は増長していった。その精霊の滅びを勇者ユウとソラナが見届けた。
ソラナが再びこの世の地に立ったので、精霊は不在になった。
それは、天啓と人類、あらゆる生命にとっての新しい試みになる。
勇者イグニスの子、勇者ユウとソラナ、チズルの子、そして彼らの子供たち、それともまた、ほかの血脈の者が、天啓の神器と霊剣を受け継いでいくことになる。
再び、人類を監督する天啓の門の番人が必要となるのか、それは、これからの人間の歩み次第だ。
「おかえり。ソラナ」
風に揺れるライトブラウンの髪を左手でかきながら、エリオ・ソフィーが右手を差し出すと、ソラナはエリオに抱きついた。
「私は、ユウの妹だからね。ユウをよろしく頼みます」
「……はい。って言ってもいいのね?」
そしてまた、ソラナとユウはしっかりと抱き合った。
「ユウ、みんな! いままで、私につきあってくれてありがとう。私は……、天啓を信じている。みんなを愛している!」
潮風が、優しくみんなを包んだ。
シエナステラの岬のもと、空高い太陽の光を呑みこむ海原は、天啓の神器に施された宝石と同じ輝きを穏やかに放っていた。




