最終話 一緒に帰ろう
空気を切り裂く重い音とともに振り下ろされた化け物の左腕を、右腕で受け止めた。
衝撃が腕、肩と伝わって、昨日痛めた右脇腹に到達する。
痛みに顔をしかめたが変身しているため表情は表に出ない。
右腕を振り抜いて化け物をなぎ払った。
気を失った椿を抱え、戦闘に巻き込まれないように離れた場所に運んだ。
目を覚ましたときには、きっと……
「集中しろ!」
この期に及んで惑う自分を叱咤した。もはや無言でいる必要もない。
椿は正体を知ってしまった。
勝負は一瞬で決まった。
化け物は地面に横たわったまま。瀬戸は左腰の鞘から剣を払って頭上に振りかぶり、地面を蹴り飛び上がった。
まるで鬼神のような動きで、上空から落下する勢いに、ありったけの力を乗せて剣を振り下ろした。
あまりの素早さに化け物は逃げる素振りさえできずに消滅した。
「解除」
詰め襟姿に戻った瀬戸の肩に九官鳥が舞い降りた。
九官鳥は、瀬戸が万年筆を胸ポケットに挿そうとするのを遮った。
「カエシテクダサイ」
九官鳥は最初の戦いの後に万年筆を返そうとした瀬戸に「モッテイテクダサイ。マタアリマスカラ」と告げた。
それが今、返してくれということは。
「コレガサイゴデス。コンゴ、シマダツバキサマガ、オソワレルコトハナイデス」
「そっか」
瀬戸は溜息をついた。安堵の溜息だった。
「サイゴニ、コンナコトニナッテシマッテ」
こんなこととは、椿の記憶を消す羽目になったことを指している。
今まで感情を表さなかった九官鳥が、初めて瀬戸の心情を慮るような発言をした。
「いいんだ。後悔はしてない」
椿を化け物から守り抜けた。それだけで充分だった。
化け物は現れない。ヒーローも現れない。椿を悩ませるものは全てなくなった。
そして瀬戸に関する記憶もなくなったのだ。
九官鳥は瀬戸の肩から羽ばたいていった。
瀬戸は空を見上げて九官鳥が遠く飛んでいくのを眺めた。
しばらくして九官鳥は瀬戸の視界から消えた。
瀬戸は椿のすぐ側に腰を下ろした。
椿が目を覚ますときを待った。
軽くうなされるような声をあげてから、椿はまぶたを開いた。
その瞳に瀬戸はどう映る?
それを確かめるより先に
「大丈夫?」
首の後ろに手を回し、椿の上体を起こした。できる限り優しく力を添えて。
「すみません。あの……」
「初めまして」
と瀬戸は言った。
椿は笑わなかった。瀬戸の挨拶を冗談と思わなかったのだ。
椿の目は戸惑いの色に染まっている。
「俺の名前は瀬戸高志。通りかかったら、君が倒れていたから」
「すみません。ご迷惑おかけして……」
「ここから一番近い駅はA駅だけど、……よかったら」
断られたらどうしよう。
そんなこと断られたときに考えればいい。
化け物と初めて戦ったときには、もしも負けたらなんて考えなかっただろう?
気がつけば、こんな単純なこと。
彼女が全てを忘れても、俺は何もかも覚えている。
これで終わりじゃない。これから始まるんだ。
「一緒に帰ろう」