34.決着
「失礼いたします! 帝国より使者が訪れております!」
部屋に飛び込んできた従僕が声を上げた。
評議の間がざわつく。
「帝国だと?」
「なぜ今……」
「……しばらく待たせておけば良かろう」
「そうだ。今は重要な会議中だ」
「しかし、至急の案件だと……」
「ーー良い。通せ」
周りの声を無視して、宰相が許可を出す。
貴族たちは不服そうだったが、相手は帝国の使者。
必要以上にごねるわけにもいかず口を噤んだ。
ーー皆が固唾を飲んで見守る中。
重厚な扉が開く。
現れたのは、帝国の紋章を胸に刻んだ風格のある男だった。
使者は静かに進み出る。
そして。
「帝国皇帝陛下より、貴国へのお言葉を預かっております」
そう高らかに告げると、帝国の国章が刻まれた国書を掲げた。
評議の間に緊張が走る。
帝国皇帝から王国への正式な国書。
その重みを理解していない者は、この場に一人もいなかった。
「読み上げます。
『ユリア殿の功績については、帝国においても高く評価している。
しかし近頃、貴国における彼女の処遇について憂慮すべき報告が届いている。
才ある者が正当に遇されず、その意思さえ顧みられぬのであれば、誠に遺憾である。
貴国が賢明な判断を下すことを期待する。
なお、ユリア殿が自ら望むのであれば、帝国はいつでもこれを歓迎する』
以上です」
国書が読み上げられたあと、誰も口を開かなかった。
目を泳がせる者。
顔を見合わせる者。
重苦しい沈黙が評議の間を支配する。
やがて。
「……それなら」
鈴のような声が響いた。
「カーハインドに帰れないのならば。
ーー私は帝国に行きます」
ユリアだった。
決意を宿した瞳で周囲を見据える。
「なっ!?」
「お待ちなさい!」
「そんな勝手なこと!」
「許されませんぞ!」
非難の声が評議の間に飛び交う。
「勝手?」
ユリアの声が低くなる。
「勝手なのはあなた方では?」
その声には確かな怒りが込められていた。
「私は離縁も王都への滞在も望んでいません。
何度もそう申し上げました」
貴族たちは気まずげに目を逸らす。
「それなのに皆様は、私の人生を勝手に決めようとなさいます」
そこで一度小さく息をつく。
「だったら私は、自分で決めます」
前を見据えて言い切った。
評議の場を静寂が包んだ。
しばらくして。
「お、お待ちなさい」
「誰も帝国へ行けとは言っておりません」
「そうですとも」
「議論にはまだ余地があります」
推進派の貴族が慌てて声を上げ始める。
ユリアを他国に奪われることは誰も望んでいない。
「ほう。先ほどは決着がついたと言っておらなんだか?」
焦りを滲ませる者たちに、宰相が嘲笑を浮かべる。
「我々はユリア殿の利益を考えていただけです」
「そうです。彼女のことを思うからこその提案であって」
「本人がカーハインドへの帰還を望むのであれば、その意思も尊重されるべきでしょう」
ユリアは開いた口が塞がらなかった。
先ほどまで、いくら訴えても聞く耳を持たなかった者たちが、次々に意見を変えていく。
「そうですな」
「帝国への無用な誤解を避けるためにも」
「今回は本人の意思を尊重するのが賢明かと」
まるで先ほどのことなどなかったかのように、貴族たちは一斉にカーハインドへの帰還に賛成を示し出した。
「本人の意思を尊重、か」
宰相が鼻で笑う。
「ようやく思い出したようだな」
宰相の皮肉に、何人かの貴族が気まずそうに視線を逸らす。
カロルドはその様子を冷めた目で見つめていた。
先ほど「個人の感情で国益は左右できない」と笑っていた者たちが、今は「本人の意思を尊重すべきだ」と口を揃えている。
あまりにも身勝手だった。
だが、彼らが何を考えていようと構わない。
ユリアをカーハインドへ連れ帰る。
今のカロルドには、それだけが重要だった。
「では、決議をお取りください」
カロルドは静かに言った。
「ユリアはカーハインドへの帰還を望んでいる。
私も離縁を望んでいない」
「異論がないのであれば、結論は出ているはずです」
その言葉に、何人かの貴族がためらうように顔を見合わせた。
この期に及んでまだ、自らの利益への執着を捨てきれないのだ。
「本人の意思を尊重するのでしょう?」
カロルドは問いかけた。
「先ほど、皆様がおっしゃった通りに」
静かな声だった。
だがそこには確かな圧があった。
評議の間に沈黙が落ちる。
誰も口を開かない。
開けなかった。
つい先ほどまで「本人の意思を尊重すべきだ」と口にしていたのだ。
帝国の使者の前で、自らの発言を覆すことなどできなかった。
やがて。
「……異議なし」
一人の貴族が呟いた。
それを皮切りに、
「異議なし」
「私も異論ありません」
賛同の声が続く。
だがその声に力はなかった。
誰もが苦いものを飲み込んだような顔をしている。
「では」
議長が周囲を見渡した。
「ユリア殿はカーハインドへ帰還。婚姻も継続」
「これを本決定とします」
木槌が打ち鳴らされる。
乾いた音が評議の間に響いた。
ーーユリアはほっと息をついた。
終わった。
王都へ呼び出されてから続いていた騒動が、ようやく。
隣を見ると、カロルドも小さく息を吐いていた。
ーー
「お疲れ様でした」
部屋を出た後、ユリアがそう言うと、
カロルドは少し困ったように笑った。
「疲れたのは私ではなく、あなたでしょう」
「ふふ」
二人は顔を見合わせて苦笑した。
だがその顔は晴れやかだった。
「でも皇帝陛下からこんなタイミングで国書が届くなんて驚きました」
ユリアが目を輝かせて言った。
「そうですね」
カロルドはそこでふとあることを思い出した。
「……もしかすると母の言っていた"あて"って……」
「えっ!?」
ユリアは目を丸くする。
「いえ、考えすぎでしょう。母や父に皇帝陛下とのつながりがあるとは思えません」
「そう……ですよね」
「とにかく無事に終わってよかった」
カロルドはユリアを見つめた。
「あなたを失わずに済みました」
そう言ってふわっと笑った。
ユリアの胸がどくりと鳴った。
「……私も……」
一度言葉を切る。
「カロルドと離れることにならなくて、良かったです」
ユリアがそう言うと、カロルドは少しだけ目を見開いた。
だが何も言わない。
ただ、どこか嬉しそうに微笑んだ。
その笑顔を見て、ユリアの胸がまた少しだけ騒ぐ。
けれど今は、それで十分だった。
ーー
王都での騒動は終わった。
そして二人は、共にカーハインドへ帰る。
「あなたを失わずに済みました」
その言葉を思い返すたびに、胸が温かくなる。
これから先も、きっと色々なことがあるだろう。
それでも。
もう一人ではない。
ユリアはそっと隣を見る。
窓の外へ視線を向けていたカロルドが、振り返った。
目が合う。
カロルドは優しく微笑んだ。
ユリアもまた、小さく笑い返す。
窓の外には、懐かしいカーハインドへ続く道が広がっていた。
馬車はゆっくりと進んでいく。
二人を乗せて。
これからも続く未来へ向かって。
――完
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